カフェ
ここは小さな古ぼけた街。観光目当てだとしても人はめったに来ない。
その小さな町に、ポツリと時代から取り残されたようなカフェがあった。木製の建物に、曇ったガラス、中を覗くまでなく客は一人もいない。店主である老人がカウンターでコーヒー片手に新聞を読んでいる。
老人はこの店に誰も来ないのを知ってる。たまに近所の若者たちがビールを飲みに来るがそれだけだ。こんな真昼間には誰も来ない。それでよかった。老人にとってここは砦なのだから。
カランカラン……。
だから店のドアが開いても、老人はしばらく声をかけなかった。何かの間違いで入ったのだろう。十代半ばの少女がこんな場所に来るはずがない。
けれど、少女は強い意志をはらんだ瞳で老人を見る。
思わず、新聞を落としそうになった。ドアの前に立つ少女は、記憶の中の女性とよく似ていたからだ。
そんなことはないと、口元にあったコーヒーカップを置き、感情を押し殺した声で言う。
「いらっしゃい。何にするかね」
少女は言う。
「映画を」
聞き取れなかった。
「映画を」
聞き取れない。いや、聞き取ろうとしなかった。
「お嬢さん。ここは映画館じゃないよ。映画館に行くなら、この街をでて―――」
老人の言葉は最後まで紡がれない。少女が言う。
「盗んで欲しい映画があるの」
「…………」
冷たい沈黙が流れた。
老人は新聞紙を広げ、何事もなかったかのようにコーヒーを一口飲む。
「何の話をしてるのか分からんが、人違いじゃないのか」
「お願い。どうしても盗んで欲しい映画があるの」
少女は食い下がる。
老人はコーヒーをすすり、新聞紙をめくる。そのまま何も言わない。
「お願いします。私、知ってるんです。あなたが伝説の映画泥棒だって」
「……」
老人の目が鋭く光る。それは白髪の老人とは思えぬほどの眼光、威圧感。
少女は思わず一歩下がる。それでも諦めなかった。
「お願いします。映画泥棒さん。お願いします」
「……人違いだ」
たった一言。老人はカウンターの裏へと行ってしまった。
少女はなすすべなく、立ち去るのであった。
翌日。オープンの看板を外に出すときには、少女はそこにいた。
「お願いします。映画泥―――」
老人は少女の口を押え、ため息をつく。
「中に入れ」
小さな店内に入ってそうそう、少女は本題を切り出す。
「あの盗んで欲しいのは―――」
「グラスを拭いてくれ」
「え?」
「机を拭くのとグラスを拭くの、どっちがいい」
問答無用で老人は言う。
「えっと、グラスを拭きます」
圧力に負け、少女はグラスを拭くこととなってしまった。
グラスの次はカウンターだった。カウンターの次は床だった。そうやって老人の言うことを聞いているうちに、日は暮れる。
「あの、盗んで欲しい映画が……」
「今日はもう遅い。帰りなさい」
有無を言わせぬ力強さだった。少女は肩を落として店を出て行った。
その後ろ姿を老人は眺め、眺め、いつの間にか過去を眺めていた。少女と似た女性。老人と同年齢なのですでにおばあさんだが、老人にとって彼女はいつでも美しかった。今でも美しいだろう。
「生きているなら……」
老人は夢を見る。彼女と見た映画の夢を……。