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余計な雑音が消えると、司会進行によるお昼のラジオ風放送と吹奏楽部のBGMが見晴台までよく聞こえてくる。
騒動が起きていない様子からきっと、他の生徒たちには、いま見晴台に脱走中の湯田先生と、湯田先生の中に鬼がいることは知らないのだろう。
りさちんたちが無事でよかった、とほっとした。
湯田先生はというと、ベンチの前から校舎の結界を一望し、ぶつぶつと鬼となにか話合っているようだ。
《えでか、りくさんが来るまでここで時間を稼ごう》
《どうやって?》
《また俺の言葉を続けて。なにがあっても鬼のペースに乗らないように気をつけて》
《…わかった》
身体からドクンドクンと音がなる。
これは私が鳴らしているのか、それとも吹奏楽部によるものなのかわからない。
《えでか、緊張してる?》
《…ちょっとだけ》
ふうちゃんにそう言われて、バスドラムの音は私から鳴っていたことに気づいた。
《大丈夫、これは予行練習だから》
《予行練習?》
想定していなかった魔法が返ってきて、私は肩の力がストンとおちた。
けど同時に目力もキョトンと落ちた。
《俺とえでかだけの秘密兵器の予行練習だよ》
あ…そっか。
ふうちゃんたちの結界整備に連れていってもらったとき、お兄さんから鬼神戦の切り札として使うようにって言われたことを思い出した。
《そっか…》
《そう、だから失敗してもいいんだよ。運動会の予行練習みたいでしょ》
今度は絶対に失敗しないって思ってた。
さっき湯田先生と鬼の煽りに負けてしまったから、不意をつかれてこうなってしまったんだ。
私のせいでゆか先輩もこんなことになってしまって、ふうちゃんに心配をかけてしまっている。
だから今度こそは冷静に、ふうちゃんに言われたことを返すんだって思ってた。
それが私の身体で音を鳴らし、私の思考を邪魔し、私の聴覚を刺激し、自由を奪っていた。
でもね、いまじゃ嬉しくて泣きそうだよ。
予行練習だから失敗してもいいって思わせてくれたから。
それはつまり、私が失敗しても、ふうちゃんが助けてくれるってことだから。
ふうちゃんがいてくれるなら、私は思い切って失敗ができる。
だって…
《本番は今日じゃないもんね》
ふうちゃん、私、ちょっといま、楽しくなってきちゃったよ。
ふうちゃんと私たちの未来のための、練習だもんね。
《さすがえでか。予行練習の玉入れで相手チームの球投げてた時みたいだ》
《ふふ、それは先にふうちゃんが白投げてたんだよ》
《そうだっけ?》
さっきまでの緊張感はどこへやらといった感じでふうちゃんとの運動会の思い出に浸っていると
「なんだか余裕そうですねぇ。こんなところでなにもできない雑草ひとりきりなのに」
と、湯田先生が振り返って私に話しかけてきたので、私は同時にふうちゃんに言われた内容をそのまま魔法で伝えた。
でもせっかくふうちゃんと運動会の話をしていたのだから、ふうちゃんとの時間を邪魔しないでほしい。
そう思いつつも、私は一字一句違わずに湯田先生の言葉をふうちゃんに魔法で伝えた。
「フッ、死ヲ察シテ狂ッタカ。放ッテオケ」
「えぇ、そうですね。我々の目的は達成されたようなものですから」
「…ねぇ、目的ってなに?」
湯田先生と、鬼がやけに自信をもっている話を話させることで時間を稼ぐ作戦だ。
「雑草ノクセニ、興味ガアルカ?」
「どうせ話しても無意味ですよ。雑草に理解はできません」
「マァドウセ、コレカラ死ヌノダカラ、冥途ノ土産ニシテヤロウデハナイカ」
「そう仰るのであれば…」
(のってきた…!)
ふうちゃんの作戦通り、湯田先生は若干渋っている顔だが、鬼は少し楽しそうで湯田先生の顔を作った。
その不気味さに予行練習と言えど、本番さながらの威圧感を感じる。
無意識に抱きかかえるゆか先輩をぎゅっと引き寄せる。
「我々は彼女の能力がほしいのですよ」
「…能力?ゆか先輩の異能のこと?」
「そんな低レベルなものではない。彼女には占いの才能があるでしょう。それを我々のために使っていただきたいのですよ」
私は混乱してふうちゃんに魔法で伝えるのが遅くなってしまった。
だってゆか先輩の占いの能力が目的だったなんて…いったいなんのために?鬼のために使うってどういうこと?
いろんな疑問がいっきに何個も浮かんで処理しきれない。
「おやおや。驚いて声もでませんか」
幸いそんな私を湯田先生たちは嘲笑ってくれているので、少しふうちゃんとやり取りする時間ができた。
《えでか、大丈夫。そのまま驚いてるふりをしよう》
《う、うん…》
すごいなぁ、ふうちゃんは。
たった少し魔法を返すのが遅くなっただけで、私が混乱してるって気づいてくれるんだから。
こんな状況なのにふうちゃんへの信頼が強くなる。
「…うん、驚いた。あなたたちでも占いに頼るんだなって」
「これだから雑草は!彼女の能力がどれだけ重要かわからないなんて!」
「…じゃぁ先生ならちゃんと教えてくださいよ。ゆか先輩になにを占ってほしいのか」
「いいでしょう…学年は違いましたが、最期の授業です」
すると湯田先生は学校を背にしながら、ゆっくりとこちらに向かって歩きながら口をひらいた。
「…私はね、この学校をあるべき姿に戻したいだけなんですよ」
「…あるべき姿?」
「えぇ、今のように全ての属性が平等だなんて生ぬるいでしょう?だから我が学び舎から優秀な陰陽師がうまれず、東都に負けるのです。なので北都のために私が実力属性主義に変えたいだけなのです」
意味がわからない。
さも素晴らしいことを語るかのように、北都のことを思った行動であるかのように自分の語りに浸る湯田先生の考えが、私には理解できそうにない。
「だというのにあの女狐ときたら…私を横領だ盗撮がカンニング補助だなんだと陰陽省に告げ口をして…!!!私がなにをしたというんだ…!!実力のあるものを贔屓してなにが悪い!!」
湯田先生の怒りに同調するかのように、湯田先生から鬼の靄が見晴台一帯を覆う。
「実力がない者は実力のある者のいうことをただ聞いていればいい…そうだろう!?」
靄のせいで夏とは思えないほど、全身の私の体温を奪う。
湯田先生の気味の悪い顔のせいも重なって、ゆか先輩を抱える腕の力が抜けていく。
「…それで…ゆか先輩の占いはどう関係するんですか」
「ここまで聞いてもわからないなんて、本当に草花は雑草ですね」
きっと湯田先生にとって愚かな質問だったのだろう。
ふっと靄が消えると、湯田先生の表情も消え、ただただ私を見下す顔だけがよく見えた。
「彼女の能力は素晴らしい。彼女の占いがあればいつあの学校を潰せばいいのかわかるのですから」
「…学校を…潰す…?」
「えぇ、属性平等などとぬかす腐ったいまの学校を潰して、私が新しく実力属性主義の素晴らしい学校へ作り直すのですよ。生き残った優秀な生徒だけを残し、新しい教師をむかえてね」
「…そんな!」
「それだけでなく彼女にはこれからもずっと私たちのために働いてもらう予定です。優秀な陰陽師を育て、鬼神様のためにささげ、日本中を実力属性主義に染め直すのですから」
今度こそ私は言葉を失った。
鬼神のために学校を潰そうとしているだなんて…鬼神のためにゆか先輩を利用しようとしているなんて…許せない。
怒りで喉が焼けるようだ。
「ははは!絶望しましたか!なにせ雑草は生き残れそうもないですからねぇ!」
「…そんな計画、うまくいくはずがない」
「あなたにはわからないでしょうけど、こちらには切り札がたくさんあるのですよ」
「…たくさん?ゆか先輩以外にもさらった人たちがいるの!?」
あ…。
たくさん、という言葉をきいたらふうちゃんからの返事を待たずに反応してしまった。
「えぇそうですよ。今だってあの中で活躍してくれていることでしょう」
そういって楽しそうに湯田先生が指差したのは、体育祭中の北都高校。
もしいま、あの場所で湯田先生の仲間があらわれたら…そう思ったらりさちんや、ゆうた君、たかちゃんやクラスメイトたちの顔が思い浮かび私の冷静さを奪う。
なんとかしてくれるかもしれないりく先生がここに向かっていると思ったら、りく先生はこちらに来るべきではないかもしれない。
なんとかしてりく先生には学校に戻ってほしい。
でもそしたら私ひとりでこの状況を切り抜けるにはどうしたらいいのか、私の頭は混乱でいっぱい。
《…ふうちゃん、どうしよう。学校に湯田先生の仲間がいるみたい》
《大丈夫だよ、えでか。えでかは知らないかもしれないけど、りく先生より強い先生たちもいっぱいいるし、ゆうたも博貴も強いよ。俺のお墨付き》
混乱で揺れていた視界が息を吐くたびに落ち着いてきた。
まだ手は震えるけども、大好きなふうちゃんがお墨付きである、ゆうた君やたかちゃん、それに小鷹先輩たちや、原田先生、齋藤先生もいる。
みんなの顔を思い出したら安心感がわいてきた。
うん、みんななら絶対大丈夫。
絶対に学校を守ってくれる。
鬼になんて負けない。
だから私も絶対に負けない。
「…その瞳…なぜ諦めない…?なぜこれだけの状況なのに絶望しない…?」
「…ただ知ってるだけ。みんなあなたたちよりも強いって」
はじめて湯田先生が顔をゆがめた。
なんだかイライラしているような、納得がいっていないような、そんな顔をした。
湯田先生には、鬼にはわからないんだろうな。
みんな属性に関わらずに強くなりたい理由があって、そのために毎日頑張っていることを。
すると湯田先生の顔に靄がかかり、湯田先生の瞳孔が開いた。
そしてなんの感情もわからない表情でこう話しはじめた。
「ソウイエバ、他ニモ、占イガデキル、奴ガイルソウダナ」
「え?えぇ…噂で聞いたことはありますが…確か2年生の中に…」
「オ前、ナニカ知ッテイルナラ、全テ話セ」
さっきまで体温を奪われて感覚がなくなるほどだったのに、今はドキンドキンと胸が音をたてて汗が流れる。
ゆか先輩を抱える手が、汗ですべってしまいそう。
《えでか、知らないって答えて》
「…し、知らない」
声が震える。
でも悟られてはいけない。
せめて湯田先生から視線をそらさず、焦りをみせないようにしてやる。
「本当カ?」
「同じ2年生でしょう?少しくらいなにか聞いたこととかあるでしょう?」
「…なにも知らないって…っ!!」
擦りむいた右腕から血が流れる。
湯田先生から現れた黒い靄が鋭利な矢となって後ろの草むらに刺さったようだ。
「もう一度聞きます。何か知っているなら全て話しなさい」
「…知らない!いっ…!!」
今度は左側に矢が刺さる。
血の温かさが肘にたまってぽたぽたと滴るのがわかる。
「最後のチャンスです。占いができる2年の名前を言いなさい」
靄の矢が私の目を刺している。
また知らないふりをしたら、次は私の脳天を貫くと言うように。
見晴台に沈黙が流れる。
湯田先生は勝利を確信したかのように口角を歪また。
その瞬間、轟音をともに目の前に光の壁が走り、湯田先生が視界から消えた。
あまりの眩しさに瞼を閉じてもチカチカしていて、瞼を閉じていないみたい。
なにがおこったのかわからないでいると、ふわっと甘い香りがした。
「この香り…」
知ってる。
この甘くて大人っぽい香りをさせているのは2人しかいない。
だってこの香りはゆか先輩の手作りの香り。
そして遅れてバニラのスモーキーな香り。
だんだんと目がなれてくると、私とゆか先輩をかばうように目の前にりく先生と波多野の姿があった。
「すまん、遅くなった」
「り、りくせんせぇ…」
波多野までいることには驚いたが、でも信頼する人たちが来てくれたことで目に涙がたまって情けない声になってしまった。
なんとか零れ落ちる前に肩で涙をふいていると、りく先生は着ていたジャージを傷を隠すようにかけてくれた。
「遅くなって悪かったな。…怪我は大丈夫か?」
「…はい!ゆか先輩なら捕まったときに気を失っただけです!」
「…お前のこと聞いたんだけど…まぁいいか」
「???」
すごい。
一気に身体があったかくなって、自分と世界の輪郭がはっきりとわかる。
生きてることを実感しているように。
するとりく先生はこそっと「報告してやれ」と耳元でささやいたので、私はそっと小さく頷いた。
《ふうちゃん、りく先生きてくれた。あと波多野も》
《兄ちゃんから報告きたよ。間に合ってくれてよかった…》
ふうちゃんの返信から、ふうちゃんもほっとしたのが伝わって、また私の目を潤ませる。
《りくさんがきたら安心だけど、このまま状況伝えてくれる?》
《うん、任せて!》
初めての予行練習にしては上出来だろう。
涙をふいて私は目の前をとらえると、目の前が一瞬暗くなって、アロマの香りが強くなった。
「…赤でこ」
「…へ!?」
視界はすぐに明るくなったが、波多野が目の前にしゃがんでいた。
波多野の視線を追うと、ゆか先輩に黒い北都ジャージがかけられていた。
波多野が腰に巻いていた長袖をゆか先輩にかけたのだとわかった。
「てめぇ、なにかあったらすぐに言えって言ったろ」
「うっ…」
いまそんなことを言われても…言える状況じゃなかったことくらい察してほしい。
「あとで説教だからな」
「説教!?」
「黙れ」
波多野とりく先生の視線がするどくなった。
波多野の雷撃の衝撃で、たちのぼっていた煙の中から人影がゆらゆら近づいてきた。
「面倒なことになりましたねぇ…」
その湯田先生の表情は今までに見たことがないほど鬼と融合したようで、背筋がぞくりをするほど人のもとではなかった。
「まさかあなたが助けにくるなんてねぇ、橋本先生?あなたが陰陽省とつながっていたなんて…まぁ、術しか使えないあなたがきたところで意味はないですけど」
そっか、りく先生の異能はいくら同じ先生といっても限られた人しか知らないんだ。
だから湯田先生はりく先生のこともバカにしたように煽る。
「俺が異能を出すに値しねぇってわかんねぇのかね。お前らなんて、そこのじゃじゃ馬で十分なんだよ」
そう言って余裕たっぷりの笑みで顎でさしたのは、すでに臨戦態勢が整った波多野だ。
修学旅行の練習山でみたときより、ふうちゃんとの模擬戦でみたときより、落ち着いてみえるのは気のせいだろうか。
「ばかにされたものですね」
「アレヲ出セ」
「よろしいので?」
「アァ、チョウドイイ実験台ニナルダロウ」
「そうですね…では、仰せの通りに…!!」
湯田先生と鬼が何か話た後、地鳴りと共に地面が大きく揺れ、座っていても地面の揺れに合わせて飛んでいきそうなくらい。
りく先生が支えてくれているおかげで、ゆか先輩を抱えたまま飛ばされずに済んでいるが気を抜けない。
「・・・ァ」
(あれ…この声…どこかで…)
「あはははは!これでも余裕ぶっていられますかぁ!?!?」
両手を広げて高笑いする湯田先生の後ろに、山の土が人の形をしたような巨大なゆっくりと、そして周りを破壊しながら、見晴台の下から私たちの影になるようにあらわれた。
「・・・ァ・・・ァ」
やっぱり間違いない。
夢で助けをよんでいた『彼』の声だ。
その『彼』が土巨人で、どうして悲しそうな目をしているのか…私の胸をきつくした。
「波多野、いけるな?」
「…はい」
そんな私とは対照的に顔色ひとつ変えない二人。
どうしてって考えている暇は私にもない。
助けてを求めていたのは事実なのだから、助ける、それしかない。
絶対に、絶対に。
続く




