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土曜日の寮内はとても静かだった。
いつもなら朝から朝練に向かう生徒や、大会に向かう生徒など、活動しはじめる者がいるのだが、朝のトレーニング終わりに談話室の前を通っても勉強している者ばかりだった。
部屋までの道のりも、誰ともすれ違うことがなかったので、私は逆に安心して戻ることができた。
櫻子お姉さんがつくってくれたトレーニングメニューは私の身体、骨と筋肉のつき方、柔軟性、癖などから特別につくってくれたもので。
筋トレメニューもあるが、意外にもストレッチやヨガのようなメニューも多い。
しかし通しでやってみると案外汗をかいているので、部屋につくと真っ先にシャワーを浴びる。
さっぱりしたままベッドに向かいたいところだが、私も机に向かい、最初に思い浮かぶことはふうちゃんのこと。
《ふうちゃん、結界整備終わったかな?》
いつもならすぐに返事が返ってくるが、待っている間にお茶をコップに注ぎ終わってしまったのでどうやらまだ整備中のようだ。
きっと昔の私だったら返事がこないことに対して過剰に不安になってしまっただろうけど、ふうちゃんが生きてる安心感が目の前の術式構造Bに集中させてくれる。
《いま終わったところだよ、えでか。待たせちゃったかな》
それにふうちゃんは強いから、結界整備も戦闘もすぐに終わらせてくれることが、安心して勉強に集中できるもう一つの理由。
《お疲れさま。勉強してたから全然大丈夫だよ》
《ありがとう、えでか》
私も慣れたもので、ふうちゃんと魔法でやり取りを続けながらも勉強することができるようになった。
術式構造は数学の次に苦手な教科なのだけど、鬼たくさん残ってるのにお兄さんは全然手伝ってくれなかったって話や、昨夜の特訓では櫻子お姉さんも参加してくれてそうで、お兄さんと櫻子お姉さんに負け続けたって話を聴きながら勉強できるので勉強が楽しくなれる。
これも愛ゆえにってことなのかもしれない、なんて。
《あ、もう次の東都駅ついちゃったよ》
《私も術式構造の範囲の復習、終わっちゃった》
《時間たつのってこんなにはやいんだね》
《ふうちゃんと話してると楽しくていつもあっという間》
時計はもうすぐお昼を知らせるところで、私のお腹も急に空っぽになったようだ。
《そういえば兄ちゃんから聞いたんだけど、北都は体育祭があるんだね》
《うん、異能の期末試験変わりになってるんだ》
そう、通常は各属性にわかれて属性ごとの異能力値をはかったり、前回からの成長を図ることがほとんどなのだが。
私が通う北都異能高校はもともと男子校で、隣接する北都女子異能高校と共学になった経緯がある。
女子高は現在は北都東高校と名を変え、国家治癒師や武器創造科など、女子高らしさを引き継いだ高校へ変わっていった。
しかし北都高校は男子校文化を多く残しているため、異能期末試験が体育祭に変わってしまう謎の伝統まで引き継がれているのだ。
噂によると100年以上続いている伝統だ、とか、いわゆるヤンキーが多い地域だったため試験中なのにいつの間にか喧嘩になり、体育祭に発展した…など言われている。
《去年初めてみたけど、普通の体育祭って感じで楽しかったよ》
《楽しそうでいいなぁ。こっちは殺伐としてて全然楽しくない》
《ふふ、いま、ほっぺ、膨らんでるでしょ》
《…膨らんでた》
あははと一人、部屋で声を上げる私。
誰もいなくてよかったと思う。
だって運動会とか水泳大会とか、ふうちゃんは大好きだったし、いつも活躍してたから、きっと北都の体育祭でもいっぱい活躍しただろうなって想像だけでもう顔がにやけてしまう。
それにきっと同じことを想像しているだろうなって思うから、ふうちゃんへの愛おしさでじっとしていられなくて、猫のぬいぐるみをぎゅうって抱きしめちゃう。
《えでか、東都公園の結界についたから終わったらまた体育祭のこと聞かせて》
《いいよ!お昼食べながら待ってるね》
《すぐ終わらせてくる》
《いってらっしゃい、ふうちゃん》
ふうちゃんからの返事が途切れ、てのひらの光もゆっくりと手の中に戻っていった。
私はぬいぐるみを抱きしめながらゴロゴロ転がったおかげで崩れたぬいぐるみたちを元の位置に戻しながら、いつか行きたい東都公園を思い浮かべていた。
さっそく食堂へ向かうと暗記カード片手に食事する者や、味わうことなくうどんを流し込み颯爽と食堂を出ていく者が多い。
それもそのはず皆3年生の先輩ばかりで、後輩である2年生と1年生は受験のために頑張る先輩たちを優先すべく、部屋で軽食を選ぶのが女子寮のお決まりになっているからだ。
(りさちんはゆうた君と町の図書館に外出するって言ってたし、私も部屋に持ち帰ろうかな)
部屋に持ち帰ればゆっくりふうちゃんとお喋りもできるもんね、と足取り軽く、唐揚げ丼を持ち帰った。
唐揚げに甘辛いソースをかけてもらい、ほかほかご飯と絡み合った香りをかぎながら部屋に戻ると、タイミングよくスマホにメッセージが届く通知音がした。
寮で過ごしていると皆、連絡するよりも部屋にいったほうがはやいな、とか、談話室にいけばいそうだな、と考えがちなので滅多に誰かからメールが届くことはない。
「誰だろ?お母さんが茶々丸送ってくれたのかな?それともりさちんかな?」
と、宛先に想像を働かせながらスマホを確認すると、意外な人物からのメッセージだった。
『空属性理論のノート、クラスのやつらも見たいってうるさいんだけど貸していい?』
「波多野!?」
波多野から連絡がくるなんて中学で異能倶楽部の連絡網として全員交換して以来で、実質波多野から連絡がくるのは初めてだった。
しかも内容も内容だったので驚いて箸を落とすところだった。
『私のノートでよければ大丈夫だよ』
『悪い。明日にはテスト前には返すよう言っとくから』
『わかった。白虎組のみんな頑張ってるんだね』
『赤点とったら体育祭出れなくなるからな』
『たしかに。じゃぁテスト頑張ろうね』
波多野にメッセージを返しスマホを机に置く。
なんだか普通に仲良くなれたみたいで嬉しくて、最後のから揚げをパクっと放り込むと一段と美味しく感じた。
「よし、今日も特訓頑張るぞ」
ジャージに着替えた私は、机の勉強道具が片付け、特訓に意識を切り替えた。
あれから午後は結界整備が終わったふうちゃんと魔法でお喋りしながら一緒に試験勉強をしていた。
体育祭の話や東都の試験の話から、お互いに問題を出し合ったり、ふうちゃんがわからないところを教えたり、逆に教えてもらったり…。
まさか魔法でこんなにお喋りしながら過ごすことができるなんて、今までは想像できなかった時間だ。
だからこそ何気ない1日がとても愛おしく、こんな日々をずっと続けていくためにこっそりと寮から練習場に向かう。
夜もみな、部屋にこもって勉強中のようですんなりと練習場に到着できた。
まだ少し早かったのかりく先生はおらず、練習場の扉も施錠されたままだ。
なので誰かにバッタリ遭遇しないよう、私の癒しスポットでりく先生の到着を待つことにした。
《ふうちゃん、私これから特訓いってくるね》
《俺もこれから特訓だよー》
《でもまだりく先生きてないんだよね》
《そっか。じゃぁりくさん来るまでまた問題出し合おうよ》
《いいの?うれしい!やるやる!》
お兄さんを待たせてもいるのだから先に特訓してても構わないのに、きっとりく先生がくるまで私がひとりにならないようにしてくれてるんだなと、ふうちゃんの優しさが伝わってくる。
その気持ちが癒しスポットのお花たちにも届いたのか、風なんて吹いてないのに小刻みに揺れたように見えた。
《あ、えでか、ちょっと待って》
《ん??どうしたの?》
《なんか兄ちゃんが変わりに問題出したいって言ってる》
《ふふ、じゃぁお兄さんにお願いしよ!》
ふうちゃんの話によると、私とふうちゃんだけお喋りしてるのがうらやましいからなんとか話に混ざりたいみたい。
きっと東都高校の練習場に座りながら話してるのかなって、その光景が思い浮かんでさみしさなんて感じる暇がない。
そしてお兄さんの問題をふうちゃんが伝え、私が答えを送って、解説してもらうという、贅沢な問題出し合いっこを数回繰り返していると、ふっと空間が切り替わった。
りく先生の結界がはられたようだ。
《あ、りく先生きたみたい》
《えでかを待たせるなんていい度胸してるよね》
《ふふふ、私がはやく来すぎちゃっただけだよ》
《それでもだよ》
ふと、ふうちゃんの過保護っぷりは、なんだかお兄さん譲りな気がして、お兄さんのことを尊敬しているふうちゃんを、私は尊敬する。
「立華ー?すまん、待たせたな」
すでに私が待っていからか、少し慌てたように時計を腕時計を確認しながらりく先生がやってきた。
「いえ、待ってる間、ふうちゃんと問題出し合いっこしてましたから」
「ほーえらいえらい。次の試験は期待しとくからなー」
「うっ…プレッシャーかけないでくださいよ…」
「ふん、この程度のプレッシャーでびびってたら東都大なんていけないぞ」
りく先生は私のことを、私より理解してないだろうか。
私の扱いがうますぎる気がする。
だって私の反骨心に火がついて「異能史で100点とってびっくりさせてやるもん」って思っちゃってるんだから。
勢いで声に出そうになったけど、慌てて抑えた。
秘密にしたまま100点とったほうがきっともっとびっくりさせることができるだろうから。
「ほら、行くぞ。テスト前だからって今日も手加減はしないからな」
「ふふ、はい!」
なんとなく、りく先生にはもうこの考えも気づかれている気がするけど、明日はふうちゃんと異能史の勉強し合おうと思う。
《ふうちゃん、今日も特訓頑張ろうね》
《うん、一緒に頑張ろう。でも怪我しないようにね》
《うん、ありがと、ふうちゃん》
りく先生に続いて練習場に入る私。
結界がはられているおかげで、堂々と入れるのでありがたい。
「あ、あとお前らならそんなことしないと思うけど一応教師として言っておかなきゃいけないことがあるんだった」
「なんですか?」
お前らってことは私とふうちゃんのことだろう。
でも教師として言っておかなくちゃいけないことってなんだろうとはてなマークを浮かべた。
するとりく先生はぼさぼさになった髪の毛を結わいながらこう続けた。
「テスト中、魔法で大雅さんに教えたり、聞いたりするのカンニングになるから禁止だから」
「…あっそっか」
りく先生に言われて初めて気づいた。
もちろんカンニングするつもりはないけれど、やろうと思えばできちゃうことに。
「その顔みたら今まで思いつかなかったって顔だな」
「…は、はい」
「お前らは大丈夫だって思ってるけど、教師として一応な。あとで大雅さんにも伝えておいてくれ」
魔法は今までふうちゃんとお喋りするためのものって意識が強かったから、りく先生に言われて初めてそんなずるいこともできちゃうんだってちょっと怖くなった。
りく先生が怖くなったわけでなく、魔法には使い方次第ではなんでもできてしまう可能性を秘めていることに。
それに悪い人がこの術を知ったら悪用してしまうだろうと思ったら、やっぱり魔法は呪いなのだ。
だからむやみやたらに魔法のことを知られたくないと思った。
私とふうちゃんだけの呪いであってほしいから。
「うん、夜花世界も安定してきたし、密度も持続力もいい調子だ」
特訓はいつも夜花世界からはじまる。
いきなり双剣の練習に入るより、夜花世界で自分の異能を意識することで、ただ剣術練習するよりも上達するんだとか。
おかげで毎日毎日、繰り返すことで生命力と会話できてるみたいで、自分でも日に日に成長できているのが実感できる。
りく先生が言うには生命力を異能力に変換するのに邪魔だった洗脳がとけ、異能力も上がってきてくれてるそうだ。
「よし、枯らしていいぞ。少し休憩したら双剣の練習に入ろう」
「はい!」
いつまでもこの世界に浸っていたい気持ちになってしまうけど、私はそっと目を閉じ、ゆっくりとまぶたをあけた。
すると一面真っ白で夜空を輝かせていたのに、いっせいに真っ黒になった花びらが地面に落ちていき、練習場の床があらわれた。
休憩中、りく先生は煙草を咥えながら来るのが遅くなった理由を教えてくれた。
「いつも土日は家の仕事してんだけどさ、テスト準備で今日はずっと教官室にいたんだよ。テスト前は生徒は教官室立ち入り禁止だろ?だから静かに作業できると思ってたんだけどさ…」
「なにかあったんです?」
「ちょっと廊下に出たら白虎組のやつらに捕まって質問攻めだよ…あいつら普段から真面目に授業受けてればいいのによ…」
「それは…その、お疲れ様です」
りく先生がきたとき、いつもよりも髪の毛がぼさぼさだなって思ったけど、白虎組の男子たちがきてたからだったんだ。
そして教わったお礼にもらったのがなぜかメロンミルクだったらしく、今私の手の中にある。
「白虎組、勉強頑張ってるんですね。波多野も頑張ってるみたいだし、ゆうた君もりさちんと町の図書館に行ったみたいですよ」
「赤点とったら体育祭出れないからな。普通の異能試験になるから必死なんだろ」
「異能試験、体育祭に比べたら地味ですもんね。あっ」
試験の話をしていたら、ふと気になったことがあった。
「ねぇ先生、もちろん魔法でカンニングなんてしないですけど、でもカンニングしても気づかれないですよね?」
「ん?あぁ、お前気づいてないの?」
「なにがです?」
「お前、顔に出てるぞ?」
「え?」
「大雅さんと魔法で喋ってる時、いつも顔がにやけてるからすぐにわかる」
「えっえっ…え?????」
どういうこと?????
じゃあ寮の中移動しているときも、学校の休み時間も、ふうちゃんとお喋りしている間、私ずっとにやけていたの?????
ってことは、階段ですれ違った先輩や、同級生たちからみたら一人でにやけてる女子って見られていたの????????
思い返しはじめると、いろんな人にそんな姿を目撃されたと思ったら恥ずかしくなってしまい顔が熱くなる。
「だ、大丈夫だ。魔法と大雅さんのこと知ってる俺くらいしか気づかない程度だから…たぶん」
りく先生は動揺する私をフォローしてくれてるけど、言ってしまえばりく先生でも気づけるくらい顔に出ているのだろう。
ついさっき、魔法のことは他の人にばれないよう大事にしようと思ったばかりなのに。
「は、恥ずかしい…」
でも顔に出ちゃうのは仕方ないじゃない。
それくらいふうちゃんのことが大好きだってことだから。
だけどふうちゃんを好きな気持ちの大きさは、誰かに見せるためのものじゃないの。
ふうちゃんにだけ知ってほしい。
大好きが顔に出るのを隠せない、私のわがまま。
続く
久しぶりで書き方を忘れてる…。




