XXXⅠ【女学生、採寸される】
『ヴィスマン・ブティック』。
現在のオーナー、ジャスティン・ヴィスマンの父親であり、初代オーナーであったジョナス・ヴィスマンが一から造り上げたセフィロード王国一の規模を誇る貴族洋服店。
つまりはローグの祖父が設立者にして、実父は現在一番の権限を有している事になる訳だ。
以前、ローグが成り上がり貴族だとは聞いてはいたけれど……
―――これは予想以上だ…。
まるで前世の高級百貨店の様な佇まい。
貴族位があろうと、学校帰りの未成年達がファミレス感覚で立ち寄って良い場所ではない。
しかも、到着早々ルークが言った言葉…。
「わ…私の制服を新調する?」
「あぁ。やっぱり、ずっとそのサイズのままなのは辛いだろ?」
「それは、まぁ…」
出来る事なら丁度良いサイズに直してほしいとは思ったのは確かだ。
「と言うか、そもそも何でこうなったの?」
「こう」と言いながら自分の着ている服の裾を摘まむ。
すると、アリスの言葉に苦笑いを浮かべつつ、ルークはここまで喉の奥にしまっていた真相を口にした。
「実はね? 君の制服を発注した時に、色々と先方との間に齟齬が生まれていたんだ」
「齟齬?」
「そうなんだよ…」
人形の様な端正な顔立ちを申し訳無さそうに俯かせるルーク。
そんな彼の話によれば、こう言う事らしい…。
「君が学園に編入する前に、こちらの商会に書簡を送って制服を受注したのだけれど、『騎士団所属の女性生徒』という前代未聞の内容に、制作班一同が誤記入だと疑ってね…」
「あー…」
「おまけに、騎士団員だからいつでも出動出来るように、男子生徒の制服と似た作りにしてほしいって要求していたから、『なら男子生徒の制服で一番小さいサイズで良いだろう?』ってなったみたいで…」
「いやホント…。それに関しては俺からも謝罪するわ。俺も事前に騎士団に入団希望の女生徒の話聞いてたのに…」
「あ、うん」
―――アンタに関しては元々女の入団者毛嫌ってたし、話す気も無かったんでしょ?
等と思ったが口に出す前に飲み込んだアリス。
今は騎士団の中でも上位で自分の実力を認めてくれている相手だ。
いつまでも初対面の時の印象を引きずっているのも、器が小さいだろう。
―――あ。けど今朝この制服姿を見て爆笑してたっけ…?
やっぱり、ちょっとムカつく。
今日の鍛錬で絶対負かす。負かしまくる。絶対に。
「なるほど。それで今日は再度制服の採寸をしてくれると?」
「あぁ。ついでに何着か見繕ってもらうと良いよ」
「でも、そんなに持ち合わせも無いし…」
「それなら気にすんなよ。今回はコッチのミスなんだ。初回はお友達価格ってヤツで十割引きにしといてやるよ」
「じ、十割ってタダじゃない!? 流石にそんな…」
「いいやダメだ! 『ヴィスマン・ブティック』は信用第一! 今回の事は我が商会の最大級の失態例として、社員全員に厳しく言い聞かせる」
「でも…」
「受け取ってくれ。コッチの謝意に客が納得して帰ってくれるだけでも社員は安心出来るもんなんだよ」
「アリス。ヴィスマンもこう言ってるんだ。今回はこれで許してやってくれ?」
「……分かった」
(私の方が得が多すぎる気もするけど…)と思いつつ、アリスはルークとローグの提案に納得した。
「でも本当に今回だけね! ただでさえ通行税免除とか学費全額免除とか、金銭面における身分不相応な待遇までしてもらってて胃が痛いのに…」
「いやいや。推薦状を出したのは此方なんだから、金銭の面倒を見るのは当然の事だ」
「なら、せめて一言私に伝言しててくれると助かるわ」
「あ、うん。次からはそうするよ…」
アリスのじとーっとした視線を受けて、ルークは思わず視線を逸らして了解した。
と言うか「次」って何だ?
まだ何か金銭面で面倒見てもらわないとダメな瞬間がやって来るのか?
アリスは節約の鬼になると決めた瞬間だった。
「さぁさぁ! 鍛錬開始の時間までもうそんなに無い。早く採寸しに行こうぜ」
「うん。よろしくね」
「おう。採寸は制作班のリーダーに任せてる。敏腕な女性社員だから安心しろよ」
「そうなんだ。助かる」
「アリスが採寸している間、俺達は適当に店内を回ってるからな」
「僕も舞踏会に向けて、いくつかドレスローブを見ておきたかったんだ」
「お。今なら丁度新作が出来上がってるから見に行くか」
何て事を話しながら、アリス達は店の奥へ進んだ。
店の奥の一角にロープパーテーションで立入りを制限された扉の前にやって来た。
扉には『従業員専用』と書かれたプレートが掛けられ、ローグが躊躇無くノックした。
すると間も無く扉が開かれ、奥からフリルの付いたブラウスとラベンダー色のタイトスカートを着こなしたスタイル抜群の女性が姿を見せた。
明るいブロンドヘアだがキッチリと結い上げ、ノンフレームの眼鏡から覗くエメラルド色の瞳が、柔らかくアリスを見つめ返した。
「お初に御目にかかります。貴女がアリス様で御座いますね?」
「は、はい! 私がアリスです」
「私は『ヴィスマン・ブティック』の紳士淑女両者の貴族衣服の責任者を務めさせて頂いております―――メルティ・ウッズと申します。以後お見知り置きを」
「こちらこそ。今日はよろしくお願いします」
メルティが深々と頭を下げ自己紹介をするのにつられ、アリスも深々と頭を下げた。
そして顔を上げたメルティは、同じく顔を上げたアリスの纏う明らかにサイズを間違えている制服を見つめ、今度は眼鏡の奥の目を閉じ、申し訳無さそうに俯いた。
「アリス様。この度は私共の失態により多大な御迷惑をお掛けしました事。受注を請け負った制作班を代表し、私から深く深くお詫び申し上げます。どうか御許し下さい」
「いっ、いいえそんな! 頭を上げて下さい!」
慌ててメルティに駆け寄るアリス。
メルティに頭を上げるよう必死にお願いすると、彼女は眼鏡の奥からアリスをチラッと見つめ、ゆっくり姿勢を正す。
「恐れ入ります。それでは只今より、このメルティ・ウッズが責任を持ってアリス様の学生服の再度制作に尽力致しますわ!」
「よ、よろしく…お願いします…」
「かしこまりました!」
メルティは漫画の様に眼鏡をキランッと光らせ、部屋の奥へアリスを招き入れた。
「ささっ、では早速採寸から始めますので、アリス様はお部屋の中へお入り下さい」
「はい」
「それじゃあ、俺達も店内を回って来るよ」
「うん。終わったら探しに行くね?」
「あぁ。多分、社交界ドレスの場所に居るから」
「分かった」
「それじゃ後で」
そう言って、ルーク達は再び店内を回り始めた。
アリスは三人の背を見送って、メルティが待つ部屋の中へ進んだ。
部屋の中は、商品が綺麗に整頓された店内と打って変わって、書類や採寸用のメジャーや物差し、多種多色の布、出来上がったドレスを掛けるマネキンやハンガーがザックリと纏められて置かれていた。
正に事務所や制作所と言った感じだ。
「少々散らかってますので、足元にはお気を付け下さいね?」
「えぇ。大丈夫です」
「申し訳ございません。本来であれば来客様専用のちゃんとしたお部屋をご用意しているのですが、今時期は社交界シーズンという事もありまして、ご予約のお客様で溢れ返って下りまして…」
「構いません。無理を言っているのは私の方だと思いますので、気にしないで下さい」
「ありがとうございます。ローグ坊ちゃ―――……ローグ様のご学友で、更にはルーク殿下直々のご依頼ともあれば、一番に優先して然るべき御方なのですが…」
きっとメルティは「坊ちゃん」と呼びたかったのだろう。
最後まで言いかけて、小さく咳払いをして言い直した。
いやそんな事よりも…。
「メルティさん。私を特別扱いする必要はありません。雇い主のご子息とか、殿下直々の依頼だからとかで、一平民でしかない私が何の苦労も無しに融通されるのは、正直気まずいと言いますか…」
「!―――それは……しかし……」
アリスの言葉に驚いた表情を見せるメルティ。
すぐにキャリアウーマンのキリッとした表情に戻ったが、言葉尻を窄める辺り、どうやら困らせてしまったのだと察する。
―――無理もないか。自分よりも上級階位の命令を無下にするような行為を進んで出来るはずもない。
「すみません。メルティさんの立場を悪くさせたい訳ではないので、気にしないで下さい」
「アリス様…」
メルティはアリスの言葉にホッとした様な、感心した様な面持ちで目の前の少女を見つめる。
そして優しく微笑み、アリスに軽くお辞儀をした。
「お心遣い感謝致します。今後はアリス様のご意思を尊重した対応させて頂きますわ」
「そうしてもらえると、有難いです」
「うふふ」
メルティはパァッと明るく笑みを浮かべ、テーブルに置かれていたメジャーを手にした。
「では、アリス様。早速採寸させて頂きますわ。今度こそ完璧な仕上がりにしてみせましてよ!」
「はい! よろしくお願いします!」
メルティは意気揚々とメジャーを構えた。
第一印象はキッチリカッチリとした生真面目な女性かと思っていたが、どうやら制作意欲旺盛な性格の持ち主の様だ。
実際にアリスの肩幅から採寸を始めたメルティは目を輝かせて、鼻歌混じりで作業に没頭している。
―――楽しそうで何よりだ。
暫くの間、滞り無くアリスの採寸を進めていたメルティの手が止まった。
一通り測り終えたと言う事だろう。
アリスは部屋の中で唯一綺麗に整えられたソファーに誘導された。
メルティは寸法をメモした紙を手にしている。
「暫し此方に座ってお待ち下さいませ。アリス様に合ったサイズの物を幾つか見繕ってきますので、実際に試着してみて頂けますか?」
「分かりました」
「すぐに戻って参りますので、その間お茶とお茶菓子を召し上がってお休み下さい」
「良いんですか?」
「勿論ですわ。王都でも人気のお茶菓子でして、気に入って頂けると良いのですが」
「ありがとうございます! 遠慮無く頂きます」
「うふふ。ではお待ち下さいね」
楽しそうに微笑みながら、メルティは部屋から出ていった。
間も無くして別の社員と思われる女性が紅茶とお茶菓子を乗せたトレーを手にして部屋に入って来た。
トレーを手にしたまま器用にお辞儀して、アリスの据わるソファーの前のテーブルに丁寧に並べていく。
無駄の無い動きでササッと身を引いて、部屋から出ていく直前に「失礼致します」とだけ言って出ていった。
―――凄い。此処の従業員は全員洗礼された動きをしている…!
思わずアリスは部屋から出ていった社員の後をじーっと見つめ続けた。
―――『ヴィスマン・ブティック』……王都一の商会というだけの事はある!
アリスは従業員達の有能さに感服しつつ、出されたお茶とお茶菓子に手を伸ばした。
王都で人気のお茶菓子は、全体的に地味目な黒っぽい茶色の見た目でありながら、その形は手の平より小さいにも関わらず、まるで匠の施した彫刻のように卓越した技術で形成されていた。
所々に宝石のようにあしらわれたドライフルーツが、女性人気を集めた要因だろう。
そしてきっと、味も美味しいはずだ。
何せこのお菓子をアリスは前世で既に食べた事があったからだ。
「人気のお茶菓子って……チョコレートの事だったんだ」
前世では容易に手に入っていたチョコレート。
しかしこの世界では、前世の五倍の値段らしい…。
「有難く頂きます…!」
アリスは高級品となったチョコレートに手を合わせ、たった一つで銅貨五枚の値が付く小さなチョコレートを口にした。
「!―――こ、これは…!」
思わずテンプレの様な反応をしてしまった。
高級品なだけあって、味の旨味も深みも記憶にあるチョコレートよりずっと格上だった。
「なるほど。これは人気になるはずだ」
アリスは高級チョコレートの人気に納得しつつ、二つ目に手を伸ばそうとした。
その時―――
バーンッ!!!
「ッ―――なっ、何!?」
部屋の扉が勢い良く開かれ、驚いたアリスが手にしたチョコレートをポトッとお皿に落とす。
ソファーから立ち上がり、大きな音と共に開かれた扉の方に振り返る。
そこに居たのは……―――
「おっ邪魔するわヨォ~~~!!!」
「こっ…コラ! お客様の前で…!」
「………―――え?」
ギルバート並みに大きな体でフリル満載のブラウスを着こなし、足の長さが際立つ黒いズボンに、真っ赤なコートを羽織った大柄な男性が両手を広げて部屋に入って来た。
そんな男の背後から慌てふためいたメルティが駆け寄って来る姿が視界に映り込む。
一体誰なんだこの男は―――……
―――……ん? 男? でも今の口調は……まさか……?
アリスは困惑する頭で状況を理解しようと必死になるも、その大柄な人物はズンッズンッと自分の方へ大股で歩み寄って来る。
そして相手を制止させる暇もなく、アリスの至近距離に、その顔をズイッと寄せて来た。
互いの鼻先が当たりそうな距離に来て、ようやく花の様な香水の香りと化粧品の香りがアリスの嗅覚を刺激した。
「な、なん…! 何ですか…ッ!?」
「デ…デンジャー! お客様に失礼でしょッ!」
「アラ。ごめんなさいね? 坊ちゃんと殿下がご贔屓してるっていう淑女がどんな娘か気になっちゃってネェ?」
男(?)は身を引いて姿勢を正した。
背筋を伸ばすと余計に体格が大きいと分かる。
「お初にお目にかかりますワ! アタシは『ヴィスマン・ブティック』メイクコスメ部の責任者―――ガーネット・デンジャーよ!」
男……いや、ガーネット・デンジャーは厚めの指輪をはめた右手を、放心状態のアリスの前に差し出した。
「気軽に『ガーニィ』って呼んでネ♪」




