Ⅳ【村娘、不穏に気付く】
森の中で出会ったルークと名乗る謎の男。
彼は行商人の息子だと言っているが、本来の素性はそれよりずっと上の地位の身分だろう。
地味な色合いの服を重ね着してカモフラージュしているようだが、使われている素材が格段に上質な物なのは一目瞭然だ。
おまけに遠目からでも分かる程にきめ細やかな肌と髪の毛の艶。
―――どこからどう見ても貴族だよね、この人。
人目で貴族だと分かったからには、木剣とは言え武器を向け続ける訳には行かない。
アリスは木剣を下ろして、攻撃の意思が無い事を示した。
「ありがとう」
「いいえ」
ルークは安堵の笑みを浮かべながらホッと胸を撫で下ろした。
よく見れば腰にちゃんと帯剣してるのにアリスが武器を構えたにも関わらず、使う素振りを一切見せなかった。
―――冷静に物を事を把握出来る人なんだな。
ルークはゆっくりとアリスの傍に歩み寄って来た。
容易に手が届く範囲まで近づかれたが、彼からは敵意を全く感じない。
―――……近くで見ると本当にキレイな顔してる。
中性的な顔立ちの所為もあって人形のような美しさなのだが、彼は走った直後の様子で流れ伝う汗や少し紅潮している頬が生命力を感じさせて、人形のような無機質感はない。
マズイなコレは……
前世の後輩、喜安さんがイケメンを目にした時によく洩らしていた「目の保養」とはこの事か?
失礼とは思うけど、ずっと見ていられそうだ。
「どうかしたか?」
「あ、ご、ごめんなさい」
じっと見つめ過ぎてた。
ルークは首を傾けてアリスの顔を覗き込んで来た。
キレイな顔が寄って来て、思わずドキッと心臓が跳ねた。
少し恥ずかしい。
アリスはわざと咳払いをして話を進めた。
「えっと、貴方はどうして森の中から出て来たんですか? 森の奥は魔獣が住み着いていて危険ですよ?」
「ちょっと仕事の関係でね? 同行者と一緒にこの先の山の麓に向かう途中だったんだが、途中で山賊と鉢合わせてしまって、それで……」
「それで、山賊と一悶着の末に同行してた人達と逸れてしまい、危険な森の中を突っ切ってこんな所まで来てしまった。と…?」
「ハハ、ご明察。驚かせて悪かったね」
申し訳なさそうに頭を掻いて苦笑いを浮かべるルーク。
山賊に絡まれた事も、危険な森の中を単身で進んできた事も、決して笑える話ではないのだが、まぁ、そこは深く追求しないでおこう。
「それで、同行してた方達とは?」
「それは大丈夫。俺が通った道筋に目印を残しておいた。彼等ならすぐに気付くはずだ」
「それなら良かったです」
今の話から察するに、同行者という人達は何かしら武術に長けている人だと思うべきだろう。
と言うか、この人自体が商品でない事は今の話を聞いて確信が持てた。
この近くの山の麓で商いが出来るような場所なんて無いし、売ってお金になる様な物も無いはずだ。
―――話に出て来た山賊とやら……そいつ等の討伐でやって来た王国の傭兵と考えるのが妥当だろう。
王家直属の傭兵や騎士団は大半が貴族で構成されている。
勿論、中には平民も要るけど。
わざわざ身分を偽る様な事ではない気がするけど、そこは平民のアリスには理解出来ない領分だから追究はしない。
「でしたら、同行者の方々が来られるまで私の家で待っていてはいかがですか?」
「え、でも…」
「私ももう家に帰らないといけませんが、貴方をここに放って行くのも気掛かりです。丁度お昼時ですし、何か食べておいた方が良いですよ」
放っておけないと言うのは正直な気持ちだ。
だが同時に身分を偽って、尚且つ危険な森の中から合わられたこの男を見張っておきたいという気持ちもある。
「良いのか?」
「こんな最果ての村のご飯でよろしければ、ね?」
「大歓迎だ! 寧ろそういうのが食べたかったんだよ!」
ルークは人形のような繊細な顔をくしゃっと緩め、子供の様な笑みを浮かべて喜んだ。
そんな顔をしていると一気に子供っぽくなる。
―――やっぱり貴族なんだ。でも平民の食事が好きだなんて、変わった貴族もいるのね?
いや、別におかしくはないか。
前世で一度だけ高級フレンチを食べに行った事があるけど、自らお金を出してまで食べに行こうとは思わなかったな。
まぁ初めて食べた時はまだ小学生だったから子供舌に合わなかっただけかもしれないけど。
「本当に大した物は出せませんからね?」
「それは楽しみだ」
アリスはルークと共に森の外へ出た。
「良い天気だ。日陰が無くなったら少し暑いな」
「もうすぐ夏季ですもんね。でも森の中は日陰が多くていつも涼しいから結構快適ですよ」
「それは良いな! 日陰でのんびりしながら、森の中を吹き抜ける風を受けるのは涼しくて好きだ」
「あー、それ分かります。気持ち良いですよね」
「お! 君も分かるか? あの良さを知ったら真夏の森も捨てたモノじゃないんだよなぁ」
ルークは楽しそうに笑みを浮かべて喋り続ける。
貴族育ちなら暑さに困る事も無いだろうに…
―――と言うか、本当に貴族なんだろうか? 私の見立て違いかもしれない?
そんな事を疑問に感じながら家に帰ろうとしている最中の事だ。
「―――……ん?」
―――何だろう? 村の中央広場がやけに騒がしい?
「あの、ちょっとごめんなさい」
「ん? 何かな?」
「少し広場の方が騒がしいので、様子を見て来ても良いですか?」
「広場?」
アリスの言葉にルークは不思議そうに反応する。
そしてアリスと同じ方向に視線を向ける。
広場の様子を一目しただけで、ルークの視線は鋭くなる。
「確かに。あの一角だけ妙に殺伐としているな」
「何かあったみたい……貴方はここに居て下さい。私が少し様子を……」
「見て来ます」と言い切る前に、ルークは片手をアリスの顔の前に構えた。
「俺も一緒に行くよ。何か嫌な予感がするからな」
「でも…」
「言ってなかったけど、これでも俺は王都の治安を護ってる身の上でね。最果ての村と言えど、ここも俺が守護する区域だ。何かあるなら全力で対応するのが責務だ」
「………」
そうキッパリと言い放つルークに、アリスはそれ以上言い返せない。
もし広場まで行って何も無ければ良いけど、何かあるならば確かに協力はしてほしい。
ルークの腰に携えられた剣を見て、アリスは武力的な応援は期待しても良いと確信した。
―――しまったな。私も木剣を持って来るべきだった。
「分かりました。もしもの時は、協力して下さい」
「任せろ」
ルークは人形のような繊細な顔に笑みを浮かべた。
アリスはその笑顔に安心感を覚え、ルークと共に村の広場に向かった。