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第1話「再会」

 

 19歳最初の春、大学入学早々散々な目に遭ったあの日、あの女と、奇跡的な、いや、やっぱり悲劇的な再会を俺は果たしたのであった。


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 ゴールデンウィークも終わり、少し汗ばむような日であった。今、俺がいるP大学法学部棟の大型教室に、「この、『ホウリツコウイ』とはですね〜」と、得体の知れない言葉が、教員のマイクから教室全体に響く。そこで講義を聞く学生の人数は、100を優に超えるであろう。学生のほとんどは、仲のいい者同士で同じ長机を共有して受講していたが、俺は独りで、教室の一番後ろの長机を占拠していた。大学に入学して早一ヶ月、俺は、全く周りに話かけられることもなく大学生活を過ごしていた。おまけに、家から近い国立大学だったからという理由で通っているので、講義内容には正直興味はなかった。

 こんな退屈な日常のために俺は一浪したのか。俺は、あくびをしながら、スマホを取り出し、美少女が描かれたアイコンをタップする。


「アイドルトレーニング!プリティ・デイズ!」


 キャラクターの声が大教室にこだましたかと思えば、すぐに静寂に包まれ、俺は冷たい視線を浴びる。そうだ、イヤホンを家に忘れていたのだ。慌ててカバンを取って、席を立ち上がり、走って教室後方の扉から逃げる。


(ちなみに、「アイドルトレーニング」(通称:アイトレ)とは、滅亡寸前の共産主義国家で広報活動を担当する共産党員である主人公が、総書記に命じられて広報のためのアイドルグループを育成するという設定を有するソーシャルゲームだ。どうやらタイトルは、「アイドル」と「レーニン」をかけているらしい。「アイドル・トレーニング」は今から30年前にPC端末でギャルゲーとして発売されて以来、シリーズ化されており、プリティデイズ(通称:プリデイ)は3代目にあたる。)


 ただでさえ大学に居場所がないのに、自ら居場所を無くすようなことをするとは。俺は、つかつかと大教室を背に去る。そして、大きく深呼吸をする。そして手元のスマホで、アカウント名「厭世的なオタク」で登録しているSNSにこう投稿する。


「P大はクソ。」


 しかし、こんな俺にも微かな希望は残っていた。オタサーというやつである。こんな地方の国立大にオタサーなんぞないと思っていたが、SNSでたまたまP大唯一オタサーがあることを知っていた。そして、新歓イベントがどうやら今日あるようなのだ。


単位はほどほどに取得しつつ、たまには授業をサボって気の合う仲間と駄弁って、サークルの女の子と恋仲になったりして...そんなキャンパス・ライフを謳歌する。


 そうだ、オタサーで俺の人生は、変わる!


 俺は、強く拳を握った。


 そう思っていた、この時点までは。


 その日の講義は全てサボり、図書館でSNSを貪るように見ながら、夜の新歓イベントまで時間が流れるのを待った。この間、「厭世的なオタク」には、大学図書館の前で中指を立てている写真を投稿した。



 新歓イベントの会場となっている居酒屋に行くと、挨拶はほどほどに卓に通された。


「ういっーす!サブカルチャー研究会の代表やってます。経営学部2年の森田って言いまぁーす!」


 見たこともないような奇抜な柄の上着に白いズボンを履いた丸眼鏡で茶髪のいかにもな学生の男が、ビールジョッキを片手に吠える。

 正直驚愕という他なかった。俺のオタサー像がぶち壊されたというレベルではない。これのどこがオタサーなんだ。こんなん「オタサー」の悪質な商標侵害だろ。


 茶髪丸眼鏡は続けて「WHITE・CAOS(ホワイト・ケイオス)ってテニサーにも入ってます。」などと宣う。


 テニサーのくせして、名称がダサい。中学生みたいなセンスだ。

 茶髪丸眼鏡はその後も相変わらず何か言っていたが、俺は全く聞いてなかった。


「ま、堅苦しい挨拶はこんくらいにして、今日は盛り上がっていきましょー!新入生のみんな、今日は俺たちが奢るから好きなものじゃんじゃん頼んでください!かんぱーい!」


 大半が親の金で学費払ってるだろうに、何が「奢るからじゃんじゃん頼め」だよ。しかし、本当にここはオタクの集いか?みんな格好が垢抜けてるし、服の色は明るいものを基調としているし、ドレスコードでもあるのかね。オタクは黒一択だろ。


 そんな俺が偏見を抱いていることなぞ誰も知る由もなく、茶髪丸眼鏡の音頭と共に、おどろおどろしいパーティは幕を開けた。


 ところで、上級生だけでなく俺以外の新入生も垢抜けた女子ばかりだ。ちらほら、男も見受けられるが、全然オタクっぽくない。茶髪メガネが、俺たち新入生が座る卓の方へやって来て、「ここ座っていい?」と空いてる席に腰掛けた。「みんな、どんなアニメ見てるの?」そうやって、俺たちの心のスペースに入ってくる。みんな口々に「最近流行りのアニメ」のタイトルを挙げていく。自称オタク女子や、アニメ好きを自称する芸能人がよく口にするようなタイトルである。

 俺はその間を薄ら目で眺めながら、「厭世的オタク」に、「サークルの新歓来てるけど、おもんなさすぎ。」と呟いていた後に、SNSのタイムラインを見ていた。


「君、名前は?」と突如茶髪メガネに聞かれる。


「あ、秋山っていいます・・・。」

「秋山くんは、アニメとか見るの?」

「アニメとかは見ないんですけど・・・。」

「じゃあ、ゲームとか?」

「・・・。アイトレってやつでして・・・。」

「あー、アイトレね。」


 意外だった。こんないかにもクソサブカル学生みたいな奴がアイトレを知ってるとは。とはいえ、いくらオタクコンテンツとてアイトレのプリディは1,000万ダウンロ―ドされているそこそこメジャーなコンテンツだし、名前くらいは知っててもおかしくない。


「俺もプリディやってるよ。」

「そうなんですか・・・・。」


 ま、まあ、オタサーの代表なんだし、流石にプリディやってるよな。

 でも、にわかだろ。にわか。

「いや、でも、プリディもいいけど、前シリーズのキュティデイズの方が俺は好きかなあ。もちろん、あれは今みたいなソシャゲじゃなくてPC版のギャルゲーだから、比較として挙げるには、アンフェアなのは分かるよ。あと、やっぱり中学生の頃、思春期真っ只中にやったゲームだから、思い出補正もあるしね。」


 茶髪メガネの唐突な早口に、俺は、重たいボディブローを受けたような衝撃を感じた。


「へ、へえ・・・。」


 俺は、返す言葉が出てこない。


「アイトレって、歴代シリーズ通底して、”禁断の恋”がテーマなんだよ。あくまで国家の広報をやってるアイドルが恋愛スキャンダルなんて許されない。でも、次第にヒロインと主人公は惹かれ合っていく。結局、祖国のために恋を犠牲にするか、祖国や他のアイドルメンバーを犠牲にして二人の恋を選んで資本主義国家へ亡命するか、そういう主人公達のコンフリクトを丁寧に描いている。単なるゲームの範疇を超えている。一つの文学だったんだよ。あれは。ただ、今のプリディのストーリーってさ、ソーシャルゲームだから、そういう通底したテーマよりも、ヒロイン個人の成長を基軸に描いてるからさ。だから、歴代シリーズをやってるとどうしても物足りないというか。ただ、コンテンツとして面白ければいいけどね。」


「・・・。」


 作品への、知識量というか考察力というかまたまた情熱なのか、とにかく圧倒的な差に俺は黙る他なかった。茶髪メガネからすれば、最新シリーズしか知らない俺こそ「にわか」だったのだ。


「あの、お手洗い行ってきます。」


「ああ、ごめんね一方的に話しちゃって。」


 俺は、そそくさとトイレへ向かった。


 個室に1〜2分籠った。もちろん、その場から逃げるための方便であったので、足す用などなかったのだが。


 時間を置いて新入生の卓に戻ろうとすると、聞こえてしまった。


「森田さん、あんなにイケメンなのに、オタク知識すごいよねー。」

「それに比べて、隣に座ってたオタクくん、すっかり黙っちゃって」

「ずっとニタニタしながら、携帯いじってるしね。」

「ああいう典型的なザ・オタクみたいなのって令和の時代にまだいただんだw」

「てか、今日民法の講義中に大音声流してたの、あの人じゃない?」

「えー、気持ち悪い。」



 え?どういうこと?俺、何か、悪いことした?

 それを聞いた俺は、手が震え、足が震え、しばらく立ち止まってしまった。


 1分ほど呆然としていただろうか、俺は、とにかく、気づかれないように店の外へ出ていくことにした。


 店を出た途端、俺は、足に渾身の力をこめて懸命に走った。


 目に入った住宅街の曲がり角を、右に左に曲がる。


 時折後ろを振り向きながら、とにかく走る。逃げるように、誰もいないところへ。


 人気のなさそうな公園が目についた。すっかり息が乱れていた。日頃の運動不足がここで顕れる。


 公園の木にもたれかかりながら、呼吸を整える。


 実際には、誰も追いかけては来なかった。当然だ。来るはずない。


 ベンチに座りながら、うなだれる。しばらく夜空をぼんやりと眺めていると、自嘲的に笑いつつも涙が頬を伝っていた。


 せっかく一浪して大学に入ったのに、なんでこんな目に遭わなきゃならんのか。

 あまりに滑稽だ。滑稽すぎるよ。


 そうやって頭の中で悲しい感情を反芻すると、余計涙が止まらなくなった。

 ベンチにうなだれながら、瞬きもせず、口を開けたまま、目から涙、鼻からは鼻水を垂れ流す。


 10分ほど公園で泣くと流石に涙も枯れてきた。大量の涙が、心の中のものをすっかり洗い流し、空っぽになっていた。俺には、家しか帰るところがない。


 家に帰ると母親が出迎えた。


「あんた、早いわね。今日は、新しく入るサークルの集まりじゃなかったの?」

 母というのは、時々こうやって謎の嗅覚で本質を突こうとする。


「いや、早めに解散した。オタサーだからね。」

 正直全然言い訳にもなってないと、自分自身も思った。


「まあ、いいわ。ところで、これ、隣の早坂さんのところにあんた持って行って。」

 黒い回覧板を手渡される。


「嫌だよ。面倒くさい。自分でいけよ。大体、明日の朝でいいだろ。」

 あんな目にあった夜なぞ、正直もう寝たいのである。母には、独特の嗅覚でこういう心の奥深くまでも察してもらいたい。


「今日までに返さなきゃいけないのよ。あんたの幼馴染、絵里ちゃんの家なんだし、いいでしょ。」


「もう、5年も会ってねえよ・・・。」

 そんだけ会っていなければ、赤の他人同然である。


「実家でありがたく食べさせてもらってる身なんだから、それくらいしなさい。」

 ぐうの音も出ない。仕方なく、しぶしぶ実家の扉を開けて、隣の早坂さんのところに向かうこととした。


 早坂さんの家の前に着く。

 まあ、直接渡さずとも、ポストの中に入れておけばいいよな。

 そうやって、ポストの中に回覧板を差し込もうとした瞬間だった。

「こんメルー!サブカルの星からやって来た宇宙系アイドル、諸星メルルでーす。」

 酷く男に媚びたような声が、明かりのついた窓から漏れてきた。

 しかし、「サブカルの星からやって来た宇宙系アイドル」とは、なんとも痛々しい。配信でもやってるのかね、どれ、調べてみるか。すると、抹茶色の長いツインテールに星型の髪飾りをした、緑色の瞳をした美少女キャラクターのサムネイルが出てきた。

 なになに、チャンネル登録者数が9,000、今やっぱり配信でもやってるのか。雑談枠。どうせ大した話の中身なんぞなく、声とキャラの見た目が可愛いからって、身内にちやほやされてるだけなんだろう。

 どれどれ、中を見てやろうでないか。タップし、配信を開く。


「みんな、今週の”めがゆう”見た?メルルーはまだ見てなくてー。」


 俺のスマホから”諸星メルル”の声が大音量で流れた。そうだ、イヤホンを置いていったのだった。最大音量なので、今朝の教室のように近隣に鳴り響く。


「・・・。ごめん!みんな、緊急で配信切る!ちょーっと待っててね!」


 俺は、おそるおそる空いていた窓の方を見ると、見覚えのある女がこちらを見てくるのを視認した。”幼馴染の絵里ちゃん”だ。


 いかがだっただろうか。以上が、「奇跡的で悲劇的な再会」の顛末である。

(続く)


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