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その後も怪我人は絶えず運ばれてくるテント内。
治癒技術試験中の私たちに休む暇も、会場の様子を眺める時間も与えられない。
治癒隊にとって一番忙しいのは、倶楽部中でも模擬戦大会中でもなく、この体育祭なのだと思い知らされる。
「次の方、どうぞ…あら、波多野君」
「…あぁ…」
ゆか先輩の案内で入ってきたのは波多野だった。
重症者の治療中だった私は目がそらせず、怪我がひどいのか気になったが波多野を見ることができない。
「ごめんなさい、楓さん、集中してるから」
「いや、別にあいつに用はない」
「そう?じゃぁ私が治療していいかしら?」
「あ、あぁ…」
ゆか先輩と波多野がなにか話しているようだけど、複雑に受けた異能技を抜くのに耳鳴りがしてよく聞こえない。
でも波多野がきたことで、テント内が同じ香りの濃度が増したのがわかった。
「まただいぶ無茶してるのね」
「…これくらい普通だし」
「おばさん、心配してたよ?」
「いちいち気にしなくていい」
おばさん…?誰のことだろう?
二人のことが気になって、つい耳がゆか先輩と波多野の方へ向いてしまう。
「…さっきなんか騒いでたな」
「あぁ、楓さんなら大丈夫よ。檜原君たちが間に入ってくれたから」
聞き耳たてるなんて悪いなと思いつつも、私の名前が出たら余計に気になってしまうもので。
それに波多野の雰囲気も、ゆうた君の前とも、たかちゃんの前とも違う感じがする。
なんていうんだろう、言葉が丸い、そんな感じが珍しくて気にならないほうが無理かもしれない。
「いや、あいつの心配なんてしてねぇよ」
「あら?そうなの?ふふ、じゃぁもしかして私の心配とか?」
「…するだろ、それくらい」
「…あ、ありがとう…で、でも私、こう見えて強いのよ?」
冗談っぽくおどけるゆか先輩も、初めてみた。
正確には重症者の腕しか私の視界には映っていないんだけど、照れて焦るようなゆか先輩も初めてだ。
ゆか先輩の恥ずかしさなのか、波多野が変に素直で居心地が悪いからなのか、ここにいるのが場違いな気がしてきた。
「…あれはまだある?もうすぐなくなるかなと思って作ってあるよ」
「あー…明日もらう」
「お昼休憩のときでいいかしら?」
「あぁ」
「じゃぁ連絡するわね」
「あぁ…いつも悪いな」
「………として当然なことしてるだけよ」
「…」
その後もなにか話しているようだったが、耳鳴りが強くなってしまって二人の声が届かなくなってしまった。
でもはっきり聞こえたことがある。
波多野の治療が終わって立ちあがるとき「第二会場に気を付けて」と、ゆか先輩は優しい声を強めた。
ゆか先輩と波多野の関係、第二会場になにがあるのか気になりながらも聞ける余裕なんてなく、あっという間にお昼休憩の時間になった。
「疲れたぁぁぁぁぁ・・・・」
期末試験の再来かのように、治療机に突っ伏す私。
疲れすぎて食欲もない~とつぶやく私を、ゆか先輩はクスクスと上品に笑う。
「でもほら、土属性の調理部隊が準備はじめたわよ?」
と、ゆか先輩が言うと、私の鼻は校庭から漂う豚汁と、カレーライスの匂いをとらえ、盛大にお腹を鳴らした。
「さ、私たちも並びにいきましょう?」
「えへへ…はい…」
片付けをしてくれてる後輩たちにも笑われながら、ゆか先輩と列に向かって走った。
長蛇の列に並んでいると、カレーライスの他にもきのこたっぷりの炊き込みご飯や、夏にぴったりの野菜たっぷり冷やし中華など、選ぶのが難しいご馳走が勢ぞろいした。
眉間にしわをよせ決めかねていると、お出汁のいい香りと共に元気たっぷりの声で私の名が呼ばれた。
「楓ちゃん!悩んでいるならてんぷらと、山菜たっぷりのおうどんなんてどう!?」
「りさちん!わぁ~~おいしそう!てんぷらがキラキラしてるよ~~」
毎年土属性のパフォーマンスは調理部隊が腕によりをかけてつくる、山の恵、大地の恵たっぷりのご馳走が振舞われる。
土属性の生徒はみな料理好きの料理上手で知られているので、競技部門と兼任して調理部隊にも力を入れているそうだ。
これが楽しみだから、治癒隊が忙しくても頑張れちゃうんだよね。
「いまなら温泉卵と、とろろもつけちゃうよ!」
「じゃぁそれでお願いしまーす!」
「楓ちゃん、治癒隊忙し?なんか乱闘騒ぎもあったんでしょ?」
手際よく準備をしながら私の心配までしてくれるりさちん。
もうそれだけで元気になれそうだ。
「ちょっとだけね。りさちんたちの競技は午後だよね?」
「うん、昼食終わって片付けがあるからね。第二会場なんだけど応援にきてくれたらうれしいな~」
「ふふ、休憩時間に合わせて応援いくね!」
「ありがとう~!はい、ちょっと大盛にしておいたからいっぱい食べてね」
と、りさちんは私の耳元でこそっとつぶやいて、私の胃袋を大きくした。
そして「私も後で顔出しにいくね」と言って、見送ってくれた。
「お、おいし~~~~~!!!!!!」
さっそくテントに戻り、ゆか先輩といただきますをし、りさちんお手製のおうどんを口にする。
丁寧にとられたことがわかるお出汁が身体中にしみわたり、うどんのコシも弾力があり、てんぷらもサクサクで、一口一口、なにを食べてもほっぺが足りないほどおいしい。
するといろんな種類のサンドイッチを選んだゆか先輩が、クスクスと笑った。
「楓さん、幸せそう。みてるだけでこっちも幸せな気分になれるわね」
リスのように口いっぱいに頬張っていると、小さい口でゆっくりと食べるゆか先輩がとても上品に見えた。
ちょっと恥ずかしくなった私は1本ずつ、うどんをちゅるちゅるしてみたが、上品とはなにかわからなくなってきたのですぐにやめた。
そして空腹も落ち着いてきたこともあり、私はゆか先輩に気になっていたことを聞こうかどうか、迷いはじめた。
「…なにか聞きたそうね?」
「え!!…わ、わかっちゃいました…?」
「えぇ。さっきまで美味しそうに食べてたのに、そわそわしはじめたなと思って」
ふうちゃんと魔法でやり取りしてるときもそうだけど、私ってそんなに顔に出るのだろうか。
でもバレてしまったものはしょうがないと腹をくくり、私は思い切って口を開いた。
「あ、あの…ゆか先輩と波多野って同じ香水使ってますよね?その…ふたりってどういう関係なんですか…?」
腹をくくったはいいものの、声に出すと恐る恐るになってしまった。
それでもゆか先輩はにこやかな表情のまま、持参したハーブティーをテーブルに置いた。
「…私と波多野君はね、親同士が同級生で仲が良くて、小さいころからよく一緒にいたの。彼、昔からヤンチャだったから、すぐ友達と喧嘩して怪我してきたり、危ないところに登っておばさんたちを困らせたりして…それで私のほうがひとつお姉さんだったこともあって面倒みることが多かったの」
「なんか…いまとヤンチャ具合変わってないような…」
むしろ悪化してるのでは?と思ったけれど、カップの中でゆらゆら浮かぶハーブを見つめながら、ゆか先輩は話を続けた。
「この香水はね、静電気とか無駄な電磁波を抑えるために私がアロマをブレンドしてつくったものなの」
「電磁波って…ことはゆか先輩って雷属性だったんですか?」
「えぇ、波多野君と同じくね」
雷属性には切原先輩のように、攻撃的な性格が多いため、ゆか先輩が雷属性だとは思っていなかった。
ゆか先輩はあまり属性をみせるような場面はさけてきたようで、私はなんとなく優しい水属性なのかと思っていた。
「雷属性といっても私はどちらかというと、電磁波よりなの。占いもカードを通して、相手の神経伝達の流れや、微弱な電磁波の流れを感じ取っているのだと思うわ」
だから実はたいしたことないのって笑っていたけれど、それでもすごいことだと思う。
いくら人の電磁波の動きがわかったとしても、みんなに慕われるほどのアドバイスなんてなかなかできないはずだから。
そしてゆか先輩は、ふうちゃんの光も微弱な電磁波の変化として感じ取ったのだろうと説明してくれた。
「私はとくに自分以外の電流や電磁波をためやすい体質で、人にふれるようとすると静電気がおきてしまうから、このアロマがないと人にふれることができないの…」
これまで表情をくずさなかったゆか先輩が、一瞬だけ少し悲しそうな顔をした。
「波多野は放電しやすい体質で、悩んでいたおばさんに試しにアロマをわたしたら効果があったみたいで、それからずっとアロマをつくって渡してるの。だから同じ香りがするのだと思うわ」
でもすぐにいつもの表情に戻ったようで、見間違いかと思ったけれど、カップにうつるゆか先輩の表情はやっぱり悲しそうだった。
アロマがないと人と触れ合うことができないなんて、二人によって大事なものを私は野次馬のように浮かれ騒いでしまって反省しなければと思った。
「ごめんなさい、ゆか先輩…二人にとって大事なアロマだって知らずに、もしかして…とかって一人はしゃいじゃってました…」
「もしかしてって?」
「もしかして二人、付き合ってるのかなって野次馬心が抑えられなかったです…」
と、ありのままを打ち明けるが、ゆか先輩は黙ってしまい、怒らせてしまったのかと思い、顔をあげると顔を真っ赤にそめたゆか先輩がいた。
「ゆ、ゆか先輩…?」
「え…?…あ!な、なんでもないの!ほ、本当になんでもないから気にしないで?!」
ゆか先輩の熱さはおさまらないまま、カチャカチャと音をたてながらカップを手にした。
中のお茶が大玉のしずくをつくり、地面にぽたぽた飛び散っている。
気にしないでと言われても、誰もがこんなに動揺しているゆか先輩を放ってはおけないだろう。
「…ふぅ…まだまだだめね…」
お茶のしずくは、ゆか先輩の治癒記録簿にも跳ねていたようで、体育祭が終わった提出するものなので慌ててタオルでふいていると、ぼそっとゆか先輩がなにか呟いていた。
「ゆか先輩、あの…」
「楓ちゃーん!あまったてんぷらいるー!?」
「りさちん…!」
突然のりさちんの登場で、少し残った謎が綺麗に吹き飛んだ。
ゆか先輩の顔色も一緒に吹き飛んだのか、いつもの優しい穏やかな表情に戻っていた。
「ゆか先輩もどうぞ♪」
「まぁありがとう!ありがたくいただくわ」
「あ、楓ちゃん、鉢巻に髪の毛からまってる!直してあげるね」
「え、ほんと?気づかなかった~」
「せっかくだからアレンジしてもいい?!」
「うん!」
その後、りさちんが編み込み風にアレンジしてくれ、みんなで写真を撮ったりしているとあっという間に昼休憩が終わってしまった。
りさちんは調理部隊の片付けに戻り、1年生のサポートたちが戻ってくると、私たちもまた午後の試験に向けて準備を進めるのだった。
午後の第一会場の競技は水属性による水中球技だ。
水属性は火属性に次ぐ生徒数なので、試合は白熱必須。つまり怪我人も多いということ。
でも火属性や雷属性の競技に比べて軽症者が多いのは、結界試験中の生徒による保護術の影響が強いのだろう。
「わぁ~~~水属性のコートってこんな感じになるんですね!透明なプールが目の前にあるみたい!」
「ふふ、水中球技みるのはじめてだものね。まるで水族館のお魚になった気分になるわよね」
そう、水属性のコートは水中なのだが、プールで行うわけではない。
第一会場の校庭にどこからともなく水がわきだし、あっという間に透明なプールができあがった。
しかも3階建ての校舎と同じくらいの高さもあり、自由自在に水中を動き回れるかがポイントになってくるようだ。
透明プールのおかげで暑さがやわらぎ、ゆか先輩の言うように水族館にいるようだ。
手をのばせばプールに触れられそうだが、結界のおかげで残念ながら触れることはできなかった。
私はふと、ふうちゃんの海の結界を思い出し、また連れていってほしいなと思った。
あのおとぎ話の世界のような、夜花咲く、秘密の海へ。
「サポーターの草野さん、タオル交換してもらってもいいかしら?」
「わ、わかりました!」
「だいぶ水飲んじゃってますね…!ゆっくり抜いていくので呼吸止めないでくださいね!」
いくら軽症者が多いといっても、怪我人が減るわけではない。
むしろ軽症者だからこそ次の試合に備えて回復しておきたい生徒が次々と列をつくる。
しばらくすると午前中ぶりの顔ぶれがそろって顔を出した。
「お、立華おつかれ~、ちょっと変な草からまっちゃって。なんとかして~」
「波川先輩お疲れ様です!」
「もう、またあなたたちなの?テント内狭くなるから外で待ってって言ってるでしょ」
さっきの赤くなって慌てるゆか先輩も、ちょっと怒ってるゆか先輩も、珍しいゆか先輩ばかり出会えて同じエリアで役得だ。
「いいじゃん、もう誰も並んでないし」
「えっそうなの?」
「うん、水中球技もあと少しでベスト8決まるから立華も落ち着けるんじゃない?」
「しかし小鷹もよくやるよなー全部の競技に参加なんて」
「洋介先輩も全部出てたからね」
波川先輩の腕にぐるぐるとギブスのように巻かれた術を、ゆっくり手のひらから抜いていく。
波川先輩は水中バスケだったので、活躍する姿は常に視界にうつっていたのだが、相手チームから何度も妨害術で邪魔をうけていた。
それでもベスト8に一番乗りすることができた。
「洋介先輩でも全競技優勝できなかったから、制覇したいんだよ」
「ま、俺がいれば楽勝でしょ~」
「そうだね。あとで明日の作戦どうするか考えよ」
4人の仲の良さ、チームワークの良さにはなにかひきつけられる魅力がある。
ただ4人の顔がいいから、と言う人もいるが、きっと嘘のない関係性の上にできあがった絆と信頼が、まぶしいほど輝いているからなのだろう。
「で、立華。この草なんだったの?」
「あ、それ、わかめでした!」
「草じゃねぇのかよ!!」
「見ればわかるだろ」
音澤先輩のつっこみに、テント内に笑い声が何度もこだました。
「元気そうね、このエリアは」
「あ、齋藤先生!こんにちは!」
齋藤先生がやってきたことでピタッと笑い声がやみ、波川先輩と栄一郎君から緊張感が漂う。
「治癒隊の邪魔をしちゃいけませんよ、とくにそこの二人」
「は、は~い…」
俺は治療うけにきたのに、と波川先輩がこぼすと、それくらい自分でなんとかできたでしょうと一喝されてしまった。
小鷹先輩と音澤先輩は俯いて笑いをこらえているようだ。
「佐伯さん、立華さん、休憩に入っていいですよ。こちらは今日の試験分はクリアしてますから、ここは治癒師たちが引き継ぎます」
「ありがとうございます!」
「お疲れ様でした、明日も頑張ってくださいね」
と、齋藤先生がテントを出ていくと、北都治癒協会から派遣された治癒師の人たちが交代で入ってきた。
私たちは後を任せて小鷹先輩たちと一緒にテントをでると、水中球技の最後のベスト8をかけた試合中だった。
「あ、俺そろそろ第二会場いかなくちゃ」
「栄一郎君試合なの?」
「榎土も同じチームだよ。よかったら見にくる?」
「行きます!りさちんと応援にいく約束してたんです!」
「ふふ、よかったわね、楓さん」
もしあのまま齋藤先生と治癒師の方がこなかったら、ゆか先輩がお留守番をしてくれる予定だったので、ゆか先輩に負担をかけなくてよかったと安心した。
「佐伯もくるー?」
「残念だけど私もお友達の応援にいかなくちゃなの。怪我しないで頑張って。楓さん、また明日も頑張りましょうね」
「はい!今日はありがとうございました!」
第二会場と聞いたとき、少しゆか先輩の顔がこわばった気がした。
そういえば波多野に「第二会場に気を付けて」と言った理由を聞くの忘れてしまったなと思いながら、小鷹先輩たちの後に続いて裏門へ向かう。
裏門は敷地の山側にあり、寮職員の人たちの駐車場に繋がる路地がある。
隣の元女子高の裏門ともつながっているため、こういった行事などで元女子高の敷地を使う際はみな、近い道になるので裏門を通る。
「かずちゃん先生、突然くるからびっくりした~」
「かずちゃん先生?」
「齋藤先生のことだよ。齋藤先生の下の名前、かずこっていうんだよ」
「え~知らなかったです!」
狭い路地に横いっぱい広がりながら、栄一郎君からお前もそう呼んでやれよ、なんてからかわれながら元女子高へ向かう。
裏門側は見晴台のある山しかないが、周辺近隣への騒音防止のため、裏路地と正門前の道路にも結界試験中の防音結界が張られている。
「そういえばこの前かずちゃん先生にさ~」
「!!!!!!!!!」
「どうした?立華」
「…え?」
「顔、真っ青だぞ?疲れたか?」
「う、ううん!大丈夫!ちょっと大きい虫がいたような気がしただけ!」
「そうか…?あんま無理すんなよ?」
「うん、ありがとう!」
私の気のせいかもしれない。
「あ、楓ちゃーん!」
「お、榎土と火野じゃん。カレーうまかったぞー」
「よかったです~!ちなみに明日はですね~……」
だって結界が張られているはずだし、私より実力あるみんなはいつも通りだし。
「火野は昼なに食った~?」
「俺は回鍋肉を…」
「ゆうた君!それゆうた君だけのやつ!!」
「愛妻定食かよ!!」
でも冷や汗がとまらない。
後ろを振り返ることができない。
上を向くことができない。
はやく、はやく女子高の中に入りたい。
いつもならこの短い距離が、どうして長く感じるの。
だってこの背骨が冷える感覚は
体温をすべて奪っていく感覚は
鬼の感覚と同じだから。
続く




