第2話「後悔」
窓からこちらを見ていた”絵里ちゃん”は、一旦、部屋の中に戻っていく。しかし、30秒もしない内に、玄関の扉を開き、こちらの方に詰め寄って来た。
鋭い目つきでこちらを睨んでいる顔が、夜中の街灯に照らされている。艷やかなセミロングの黒髪、こちらを見透すような瞳、そしてやはり幼い顔立ちは、5年前と比較して少し大人びた印象ではあったものの、やっぱり、”絵里ちゃん”そのものだった。
開口一番、
「アンタ、どういうつもり!?」と、"絵里ちゃん"は、鋭い目つきでとげとげしく俺を糾問する。
これが、俺にとって5年ぶりの”絵里ちゃん”の肉声であった。
「いや、あれは、事故というか、何というか・・・。」
迫りくる視線にたじろいでしまう。
「なにが事故よ!馬鹿にしに来たの!?」
怒り心頭になった”絵里ちゃん”の猛攻は、収まる気配が全く感じられない。
「あ、あのさ。」
「何よ!」
「もう少し、声を小さくして話さない?御近所迷惑というかさ・・・。」
正直、”絵里ちゃん”の声はこの閑静な住宅街に響き渡っていた。
俺は苦笑いしながら、
「嫌だからね。俺、こんなんで警察沙汰になるの。」と"絵里ちゃん"に訴えかける。
「・・・。」
”絵里ちゃん”は目を見開き、少し顔を赤らめた。
どうやら、”絵里ちゃん”も我に返ってくださったようである。俺は安堵した。
しかし、そんな安堵も束の間であった。
「いいわ。私の部屋に来なさい。事情はそこで聞くから。」
何を考えてるんだこの女は。こんな夜中に男一人自宅に招き入れるだなんて。
「いや、その、親御さんとか大丈夫なの?」
すかさず、俺は当たり前な疑問を示す。
「いないから、問題ないわ。」
いや、寧ろ大問題である。幼馴染とはいえ、他に誰もいない女の家に入りこむだなんて。
「うーん、でも、その、男の人と二人きりってさ、どうなのよ・・・。」
口にするのは恥ずかしいが、指摘する他あるまい。
「大丈夫でしょ。久しぶりとはいえ、幼馴染なんだし。いいから、アンタの言い訳をみっちり聞いてやるわ。来なさい。」
やれやれ。俺は男として見られてないのかね。泣きたくなってくる。
そうして、俺は、"絵里ちゃん”に袖を引っ張られながら、半ば強引に早坂家に連れ込まれるのであった。
扉を開けた先にある早坂家の匂いや内装は、俺の中にある5年前の記憶と全く変わらない。“絵里ちゃん”に促されるように玄関すぐ近くの階段を昇る。2階に昇ると、“絵里ちゃん”は自らの部屋のドアノブに手をかける。その瞬間、少し緊張したものの、部屋の扉が開くと懐かしい気持ちになった。
机やベッドの配置もまるであの頃と変わっていなかった。そうだ、毎日のように来てたんだよな、この部屋に。二人でアニメ観たり、ゲームやったりしてたんだよな。それが、突然この女が不登校になって、それ以来、疎遠になって。なんで、不登校になったんだろ。コイツ。
“絵里ちゃん”は窓の扉を閉じるとすぐに、
「で、話を戻すけど、あんたの言い分を聞いてやるわ。なんでこんなことになったのか。」と言う。
先ほどと比べると、“絵里ちゃん”は大分落ち着いた様子であった。
「今日来たのはたまたまだよ。これ。」
先ほど“絵里ちゃん”の家のポストに入れた回覧板を見せる。
俺は続けて、
「そしたら、たまたまこの部屋から聞こえてきてさ、この配信が。」と頬を緩めながら、スマホの画面を“絵里ちゃん”に見せる。
「本当なんだか。」
”絵里ちゃん”には先ほどのような剣幕はなく、落ち着いたような様子ではあるが、依然として疑いの目で俺を見続けていた。
「ところで、すごいじゃん、これ。Vtuber?っていうの?」
スマホの画面を示しながら俺は言う。
「うん。」
”絵里ちゃん”は少し照れくさそうに答える。
「いいなー。こうやってスパチャで金稼げるんでしょ。人生、楽勝って感じでしょ。俺みたいな凡人は、毎日大学行ってて大変だよ。」
何気ない一言であった。
「それ、どういう意味?」
”絵里ちゃん”は声を震わせながら俺の言葉に突っかかる。
「えっ?」
驚きが隠せない俺。何か変なスイッチを入れてしまったようだ。
「私の人生が楽って言いたいの?」
その時、”絵里ちゃん”の目は再び鋭さを取り戻していた。
「配信でこんなに上手くいけば、普通の人より楽でしょ。」
少し半笑い気味にながらも率直に俺は答えた。
「何それ?妬み?アンタ、この時間帯いっつも部屋にいるようだけど、サークルは?バイトは?普通の大学生なら、サークルとかバイトとかでアンタみたいにずっと部屋にいないと思うけど?」
相変わらず声を震わせつつも”絵里ちゃん”は俺を詰める。
その罵倒に俺は歯を強く食いしばって何とか耐えようとする。
”絵里ちゃん”は嘲笑しながら続ける。
「どうせ、陰湿なアンタのことだから、大学で上手くいってないんだろうけど」
最も弱い部分にストレートに言葉が投げ込まれる。そして、俺はとうとう堪忍袋の緒が切れた。
「俺のことは関係ないだろ!大体、お前こそなんなんだよ!5年前突然引きこもったと思ったら、こんな訳分からない皮を被って、配信なんか始めて!」
”絵里ちゃん”は憎悪の目をこちらに向けてくるが、そんなことお構いなしに俺は続ける。
「男に媚びた声で、てきとーに喋って金稼いでるんだから、楽に決まってんだろ!」
そう言い切った瞬間だった。
”絵里ちゃん”が思いっきり振る手が見えたかと思えば、俺の左頬に痛みが走った。
驚いた俺は頬を両手で抑えた。
”絵里ちゃん”は涙を流していた。
俺はその様子を黙って見ながら、静かにその場を立ち去った。
「ちゃんと、回覧板渡してきた?」
家に帰るなり母親の質問が飛ぶ。
「ああ。」とだけ答えて、俺は自分の部屋に入った。
俺は部屋に入るやいなや、ベッドに寝転ぶ。
「はあ。」
そうやって一つため息をつく。
今日一日の出来事が走馬灯のように、頭の中を駆け巡る。
新歓で茶髪メガネに圧倒された時
新歓で陰口を叩かれた時
5年ぶりの”絵里ちゃん”の姿
”絵里ちゃん”の涙
他人に振り回される散々な一日であった。人付き合いなんてうんざりだ。
そう思いながら、天井の蛍光灯が煌煌と光るのを眺めていた。
しかし、その「走馬灯」の中でも特に、”絵里ちゃん”が涙を浮かべた光景だけは、どこか心の中で引っかかるような感じがした。
もしかして、俺が悪かったのだろうか。しかし、あんな軽口程度でそんなに怒るもんだろうか。
俺はタオルケットに包まりながらうとうととなる。
色んな感情が頭の中でぐちゃぐちゃになりながらも、それらの感情が次第に溶けていくような感覚に陥った。
目が覚めて、眠ってしまっていたことに気が付く。部屋は明かりが付きっぱなしだ。スマートフォンで時刻を見ると、朝の10時である。
完全に寝過ごした。
必修の1限目には完全に遅刻である。やれやれ。大学生活、初めての遅刻である。午後まで講義はない。
SNSでも漁ろうかとスマートフォンを開くと、昨日開いていた「諸星メルルちゃんねる」の画面が表示される。
この時、昨日の”絵里ちゃん”が涙した際の光景が頭の中をよぎった。
どうせ暇なので、過去の配信のアーカイブ履歴を漁ってみることにした。
歌枠、雑談枠、ゲーム実況、この手のVtuberにまるで興味はないが、どれもありきたりと言えば、ありきたりの配信内容ばかりであることは分かった。
正直大した内容ではなさそうであった。せっかくだから、中身もちゃんと見てから評価してやろう。
てきとうに歌枠を一つ開いた。
よく映像を見たら、普通こういうVtuberってキャラクターが動いたりしそうなものだが、この配信は全くそんなことはなく、キャラクターの絵がカラオケの背景に配置されているだけであった。
また、内容についても、最初に可もなく不可もないというような内容の雑談が展開される。
やっぱり大したクオリティではない。所詮素人のお遊びといったところか。
動画を消してやろうとしたところであった。
「それでは、一曲目はこちら!」と諸星メルルが高らかに宣言する。
それは、どこかで聞いた覚えのあるイントロであった。懐かしい感じがする。
そして、プロほどではないだろうが、上手い諸星メルルの歌声が響き渡る。
サビに入りそうになる前に気が付いた。5年前に流行っていたボーカロイドの曲であった。
5年前、部屋で一緒にゲームをしていた時に”絵里ちゃん”がよく口ずさんでいた歌だ。
「その曲好きなの?」と俺が聞くと、「全然上手く歌えないけど」と照れくさそうに笑う彼女。
その様子が今、頭の中で思い浮かんだ。
その時は、実際に音程がところどころ外れていて、お世辞にも上手く歌えてなかった。でも、何だかそれが心地よかったのだ。
しかし、今聞いてみると、その当時と比べて大分上手くなっている。
すっかり俺は聞き入っていた。
4,5分も聞いていると曲は終了する。
諸星メルルはコメントを読み上げる。
「『曲上手だね』って?ありがとう!この曲出た頃さー。ワタシ、全然歌が上手くなかったの。自分でカラオケで歌ってるのを録音してみて、後で聞いたら笑っちゃうくらい。でもさ、ある人が『下手くそかもしれないけど、その歌声が好き』って言ってくれて・・・。その人にもっといい歌声を聞かせたいって思って、ずっと練習してきたのね。だから、褒められると凄い嬉しいっていうか・・・。まあ、結局、そういってくれた人に聞かせてあげてあげられてないんだけどさ(笑)」
誰だそんな照れくさいこと言う野郎は。いや、はっきりと思い出した。5年前の俺である。
急に恥ずかしくなり、のたうち回りそうになる。
最初はさっさと見るのをやめてしまおうと思ったが、結局、そのまま引き続き歌枠を聞き入ることにした。そして、その歌枠が終わると他のアーカイブも開いていった。
他のアーカイブでは、この5年間の”絵里ちゃん”のことが色々と語られていた。
3年前から声優の養成所に入ったこと
中々オーディションに通らないこと
表現力を高める一環としてVtuberを始めたこと
複数アルバイトを掛け持ちながら夢を目指していること
あるバイト先の人間関係に悩まされていること
”絵里ちゃん”が、夢に向かって懸命に努力していることが伺えた。
特に将来について考えずに大学に行き、日々惰性で生きている俺とは全然違ったのだ。
結局この日は、午後の講義もサボって、複数のアーカイブを観たが、それぞれ決してクオリティの高いものだとは思わなかった。
でも、過去に”絵里ちゃん”と過ごした時の安心感があった。懸命さがあった。
俺はすっかり諸星メルルの虜になっていた。
そこで同時に出てきたのが、後悔の念であった。勿論、昨晩の俺が”絵里ちゃん”に吐いた暴言に対してだ。
一方で、その時の自分を正当化する言い訳めいたものも頭の中に沸き起こる。
「でも、5年ぶりに会った幼馴染がそんな努力してるなんて知る由もないじゃないか。」と。
相異なる感情がそうやって衝突を繰り返す中で、5年前の記憶が急に甦る。
いや、違う。俺は知っていたはずだ。
5年前から負けず嫌いで努力する奴だった、絵里は。
絵里が、中間テストの点数で俺に負けて期末テストで学年10位以内に入ったこと
絵里が、格闘ゲームで俺に負けても何度も練習して俺に勝ったこと
絵里が、運動会の徒競走で二位だった後、毎朝走りこんで翌年に一位を取ったこと
そんな絵里のことをすっかりこの5年間で俺は忘れてしまっていたのだ。
俺は絵里に謝るべきなんだろうか。
・・・。いや、もう俺に会ってもらえないだろう。俺の言動に失望したことだろうから。
というか、今の俺は昂りすぎだ。考えすぎだ。5年ぶりに会った幼馴染なんてどうでもいいと思っているだろ、アイツは。
そんな葛藤を繰り返しているときであった。
「友達?ワタシ、基本ぼっちだから、いないや(笑)」
雑談枠でコメントを拾った“諸星メルル”が話を続けているのが聞こえた。
「でも、過去に幼馴染がいてさー。5年間顔もロクに会わせていないんだけど(笑)」
こうやって、”諸星メルル”は自嘲的に笑ったかと思えば、
次には低い声で
「でもさー、たまーに、視線を落としてで帰ってきてるのを見かけると、心配になるよね。」と言う。
配信は1年前の4月。ちょうど、俺が受験に失敗して、浪人生活が始まっていて、先が見通せなかった時のことだ。
「もう5年もロクに話してないんだけど、どうしても気になっちゃうというか。」
少し寂しげな声で”諸星メルル”は語っていた。
この発言を聞いて、遂に、俺は絵里に謝ることを決意した。
その瞬間であった。
動画アプリから通知が突然来る。
「諸星メルルさんが、配信『【重大報告】Vtuber辞めます』を開始しました。」