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XXXXXⅡ【第三王子、彼女を想い…】


 アリス達、騎士団小隊が魔物の森を抜けて無事逃亡者を確保した時と同時刻―――。


「―――で、あるからして。この様に歴代のセフィロード学園の伝統は今期にまで亘って次世代に脈々と受け継がれているのである。で、あるからして―――」


 セフィロード学園の大舞踏会場は今、舞踏会という華々しい雰囲気など微塵も感じさせない程に気怠さを一身に醸し出していた。

「いつまで続くんだろう」「お腹が空いた」「もういっその事座りたい」「これ何度目の『で、あるからして』だっけ…」という愚痴や不満が新入生達の脳裏を過る。

 しかし、そんな空気感を物ともしないで何処か楽し気に延々と語り続けるその相手は、この国の最高位たるルドルフ国王陛下。

 愚痴や不満など、死んでも口にする事は出来ない。

 唯一この中で陛下の言葉を制する権利があるとするならば、舞踏会の進行役を務めているハリー学園長ただ一人なのだが、まるで陛下の意図を察しているかのようで、全く制止する素振りを見せない。

 新入生達が助けを求めるような視線を向けていても、気付いていないフリを通してニコニコと笑みを浮かべているだけだった。


 とは言え、陛下の祝辞から始まってかれこれ一時間以上経っている。

 そんな長い時間、普段履きなれない高いヒールを履いている令嬢たちは流石に限界だった。


「も…もう…無理…」

「あ」


 ふと、ルークの視界の端に居た人影がしゃがみ込んだ。

 その人影の周辺に居た新入生達が騒つき始める。

 その騒めきが伝染して行き、登壇して話をしていたルドルフ陛下の目にも容易に止まった。


「おや? 其方の御令嬢は大丈夫かな?」

「も、申し訳…ございま、せん…! お話の途中でしたのにわたくしったら…っ」


 しゃがみ込んだ令嬢は無理矢理笑顔を作って立ち上がろうとしたが、すっかり靴擦れを起こしてしまった足では立ち上がる事もままならない。




 ―――って、あれ?




 よく見れば、しゃがみ込んだ令嬢はメイクス令嬢だった。

 陛下の長話と足の痛みの所為で折角化粧で整えた顔がやつれ(・・・)まくっている。

 

「ふむ。どうやら体調が優れない様だね。無理をしてはいけない。ウェストン学園長、医務室までお送りして差し上げなさい」

「はい。かしこまりました」

「えっ! い、いいえそんな! わ、わたくしは大丈夫ですわ…!」

「大分顔色が悪い様だね。これは大変だ。急ぐとしよう。ネイソン生徒会長も手伝ってくれるかな?」

「分かりました。学園長先生」

「え、ちょっ、ちょ待っ―――!?」


 メイクス令嬢の言葉を無視して、ハリー学園長とアンナ生徒会長は彼女の両脇を抱えて早々に会場から出て行った。


 一瞬にして静寂した会場内に、ルドルフ陛下の手の打ち付け合った音が数回響く。


「いやはや、私の話が長引いてしまっていた様だね。皆も立ったまま聞いていたから疲れただろう。学園長殿が戻って来るまで、暫しの休憩としよう」


 ルドルフ陛下のその言葉を聞いた新入生達は、まるで水を得た魚の如く散り散りに動き出し、大半の者が壁にもたれかかったり、ドレスを着ている令嬢は竹の長さを利用して隠しながらヒールを脱いでいる者まで居る。


「………」




 ―――皆、何かごめん…。




 陛下とは言え身内の長話の所為で思いの外被害が出ている。

 待ちに待った舞踏会でこんな事になるなんて夢にも思っていなかっただろうに…。




 ―――それにしても、どうしたんだ父上は? こんな長話をするような予定じゃなかったはずなのに…?




 スケジュールにある陛下《父上》の祝辞と新入生代表《自分》の答辞の関係で、事前に大まかな打ち合わせをしていたはずだ。

 それなのに当日になって予定を大幅に遅らせる様な行動を取った父親の言動に、ルークは疑問を隠し切れない。


「ルーク」

「父―――陛下」


 ルドルフ陛下が降壇して、自分の傍に歩み寄って来る。

 その姿は威厳に満ちていると同時に、今は何処か悪戯を仕掛けた子供の様に楽しんでいる風にも見て取れた。


「あの…陛下? 今し方のは一体?」

「ルークよ」


 予定に無い行動を取ったルドルフ陛下に事情を問い質そうとするルークの言葉を制して、陛下は困惑する息子の肩に手を優しく置いた。

 

「私からの祝辞(・・)はここまでが限界だ」

「!」

「後の事はお前と―――彼女(・・)の意志に委ねよう。ではな」

「あ、あの―――!」


 呼び止めるルークに背を向けて、ルドルフ陛下は一度会場の外へと姿を消した。

 そんな父親の背を見送り、ルークはその場で唖然と立ち尽くす。




 ―――もしかして……時間稼ぎしてくれたのか?




「いや……父上がわざわざそんな事しないか……?」


 父の考えが読めないまま、ルークは一先ずメイクス令嬢と距離が取れた事への安心感に満たされた。


「一旦バルコニーに出よう」


 一目に付かぬ様にバルコニーへ出たルーク。

 外は春の夜風は吹き抜けて、冷たくはない程に涼しい気温になっている。

 会場内は大勢の人に溢れている所為で、陛下の話中も熱気で服の中で薄っすらと汗をかいていた程だ。


「涼しい…」


 バルコニーの手すりに腕をかけ、暫くの間夜風に身を委ねた。

 



 ―――アリスの村は……あっちの方か。




 月明りと、王都中の建物から零れ出る明かり。

 それだけの輝きを頼りに、ルークはアリス達の騎士団小隊が向かった最果ての村の方角を見つめる。

 

「アリス達……大丈夫だろうか?」


 結局、舞踏会が始まる前に小隊が帰って来た様子はない。

 村に本当に異常が発生していたのか? それとも帰り道で何か起きたのか?

 何にしても舞踏会に間に合わない事態に陥っているという事だろう。


「俺だけこんな所に居て……兄様の思い通りに操られて……アリスとの約束も果たせない……」


 あれだけ待ち遠しかった日が、今はこんなにも憂鬱で早く終わってしまえば良いと思っている。

 

「はぁ…」




 ―――彼女アリスに会いたい。




 今夜の舞踏会でのファーストダンスに誘った時点で、もしかすると彼女に自分の気持ちが知られているかもしれない。

 それでも、あの時この手を握り返してくれた事で、少なからず希望を持った。

 

 今日までに、ずっと心に決めていた。

 ファーストダンスを踊った暁には、彼女に自分の気持ちをハッキリと伝えようと…。

 身分の差なんて関係無い。

 周りに反対されるようなら王家から勘当されたって構わない。

 



 ―――俺はアリスに…ずっと傍に居てほしい…!




 しかし、今のままでは確実にジェイドの策略通りに進み、メイクス令嬢との婚約が待ったなしで進んでしまうだろう。

 そしてアリスと一緒になれる未来は、きっと訪れない。


「………ハハ、俺ってこんなに女々しかったっけ?」


 我ながら今の姿や心情は誰にも見せられない程に弱々しいだろう。

 いっその事、この姿を大衆の面前に晒してやろうか……とすら考えた。


「いや。流石にそれは止めとこう…」


 それは流石にアリスにも嫌われそうな気がした。

やるせない気持ちを抱えたままルークはバルコニーから会場内へ戻った。

それと同時に、ハリー学園長とアンナ生徒会長も会場へ戻って来た。


「おっと。答辞するんだった」


 ルークは駆け足で舞台上へ向かった。

 ハリー学園長は何事も無かったかのように爽やかな笑顔で舞踏会の進行を再開させた。

 

「続きまして、新入生代表挨拶」

「―――答辞。新入生代表ルーク・ジャックス・セフィロード」


 学園長の司会により、その後の進行はスムーズに進んだ。

 この答辞が終われば、オーケストラによるダンス開始の序曲演奏が始まり、それが終われば、いよいよファーストダンスの時間がやって来る。




 ―――舞踏会が始まってからずっと来賓席の端に控えているギルに動きが無い……未だに出発した小隊の帰還報告が来ていないのか…。




 舞踏会には国王陛下も来館するとあって騎士団長であるギルバートも参加するのが通例だ。

 例外で、国内で何か事件があれば、陛下の許可を得て席を外す事は可能だ。

 最果てとは言え自国の村に起きた事件に出動させた小隊の帰還とあれば、一時的に席を外す事ぐらいするだろう。

 しかしその動きを一切見せる素振りが無い。




 ―――アリス……どうか無事であってくれよ……。




 答辞を返しつつも、ルークの心はアリスへの気持ちでいっぱいだった。


「―――以上をもちまして、新入生代表の答辞とさせて頂きます」


 事前に用意した当時の内容を捻りも無く淡々と読み終えた。

 ルークが壇上で締めくくりの一礼をすれば、会場中から割れんばかりの拍手が沸き起こる。


「ありがとうございました。それでは皆様、この後オーケストラの演奏による序曲の披露の後、本校が誇る一大イベント『夜園舞踏会』のメインイベントが開催されます。パートナーとなるお相手と、今暫くお待ち下さいませ」


 ハリー学園長の司会進行によって、会場内は今日一番の活気溢れる雰囲気に包まれた。


「遂にこの時間が来たか…」


 本来の習わしで、舞踏会で初めに踊る者は高貴な王族・貴族である事が決まっている。

 しかし学園の『夜園舞踏会』に於いては、最も高位であるルドルフ陛下ではなく、新入生で成績トップだった者とそのパートナーが会場の中央で最初にステップを踏む事になっている。

 つまりは本来、成績トップのルークとそのパートナーに選ばれていたアリスが躍る事になっていたのだが……―――


「ルーク」

「………何ですか。ジェイド兄様」


 初めてかもしれない……実の兄をこれ程恨んだのは……。

 浮足立つ新入生達の中で唯一、暗い面持ちで、名を呼び近寄って来る悪魔ジェイドを睨み付けているルーク。

 しかしジェイドは全く気にしない―――いやそれ所か、愉悦に浸った笑みを向けて来る。

 まだ全ては勘付かれていないと確信し、自分の掌の上で絶望の沼にじわじわと落とされて行くルークの顔を見て、心から愉しんでいる。


「おいおい。折角の舞踏会だというのに顔色が悪いじゃないか? ダンスを失敗しないか緊張しているのか?」

「まさか。強いて言うならば心配しているんですよ。折角兄様が薦めて下さった御令嬢が踊れるような状態ではないようなので…」


 そう皮肉たっぷりに言い返してやったルーク。

 実際はジェイドと手を組んでいるであろうメイクス令嬢への心配など皆無。

寧ろこれで彼女と踊る必要が無くなりそうで、かなり安堵している。


 だが、それを許す様な悪魔ジェイドではないという事も、重々に理解している。


 実際、目の前の悪魔は余裕の笑みを崩さないままだ。


「あぁ。メイクス令嬢の容態は確かに心配だな」


 「だが……」とジェイドは口元に弧に描く。


「心配は無用の様だぞ? ―――ほら(・・)


 ジェイドの指が、先程メイクス令嬢が退出した扉を指さす。

 そこには、足の痛みを我慢しているのか、よろめきながら会場に戻って来たメイクス令嬢の姿があった。




 ―――おいおい嘘だろ…。




 会場に着てすぐ目にした過剰な化粧が、彼女の汗と共に流されてグチャグチャだ。

 ハッキリ言って、とてもそのままダンスに興じれる格好ではない。

 それでも彼女は盲目なまでに【ヒロイン】で居続けた。


「みっ……皆様! た、大変…お待たせ致しましたわ!」


 よろめく体を必死に支え、痛みで歪む顔で必死に笑みを作り、カーテシーを決める。

 全員の視線を一身に受けるメイクス令嬢。

 ここまでやり遂げる彼女の執念や情熱は、確かに感銘を受ける程だ。

 ………そこまで出来る動機が純粋なものであれば、だが。


「さぁルーク。間も無く序曲も終わりだ。早くパートナーの許へ行って差し上げろ」

「兄様…!」

「行け」


 無情な絶対零度の言葉を最後に、ジェイドはその場から去った。

 オーケストラが奏でる美しい序曲の締め括りが、不幸へのカウントダウンのように感じた。

最初にダンスを始めるルークとメイクス令嬢の為に、会場の中央が空いて行く。

円を描く様に広がった大衆の中央に、ルークとメイクス令嬢の二人だけが向かい合って立つ。


「ルーク様。この時を心待ちにしておりましたわ…!」

「……そうですか」


 どんなに理不尽であっても、不条理から逃げ出したくても、一度社交の場で向かい合えば、紳士が淑女に恥をかかせる訳にはいかない。


「ルーク様」

「………サブリナ姫」




 ―――すまない……アリス…!




 ルークは身を切る思いで、握り返される事を今か今かと待つメイクス令嬢の手を―――




 握る事は無かった。




 突如、締め切られていた会場の扉が開かれ、奥から此方に向かって歩いて来る人影を視認した。

 

 「誰だ?」と全員が不思議そうに見守る中、此処に来てようやくあの男が動きを見せた。

 騎士団長―――ギルバートは先程までと打って変わって、至極楽しそうな笑みを浮かべ、他の来賓や生徒達を無視して開かれた扉の前に歩み出た。

 

 気の所為か、彼の唇が「ギリギリだぞぉ?」と動いたように見えた。


 そしてギルバートは仰々しい動きでボウ・アンド・スクレープをして、会場中の視線を扉の方へ誘導した。


「今宵お集まり下さいました紳士淑女の皆々様。申し訳御座いません。諸事情により遅れておりました新入生三名が―――たった今、到着致しました」


 突然の催しに、会場に騒めきが生じる。

 その中でも一番の動揺を見せたのが―――ジェイドだった。

 先程までの愉悦の笑みは何処へやら、今は驚愕と焦りで顔を歪ませている。


「…………まさか」




 ―――まさか…? まさか、まさか…?




 ルークはメイクス令嬢の手に触れかけた手を無意識の内に下ろしていた。

 メイクス令嬢が必死に自分の名を呼んでいる様な気がしたが、ルークの意識は既に興味を示していない。


 今彼が興味を示す。

 いいや。意識を向けるべき相手は、ギルバートの大きな体の後ろに居るのだ。


「大変お待たせ致しました。今年入団したばかりの我が騎士団の超新星達です」


 ギルバートが身体を横にずらしながら、背後に居る者達の全貌を会場中に見せつけた。


「あぁ―――」


 その姿(・・・)を目の当たりにした瞬間、ルークは感嘆の声を上げた。


 長身で紺色の燕尾服を着こなす紳士と、背は低いが深緑の燕尾服を着こなす紳士。

 そして、そんな二人の間に挟まれた―――深紅の薔薇(・・・・・)の淑女。


「ご紹介致します―――ヴィスマン男爵家御子息、ローグ・ヴィスマン。スペンデッツ公爵家御子息、カミーユ・スペンデッツ。そして、初の女性騎士団員の―――」


 まさに“深紅の薔薇”を体現したドレスを見事に着こなし、素顔の良さを際立たせた繊細で華やかなメイクを施すその美女は、俯き気味だった顔をゆっくりと上げ、会場に居る全ての人の心を虜にするような“微笑み”を向けた。




「最果ての村の娘―――アリスです」


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