第15話 予期せぬ、、
「なに?まだ何かあるの?」
今度は、クライスではなくカリアンのほうがクロードを訝しげに見た。
2人ともまた席を立とうとしていて中腰だ。
しかしクロードはといえば、しれっとした表情で席に着くように手ぶりで促す。
あたかも主客が逆転したような形だ。
そして差し出していた右手をそのまま上着の内ポケットに差し入れながら言った。
「クライス殿下の結婚相手のことだけど」
(えっ、何を言いだすのかしら。さっき、バーバラの名代で私が、って話で終わってたはずよね)
ユーリアはまじまじとクロードを見た。
(せっかくうまく収まってたものを蒸し返して変なことになっても知らないから!)
「ん?」
と自分のこととあってクライスも座りなおす。
クロードが続けた。
「そもそも今回の件でサリカウッズ側からノーランスに宛てて最初に届けられた書状には花嫁の指定はなかったはずだよね」
書状というのは、今から7か月ほど前、バーバラがラディスル川の春の祭祀を終えてすぐの頃にサリカウッズの使者から届けられたそれのことだ。
サリカウッズの皇帝、すなわちクライスの父が「ノーランスの王女の輿入れがなければ、サリカウッズはノーランスを滅ぼす」という物騒な内容だった。
その時はバーバラとクロードが恋仲で婚約していると思い込んでいたユーリアが「自分が嫁ぐ」と申告した。
それが、その半年後(つまり、ついひと月ほど前)のラディスル川の秋の祭祀の時にユーリアが倒れ、かつ、輿入れが早まったため、バーバラに差し替えられたのである。
サリカウッズ側から花嫁の指定こそなかったが、ノーランス側でも二転三転した事情を思い出し、ユーリアは複雑な気持ちでクライスの表情を注視していた。
そのクライスは「花嫁の指定はなかったはず」というクロードの言葉に一瞬フッと笑ったように見えた。
が、それは本当に一瞬だった。
それを押し隠すように「そうだが」と露骨に呆れたような顔をしたのだ。
そして
「今さら何を言う。花嫁の指定はないんだから、花嫁はここにいるユーリア姫でもいいんだ」
と意外にもユーリアに執着を見せる。
「ユーリア姫でも」という言葉に引っかかりはしたが、それよりも彼のその表情の変化のほうがユーリアには気にかかった。
さきほどここに通される前に城の外で自分と話をしたときのクライスは平板そのものだった。
態度にも顔つきにも感情の揺れというものが全く見られなかったのだ。
それなのに、さっきは確かに微笑んだ。
(何かが殿下の中で変わったのかしら?)
ユーリアはクロードに話しかけようとした。
しかし、クロードはクライスの言葉のほうに反応し集中していて、ユーリアのようすなど全く気にとめていない。
「ユーリアでも、というのはありえないだろ」
そう呟いてはいるが、なおもユーリアがそっと伺うと、また彼の薄緑の瞳は小刻みに揺れていた。
彼自身も今どこかに不安や戸惑い、あるいは迷いや緊張を抱えているのだろう。
(何かはわからないけど、ここでどうしても言いたいことがあるのね)
自分の意見を展開することで手いっぱいなのかもしれない。
そう察してユーリアは口をキュッと閉じた。
いつの間にかクロードは上着の内ポケットから書状を取り出してテーブルの上に広げている。
サリカウッズの玉璽が否が応でもユーリアの目に映る。
無論、クライスやカリアンにも見えただろう。
書状の中身は極めて事務的で簡潔なものだったが、それでもクロードはわざわざ「ここだ」と当該箇所を指し示しながら内容を声に出した。
『ノーランスの王女のうち一人をサリカウッズの皇太子クライスの妃に』
確かにそう書かれているが、そのことよりもクロードが書状を準備していたことにユーリアは舌を巻いていた。
(いつの間にそんなものを)
王への親書を預かってくるからにはそれ相応の申し入れなり手続きなりが必要だろうが、いつ何を思い付き、いつそれを行動に移したのかユーリアには皆目見当もつかない。
前に座る二人の様子を見れば、クライスもカリアンもその内容にはただ頷くほかはないようだ。
クロードが幾分得意げに
「妃を特定してないね。誰の名も書かれていない」
と駄目を押した。
(そんなこと言っちゃって大丈夫かしら。墓穴を掘らなければいいのだけれど)
どきどきしながら、それでもユーリアは何か考えがありそうなクライスを見守る。
紙に書かれたものの威力は抜群だ。
拍子抜けするほど素直な顔をして、カリアンがクライスに目配せした。
ところがクライスの態度は違っていた。
「で、それがどうした」
と、驚くほど冷たい声で応じる。
またしても追い込まれているような気持ちになって、ユーリアは思わず身震いをし、腕を回して自分の両肩を抱いた。
だがユーリアの様子には気づかずに、ここぞとばかりにクロードが胸を張る。
彼の口からゆっくりと言葉が紡がれていく。
「わが国はバーバラをクライス殿下の妃として選んだ。クライス殿下に嫁いだのはバーバラだ。式も挙げたと聞いている。だから」
(今それを言うことで何を)
ユーリアは知らず肩に回した腕を解いてクロードの横顔を見つめた。
ところが最後まで言い終わらないうちにクライスが割り込んだ。
「いやバーバラ姫との婚儀は成立していない。ここまで私もカリアンも一度もバーバラ姫のことを妃だと言った覚えはないぞ」
ユーリアは思い返してみた。
確かにクライスに「妃よ」と呼びかけられ、カリアンに「お妃さま」と呼ばれたのは自分だ。
(バーバラが妃だと私は思いこんでいたけど、バーバラと結婚したいうことを二人の口からは聞いていなかったわ)
「どういうことですか」
自分の主張の前に言葉を遮られたクロードが不満をぶつける。
クライスは書状に目を向けたのち、クロードの目を見据えた。
「今日のユーリア姫と同じような状況でバーバラ姫が魔力焼けのような状況に陥ったことは先ほども言ったはずだ。彼女とは言葉を交わすことすらできていない。だからバーバラ姫とは挙式どころか、誓約もしていない。サリカウッズに花嫁はまだ来ていない。だから」
「だが、イザークは言いました」
今度はクロードが割り込んだ。
イザークはバーバラの護衛として付いていた男だが、この場で出したところで何の切り札にもならない名だ。
クロードもそれはわかっているはずだ。
尤も、それでも割り込まなければ「ユーリア姫でもいい」というさっきの文言が続いただろう。
ユーリアにもそれはわかる。
そしてクロードはそれは避けたかったのだ。
「イザーク?」
クライスが怪訝そうに繰り返した。
「バーバラ姫の護衛の男かな」
冷静な口調で横から口を挟んだのはカリアンだ。
「バーバラ姫についてたけど、クライスが顔を見せたらすぐ馬車に戻っていった…ほら、俺らより少し上の、上背のあるがっちりした」
身振り手振りでクライスに説明する。
(えっ、護衛なのにすぐバーバラから離れたの)
ユーリアはひどく呆れたが、とりあえず今はそれはどちらでもよいことだ。
今聞き逃してはならないのは、クロードが書状の文言をどう使い、それにクライスがどう応じるかだろう。
クライスはカリアンの指摘に「知らん」とだけ答え、右目を掻いた。
「とにかく、この話はこれで終わりだ。最後にこれだけは言っておく。だから」
その時、今度はユーリアが割り込む形になってしまった。
「ちょ、ちょっと何をするの」
ユーリアが慌てたのは、クロードが拳3つ分だけ間を置いて隣に座っていた自分の背に腕を回してぐっと引き寄せたからだ。
そしてクロードとクライスの声が同時に響いた。
「ユーリアが僕の婚約者だ」
「ユーリア姫が私の花嫁だ」
(えっ、ええっ)
ユーリアは心の中で叫び声をあげた。
(なんでそうなるの)
「へっ」
カリアンが何とも言えない複雑な表情をして、椅子から転げ落ちそうになった。
「この話はこれで終わりだ」
今度こそクライスは立ち上がりはせず、手元のベルを鳴らして控えていた侍従を呼ぶ。
「この二人を、客室にお連れしろ」
「待て、我々はもうこのまま帰国するつもりだ」
クロードが猛然と抗議するが、
「では、貴公だけ帰りたまえ。ユーリアは私の花嫁としてここに留め置く」
とクライスに言われて、折れる。
ユーリアとクロードは半ば連行される形でそれぞれ別の部屋へ案内されていった。