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壊れ始めた歴史

「お邪魔しました」


「あら田中くん、もう帰るの?」


 西沢の部屋を出て階段を下りると、西沢のお母さんと目が合った。


「はい。もうそろそろおいとましないと。一応中身は大人ですけど、体は子供だからって母が心配するんですよ。正直、そこまで心配する必要はないと思うんですけどね」


「あらそうなの? もしよければ晩御飯一緒にどうかと思ったけど。今日ね、我が家はカレーなのよ? 真帆ちゃんの大好きな甘口のカレー」


 カレーね。そういや給食のカレーって、めっちゃうまかったんだよなあ。1人暮らしのオレがカレーとなると、ソコイチかレトルトだもんなあ。けど最近のレトルトもすごく味はいいし、レストラン顔負けのヤツもあるけれど。家庭で作ったカレーってのも味わい深いものがあるよなあ。興味あるけど……。


 つーか、女子の家でお母さんと一緒に晩御飯って、緊張するな。ちょっとハードル高いかも。丁重にお断りするか。


「すみません。色々買い食いしちゃって、まだお腹は空いていないんです」


「残念ねえ。じゃあ、車でお家まで送ってあげる。お外、真っ暗じゃない」


「あ、ほんとだ」


 玄関近くの小窓からは暗闇が垣間見えた。


「それなら歩を連れて早く帰らないと。あの、進藤はどちらに?」


「あの子なら先に帰っていったわよ。飽きちゃったみたいで」


「ええ? 相変わらず勝手な奴だなあ」


 まあ、勝手についてきただけだし、西沢のお母さんの熟れたボディーをじっくりと観察できて、満足したんだろう。


「自転車なら後部座席に入れればいいわ。子供をこんな時間に1人で歩かせるなんてとんでもない。いい、田中くん? 精神的には大人かもしれないけれど、体は子供なんだから大人に頼りなさい」


「はあ。それじゃあ、お言葉に甘えて」


 これ以上言われて断るのも失礼かと思い、オレは西沢のお母さんの車に乗ることにした。


「よろしくお願いします」


「はい。気を付けて車に乗ってね。かわいいお客さん」


 チャリを後部座席に入れると、オレは助手席に座った。そして、シートベルトをしっかり締める。


「それじゃ、出すわね」


 車は夜になりつつあった田舎の町をゆっくり走り出した。まだ96年現在、コンビニも数えるほどしかなかったこの町。夜になれば街頭なんてほとんどなくて、スーパーだって20時には閉まっていた。


「あら。忘れてた! カレーのルウなかったんだわ! 帰りにスーパーで買って帰らなきゃ。それにしても不便よねえ。コンビニはないし、スーパーも8時で閉まっちゃうんだもの」


「98年に制定された大店法の影響ですね。たしか、正式には大規模小売店舗立地法で、夜間の営業もこれのおかげでできるようになったんですよ。24時間営業のスーパーが当たり前の世の中だったのに、時代は変わった……じゃなくて、時代は巻き戻った。ってことですかね」


「詳しいのね、えらいえらい」


 なんか妙に感心された上に、頭をなでられてしまった。


「オレ、大学では経済学部でそのあたりのことは勉強したので」


「偉いのねえ。大学でお勉強、か……真帆ちゃんがもし大学生になっていたら、どんな勉強をしていたかしらね……学校の先生になりたいって言ってたから、教育関係の進路に進んでいたのかしら」


 西沢のお母さんは寂しげな瞳でハンドルを左に切った。


「あと9年もすれば、大学生ですよ」

 

「そうね。あの子は生きているわ。きっと今よりも女らしく。キレイになって」


 信号が赤になった。車は横断歩道の停止位置でピタリと止まり、車内にはエンジン音だけが響いていた。なんとも言えないきまずさがあって、オレはただひたすら信号機の赤を見つめていた。


「ねえ、田中くん」


 19時になりつつある田舎の夜道には、他に車も人もいない。こんな時間に空いてる店はそうそうなかったし、スマホもrineもなかった20年前。子供は夜を恐れていた。


 オレもそうだ。一寸先の闇の向こうに見えないナニかが潜んでいて、そいつが背後からオレを狙っているんじゃないかと、ありもしない存在を怖がっていた。


 30歳になった今じゃ、一番怖いのは客のクレームなんだが。


「あの子を殺したの、私なの」


 唐突なその一言に、オレは返事もせずただただ赤信号を見ているだけしかできずにいた。


 これは、あれか。母親である自分が娘を守れなかったから、自分が殺したも同然だ。っていうことか? 悔恨の念ってやつだろうな。


「私にとって、真帆ちゃんは悪魔だったわ。だから、殺したの」


「は?」


 クーラーも付けていないのに、車内にひんやりとした空気が流れていた。オレは何がなんだかわからずに、前を向いたまま固まってしまっている。


「本当は子供なんて、いらなかったのよ。せめてあの子が男の子に産まれていてくれれば……どんなによかったか」


 信号は、赤のままだった。


「私ね、不倫していたの。年下の男だったわ。あの子が死んでからはもう関係も終わったけれど、私は本気だったの。20年前のあの頃、私にとってあの男がすべてだった」


 雨が降り出しはじめた。だが、西沢のお母さんはワイパーもかけず雨粒でぬれたフロントガラスを、無表情で見つめていた。


「真帆ちゃんを産んでから、主人は私を女として見なくなった。私よりも娘に愛を注ぐようになって、私は真帆に嫉妬してしまった。真帆は10歳になって、体も女らしく美しく成長していく。でも、私の体はどんどんと年をとっていく……。私にとって、真帆は娘である前に、女だった」


 やや遅れてワイパーのスイッチが入り、ゆるやかに雨を拭き払っていく。同時に、この妙な空気も吹き払ってほしかった。


「主人ではなく他の男に愛を求めてみたけれど、その男の視線もいつの間にか真帆に向けられていた。あの男、真帆の塾帰りに後をつけたりしてたみたいでね。本当に……腹が立ったわ」


 信号が青になった。


「主人でもなくあの男でもなく……真帆に!!」


 車に強烈なGがかかる。オレは急加速の反動で助手席のシートに体を押さえつけられた。動けないし、呼吸ができない。この人は、何を考えてるんだよ。


「あの子は私からすべてを奪っていく! 主人も! 愛人も! そして私は老いていくのに、あの子は美しくなっていく!!」


 途中の信号は赤だったはずなのだが、西沢のお母さんはそれを無視して走り去った。人がいなかったのは不幸中の幸いだが。


「許せないゆるせないユルセナイ!!」


 そして、車は急停車する。再び全身に強烈なGがかかり、オレの体にシートベルトが食い込んできた。


「だから、殺したのよ。でも……でも……!!」


 西沢のお母さんは、ハンドルに顔を埋めるようにして泣いていた。


「あの子が死んでから、ようやくわかったのよ。あの子は、私にとってやっぱり娘だったんだって。私は、私は自分の汚い感情のせいであの子を殺してしまった。20年間ずっとずっと後悔していたの。真帆ちゃん、ごめんね。ごめんなさいねって。もしあなたが生き返ったなら、好きなだけ私を殺してちょうだいって!」


 最初は何がなんだかわからなかたけれど。今はだんだんと怒りがわいてきた。


「20年の時間が巻き戻ったのは、きっとそう。私が真帆ちゃんに殺されるためなのよ。きっと、そうなの。私が死ねば、あの子は――」


「ふざけんなよ」


「田中、くん?」


「いきなりそんなとんでもない話を聞かされた挙句に、自分が殺されればいいだと? ふざけんじゃねえよ!!」


 涙でくしゃくしゃになった西沢のお母さんの顔は、ひどいものだった。


「どこまでも自分勝手な人間だな、あんたは。なんでそこで、やり直そうっていう発想がないんだよ! 親子なんだろ!?」


「でも、私は真帆ちゃんを殺してしまったのよ? 私は、母親として、失格なのよ」


「まだ、殺してないでしょう。時間は巻きもどったんです。神様なんて存在がやらかしたのか、それでもオレたち全員が夢でも見ているのかわからない。けれど」


 西沢のお母さんは赤く充血した瞳でオレをずっと見ていた。


「西沢真帆は、生きているんだ! あんたは、西沢真帆の母親なんだ! だったら、やり直せよ! 今度こそ、間違えるなよ!」


「う、う。う……ぁ……あ」


 西沢のお母さんは再び泣き出した。堰を切ったように。それこそ、20年分の懺悔の気持ちと共に。


「本当に、みっともないところを見せて、それに……こんなことを聞かせてしまって、ごめんなさい」


 しばらく時間が経って、西沢のお母さんが落ち着きを取り戻した。


「誰かに……聞いてほしかったんですよね? ずっとため込んでいた20年分の思いを」


「ええ。私、自首するわ。真帆ちゃんを殺してしまった罪を、償わないと」


「それは無理でしょう。まだあの子は死んでいない。あなたにもそのつもりはない。だったら……何も言わず、これからもあの子を大切にしていけばいい。オレは、そう思います」


「田中くん……」


「あなたは許されるべきではない。死んだ人間は生き返らない。けれど、今は生きているんだ。なら、答えは決まってるでしょ?」


「それは……何?」


「やり直せばいい。それだけです」


 ――翌朝。


 オレと真田は一緒に登校していた。


 小4の男子と女子が一緒に登校なんて、昔は冷やかされるシチュエーションだったろうが、今は違う。


「じゃあ、西沢を殺したのって……」


「ああ。たぶんあれは本当のことなんだろうと思う。オレには嘘をついているようには見えなかった」


「そう……か。あたし、西沢のお母さんのこと悪く言えないな。茉莉花がもし、私があの子を……産むつもりがなかっただなんて知ったら」


「よしなよ。まだ、未来は解らないんだから」


「そう、だけど」


「正直、オレにもわからないよ」


 もしかしたらオレは、この教科書がぎゅうぎゅうに入ったランドセルよりも、ずっと重いものを背負ってしまったのかもしれない。母と娘の未来という、とんでもないものを。


「本当はあの人を警察にでも突き出すべきなのかもしれない。けど、タイムリープなんてファンタジーな現象が日本人全員に起きちゃってるんだ。誰にも正しい答えなんて導き出せるわけがないよ。だから、オレはあの人を信じようと思う」


「うん……そうだね。歩以外の男と結婚しても、茉莉花が産れるかもしれないし。ね、田中くん?」


 急に進藤はオレに軽くタックルをかましてきた。


「え、ああ。そうかもね」


「ふふん」


 そしてなぜか進藤は意味ありげに笑っている。


「けど、これで西沢の未来は安泰ってことかな。塾の帰りに後をつけてた男ってのも愛人のことみたいだし……西沢を殺した犯人ってのも、西沢のお母さんだった。歴史はこれで間違いなく変わるんだ」


 本来オレたちが歩むはずだった2016年までの歴史。それは西沢真帆の生存という形で分岐するのだろう。彼女が世界に与える影響はどれほどのものかわからないけれど……オレはこれでいいと思う。


 新しい2016年にただりつけばいい。未来なんて知っていても、いいことばかりじゃないんだから。


「ねえ、田中くん。あれ、何の騒ぎだろ?」


「え」


 朝の住宅街を一台の救急車が駆け抜けていった。


「この方角……まさか」


 昨日チャリで歩と一緒に通った道だ。オレの家と学校をはさんだ位置にある……。

 

「西沢!!」


 オレは走った。走っていた。学校の前を素通りして、そのまま一直線に彼女の家に向かっていた。


 息が苦しい。くそ、こんなとき子供の体であることがとてつもなく不便だ。30歳のオレの体ならもっと長く走れた。


 ……いや、どうかな。ほとんどデスクワークでろくに運動なんてしてなかったんだ。休みの日だって酒飲んで寝てるだけだったし、もしかしたら10歳のこの体のほうが体力あるのかもしれない。


 そんなくだらないことを考えていないと、オレの頭はどうにかなってしまいそうだった。西沢が死んだという現実を、二度も受け入れなくてはならないだなんて、神様ってやつは本当に残酷な存在だ。


「……西……沢……」


 ようやく西沢の家の前までたどりつくと、オレは道路によつんばいになってしまった。


「うそ……だろ?」


 西沢家の前には、たくさんの野次馬と救急車が止まっていて……担架の上には血まみれのシーツにくるまれた、人のカタチをしたモノが乗っていた。


「やり直すって……言ったじゃ……ないか……」


 結局、西沢のお母さんは西沢を殺してしまったのだ。


 オレが警察に突き出していれば……こんなことにはならなかったのに!


「くそ!! くそお!! 西沢……ごめん!」


「田中くん?」


 突然オレを呼ぶ声がした。そして、すぐさまその声の主がオレに抱き着いてきた。


「田中くん! 来てくれたんだ……私、私!!」


「え? 西沢……? どうして?」


 オレに抱き着いてきたのは、西沢真帆本人だった。


 え、あれ? じゃあ、あの遺体は……。


「ママが! ママが……う、ぅ……」


 殺されたのは、西沢真帆ではなく……本来の歴史で西沢真帆を殺すはずだった、西沢の母親だった。

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