黒薔薇令嬢はこんなはずじゃなかった。
私には生まれつき前世の記憶というものがあった。幼い頃から体が弱く入退院を繰り返し、若くして命を落とした、日本という国の平凡な少女。前世の私には、普通の10代らしい友人や家族との思い出はほとんどなかった。楽しいことなんて何ひとつなかった。
今世は知らない国の公爵家令嬢。この国の宰相を務める苦労人のお父様と自由奔放な美しいお母様、そして口うるさいお兄様に囲まれ、体もメンタルも頑丈、気が強く好奇心旺盛に育った。何もできなかった虚しい前世の記憶を覚えていた反動からかもしれない。幼い頃から体を動かすことも勉学に打ち込むことも楽しくて仕方なかった。何をしても楽しかったから、なんでもした。魔法が存在するこの世界で魔力にも恵まれ、魔法について学ぶことが特に好きだった。何不自由ない順風満帆な転生ライフである。
―――――なんて。木から落ちて頭を打った衝撃で「あること」を思い出した私は、始まってからたった8年目の自分の人生について振り返っていた。
「アメリア、ローゼン……」
聞き覚えのある自分の名前をそっと呟く。そりゃ自分の名前なんだから、聞き覚えがあって当然なんだけれど。
芝生まみれになったドレスの汚れを払うことすら忘れ、地面に寝転がりながら記憶を手繰り寄せる。そうよ、たしかに、既視感はずっとあったのよ。自分のウェーブのかかった黒髪にも、燃えるように真っ赤な瞳にも、気が強そうに釣り上がった目尻にも、――――2人の幼馴染にも。
「リア……!大丈夫か!?」
「お前また木に登ったのか!?」
私の悲鳴を聞きつけてやって来たのだろう。金髪に青の瞳、銀髪に緑の瞳。上から覗き込んでくる2つの美しい顔を見て、私は冷や汗をかいた。木に登ったことをお父様とお兄様にチクられて叱られるのを恐れたわけではない。この世界が、とある物語の中の世界だと気がついてしまったからだ。
前世の私は、入院中の暇潰しとして漫画や小説など、あらゆる物語を片っ端から読んでいた。多く読みすぎて題名は覚えていないが、この世界はその物語のひとつだと思う。私の幼馴染―――この国の第二王子ユリウス殿下と、ローゼン家と並ぶクラーク公爵家の嫡男ハロルド。彼らは私が読んだ物語の登場人物だ。そう、もちろん私、アメリア・ローゼンも。幼馴染2人の容貌を改めて見たことで、その気づきは確信に変わった。コミカライズ版も読んでいたし。なぜ今まで気づかなかったのか。他のことに夢中すぎたのかもしれない。
私たちが数年後に入学する王立魔法学院。膨大な魔力を持つことが国にバレて目をつけられた平民の少女が、そこへ編入してくるところから物語は始まる。ヒロインは生徒会長を務めるユリウスとなんやかんやで距離を縮め、ユリウスの幼馴染であるハロルドにも想いを寄せられ、三角関係に発展するのだ。それをあの手この手で邪魔するのは当然この私!そう、私は悪役令嬢という存在だった。ユリウスの婚約者、そしてハロルドの幼馴染である私は、ヒロインに嫉妬して暴走、それを物語の最後でユリウスとハロルドに断罪され、家族からも縁を切られて国外追放となるのだ。私に関してすでに諦めの境地にある家族だが、そりゃ王家とクラーク家を敵に回したともなれば縁も切りたくなるだろう。あらあら、自業自得な私……。
「大丈夫か?どこか打ったのか?」
「かくれんぼで木に登んのは禁止って言っただろ〜」
「……だ、大丈夫よ。なんともないわ」
あまりのことに頭がぼんやりしているが、2人が心配そうな顔をするので動揺を隠してなんとか起き上がった。私の身体に傷がないかユリウスが確認し、腕のちいさな擦り傷をわざわざ治癒魔法で治していく。ハロルドは私のドレスの汚れを払って、「カイン様呼んでくる!」とお兄様を呼びに走って行ってしまった。呼ばないで!叱られるから……!
「他に痛いところはないか?」
「うん。ありがとう、ユリウス。でも治癒魔法くらい自分で使えるわ」
「……あんまり心配させるな。リアのお転婆は今に始まったことじゃないが」
心配を通り越して不機嫌な顔をするユリウスに過保護ね、と顔を顰める。将来ヒロインに恋して私を断罪して国外追放するくせに!まあ私が悪いけど!
「ねえユリウス」
「なんだ?」
「ユリウスは私と婚約するつもりある?」
「なっ、」
なぜか顔を赤くしたユリウスを訝しげに見ながら、どうなの?と返事を催促すれば、幼いながらに素晴らしく優秀だと名高いこの国の第二王子が珍しくしどろもどろになっている。
「俺は、したい、し、するつもりで、」
「私はそのつもりなくなったわ」
「は!?」
現在、私はこの幼馴染たちの婚約者候補になっている。たしか小説では10歳のときに私はユリウスの婚約者に内定したのよね。
「リア……なんでだ?お前、大人になったら俺と結婚するのが夢だって、」
「だって浮気されたくないもの!国外追放も嫌!」
「何の話だ……!」
鬼みたいな顔をしているユリウスに肩を掴まれて問い詰められるが、正直に前世の記憶が……なんて言えない。
そのあと、やってきたハロルドもカインお兄様も、リアが頭を打っておかしくなった!と大騒ぎした。家に帰ってからも、報告を受けたお父様にしくしく泣かれた。お母様は楽しそうに笑っていた。
たしかに今までの私はユリウスのお嫁さんになるのだと言って憚らなかったし、ローゼン公爵家の1人娘なら立場的にも第二王子の婚約者として相応しいと言われていた。我ながら素行に多少の問題はあったものの学力も魔力も優秀なので、候補といってもほとんど婚約者に内定していたのだ。
けれどこの日から私はユリウスの婚約者になることから徹底的に逃げ回った。あの手この手で回避し続けた。
様々な政治問題が絡む王族と公爵家の婚約から小娘が簡単に逃げ回れるわけはなかったが、近しい人間なら誰でも知っている私の素行や貴族の派閥問題、いまにも王家に並びかねない権力と歴史を持つローゼン家がこれ以上力をつけることにいい顔をしない他の貴族の邪魔など。様々なことを利用した結果、私がユリウスの婚約者となることは10歳を過ぎてもなかった。
表向きは保留という形だが、代わりにハロルドの婚約者候補の最有力として名前が上がるようになったので第二王子との婚約はほとんどなくなったのだろう。歳を重ねるにつれて周囲は私とハロルドを婚約者同士として見るようになった。なんだか状況は変わってない気もするけど、ユリウスと違ってハロルドはヒロインに振られるのだから問題はないだろう。
そうして、王宮の庭を駆け回り、悪戯をしては侍女やお兄様に叱られ、市街地に遊びに行くと護衛を撒き、3人集まると手に負えない悪友たちとして大人を困らせながら、私たちはすくすくと成長した。
アメリア・ローゼンは高飛車で我儘で強欲で気が強く、魔法オタクの変人だ、などと悪い噂は絶えない。誰が言い出したのか、いつのまにか「黒薔薇令嬢」と名を馳せるようになっていた。小説でもこの呼び方をされていたわね。大変遺憾なことに、なぜか悪役令嬢としての覇道を辿っている。けれどまあ、自由に正直にのびのびと生きてきただけなので仕方がない。第二王子との婚約を回避するべく少々やりすぎたのかもしれないが、断罪されて国外追放されるようなことをしでかしたことは今のところないのだから、他人の語る私の悪評などどうでもいいことである。むかつくけども。直接悪口言われてるの聞いたらめちゃくちゃに言い返すけども。
私が小説の記憶を思い出して数年。ユリウスもハロルドも私も、ちゃんとした婚約者を作らないまま、王立魔法学院に入学した。
ローゼン家には優秀な兄もいるし、結婚なんかしないで宮廷魔術師にでもなろうと密かに思っている私はともかく、卒業するまでにユリウスとハロルドは婚約者を見つけなければいけないだろう。令嬢たちは目をギラギラさせて2人を狙っている様子だけれど、ユリウスにはヒロインが現れるから残念ね。ハロルドは私に遠慮しないでお好きにどうぞ。
2年生に上がった頃、例のヒロインは学院に編入して来た。薄ピンクの髪はあざとかったけれど、なんだか冴えない女ね、と。彼女への感想はそれくらいである。
「リア、知ってるか?この前編入してきた膨大な魔力を持ってる元平民の生徒」
「知ってるわよ」
「聞いた話によると俺とかお前よりも魔力が多いみたいだぞ。平民はほとんど魔力がないのが常識なのに。それを買われて最近男爵家に引き取られたらしい」
「ふうん」
「ユリウスが学院のことについて色々教えてやる予定なんだろ?」
「まあな」
ハロルドが楽しげに噂話を口にするのを聞きながら、どうやら本当にこの世界は小説と同じ流れらしいわね、と改めて感心したのも懐かしい。そのとき、私たちのそっけない反応に「なんだよ、2人とも興味ないのか?」と不満げに言うハロルドを一瞥しながら、その子はあなたが失恋する女の子よ!と言って、からかってやろうと思ったのだ。やらなかったけれど。
だからこんなことはおかしいのだ。
2年生もそろそろ終わる頃、幼馴染に昼食に誘われて向かったテラスで、恋人のようなふたりが微笑みながら先に席に着いているのは。目の前で、機嫌の良さそうなハロルドと薄ピンクの髪の守ってあげたくなるような美少女が恥ずかしそうに微笑んで並んでいるのは。
「リリーと付き合うことにしたんだ」
そうして照れくさそうに、こんなことを言い出すのは!
わなわなと震える私が見えていないのか、ご機嫌なハロルドはふたりの馴れ初めを話し始めた。知ってる知ってる、全部知ってるわよ!私の屋敷をデートの場所にし始めたあたりから頭がおかしいのかと思ってたわよ!
「アメリア様にはいつもお世話になってるので、ちゃんと報告したくて……」
「あのねえ、私がいつあなたのお世話をしたって言うの」
たしかに、他の令嬢に陰口を叩かれても黙ったまま言い返しもしない、嫌がらせをされても俯いてウジウジ泣いてばかりのこのヒロイン、リリー・アデールにむかついて、初対面から高圧的に説教を垂れたことはあった。幾度もあった。ちょっとおバカとしか言いようがないこの子は何を勘違いしたのか犬のように懐いて来たけれど、私はできるだけ関わらないようにしっかりとそっけなくしたわよ。周囲から「黒薔薇令嬢が例の編入生を舎弟にしたらしい」と意味のわからない噂を流されるくらいには、私は冷たかったはずなのだ。
けれどこの女はそういうときだけ押しが強かった。今まで打算や忖度で褒め称えられることはあっても、こんなにわけのわからない崇拝とも言える懐かれ方をした覚えのない私は、リリー・アデールにほとほと困っていた。理解の及ばないものは怖い。
「お前はなんだかんだ面倒見がいいからな」
「だから!私がいつこの女の面倒を見たって言うのよ!」
自覚がないのか、とハロルドが呆れたように笑った。むかつく!
「そばにいるお前が異常な気の強さでリリーへの嫌がらせを蹴散らしたおかげで、今はほとんどなくなってるし、」
「なっ、だ、だって、隣で見てるだけでむかつくんだもの!」
「しかもリリーの苦手な魔力の制御も、ダンスや礼儀作法も、いつも教えてやってただろ?」
「あまりにも酷いから見るに見かねたのよ!仕方ないじゃない!」
必死に弁解しながら、私は何を言い訳しているんだろうと困惑してきた。別にいいじゃない、結果的にいいことをしたんだったらそれでいいじゃないの。なんだかハロルドの生温い視線がむかついて、ついムキになってしまう。
「リリーが魔力の暴発を起こしたときは無茶をして止めに入っただろ」
今度はすこし咎めるようにそう言われた。だって、あれも仕方がなかったじゃない。ちょっとした惨事だったし、リリーはボロボロ泣いて謝りっぱなしで魔力の暴発は一向に収まらないし、教師も周りの生徒も止めに入れなくて、その場にいた私がどうにかするしかなかった。
「ほんとうに、ほんとうに、その節はアメリア様に感謝しています……!」
「あれは大変だったよな。そのあとのユリウスとリアの大喧嘩が特に」
そのときの嫌な記憶を思い出して顔を顰める。魔力暴発の騒ぎが私のおかげである程度落ち着いてから駆けつけて来たユリウスが、怪我をした私を見て怒り心頭で大変だったのだ。負った怪我だって自分の治癒魔法で治せる範囲のもので、誰の手も煩わさなかったのに。どうして私が怒られなきゃいけなかったのかいまでも納得できない。
ユリウスと一緒に駆けつけたハロルドは、まだボロボロ泣いているリリーの背中をずっとさすっていた。大丈夫だから、と繰り返すその声に、私は場違いな懐かしさを感じていた。私とユリウスが喧嘩したとき、叱られて悔しくて泣いていたとき、魔力を上手く扱えなくて落ち込んでいたとき、子供の頃いつも私をあやしていたハロルドの声とそれは同じだった。
そう、その日を境に、リリーとハロルドの仲は急激に縮まった。
「だからって、だからってねえ……!なんであなたがリリーと仲良くなってるのよ!おかしいでしょ!?」
「なんだよ今更。悪いのか」
「悪いわよ当て馬のくせに!ばかハロルド!」
「喧嘩売ってるよな?」
私よりも背が低く、猫背で、いつも俯いているせいで髪で隠れて顔が見えない、情けのない少女を思い出す。リリー・アデール。ユリウスとハロルドが想いを寄せることになる、この世界のヒロイン。この子が?と、最初は思った。嫌がらせをされても、不名誉な噂を流されても、何も言い返せず俯いているだけのこの気の弱い女が?と。
リリー・アデールを見ると、なぜか前世の自分を思い出した。体が弱く、親しい人もいない、自分の存在が朧げで、いつも諦めてばかり、夢中になれるものも誇れるものもひとつもなく、何かに立ち向かう勇気も気力もなかった、かつての私を。
私に纏わりつくようになってから、そしてハロルドと仲を深めるようになってから、リリーは変わった。気が弱くてウジウジ俯いてばかりでなんて情けないの、と思っていたのに、アメリア様!アメリア様!と私に付き纏う押しの強さなんか、どんどん助長していく。私の教え通り、嫌がらせや悪口にはリリーなりの抵抗を見せるようになった。魔力の制御ができなくて落ち込んでよく泣くところは変わらないけど、私がいい加減にしなさいよ!と叱る前に最近は自分で立ち直るようになった。よく笑うようになったし、まっすぐ前を向くようになったし、明るくなった。この世界のヒロインらしくなっていく姿に、ふうん、と私は思う。
「……っわたし、アメリア様とハロルド様が婚約してること、知ってました。だけど、」
「婚約者じゃないわよ。婚約者候補よ」
被害者面しようする気配を察して睨みをきかせれば、リリーはへにゃりと笑った。私のことを理解していますと言いたげな、身内みたいな顔をするのはやめてほしい。
「都合がいいからずっと否定しないで来たけど俺はリアと婚約する気はなかったし、それはリアもだろ?」
「……」
身内みたいな顔をする人間がもう1人いたので、げんなりして口を噤む。
「お前が他の男と婚約する気なら俺は許さないけど」
恋人の前でなにを言い出すのかしら。長年連れ添って来た幼馴染の、爽やかさが売りの顔を見つめると、やたら真摯な瞳で見つめ返される。
「ほんとうは、お前が一生素直になれないのなら、俺はお前と結婚してもいいと思ってた。それならお前たちはずっと一緒にいられるだろうって」
「……何の話をしてるの」
「リアは昔から何考えてるのかよくわかんないときがあったけど」
なんて失礼なの。私は正直者なのに。
「昔はユリウスと結婚するってうるさかったのに何で言わなくなったんだ?ユリウスのお嫁さんになるのが夢だっただろ」
なにも言わずに黙っていると、大きな手が私の黒髪をそっと撫でた。むかつくからその腕を掴んでどかそうとしても、爽やかな顔して力が強くてどうにもできない。この男が私にこうして触れるのはこれで最後なのだろうと、私はわかった。
ハロルドの隣にある、なんとも穏やかな微笑みがお似合いすぎて嫌になる。無理やり悪態をつくことに必死になって、「そんなことよく覚えていたわね」と刺々しく絞り出した。
「俺とユリウスがお前の願いを忘れるわけがない」
そう言われた私の顔を見て、ハロルドは声をあげて笑った。
ーーーーーーーー
今日は進級パーティーだと言うのに、出発の間際にお父様から話があると書斎に呼ばれた。
「アメリア。ハロルドとの婚約の件だが、正式に断りが来たぞ」
「ふん、元からハロルドと結婚するつもりなんてないって言ってたじゃない。あの女と勝手に幸せになればいいのよ」
「お前はまたそうやって……。はあ、ハロルドならお前のことを引き取ってくれると思ってたんだがなあ」
「失礼ねお父様!」
不当な余り物扱いを受けている。こんな綺麗なドレスで着飾った麗しい娘に向かって他に言うことはないのかしら。ハロルドとの婚約のことなんか心底ど〜でもいいんだけれど!ムス、と拗ねた顔をわざとらしく作ってみれば、厳格な宰相の皮を脱ぎ捨ててお父様の瞳は優しく緩んだ。
「ああそうだね、すまない。今日は一段と綺麗だよアメリア。なんだかんだ言ってもお前は自慢の娘だ」
なんだかんだという言葉には引っかかるがお父様のお褒めの言葉ににこりと笑う。
「当たり前ね!今日はあの女も着飾ってくるだろうし、私が会場で一番目立つつもりで珍しく気合いを入れてドレスを選んだもの!素敵なドレスをありがとうお父様!」
「お前が喜んでくれるならドレスなんて安いもんだよ。それより、同級生の令嬢のことをあの女なんて言うのはやめなさい……」
お前の口の悪さは誰に似たんだ?と頭を抱えるお父様との会話を勝手に中断してさっさと書斎を後にする。まだ話の続きがあるんだぞ!と言う声が聞こえた気もするが、遅刻してしまうので。帰ってからでもいいでしょう。
進級パーティーはつつがなく進んだ。リリーはいつものように親鳥を見つけた雛鳥みたいにアメリア様!アメリア様!とピーピーついて回ってうざったらしかったが、エスコート役のハロルドにすぐ引き取ってもらった。
クラーク公爵家の嫡男であるハロルドと最近まで平民だったリリーの組み合わせに学院の生徒は騒然として、結局会場で一番注目を集めているのは彼女たちだった。
まあいいわよ。周りの令嬢に睨まれても俯くことなく前を向き、ハロルドの隣に堂々と立つリリーの成長に、私はすこしだけ気分が良かった。ふたりが身分の差で引き裂かれることがあるのなら、そうね、リリーがもっと爵位の高い家に養子に入れるように取り計らうくらいはしてあげてもいいだろう。それが嫌なら他の方法を一緒に考えてあげてもいい。たまには幼馴染に恩を売るのだって楽しいはずだもの。
「リア」
バルコニーから会場をぼんやり眺めながら、話しかけてくる人達を適当にあしらっていると、ユリウスがこちらへやってきた。人前なので一応恭しく挨拶をする。第二王子の登場に私の周りにいた人達は逃げるように去って行ったため、2人きりになってすこしだけ気を抜くことができた。
ユリウスはさきほどまで婚約者の座を狙う令嬢たちに周りをガッチリ固められ、間髪を容れずに交代でダンスに誘われ、身動きできなくなっていたはずだけれど。
「ユリウス殿下。こちらにいらして大丈夫なの?」
「ああ。……リアは今日も美しいな。薔薇が咲いているのかと思った」
「黒薔薇令嬢って呼ばれてること弄ってるわね?」
一応被った令嬢の皮をすぐさま脱ぎ捨て不機嫌に睨みつければ、ユリウスはくつくつ笑った。王族らしい貼り付けた正しく綺麗な愛想笑いとは違う、年相応の男の子らしい笑い方。
「ちがう。本当に思ったんだ。今日はいつもに増して綺麗だから、身の程知らずな虫が近寄ってくるのが気に入らないなと」
よくわからないが、今日はそういうことを言いたい気分なのだろうか。身内贔屓の褒め言葉に気分を良くして、くるりと一回転して360度の私をユリウスに見せる。ユリウスはそれを楽しげに見て、また甘ったるい声で私を褒めた。珍しいことである。本日の私は、この麗しい王子様から見ても美しいらしい。
「みんな噂しているな。リアとハロルドが婚約破棄したと」
「ふうん」
「アメリア・ローゼンは、リリー・アデールに恋人を取られた、と」
「そんなことどうでもいいけど。わざわざ私にそれを言うなんて、殿下は意地悪ね」
今日はたくさん褒められたから優しいユリウスかと思ったのに、やっぱりからかいたいだけじゃない。
「失恋したなら俺が慰めなければと思ったが」
「残念ながら失恋なんてしていないわ」
最近のユリウスとハロルドは、私のやりたい放題にやれやれと呆れた顔をして、自分たちは大人だというような顔をするけれど、子供の頃は私と同じく悪ガキだったのだ。3人で大人を困らせまくり、叱られても無駄に回転の速い頭で生意気に言い返し、気に入らないやつはけちょんけちょんにしてきた私たちだった。気性の荒さがこの歳になってもしっかりと残ったのは私だけだというのだから嫌になるけれど、だからって幼馴染の根も葉もない噂話を面白がらないはずがない。
「リア、」
ぐ、と腕を引かれたかと思えば、あっという間にホールのど真ん中に連れ出された。目をぱちくりさせる私を見て、楽しそうに笑みを浮かべるユリウスは思った通りのいたずらっ子の顔!
シャンデリアのもと煌めく金色の髪も、海のような瞳も、影を落とす長いまつ毛も、どこまでも綺麗な男で気に入らない。
タイミングよく楽団が奏でる音楽が再開して、導かれるままにユリウスと踊る。突然のことなのにステップを踏み外さない私はえらいし、身に付いた令嬢仕草が完璧な私はとてもえらい。会場の生徒たちが私たちにこれでもかと注目していることがわかり、余計に失敗できなくなった。
ハロルドの婚約者候補の最有力に上がり始めた前なら、パーティーで何度もユリウスと踊ったことがある。逆に言えば最後にユリウスにエスコートをされたのも一緒に踊ったのももう何年も前なのだ。急に何考えてるのよ、と笑顔を貼り付けながら視線で伝える。人前に出るときの完璧に取り繕った第二王子の顔をしているくせに、その瞳は楽しそうで嬉しそうで、あたたかくて熱くて甘やかで。私はなぜか目が離せなかった。
ダンスを終えると、ユリウスの大きくて綺麗な手が私の髪を掬った。私はもうなにがなんだがわからず、それを呆然としながら見つめるだけ。周りの生徒も私と同じ心境なのだろう。
「リア、俺と結婚しよう」
掬われた黒髪に口付けを落とされて、私の顔がブワッと熱を持つ。
「!?なっ、」
顔を真っ赤にしてうまく言葉を紡げない、こんな情けない姿を他人に晒すなんて絶対御免なのに!いつものように「はあ?」と。「なにわけわかんないこと言ってんのよ!」と。そんな悪態をつこうと思っても、普段はよく回る口が今日はうまく回ってくれない。
「ずっとお前はハロルドが好きなんだと思っていた。俺との婚約からは逃げ回るのにハロルドとの婚約は嫌がらなかったから、そういうことなんだろうと。だから仕方ないと言い聞かせてきた」
「は、はあ……?」
「だけどハロルドには恋人ができたし、お前も元からその気じゃなかったのなら、もう我慢する必要はないだろ?」
「な、何の話を、」
「ハロルド以外の男にお前を渡すなんてあり得ないしどんな手を使っても俺のものにすると決めたから、今断っても逃げられないと思え」
「脅迫よ……!!」
王族に逃げられないぞと言われたならそりゃもう逃げられないんでしょうね!
こどものように「そもそもお前は元々俺のものだったのに、」と言い募るユリウスを信じられない思いで見つめる。しかももうローゼン家には話を通していると言うのだ。私は何も聞いてないわよ!出掛けにお父様が言いかけたことがまさかこんな重大な話だとは思わないじゃない!
私はハロルドの言葉を思い出していた。ユリウスが、私の願いを忘れるわけがないと、あの男は言った。
周囲の生徒が固唾を呑んで見守る中。そういえば私は、高飛車で我儘で強欲で気が強い変人、アメリア・ローゼンだったわね。ならばそれらしく。
「……そんなことより、先に言うことがあるんじゃなくって?」
偉そうにそう言い放った私に一瞬固まったユリウスは、次の瞬間「ああ、」とすべて理解したかのようにうっとり微笑む。
「世界中の誰よりもお前を愛してるよ、アメリア」
この世界が小説のシナリオ通りに進むんじゃないかと気づいたあの日から、見て見ぬ振りをして来た。私はこの人が、私以外の女に恋に落ちることが嫌だった。それを間近で見るのも、惨めな女になるのも嫌だった。ずっとユリウスのお嫁さんになりたかったけど、叶わない夢を見るのが怖かった。愛する人の幸せを願えない人間になんてなりたくなかった。ユリウスの幸せを邪魔するなら、自分ですら許せないと思った。
だからユリウスとだけは婚約したくなかった。愛する人の婚約者になんかなってしまったら、そしてその婚約者が私以外の女を愛するなんてことになってしまったら、プライドの高い私は小説通りの悪役令嬢となるに違いないもの!
リリーにあれだけ説教をしておいて、私は生まれ変わっても臆病なままだったわけだ。だけど今世は勇気を出して言うのである。
「私もユリウスを愛してるわ」
会場に盛大な拍手が響き渡った。突然始まった恋愛劇場に戸惑う人間はここにはいないのかしら。本日のパーティーは奇しくも気合通り私が一番の注目を浴びた結果になったわけだけれど、私の情けない泣き顔はユリウスが抱き締めて隠してくれたから、誰にも見られずに済んだのだった。
「でもあなたね、私のこと愛してるならハロルドにも渡さないって言いなさいよ!!」
「お前もハロルドじゃなく俺のことを好いていたなら初めからそう言え」
「お前ら早々に俺を巻き込んで喧嘩するな……!」
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side リリー・アデール
平民に生まれたのにわたしにはなぜか生まれつき膨大な魔力があった。制御の仕方も知らないわたしはいつもそれを持て余して、暴走させて、いろんな人をモノを傷つけて来た。友達も家族もわたしを化け物を見るみたいな怯えた目で遠ざけた。魔力なんて欲しくなかった。いきなり男爵家の養子として貰われることとなったのも、国から直々に魔法学院への編入を命じられたのも、ちっとも嬉しくなかった。わたしなんか、と思う癖がついて、いつも猫背で俯いて、自分を責めてばかりだった。
学院に編入して初めて出会ったのはこの国の第二王子、ユリウス殿下。生徒会長だからわたしが学院に慣れるまで世話をすると言う。王族の証らしい白金の髪も見たことがないくらい綺麗に整った顔も上品なオーラもわたしには恐ろしくて、眩しくて、まっすぐ見ることができなかった。
ユリウス殿下には2人の幼馴染がいるらしい。貴族社会に馴染みのない私でも、学院に編入すればユリウス殿下と2人の幼馴染の存在はとても目立っていたからすぐに耳にした。
ひとりはクラーク公爵家のハロルド様。ユリウス殿下の色気のある佇まいとはまた違った、けれどやはりとても整った容姿の、爽やかな笑顔が眩しい人。初対面でわたしなんかにも「一度話してみたかったんだ、よろしくな」と微笑んでくれた。けれどわたしは最初、とても身分の高い方なのに親しみやすい雰囲気を出すハロルド様のことすら恐ろしかった。
もうひとりはローゼン公爵家のアメリア様。腰まであるウェーブのかかった黒髪に、意志の強そうな真っ赤な瞳。黒薔薇令嬢と呼ばれているのを聞いたとき、その美貌に似合いすぎていてそれが揶揄だとすら気づかなかった。貴族の令嬢というのはみんなあんなに美しくて格好良くて何でもできる方たちばかりなのだと思うとやはり恐ろしくて場違いな自分が心底嫌になったけれど、そのなかでもアメリア様は特別な存在だったらしい。
編入して来て、すぐに嫌がらせをされるようになった。わたしのなにが気に入らないのか、いやきっとすべてなのだろう。わたしはずっとそうしてきたように、俯いてウジウジ泣いて、その現状をどうにかしようと思うことすらなかった。
「何をしているの?」
わたしのことが嫌いな伯爵家の令嬢が取り巻きたちを引き連れていつものようにわたしを罵る。それをぼんやりと聞いていたとき、芯の通った滑舌のいい声が突然入って来た。
「……あら、アメリア様。ご機嫌よう」
「ご機嫌よう。なんだか穏やかじゃないわねえ」
アメリア・ローゼン様。なんだか面倒くさそうに顔を顰めて、それでもこの場を支配するのは当然この自分だと、堂々とそこに立っている。わたしとは正反対だと、改めて思う。
アメリア様はとても気が強い。ああ言われればこう言う、1言われれば100にして言い返す。舌戦は当然アメリア様の圧勝。「陰でコソコソ編入生いじめなんてしょうもないわね。伯爵家の令嬢として恥ずかしいとは思わないの?」など、この国の貴族のなかで誰よりも身分が高い令嬢のはずなのに、そうとは思えないくらいアメリア様はよく口が回った。わたしは呆然とそれを眺めているだけだったが、言い負かされ続けた伯爵家の令嬢がギリッと奥歯を噛んでアメリア様を睨みつけ、急に空気が変わる。
「なによ、偉そうに……っ!」
悔しげに顔を歪めた令嬢によって咄嗟にアメリア様に向けられた微量の魔力に、わたしは気づいていたのにどうすることもできなかった。
怖くて、わたしを庇ってくれたアメリア様が傷つくのを見ないように、ギュッと目を瞑った。わたしはどうしようもなく臆病で情けなかった。
けれど、アメリア様に迫った火の魔法は、アメリア様に到達する前にバチッという音と共にかき消された。
「……殿下」
アメリア様が静かにそう溢す。その声には咎めるような色が滲んでいた。そのタイミングで現れたこの国の第二王子ユリウス殿下に、アメリア様を除いてその場に居合わせた全員が縮み上がる。
わたしが学院に入学して知ったことのひとつ。ユリウス殿下は「魔法を無効化する」魔法が使える。今のがそうなのだろう。王族にしか使えないそれは、つまるところ無敵だ。どんなに魔力に恵まれていようと、どんなに努力を重ねて高度な魔法を扱えるようになろうと、そんな反則技を使われてしまえば誰も敵わない。にも関わらず殿下はほとんどの魔法を高次元で扱えるし、座学も剣術も体術も優秀だった。そんな不可侵で気高いこの国の王子様が、なんとも不機嫌な顔をしながらアメリア様を庇うように前に立つ。
「学院内で許可なく魔力を使うことは禁止されているはずだが」
令嬢たちが「ヒッ」と心底怯えたように小さく悲鳴を上げ泣きそうになっている。被害者のはずのわたしもその殿下の怒りのオーラに腰が抜けそうだった。たしかに授業と申請した場合以外の魔力の行使は学院で禁止されている。
「今まさに貴重な王族魔法を使った本人が何を言っているのかしら」
「今のは不可抗力だ」
「殿下にわざわざ助けてもらわなくても、このくらい自分でなんとかできたわ」
「嘘をつくな。お前、わざと怪我を負うつもりだっただろ」
アメリア様に魔力を向けた当事者の令嬢が「ヒッ」とまた悲鳴を上げた。怪我を負わせる気はなく、ただ感情的に行ったことだったのだろう。確かにアメリア様は座学も実技も優秀な方だから、さっきの火魔法なら避けようと思えば簡単に避けれていたはずだ。
「避けようとする気配も反撃しようとする気配もなかった。自ら傷を負うことでこいつらを捕まえさせるつもりだったな?」
咎めるように殿下が口にしたそれを聞いて、当事者じゃないわたしですら真っ青になる。それに、怒りと不機嫌を隠そうともしない殿下がとても恐ろしく、それに怯まずツン!とそっぽを向くアメリア様のメンタルってどうなっているの、と思う。
「大袈裟よ!手っ取り早く痛い目に遭わせられる方法だと思っただけ。それにしてもこんな安い挑発に乗るなんてなんて愚かなのかしら」
「お前は性格が悪い」
退学くらいはしてもらおうと思ってたけど、とちいさく呟くのを聞いてまた血の気が引く。わたしなんかを庇ってどうしてそこまで、と思ったけれど、アメリア様はわたしなんかどうでも良くて、単にとんでもなく気が強く、負けず嫌いなのだともうわかっていた。
わたしたちが怯え切って何も言えないのを横目に、殿下がアメリア様のほっぺたをむに、と摘む。
「いひゃい、なにすんのよ、」
「反省しろ。無茶をするな」
2人はじっと見つめ合って、そうしてしばらくすると仲の良い友人のように、仲の良い恋人のように、空気を緩めてくすくす笑い合った。さっきまで2人とも不機嫌そうに眉に皺を寄せ、お互いを睨みつけていたのに、そういう雰囲気にすぐ変わるのが不思議だった。
「ということで命拾いしたな。無許可の魔力使用とリリー・アデールへの加害行為その他諸々、処分は後日生徒会室で言い渡す。こいつと喧嘩をするよりマシだろう」
そう言い放たれた令嬢たちはふるふる震えて真っ青な顔で走り去って行った。取り残されたわたしは、できるだけ存在を消すように息を潜める。
「どうせ数週間の停学程度でしょ。私が一発怪我すればもっと重い処分を与えられたのに!」
「お前は停学処分に慣れているかもしれないが、普通の令嬢なら十分重い罰だぞ」
「慣れてるってなによ!私だって停学処分になったときはお兄様にローゼン家の恥晒しだってめちゃくちゃ叱られたんだからね!」
「カインの言う通りだ」
公爵家の令嬢が停学処分なんて、一体何をすればそうなるのだろう。
「あ、あのアメリア様……!ユリウス殿下も、ありがとうございます、私、なんとお礼を言ったらいいか、」
「……私は私に売られた喧嘩を買っただけよ」
「ああ。お前への嫌がらせに関して、生徒会として対処が遅れたことを謝罪する」
殿下はそう言ってくれたが、声を上げなかったのは自分だ。情けなくてまた俯くと、アメリア様が2歩、3歩と優雅にこちらに歩んで目の前に立った。
「ずっとそうやって、誰かが助けてくれるのをただ待っているつもりなの?」
「へ、」
思いがけず棘のある言葉を投げかけられ、思わず顔を上げて目の前の美しい顔をきょとんと見つめた。殿下が後ろで「また始まった……」とため息をつく。
「その膨大な魔力のせいで今まで苦労してきたんでしょうけど、それを自分で制御できるようになるためにこの学院に来たんじゃないの?まさか、あんな馬鹿馬鹿しい嫌がらせを受けるためにこんなところまで来たんじゃないわよね」
「ち、ちがいます!わたしは、」
「恵まれたその魔力でむかつくやつにはやり返してやればいいじゃない。そんなにウジウジ俯いてばかりでやられっぱなしなんて、あなたが舐められるのは当然よ」
「で、でもっ、そんなことしたら……っ!私の魔力はいつも人を傷つけるんです、だから、」
ウジウジうるさいわね!とアメリア様は我慢ならないと言うように声を上げた。格好良い叱咤が胸に響く。
「あなたを傷つけてくるやつにあなたがやり返して何が悪いの?喧嘩を売られたら買う、馬鹿にされたら100倍にして言い返す、舐められたら殴る!当然でしょ!過剰防衛で悪者になるのが嫌ならさっさとその魔力を制御できるようになることね!」
「おい、変なこと教えるな。そんなことを平気でやるのはお前だけだ」
黙って聞いていた殿下が呆れてそう口を出す。そうだ、アメリア様はきっとそうやって強く生きて来たのだ。アメリア様だけは。
そんなことを言われたのは生まれて初めてのことだった。わたしの魔力はわたしにとって邪魔なもので、周りも自分も傷つける悪いもので、それを「恵まれた」と思ったことなんてなかった。わたしが嫌われるのも虐げられるのもすべてこの魔力のせいで、そして悪いのはすべてわたしで、だから全部黙って受け入れなければいけないのだと。けれどそれは違うらしいのだ。
信じられないことを言われた気分だった。編入して来てから、いや生まれてからずっと、ずっと曇り空だったわたしの心が晴れた瞬間だった。
「……あなた、姿勢が悪いのも顔がよく見えないのももったいないわよ。せっかく顔は可愛いのに」
アメリア様がわたしにそっと近づいて、顔にかかった長い前髪を耳にかけながらそう言ってくれた。指先まで美しい、と思う。自分の顔が真っ赤になって、目が潤むのがわかった。
「アメリア様……っ」
「な、なによ」
「わたし、一生あなたについていきます……!」
ぽかんとするアメリア様の手を両手でギュッと握れば、殿下がはあ、と本日何度目かの深いため息をつくのを聞いた。そして、暗い嫉妬と独占欲の眼差しを向けられたことにも気が付いた。
その日からわたしはアメリア様にくっついて回った。鬱陶しそうにするわりにはアメリア様は面倒見が良く、いつも悪態をついて偽悪的な振る舞いばかりするわりに人が良かった。
すべてにおいて成績はトップクラスだったけれど、アメリア様はやはり魔法を特別に愛していた。学院の一部を研究室として手に入れ、公爵令嬢なのに魔法オタクの変人だ、と周りに囁かれるくらいには。
たびたび発見される魔法の古書の情報を得ればすぐにお金に糸目をつけずに買い集め、時間ができれば研究室でさまざまな魔法を試し、ときには校舎の一部を破壊するなどして停学処分や反省文処分となった。それを間近で見て、あの日の謎がひとつ解けた。
わたしの魔力が暴発したときも、アメリア様は怪我を負いながら助けてくれた。泣き喚くわたしを「いい加減にしなさいよ!みっともない!」と叱ってくれた。膨大な魔力で人を傷つけたわたしのことを、怯えた目で見なかった。
悪いものしか呼び寄せないと思っていたわたしの魔力を、そんなのあればあるほどいいんだからと軽く言ってくれた。だからアメリア様をもう二度と傷つけないためにも、アメリア様の愛する魔法をうまく扱えるようになるためにも、わたしは頑張ろうと思えた。
休みの日、アメリア様の屋敷にハロルド様と何度も押し掛けても、「何で来るの!?あり得ない!帰りなさいよ!私の屋敷をデートスポットにするつもり!?」と散々言いながら、無理やり追い出されることはなかった。
アメリア様が領地の視察のついでに定期的に孤児院へ顔を出しているとハロルド様から聞いて、無理やりついて行ったこともある。微量の魔力を持った孤児がいればアメリア様は丁寧にその操作について指導していた。魔法を見せてとせっつかれると、子供達が喜びそうな魔法を選んで披露していた。鬼ごっこやかくれんぼではしゃぎすぎて侍女に怒られていた。子どもたち相手に懐かれてむず痒そうに小さく笑っていた。わたしも一緒に子どもたちと日が暮れるまで遊んだのが楽しかった。
アメリア様とハロルド様が婚約者同士なのだということは知っていた。候補だといつも訂正されるけど、それってどう違うのだろう。
けれど2人の間にあるのは恋ではなく、ユリウス殿下を含めた3人だけの、恋なんかよりももっと大きな親愛。誰も割って入れないその関係が羨ましかったけれど、そこに入れてほしいとは不思議と思わなかった。
「ユリウスとリアは俺にとって家族みたいなもんだからな。俺はなによりもあいつらの幸せが大事だよ」
ハロルド様はよくこう言った。アメリア様の幸せを願う気持ちに同意しながら、わたしはこのあたたかく愛情に溢れるひとにも、とびきり幸せになってほしいのに、といつも強く思った。恐れ多いけれど、それでもわたしが幸せにしたい、とも。
そうして、こんなに楽しく過ごせるとは思わなかった学院生活も1年が経ち、数日後には3年生に上がる前の進級パーティーが控えている。わたしとハロルド様はアメリア様とのテラスでの昼食を終え、生徒会室に来ていた。
ユリウス殿下とハロルド様、そしてわたし。緊張でガチガチになりながら紅茶を一口飲む。
「ということだから、俺とリアの婚約は正式になくなった」
「……そうか」
「リアもほんとうは俺との婚約なんて乗り気じゃなかったからな。ユリウスもあいつの性格わかってるだろ」
「リアは、」
麗しのユリウス殿下が長いまつ毛を一度伏せ、それから真っ直ぐわたしに射抜くような視線を向けた。
「リアはお前を好いているんだろう。なのにお前があいつじゃなくてリリー・アデールを選ぶとは思わなかった」
「はあ!?」
ガタガタと隣のハロルド様が立ち上がり、信じられないと言ったような顔で殿下を見つめる。机の上の紅茶が倒れないように慌てて支えながら、わたしも正直信じられなくてぽかんとしてしまった。
「あいつが、アメリアが、俺のことを好きなんて、あるわけないだろ……!お前らガキの頃からすれ違い続けやがって、いい加減にしろ」
王族相手に大変口の悪いハロルド様だが、言っていることは正しい。
短い間と言えどもアメリア様のそばにいれば、彼女が誰を愛し誰を慈しみ誰の幸せを願っているかなんて、手に取るようにわかる。目の前のこの王子様が、仄暗い執着を持ちながら誰のことを真摯に愛しているかということも。
「……そうなのか?」
「そ、そうですよ!殿下の勘違いです!」
アメリア様に近づく人間は全員もれなく大嫌いを掲げるユリウス殿下が珍しくわたしに話しかけ、半信半疑というような顔で確認してくるので力強く頷いておく。
わたしがアメリア様にまとわりつくようになってから、この第二王子に虫ケラを見るような目で見られるようになってしまったわけだけれど、わたしはアメリア様のおかげでどんどんメンタルが鍛えられているので問題ない。
積年の我慢が無駄だったことがわかり力が抜けた殿下はソファに背を預けて、「そうか」ともう一度呟いた。何でもできてなんでも手に入れる、けれどとても不器用で素直じゃないアメリア様のことを一番に理解しているのは殿下だと思っていた。なのに想い人にだけは気づけないなんて。そんなの恋でしかないのである。
そうして、進級パーティーはつつがなく行われた。アメリア様のとびきり幸せそうな顔をその場で見ることができたわたしは、きっと世界でいちばんの幸せ者なのだろう。
アメリア・ローゼン
公爵令嬢 前世の記憶持ち
ユリウスと結婚するのが夢だったが小説のことを思い出して諦める
小説ではユリウスの婚約者
無意識に小説内でのユリウスとリリーのフラグをすべて代わりに回収している
ユリウス
国の第二王子
アメリアの幼馴染 悪友 長年片想い
アメリアが自分と結婚すると言わなくなったのはハロルドの婚約者になるつもりだからだと思っていたため気持ちを伝えたことがない
ハロルド相手なら仕方ないと諦めていたが、他の男ならあり得ないしそれならどんな手を使ってでも奪ってやろうと思っていた
小説ではリリーと結ばれる
ハロルド・クラーク
公爵家嫡男
アメリアの幼馴染 悪友
ユリウスとアメリアにははやくくっつけと思っているが、それが無理ならアメリアを娶ってずっと3人でいようと計画していたくらい実は幼馴染への愛が重い
小説では当て馬
リリー・アデール
膨大な魔力を持ち、特待生として学院に編入して来た元平民
ハロルドと結ばれたことで大好きなアメリアともこれからずっと一緒にいられて幸せ