無意味な事
「怒るということは、ある程度妥当であるということだ」
何事かと視線を移すと、康夫が持論をぶち始めたようだ。
「成熟した集団内に発生するコミュニケーションにおいて、妥当でないことの指摘で怒ることはない」
それはそうだろう。2mの伸長の人間にチビ、1m40cmの人間にノッポと言ったところで、怒りなど湧き上がらない。むしろ相手の認識能力の低さ等に同情さえする。場合によっては、精神的に優越を感じるだろう。
「だから…」康夫の得意げな顔が鼻につく。だが、内面とは裏腹に話は続く。
「こちらの発言で、相手が怒るという事は、ある程度妥当であるという事だ」
一瞬考える。そうである例を挙げる意味は無い。そうでない例を思考する。
言葉そのものが悪意を帯びるものはどうだろうか。慇懃無礼などといった、話者も聞き手も空気が読めなければ成り立たない高等技術などは複雑だ。シュチエィションなどといった曖昧模糊としたものは埒外におく。
言葉そのものが悪意を帯びるもの。
ウンコとか、バカと言った…いや。バカはどちらだ?
ウンコはうんこと言う名詞。人ではありえない。それに向けられたうんこという語は、純粋な悪意で有り得る。
しかし、バカは頭の悪い人間にむけられる悪意ではあるが、程度的には妥当たり得るのでは無いか。バカという言葉を人に投げかけるという行為自体は唾棄すべき所業ではある。その反面、能力の多寡を客観的に分析比較した事実に悪意をまぶしているのだとしたら、それはウンコとは別質の…
「よしでかけよう」
鏡に向かった独り言は終わり。
康夫は、夜に繰り出す。
無意味な内面から離れ、無意味な社会に溶けて消えた。
ありがとうございました。