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《…わかった。報告ありがとうね、えでか》
氷属性女子チームのフィギュアスケートを見ながら、ふうちゃんに切島先輩の報告をする私。
夏の晴天の下、優雅に滑る選手たちの姿は体育祭の目玉の一つなのだが、私はふうちゃんとの魔法でいっぱいで目に映ってこない。
《ううん。いつもと違うことってこんな感じで大丈夫かな》
《大丈夫だよ。兄ちゃんからりくさんに伝えてもらうね》
《よかった、ありがとう、ふうちゃん》
ふうちゃんたち東都は今日、異能試験が行われているそうでふうちゃんに付き添うように側にお兄さんがいるのだそう。
なのですぐ校舎内で多忙なりく先生に伝わるだろうと、ほっと胸をなでおろした。
《でもね、私が気づいたわけじゃないの》
《そうなの?》
《うん、波多野がおかしいって教えてくれたの》
《へぇ、波多野君でも繊細な違いわかるんだね》
お腹が痛い。
笑いをこらえるのに腹筋に力をいれすぎて、お腹がプルプルする。
薄々感じていたことをふうちゃんが言葉にするもんだから、急にツボにきてしまった。
《もう、ふうちゃんったら急に笑わせないでよー》
ゆか先輩も1年生たちもフィギュアスケートに夢中になっている中、こっそり堪えきれなかった涙を近くのタオルでふいた。
《それは無理だよ》
《どうして?》
《だって俺はえでかのこと笑わせたいからね》
私は手に持っていたタオルを強く顔に押し当てた。
だってふうちゃんの言葉が嬉しくて、幸せすぎて、フィギュアスケートに夢中なふりができなかったから。
「…さん、楓さん」
「は、はい!!!!」
「もうすぐ決勝トーナメントはじまるわよ」
「え!!も、もうですか!?」
その後もふうちゃんと魔法で東都の異能試験の話や、小学校の時の懐かしい話、新しい変顔の話など、常に笑いをこらえながらお喋りを続けていた。
するとゆか先輩に後ろから肩を叩かれるまでパフォーマンス部門が終わっていたことに気づかず、時間のはやさに心臓がバクバクするほど驚いた。
「ふふ、慌てなくて大丈夫よ。まだはじまっていないから」
「す、すみません…」
「もしかして、彼のこと考えていたのかしら?」
「…はい」
おかしいな。
ゆか先輩は私の後ろにいたはずなのに、なに考えてたかまでわかっちゃうなんて。
でも本当のことだから私は素直に白状する。
「…うらやましいわ」
「…え?」
笑いをこらえすぎた涙と唾液でしっとり湿ったタオルを落としそうになった。
だってゆか先輩に似合わない暗い表情で似合わない言葉が聞こえたから。
ゆか先輩がうらやむようなものを、私はなにも持っていないもの。
「ごめんなさい…素直な楓さんがうらやましくなっちゃったわ」
「そ、そんな…え、えっと…」
「ゆか先輩の方がうらやましいです」とか「そんなことないです」とか返せる言葉はあるはずなのに、だから誰かに唐突に「うらやましい」と言われた経験がほとんどない私は何の言葉も思い浮かばない。
ただテンパっていると、申し訳なさそうな顔でゆか先輩がつぶやいた。
「…私も楓さんくらいに素直で同い年だったら…なにか違ったのかしら」
「ゆか先輩…」
私の中で理屈は全てつながったわけではないけれど、ひとつの結論がでた。
ゆか先輩は、波多野のことをただの幼馴染と思っているわけではないのだ、と。
それはきっと、私がふうちゃんのことを想う気持ちに近いものだ。
「ゆか先輩、手、貸してください」
「…え?」
私はゆか先輩を自分の治療椅子に座らせ、向かいあった。
「…きっとさっきの切島先輩のことで不安になってるんですよ。だからちょっと治療です」
ゆか先輩の手はとてもいい香りがした。
波多野と同じアロマの香りで、波多野のことを想って丁寧にアロマを造った優しい香りだ。
「…そうね、そうかもしれないわ」
私はゆか先輩の手のひらから、元気になるエネルギーをゆっくり流しはじめた。
少しでも切島先輩の影が消えるように。
「それはそうとゆか先輩聞いてくださいよ。さっきの波多野ひどくないですか?このかわいい前髪をふざけた前髪だなんて」
「ふふ、ほんとね。楓さんによく似合うかわいい前髪なのに」
徐々にゆか先輩に穏やかな笑顔が戻ってきたけれど、どこか無理してるように感じる。
「…波多野に頼まれたことがあるんです」
「あら、波多野君に?」
これ、本当は言っちゃいけないことなのはわかる。
でもゆか先輩にこんな暗い顔をしたまま最後の体育祭を過ごしてほしくない。
だから少しでもゆか先輩の笑顔を取り戻したい。
「ゆか先輩になにかあったら知らせろって」
「…え?」
触れてるゆか先輩の手が、ドクンドクンと脈をうち一気に熱くなった。
「そんなに心配なら側にいてあげたらいいんですよ、私をパシリにするんじゃなくて!」
「で、でも、ほら…あ、あき…波多野君もし、試合があるし…」
「試合がなかったら側にいてほしかったですか?」
ゆか先輩から爆発音が聞こえたと思うほど、顔だけでなく手のひらまで真っ赤に沸騰しはじめた。
これじゃどっちが『赤でこ』なのかわからないほどに。
「…楓さん…あなた…いじわるね?」
「誰かさんからいじわるされるの慣れてますから」
ゆか先輩にかわいく睨まれたけれど、二人とも想像した人物が同じだったのでテント内に私たちの笑い声が重なった。
そして笑顔が戻ったゆか先輩に「波多野君のことは内緒ね」と言われ、アロマつくりの時にいろいろ話してくれるそうだ。
私はまさかゆか先輩と恋バナができるなんて思っていなかったので、もうすでに今から楽しみだ。
「それでは競技部門、決勝トーナメントを開始いたしま~す。準々決勝後はお昼休憩となりますので、みなさん、頑張ってください~」
「さ、最後のひとふんばり、みんな頑張りましょう!」
「はい!」
いつもよりも踊るような声のゆか先輩の掛け声でみんなで気合をいれ、これからやってくるであろう怒涛の治療に備えた。
第一会場では火属性の準々決勝2試合目が始まったところなのだが、第二会場からも治癒エリアが足りずにこちらまで運ばれてくる重症者が急増した。
しかも全員が切島先輩のチームに負けた雷属性の生徒たちだった。
「ぃ…ぃたい…」
「もうすぐ終わるのであと少し頑張ってください…!」
「…うっ!」
「大丈夫よ、まもなく全て抜き終わるから」
正直、昨日の治療が楽だったと思うほどひどい状態だ。
第二会場を担当して重症者を運んできたクラスメイトが言うには、切島先輩に操られるかのように動けなくなり、サンドバッグ状態だったそう。
だからなのか身体の傷だけでなく、神経の先にまで異能力が流されており、少しでも異能抜きがずれると激痛が走ってしまうため痛みを最小限に抑えるために集中し続けないといけない。
なので一人を治療するだけでも時間がかかるのに、まだテント外からうめき声が聞こえるのを察するに、きっと相手チームだけでなく自分のチームメイトにも手をあげたのだろう。
許せない。
こんなことする人に、ゆか先輩を渡すもんか。
私の切島先輩への怒りが頂点を超えた瞬間だった。
やっと一人目の治療が終わり、泣きながらお礼を言ってテントを出ていく先輩を見送ると、試合終わりの小鷹先輩と音澤先輩が入ってきた。
「あ、小鷹先輩と音澤先輩!準決勝進出おめでとうございます!」
「ありがとう立華…ってみんなだいぶ疲れきってるね」
「は、はい…」
先輩たちに切島先輩のこと、重症者の状況を伝えると、ちょうどその件で治癒テントの見回りをしているのだそう。
小鷹先輩はもうすぐ次の水属性の試合があるので見回る必要はなかったのだが、切島先輩の件が気になって見にきてくれたみたい。
「切島先輩ってもとからこういう戦い方の人なんですか?」
「いや、もともと攻撃性は強いタイプだけど、こんなに正しく神経を操作できる技能はもっていなかったはずだよ」
「あぁ、あいつは自分がより目立つことにこだわりを持ってたから、こういう繊細性が必要なことはできないはずだ。しかも一斉に大勢の動きを封じるなんてな」
もし自分が切島先輩に動きを封じられたら、操作されたらと考える。
切島先輩のその技が鬼によるものであれば夜花世界で十分対応できるだろうが、目をつぶることがトリガーのひとつになっているので、つぶれなくなったらと想像したらぞっとした。
「ま、大丈夫だよ。対策方法はいくらでもあるからね」
「そ、そうなんですか?」
「うん。一番簡単なのは地面に触れていればいいってことかな」
意外すぎる対策方法に拍子抜けしまって、もしかして冗談なのかと思った。
「冗談じゃないよ?切島は電磁波を使って神経の電気信号をいるのだろうから、地面に逃がしてしまえばいいんだよ」
「あとは土属性の結界を重ねかけするのもありだな」
「それなら私にもできそうですね…あっ」
思わず口を両手でふさいだ。
ふうちゃんやお兄さん、りく先生、櫻子お姉さん以外の前ではまだ、草花属性の私が戦うことに対して前向きな姿を出すことに抵抗があるからだ。
それにりく先生と秘密にしておく約束もあるのに、先輩たちの謎の安心感からうっかりしてしまった。
きっと他の人が聞いたら「草花属性のお前になにができる」と鼻で笑われそうだけど、先輩たちは笑わずに優しく笑ってくれた。
こういうところに、安心感を感じてしまうんだよね。
「あ、やばい。そろそろ水属性の試合はじまっちゃう」
「そうでした!見回りありがとうございました!次も応援してますね!」
「ありがとう、立華。そうだ!異能抜きするときも土属性結界を体内でもつくるようにして抜いていくと楽だから!」
と言ってあわただしくテントを出ていった小鷹先輩と音澤先輩。
そして替わるようにまた切島先輩に重症を負わされた1年生がやってきて、さっそく小鷹先輩のアドバイスを試すと痛みも最小限で済まることができ、時間も半分以上短縮することができた。
これは他の属性でも応用をきかせられそうで、あとで小鷹先輩にお礼を伝えたいなと思った。
それからも続々と雷属性の生徒がやってきて、あっという間にお昼休憩となった。
しかしお昼休憩に入っても試合外で切島先輩に殴られた生徒や、急に右腕が動かなくなった生徒がやってきた。
やっと落ち着いてゆか先輩と調理部隊のお昼の列に並ぶと、カレーライスしか残っていなかった。
それでも野菜がほくほくで、カレーのコクもまろやかで、午前中の疲れをすべて吹き飛ぶおいしさだった。
「すみません~このエリアってもう治癒試験終わってますか?」
りさちんが大盛にしてくれたカレーライスを食べ終わって、ゆか先輩の紅茶タイムをしていると第二会場で治癒試験中の1年生がやってきた。
「えぇ。さっき齋藤先生がいらっしゃって午後は自由参加になったわよ」
「ほんとですか!そしたら第二会場の治療手伝っていただけませんか…?とにかく人手不足で午前中の治療がまだ終わっていなくて…」
涙目で訴える1年生に私とゆか先輩はお互い顔を見合わせ、快く了承した。
「そしたら片付けたらすぐ向かうわね」
「ありがとうございます!お待ちしてます!」
パッと笑顔で喜ぶと、1年生は跳ねるようにテントを後にし、第二会場へ向かっていった。
私とゆか先輩は紅茶タイムの片付けをすませ、第二会場へ向かおうとするとゆか先輩のポケットからアロマの小瓶がこぼれ落ちた。
「今日のお昼、波多野に渡すって話してませんでしたっけ?ゆか先輩残っててもいいですよ?私ひとりで行ってきますよ!」
「…大丈夫よ。波多野君には後で連絡するから」
「そうですか…?」
ゆか先輩は少しなにかを考え込みながらアロマを丁寧にハンカチで包み、ポケットにしまいこんだ。
カレーライスがおいしかった、とか、ゆか先輩が選んだサラダうどんもおいしそうだった、とかそんな雑談をしていたからだろうか。
無意識に避けていたはずの裏門に足が向いてしまった。
そういえば、昨日、ゆか先輩は第二会場に行こうとはしなかった。
『第二会場』と聞くたびに表情がこわばっていたのに、どうして今日は平気そうなのだろう。
だって「第二会場に気を付けて」って一番警戒していたのはゆか先輩なのに。
「ゆか先輩!戻りまー!」
「きゃ!すごい風!」
ゆか先輩に戻って正門から行こうと声をかけると急な突風で私の声はかき消され、裏門を出た瞬間足を止められてしまった。
「あ、アロマが…」
目をあけるとゆか先輩のポケットからアロマの小瓶が突風の弾みでこぼれ、コロコロと転がっていった。
ゆか先輩が小瓶に近づき、拾いあげようとすると
「体育祭、楽しそうですねぇ」
と、聞き覚えのある声がした。
「あら」
私は目を疑った。
そして本能が告げる。
「湯田先生、こんにちは」
「えぇ、こんにちは」
逃げろ、と。
だって、いまここに、湯田先生がいてはいけない人だと知っているのは私だけだから。
続く




