恋人と別れたいから相談に乗って欲しい、と言われて慌てて駆け付けました
「もう恋人とは別れる~~~~!!!!」
突然号泣しだしたサーラに、ヘルムートはぎょっとした。
場所は、王都にある平均的な居酒屋。
女性同士でも入店するのには躊躇しないレベルだが、デートで連れて行かれたら、あれ?私って大事にされてない?と思ってしまうかもしれない雰囲気のあれである。
ヘルムートはここの串焼きが大好きなので、ちょっと呑みに行こう、という時は友達でも恋人でもここに連れてきてしまう。ここの料理は何でも美味しいし。酒はキンキンに冷えていて、最高だ。
美味しいものを、好きな人と共有するのが、彼は大好きだった。
それに正直、呼び出された内容が内容だった為、個室で静かに話を、という雰囲気にしたくなかった、というのも本音だ。
がやがやとした喧噪の中で、サーラが一人しくしく泣きだしたところであまり目立たない。
が、ヘルムートは焦った。このままにはしておけない。急いでリカバリーに取り掛からなければ。
「落ち着こうサーラ!早まっちゃいけない!ほらっ串焼き食べよう、僕の一番のオススメ!」
彼に串をぐいぐいと押し付けられて、サーラはきちんとプレスされたレースのハンカチで目元を拭っていたが、大人しく串を受け取る。
「何よ、ヘルムート。私、今食欲なんてないのよ……!それより」
「ここの肉は、店主が市で自分で選んで買ってくる、朝一に捌かれたものなんだ。絶対美味いから!あとこのソースが最高」
彼がソースのポットも押し出すと、素直なサーラはまず串から肉を外し皿に盛るとそこにポットから優雅にソースをたらりと掛ける。
本当は串ごと、二度付け禁止のポットにどぼん、とさせてかっ食らうのが一番美味い食べ方だとヘルムートは思っているが、それをサーラに強要するのは酷だろう。
彼女は、生まれて初めて大衆の食事処に来た身なのだから。
肉をさらにナイフで半分に切って、一口サイズにしたサーラは、僅かに首を傾けて口に運ぶ。ぱくり、もぐもぐ。
「……美味しい!」
「だろ!?」
ぱっ、とサーラの瞳に光が戻り、安堵と美味しさを共有出来た嬉しさで、ヘルムートの顔にも笑顔が浮かぶ。
「ここのはどれも美味しいから、サーラにも食べさせてあげたかったんだ」
彼が屈託なく笑うと、サーラは唇を尖らせる。
「大事な話があるって言ったのに、ここに連れてこられた時はどうしようかと思ったわ」
「酒は甘い方がいいよね?白ワインに果物のシロップいれたやつがあるから、それでいいかな?」
「……うん」
彼女がヘルムートを睨むと彼は手を掲げて降参の意を示した。
「ごめん。話はちゃんと聞く。当然だろう?でも、美味しいものを食べて、腹を幸福で満たしてからでも遅くはない筈だ」
次に不愛想な店員が運んできてくれた、湯気の立つ皿をサーラの前に置いて、ヘルムートは空気を軽くするように綺麗にウインクを決めた。
「……あなたのそういうところ、ズルいと思うわ」
「その方が、人生は楽しい」
褒められた、とばかりに彼は歯を見せて笑った。
チーズとハーブの入ったオムレツに、肉と野菜をスパイスで煮込んだもの、カリッと揚げたてのフライには柑橘の果汁。勿論どっさりの朝摘み野菜のサラダは、店特製のドレッシングで。
心も体もぽかぽか、美味しいものでたっぷりと満たされたサーラは、先程よりもずっと血色がよく、口元は綻んでいる。
それでも、恋人に対する怒りを消し去ることは出来なかったようだ。
白ワインに果物のシロップを混ぜた甘いワインのグラスを片手に、サーラのぽってりとした唇は、すらすらと恋人の悪口を奏でる。
「それでね、彼ったら本当にひどいの!」
「うん……」
「いくら忙しいからって一ケ月も連絡なし!こんなことってある?」
「……ええと、恋人の仕事とかにもよるんじゃないか……?」
ヘルムートは、見事に絡み酒の餌食の様相を呈していた。
「そりゃひでぇな」
「こんな美人さんを放っておくなんてなぁ」
最初は、若く小綺麗なカップルが来た、と店内の常連客達は、二人を遠巻きに見ていたのだが、今やそれぞれのジョッキ片手に、椅子ごと近づけてきて、うんうん、と大きく相槌を打っている。
いかにも労働者の風体の、屈強な男達の中心に、可憐な一輪の花のようなサーラがちょこん、と椅子に座っている光景は、なんだか悪夢のようだ。
不埒な手がそろっとサーラに伸びるのを手刀で叩き落として、壁と自分の間に椅子ごと彼女を避難させる。
「兄ちゃん、いっちょ前に騎士役か」
カカカ、と年嵩の男に笑われて、ヘルムートは顔を赤くした。
仕方がないじゃないか、サーラは可愛いし、美人だ。しかも自分で連れてきておいてどうかとも思うが、こんな小汚い店には不釣り合いな品がある。
ヘルムートが彼女をガードして、周囲を牽制している間にもサーラの愚痴は続いていく。
「いつもいつも仕事仕事、そりゃあ彼はとても大事なお役目に就いているのは承知しているけれど、それでもあんまりじゃない?私ってそんなに魅力ないかしら……」
ちらりとサーラの熱っぽい瞳がヘルムートを見遣り、周囲からはヒューッ!と下品な口笛が飛ぶ。
「いや、サーラはとっても魅力的だと思うよ。心配いらない、いらない」
周囲の視線を追い払うように、ヘルムートは大仰に手を振った。
それを見て、サーラはむっと眉を寄せる。
「でもこの前、彼の勤め先の近くで、私の知らない女の人と歩いているのを見たのよ!」
そこでグラスの中身をぐっ!と飲み干したサーラは、おかわりください!と店員に空のグラスを掲げてみせた。
「お嬢ちゃん、いい飲みっぷりだなぁ!」
「サーラ、そろそろ飲むのやめなよ」
ヘルムートの意見を無視して、サーラは瞳を潤ませる。それを見た男達からは、彼女の恋人を非難する声があちこちで上がった。
「あの女誰なのよ!わ、私より……私より……好きなのかな……」
「そんなことないよ、君のことの方が好きに決まってるさ」
ヘルムートはまた顔を赤くして、そう言った。
そこで店員が持ってきた新しいグラスが、客達にリレーされてサーラの元に届く。リレーの間に変なものでも混入されていないかを、ヘルムートは一口飲んで確かめてから、サーラに渡した。
「ん?飲んだ……?」
「毒味だよ、お姫様」
「お姫様って呼ばないでよ」
ぽこん!とサーラのへなちょこパンチが彼の肩を殴る。
「ごめんって」
「……何よ……謝っても許してあげないんだから……皆、私のことなんて好きじゃないんでしょ……私とは会ってくれないのに、よその女と会う時間はあるの……?」
いよいよ酔っぱらって、言ってることが支離滅裂になり始めたサーラに、周囲の男達は励ますべく声を掛ける。
「嬢ちゃん、そんな奴やめとけって!」
「そうそう、いい男なら他にもいるって!」
「俺とかどう?」
「バッカ、お前じゃ釣り合わねぇよ!」
口々に慰められて、サーラはぽかん、としていたが、やがてクスクスと笑い始めた。
「そうね、あんな男捨てて、誰か私の恋人になってくれないかしら」
ふんわりと笑ったサーラは、酔いの所為で頬は紅潮し瞳は潤み、とっても色っぽい。
我が我が、と新恋人に立候補し始めた男達を見て、ヘルムートは頭を抱えた。
「よし、お嬢ちゃん、俺が恋人になるぜ!」
そうこうしている内に、酔漢達はサーラに我先に、と突撃し出す。
さすがに黙っていられなくなったヘルムートは、片手でサーラを抱え上げた。
「あら」
「そんなの許すわけないだろう!」
吼えて、ヘルムートは一番に飛び掛かってきた男を片手で投げ飛ばす。
全員酔っ払いとはいえ、日頃肉体労働に従事している力自慢達ばかり。だというのに、ヘルムートは彼らを片手で千切っては投げ、千切っては投げ、とどんどん床に転がしていく。
とはいえ、サーラに殺意を持って襲おうとした悪漢というわけでもないので、床に落ちる瞬間は痛いが、体を痛めないように配慮して投げ飛ばすという謎の配慮付きだ。
彼の腕の中で、サーラは何がおかしいのかきゃっきゃっと笑っている。アトラクション気分らしい。
騒動が終わる頃には、店の大半の客が彼の足元に転がっていた。
「はぁ……やってしまった」
「何よ」
頬を膨らませたサーラがぽかぽかとヘルムートの背中を叩く。
「私の新しい恋のチャンスを潰さないでちょうだい!」
「潰すに決まってるだろう!?そもそも別れたりなんてしないからな、僕は!」
ヘルムートが必死な様子で彼女に詰め寄ると、サーラは唇を尖らせる。
「じゃああの女誰よ!?」
「道に迷ってた人を案内しただけだよ!僕は君しか愛していないし、他の女性なんて見向きもしていないのを知ってるだろ!?」
ハッキリきっぱりと言われて、サーラは酔いではなく顔を赤くする。
「……遅いよ、ばか~!!」
途端、子供のように泣きだして抱き着いてきた彼女を、ヘルムートは大切に抱きしめなおした。ゆっくりとサーラの髪を撫でて、あやす。
そこに、水の入ったグラスを持ってきた愛想のない店員が、呆れた目で彼らを見遣った。
「……何です、これ?つまり、彼女を一ケ月放置してた恋人ってアンタってこと?」
「そうよ!ひどいでしょう!?」
「暴れると危ないよ、サーラ」
サーラがはっとして体を離すが、ヘルムートの腕はしっかりと彼女の腰を抱いたままだ。彼は水のグラスをもらって、代わりに店員の持つ盆に金貨を数枚乗せる。
「怪我人は出してないと思うけど、これ迷惑料とこの人達の今夜の払い。騒ぎにしてすまなかった」
ヘルムートはそう言うと、また毒味をしてからサーラに水を飲ませる。彼女は素直にグラスの中身を飲み干した。
「別にいいですよ、この人達が喧嘩でも始めた日にゃあ、この程度の騒ぎの比じゃないんで」
明らかに酒代よりも多く積まれた金貨を見て、店員はにっこりと笑う。
それを見て、ヘルムートは肩を竦めた。
「それはよかった。じゃあ今日はこれでお暇させてもらうよ」
サーラを抱えたままヘルムートが言うと、店員は微笑んだまま頭を下げた。
「また、どうぞ」
店を出ると、見計らったかのように二頭立ての馬車が静かに彼らの前に現れて、停まる。
ヘルムートは自ら扉を開けて、サーラを座席に恭しく降ろした。自分もその隣に座り、天井を叩いて馭者に合図を送るとほとんど揺れることなく馬車は走り出す。
しばらくしてもサーラはツンとして窓の外を見たまま、彼の方を見ようともしない。
「……サーラ」
「…………」
「サーラ、こっち向いて」
「嫌よ。道案内のことは一万歩譲って大目に見るとしても、一ケ月連絡なかったことは、謝っても許してあげないんだから」
弱ったヘルムートが彼女を背中から抱き寄せると、意外なことにサーラは抵抗せずに彼の腕の中に収まった。
「……ごめん」
低く、落ち着いた声。
長い腕は、衣服に隠されていてあまり目立たないが、しっかりとした無駄のない筋肉がついていることを、サーラは実際に見て、知っている。
胸板は厚くて、でも傷だらけ。あんまり酷い傷を負うと、サーラが見て怖がってしまう、と余計な心配をして褥を共にしてくれない。
そんなことよりも、彼が無事なのか、傷は今後に響かないのか、そちらの方がずっと気になるのに。サーラを何かか弱い生き物だと思い込んでいる、この過保護で鈍い男は、心配すらさせてくれないのだ。
サーラのこめかみにキスを落として、ヘルムートは萎れた声で呟く。
「許してもらえなくても、僕はサーラのことだけが好きだよ。絶対に別れてなんかやらない」
「……怒っていいのに」
「?何が?僕が悪いのに、どうして僕が怒るんだい?」
ヘルムートが不思議に思って首を傾げると、サーラは振り向いて彼を睨みつけた。
「だって……!あなたは、騎士団のお役目で遠征に行っていただけじゃない!私、それを……知ってるのに、連絡がなかっただけでこんなに拗ねて……お店でも、あんなに当てつけっぽく話したりして……!」
サーラは言いながら不安になったようで、彼から視線を外す。
強がっていないと彼女は不安だったのだ、一カ月も離れていた恋人の心が離れてしまっていたらどうしよう、と怖くて、でも我儘を言った所為で嫌われてしまったら、と。
そんないじらしい様子にヘルムートはたまらなくなって、彼女の唇を強引に奪った。
「んん!……っ、は……ぁ……」
硬い掌で彼女の腰のラインをなぞると、びくびくと震える体がいとおしい。拗ねて、八つ当たりして、反省して。それでも、ヘルムートのことを全身で好きだと訴えるサーラが、可愛くてたまらない。
「ヘルムート……」
「サーラは悪くないよ。仕事でも、なんでも、サーラをこんな気持ちにさせた僕が悪い」
「……ヘルムートは、悪くないもん」
まだそんなことを言う、尖った唇に音をたててキスをして、彼は笑った。
サーラは、ヘルムートの笑顔が好きだ。
彼と一緒にいるのが、好きなのだ。
「……寂しい思いをさせて、ごめん。サーラ、愛してるよ」
優しく降り注ぐヘルムートの言葉を聞いて、ようやくサーラは彼の腕に飛び込んだ。甘えるように鼻先をくっつけて、確かめるように彼の頬に掌で触れる。
「……きっとまた、サーラに寂しい思いをさせることがあると思う。でも必ず戻ってくるし、絶対に別れたりしない。サーラのことだけを、愛してるよ」
ヘルムートが情けなく眉を下げて言うので、サーラは仕方なく許す、という体を取れる。
「きっと、何度でもこうして怒るから、その度に私のご機嫌をとって、愛してるって言ってね」
「うん」
「ずっとよ?」
「うん、約束」
彼がそう言うと、サーラも微笑んで、仲直りのキスをヘルムートに贈った。
夜の街を、ゆっくりと馬車が走る。
僅かな揺れの中で、確かめ合うように二人は口づけを繰り返す。
サーラの白い掌が、服越しにヘルムートの鎖骨の辺りに触れた。
「……今回は、どこも怪我していない?大丈夫?」
「心配しすぎだよ、今回は国王陛下の護衛任務だからね。何かある方が困る」
彼が困ったように笑って言うと、サーラはまた頬を膨らませた。
「もう、お父様ったら気軽に”王国の盾”を連れて行くなんてひどいわ。絶対他国にヘルムートのことを自慢したいだけなのよ!」
自分もヘルムートにべったりのくせに、サーラは父親のことを責める。ヘルムートは苦笑して、それでも久しぶりに触れる恋人の柔らかさにうっとりと溜息をついた。
「サーラに会えないのは辛いけど、恋人の父親に好かれてるのって、僕的には助かるけどなぁ」
「ヘルムートはのんきなんだから!そんなこと言ってたら、この国中が”王国の盾”ヘルムート・ラング騎士団長のことを好きじゃない!」
何故かぷりぷりと怒り出したサーラに、彼は目を丸くする。
「それを言ったら、国中の人は美しい第一王女・サラディア姫のことこそ、大好きだと思うけどなぁ……まぁ、その中でも一番君のことを好きなのは、僕だけどね」
ヘルムートが可愛らしくウインクをすると、サーラは思わず、という風に吹き出した。
「あなたのそういうところ、本当にズルいと思うわ」
「だって本当のことだし、愛する人にきちんと愛を告げた方が、人生は楽しい」
ヘルムートは笑って、またサーラに顔を近づける。
それに応えるように、彼女は瞼を閉じた。
「……それにしても、意外とばれないものね」
「間近で顔を見られることは少ないからね。普段のきらきらしたドレスや厳しい鎧がなければ、僕たちだって市井の人に紛れるぐらい出来るさ」
「お料理もお酒も、とっても美味しかったわ。また、たまに連れて行ってくれる?」
「……陛下には叱られそうだけど、君の頼みなら喜んで」
「大丈夫よ、だって王国最強の騎士がついてるんだもの!」
二人を乗せた馬車は夜の静寂の中、石畳の路地を走り続ける。
その先には、白亜の王城が聳え立っていた。