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歴史遵守保護法

 歴史遵守保護法が緊急制定されて、一週間が経った。


 未来の記憶を第三者に話すことを固く禁じ、当時と同じ行動を極力とり、歴史を変えないようにする法律。それが歴史遵守保護法だ。


 だからオレは今、30歳になってランドセルを背負っている。まあ、体はまだ10歳なんだけど。


「まさか、もう一度学校に通う羽目になるなんてなー」


「ああ。でも正直、オレは嬉しいよ。社畜から解放されて、毎日遊んで暮らせるんだからな。タイムリープさまさまだ」


 オレは進藤と一緒に登校していた。子供のころはよくこうして一緒に遊んでたっけな、こいつと。


「なあ裕太? 京子は俺の事なんか言ってた? 俺、やっぱり京子じゃないとダメなんだよ。なんとか再婚できないかな」


「歩。お前、まだ結婚すらしてないだろ。一応それが今の正しい『歴史』だ。歴史遵守保護法があるんだから、心配しなくてもまた結婚できるさ」


「うん。……でも、歴史遵守保護法って意味あんのかなー。こんな法律できた時点で、すでに歴史が変わる気がするんだけど。京子の奴、俺よりもっといい男捕まえるって言って、学校中の男子を獣の目で狙ってんだぜ? 肉食女子はまだ96年じゃはやってねーだろに」


「まあ、真田のことはおいておくとして、意味はあるさ。たぶん、歴史は変わるよ。それは絶対に。だからこそ、本来の歴史と大きくかい離しないようにするのが、この法律の本質だと思う」


「ふーん。そういうもんかあ」


「日本人だけらしいからな、タイムリープしたの。でもだからこそ、この未来の記憶が外交上強力なカードになるんじゃないか? 最初、諸外国は信じないだろうけど、徐々に気付くさ」


 理由はわからないが、タイムリープしたのは日本国民だけだったようだ。世界中からはジャパニーズクレイジーだなんて笑い飛ばされたらしいが、オレたちはこの先起こる出来事を知っているんだ。イギリスのEU離脱も、リーマンショックも、戦争も、自然災害もすべて。


 でも、それらを変えることはできない。歴史を遵守しなければ、何が起こるかわからないからだ。真に安心を得れるのは2016年になってまだ知らない未来が訪れた時がゴールだが、日本が諸外国に対してアドバンテージを失う重大事となるだろう。


「おい裕太。死人だぜ」


「バカ歩! それ法律違反だぞ。未来をうかつにしゃべるな!」


 オレたちの視線の先には、西沢真帆が歩いていた。


 西沢を一言でいえばお嬢様ってナリで、ロングヘアの綺麗な黒髪と物静かな性格は、当時の子供のオレからすれば、触ったら壊れてしまいそうな危うさを感じさせた。触れてはならないある種の神々しさを放っていたのだ。何でそう思ったのか。それは大人になって自分の気持ちに気づいたから理解できる。オレは……西沢真帆が好きだったんだ。


「裕太。お前さ」


「なんだよ歩」


「ロリコン?」


「ち、違うよ。西沢ってさ。やっぱこんな田舎でも、レベルの高い可愛い子だったんだなって、思ってさ」


「まあ、確かにな。大人になれば巨乳になったんじゃねーの? 西沢、小4でけっこう胸あったからな。ブラジャーも大人っぽかったし」


 まだ9歳の幼さの残る可愛らしい顔をした男の子が、エロ親父のような顔していた。


「歩。お前さ」


「なんだよ裕太」

 

「ヘンタイ?」


「な、何を言ってるんだよ! 俺はお前のナイス友達さ!」


「いやいや。なんでお前が西沢のブラジャーのことや、胸の大きさまで知ってんだよ」


「そりゃ……歩ちゃんはなんでも知ってるのさ。ゼンチゼンノーだからな」


「うわあ」


 ドン引きだった。30にもなった大人のセリフとは思えない幼稚なボキャブラリーもそうだが、小4当時の歩は女子の着替えをのぞくようなヘンタイボーイだったのだ。


「早熟と言ってくれよ。俺の性欲あったればこそ、この世に進藤茉莉花という、俺の遺伝子を受け継いだキュートなエンジェルが誕生したんだからさ」


「茉莉花ちゃん……お前の娘だったな。確か今年、10歳なんだっけ? いや、正確には20年後か」


「ああ、そうだよ。何の因果か知らねーけど、娘と同い年の体になっちまうだなんてなあ。茉莉花に見られたら笑われるだろうなあ。はは」


 死んだはずの人間が存在しているということは、同時に生まれているはずだった人間が存在していないという可能性をはらんでいる。進藤歩と真田京子の間に生まれた茉莉花ちゃんも、当然のことながら1996年にはまだ存在していない。いや、もしこのまま2人が結婚しなければ、進藤茉莉花という存在は無かったことになるだろう。


「俺さ。ダメな男なんだ。仕事もろくに続かねーし、頭もよくない。けれどさ、茉莉花が生まれたあの日。俺、誓ったんだよ。これからの俺の人生は、こいつの為に使おうって」


「歩……成長したんだな、お前」


「そりゃ、親父になったんだからな俺。ガキのまんまじゃいられないよ。こんなダメ男のところに生まれてきてくれた娘のためなら、なんでもできるんだ。茉莉花は、俺を父親にしてくれたんだよ。だから、俺は茉莉花をこの世界にもう一度存在させたいんだ」


「歩、お前……」


 歩が京子に執拗に迫る理由は、娘をもう一度この世界に存在させるため、か。


「それになんたって、京子の体は最高だからなあ」


「そっちのが目的かよ、マジ軽蔑するな」


「い、いや! 茉莉花をもう一度この世界に送り出してやりたいと考えてるわけでな。それよりも見ろよ。西沢のやつ、裕太のこと見てねーか?」


「まさか。ていうか、話そらすの下手だな」


 西沢はオレをちら見すると、何事もなかったように歩き出した。


「……西沢真帆、か」


 西沢はあとひと月で死ぬ。車にひかれ9歳の幼い命を散らすことに、なる。当時10歳になったばかりのオレにとって、彼女の葬式は命というものを改めて考えさせる出来事だった。彼女の死は、クラスメイトに大なり小なり影響を与えたんだ。


「西沢、1人なんだな。仲の良かった女子はみんなどうしたんだ?」


 確か、西沢は真田や他の女子とも仲が良かったはずだ。よく数人できゃっきゃしながら歩いているのを見たことがある。


「ハブられてるよ。みんなにとって、西沢は死人なんだ。あとひと月で死ぬ奴に、誰も仲良くしたがらないんじゃねーの?」


「歩!」


「でも、歴史遵守保護法だろ?」


「それは……」


 西沢をはじめ、2016年までに死んだ人間には未来の記憶がないらしい。どういう理屈かわからないけれど、死ぬ直前の記憶を持っていないのだ。だから、20年先の記憶を持つ人間たちとは価値観が大きく違っていた。


 オレたちの心は30歳。けれど、西沢は10歳。子供と大人で話が合うはずもない。というよりも、急に人が変わったように大人びた同級生に対して、西沢は戸惑っている。


「まあ、当然なのかもな」


 1人歩く西沢の後姿を見て、オレはそうつぶやいた。


「みんな、おはよう」


 授業が始まって、先生が朝礼を始める。


「先生は今日も嬉しいよ。またみんなとこうして授業ができるんだから。ああ、この前同窓会で会ったばかりなのに……本当、世の中不思議なことがあるもんだなあ」


「先生、それ毎日言うつもりかよ。もう3回目だぜー」


 歩が野次を飛ばす。同時にクラス中からどっと笑い声が噴き出た。


「ああ、ごめんごめん。70を過ぎるとどうも昔が懐かしくてね。年金生活で毎日毎日やることがなくて、たいくつだったんだ。でも……もう一度こうして教壇に立つことができる。トラさんだって生きてるし、X JAPONも解散してない。いやあ、世の中不思議なこともあるもんだなあ」


「先生。とりあえず、授業始めません? さっさと終わらせちゃいましょうよ。あたし、帰って観たいドラマがあるんです」


「うん。そうだね。一時間目は算数だけど……まあ、みんなもう割り算のひっ算とか……できるんだよなあ」


 先生は教科書を開くと、嬉しそうに頭を悩ませていた。まあ、今更ひっ算とか習ってもなあ。


「先生。僕が代わりに授業しましょうか? 一応、教員免許持ってるんで。みんなも、今更小4の算数なんて習いたくないだろ? 僕なら、高校の数学でも教えられる」


 クラスでも秀才だった国分が手を挙げてそう提案した。


「じゃあ、2次関数と三角比教えてくれよー。俺、あの辺うろ覚えでさ」


「あたしは英語のがいいかなー。いまの年齢なら、覚えるのに苦労しなさそうだしー」


「てゆか、今更勉強とかどうでもよくないか? みんないい大人なんだからさ、株や政治について語ろうよ」


 みんなが好き勝手な提案を始めて授業はめちゃくちゃだ。


「おいおいみんな。歴史遵守保護法。忘れちゃいないかい? ちゃんと算数をやるよ。ほら、坂口くんそのエッチな本しまいなさい。ああ、和田さん。授業中に化粧はしないで」


 先生もたいへんだな。まあ、オレ達だってまた小学生をやる羽目になってうんざりしているのは確かだ。歴史遵守保護法のおかげで、小学生からやり直しだなんて正直面倒くさいし。


 そして、昼休み。


「でさ。うちの子もアレルギーがひどくて献立考えるのたいへんだったのよねー。姑と二世帯住宅だったから、ほんとストレスで」


「わかるー。幼稚園の送り迎えとか子供の面倒みてくれるのは助かるんだけどねー。基本、邪魔。旦那も本当、自分の母親には弱くてさあ」


「小学生の会話じゃねーだろ、それ……」


「あ、田中くん」


「え、何?」


 クラスメイトの女子に声をかけられ、振り向く。


「寝ぐせ、直ってないよ。直してあげるね」


「あ、ああ。うん。ありがとう」


 女子は女子で、すごく楽しそうだ。女子の多くは結婚して出産を経験しているからか、男子を見る目が温かい。当時のオレの記憶では、『男子ってバカね』とかよく言われてた気がするが。


「お前、優子のパンツ見たか? 体は小学生のくせに、めっちゃエロいのはいてたぞ」


「マジかよ。ていうか優子。昨日隣のクラスの奴と放課後、屋上でヤってるとこ見たとかいう奴がいたぞ」


「お前ら、エロいことしか頭にないのかよ。ちょっとは株の話とか政治に興味持てよ。今の内閣総理大臣、橋木総理なんだぞ。これからこのカオスな日本のかじ取りをどうするのか、興味ないのか?」


「こっちも小学生の会話じゃねーな」


 昼休みはカオスだった。男子は給食にビールを持ち込む奴がいたり、女子に牛乳をお酌させる奴もいる。女子は女子で、けっこうグロい話をしていたり、大人しい男子を捕まえて遊んでいたりする。


 そんな中、西沢だけは蚊帳の外にいるような異物感を放っていた。


「みんな、おかしいよ……」


「え?」


「みんな、おかしいよ!!」


 突然西沢は立ち上がると教室の扉を乱暴に開けて、呆気にとられているオレたちにこう言い放ったのだ。


「気持ち悪い」

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