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失われた20年

 今のオレを一言で言い表すならば、底辺だ。来る日も来る日もサービス残業とクソ上司の罵声。30過ぎて彼女もいない。


 いつからだろうか。未来よりも過去に思いを馳せるようになったのは。一体何のために今自分が生きているのかわからなくなる。生きるために働くのではなく、働くために生きている自分に何の疑問も抱かず、ただただ時を消費していくばかりの日々。


 オレは間違えたんだ。もっと勉強して、もっと友達を作って、ちゃんと異性と向き合っていれば、こんなバッドエンドルートな人生を歩むはずがなかった。


 やり直したい。なあ神様。オレにもう一度チャンスを与えてくれよ? もう一度チャンスをくれれば、もう間違わない。今度こそ成功するよ、オレ。


「はあ……そろそろ帰るか」


 オレはオフィスの端っこのデスクでひとり呟くと、スマホの画面を見た。時刻は午後23時。ぎりぎり終電に間に合う時間だ。


 一応定時の18時で退社ということになっているので、5時間のサービス残業ということになる。つぶれちまえよ、こんなブラック企業。まあ、つぶれたらつぶれたで、オレに待っているのはハローワーク通いの日々なんだが。


「労基に訴えてやろうかな」


 それが最近のオレの口癖だった。エレベーターに乗ってスマホをいじっていると、rineに登録していた地元の同級生が、笑顔で子供とダブルピースしている写真を発見してしまい、なんともいえない気持ちになる。


「そっか。進藤の奴、真田と結婚して子供もいるんだ……」


 ずいぶんと疎遠になっていたけど、そうか……あいつが。しかも、相手の女性はクラスのアイドルだった子だ。それに比べて、オレは。


 終電に飛び乗り、車窓を眺めながらこれから先のことを少し考えてみた。けれど、どうにも明るい未来というのは期待できない。未来に期待できないのなら、過去を変えるしか……ないんじゃないか。でもそんなことはどだい不可能なことだ。


「やってらんねえぜ。こんな人生……」


 帰宅するとオレはコップ一杯の焼酎を一気飲みし、そのまま布団に潜り込んだ。頭では新しい朝が来るのを恐れているが、体は簡単に睡魔に屈してしまう。


 ……ああ。起きたら子供のころに戻ってないかな。あの頃は本当、無邪気でよかった。何も考えずに毎日をただ楽しく生きてたあの頃が……。


 そして、次の朝。


 布団から抜け出て時刻を確認しようとするが、スマホがどこにもない。それどころか、何故かオレは実家の自分の部屋で寝ていた。


「あれ? 確かオレ、自分の家で寝たよな? 何で……って、なんだこれ!?」


 声が高い。まるで女の子のように。まさか、女体化!? 


「じゃ、ないな。ちゃんと男だ。ていうか、子供みたいに小さいぞ、オレ」


 ふと周囲を見渡すと、処分したはずの学習机があってその上には黒いランドセルがあった。そしてまたまた何故か、捨てたはずの20年前の少年漫画が本棚に収まっていた。るろにう剣心……マキパオー……爆走兄妹レッツ&ゴー……なつかしい!!


「まさか。これって?」


 カレンダーを見ると……そこに表示されていたのは、1996年の4月。20年前だ。この子供のように小さい体と20年前のカレンダー……まさか? マジなのか?


「これって、もしかして……タイムリープってやつか??」


 そう考えれば合点がいく。20年前のオレの体。そして、オレの持ち物。オレの意識は時間を遡り、20年前の自分に宿ったんだ。


「やり直せる! 勉強も! 人間関係も!!」


 どうしてこうなったのかなんて、どうでもよかった。ただ、やり直せるんだという実感だけがオレを有頂天にしていた。


「そうだ。学校行かなきゃ! 96年っていうと、オレ。小学4年生だ! 小4かー……若いな」


 嬉々として子供部屋から出ると、起きたばかりの母親と目があった。20年も若返っている……30歳ぐらいかな。昨日までの自分と同い年くらいの母親を見るというのも、なんだか奇妙な感じではある。だがこれこそが、オレがタイムリープしたという証なのだ。


「あ。お母さん、おはよう!」


 母はオレを見るなり、目を見開き驚いていた。ああ、そっか。まだ6時だ。オレ、小学生のときは7時半くらいに起きてたんだっけ。社会人になってからは6時に起きなきゃなんないから、習慣になってんだよな。


「あんた、いつの間に帰ってたの? 帰るならメールくらいいれてよね」


「え? 帰るって?」


 待て。今メール……って、言ったよな? 手紙のことか? 1996年ていったら、まだ携帯どころかポケベルの時代だ。でもだとしたら……何のメールだ?


「今日、会社休みなの? あんたももう30なんだから、そろそろ結婚してお母さんを安心させてよ。ってあら。あんた背縮んだ?」


「何言ってんだよ、母さん。今は1996年。オレ、まだ10歳……だろ?」


「お、おい!! 母さん見てくれよ!! 俺の頭がふさふさだ! ほら!」


「親父?」


 親父が勢いよく階段を駆け上がってきて、自分のふさふさした頭を愛おしそうになでていた。そういえば、親父の頭が砂漠化したのって15年前くらいだから、この頃はハゲてなかったんだな。


「ああ、信じられないよ~。55でまた毛がこんなに生えてくるだなんて~」


「え? 親父、まだ35歳……だろ?」


「あれ。裕太? お前いつのまに帰ってたんだ。会社は有給でも取ったのか?」


 ちなみに裕太はオレの名前。田中裕太がフルネームの、しがない30歳社畜だった。昨日までは。


「なあ親父。今年、何年だ?」


「平成28年じゃないか」


「西暦で言えよ! 和暦なんて普通つかわねーだろ!」


「えっと、2016年だよね? 母さん」


「2016年!?」


 バカな。もしかして、タイムリープしたのはオレだけじゃなくて、オレの両親もなのか?


「テレビ! テレビのニュース!」


 オレは急いで階段を駆け下り、リビングのテレビをつけた。今や懐かしいブラウン管テレビは砂嵐を映している。どのチャンネルもだ。


「故障かよ! こんな時に!」


 しかたなく玄関を開け郵便受けから朝刊を抜き取ると、オレは日付を確認してみた。


「1996年4月8日。やっぱりそうだ。今日は、20年前の4月8日なんだ! じゃあ、オレの家族だけタイムリープしたのか……」


 朝刊を手に確信を深めていると、子供の声が聞こえてきた。隣の家からだ。


「なあ、いいだろ?」


「だめよ。だってあたしたちの体……まだ子供じゃない」


 何だと思っておそるおそる塀から身を乗り出してみると、小学校低学年くらいの男の子と女の子が抱きしめあい、キスをしていた。ガキのくせに何やってんだ。


「そろそろ二人目が欲しいって言ってじゃないか。なあ?」


「この体じゃ妊娠なんて無理よ、生理始まってないんだもの」


 なおも男の子は女の子に迫り押し倒すと、ズボンを脱いで女の子のスカートをめくろうとした。


 って、あいつら。そうだ。小4の時同じクラスだった進藤歩と真田京子じゃないか……確か、結婚してたんだっけ。昨日の夜rineで見たんだった。じゃあまさか、あいつらもタイムリープを?


「やめてよ!! こんな時までエッチなことしか頭にないの? 自分の体が子供になったっていうのに!」


「だからだろ!? 若返った嫁とヤリたいって思うじゃないか!!」


「あんたって、本当最低!! そんな小っちゃいのじゃ満足なんてできないに決まってるしょ!!」


 にしても、すげえ会話だな。子供の声でそんなセリフの応酬は。


「はあ、はあ……いいだろ?  俺たち夫婦なんだから!」


「いい加減にしろって言ってんでしょが!」


 真田は進藤の頬を思い切りビンタした。パン!! と、すがすがしい音が春の朝空に響き渡ると同時、進藤は泣き出していた。


「な、なにすんだよ~!」


「ふん。男のくせにすぐ泣いちゃって、なっさけない! あんたなんかと結婚するんじゃなかったわ!」


「だって俺子供のころ。すごい泣き虫だったんだよ~!! ママー!!」


「歩ちゃん! 大丈夫!?」


 家から進藤のお母さんが出てきて、進藤をぎゅっと抱きしめた。


「京子さん、自分の夫に暴力なんか振って! 歩ちゃんがかわいそうだと思わないの!? 歩ちゃん、こんな女とはもう離婚しなさい。歩ちゃんにはもっといい女がいるわ。ママが探してあげるから」


「96年だとまだ結婚すらしてないわよ! もういいわ、さよなら! 実家に帰らせてもらいます!」


 小学生の女の子とはとても思えないようなセリフを吐いて、真田京子は外に出た。うーん。相変わらず気が強いなあ、真田は。結婚して母親になって、ますます磨きがかかったというか。


 とりあえず、真田京子にも話を聞いてみたい。本当に彼女たちもタイムリープしているのか確かめないと。


「あ、あの。真田さん……だよね?」


「え。もしかして、田中くんの? やだ! 可愛い!!」


 真田は目を見開き口元を押さえると、オレに駆け寄りいきなり抱きしめてきた。


「ちょ、ちょっと!?」


「小学生のころの田中くんって、マジ可愛いー! うちのダンナとは大違いだわー! ねね、いつ地元に帰ってきたの!? 結婚はしてるの!? 仕事は!? どこに住んでるの!?」


「ちょ! 苦しいって! 真田さん!」


「あ、ああ。ごめんごめん! つい嬉しくなって!」


 真田はオレを開放すると、深呼吸して少し照れくさそうに頬をかいた。ポニーテールの髪と、小学生の女の子らしいピンクのスカート……そこにいたのは、20年前の真田京子。オレの記憶にある少女のころの彼女だった。


「ねえ。あたしまったく理解できないんだけどさ。これってみんな若返ったってこと?」


「さあ。オレもまだよくわからないけれど……たぶんタイムリープじゃないかなって」


「タイムリープ? 何ソレ? おいしいの? 焼酎のつまみに合う?」


 真田は頭より体を動かす方が好きな女の子だったな、そういえば。


「えっと。説明がちょっと面倒だから……ググってみて?」


「あたし、スマホもってない!」


「あ。そか。この時代じゃネットで調べものなんてできないんだった。えっとね。ようするに、30歳のオレらの記憶が10歳のオレらに宿った……ってところかな?」


「マジ!? それヤバいじゃん!」


「う、うん。ヤバい……ね」


「じゃあさ、琴美も優子も由香も、みんな大人の記憶もってるのかな!?」


「だと、思う……もしかしたらオレたちだけかもしれない可能性もあるけど、ね」


 そうなんだ。一体、タイムリープしたのはどこからどこまでの範囲の人なのか。オレの家族だけなのかと思っていたら、もしかしたら地元全員……いや、県内。それとも……日本中?


「学校行ってみない? ひさびさに同級生でさ、同窓会しようよ! 橋本の奴さ、すっごい禿げてて。陽子とか昔すっごい地味だったのに、超美人になってんだよ! 見たら驚くよ~!」


「へえ。そうか。橋本、禿げてるんだ。でもたぶん、もう禿げてないだろうけど。それはともかくとして……もし日本中の人が全員タイムリープしたのなら、たいへんなことになるよ」


「え、どして? みんな若返って、みんなハッピーじゃん!」


「オレたち、また同じ歴史を繰り返すの?」


「へ?」


 真田は頭の上にめいっぱいクエスチョンマークを浮かべてオレをぽかんと見ていた。


「それって、なんかのドラマのセリフ? なんかかっけーね!」


「いやいや」


 オレ一人のタイムリープなら、世界にさしたる影響はないだろう。けれど、もし日本国民全員が20年後までの記憶を持っているとしたら……オレたちの知っている2016年は訪れないことになる。最悪、歴史を改ざんしようとする奴が出始める。いや、すでにタイムリープした人間が複数存在する時点で、もうこれはオレたちの知っている1996年じゃない。


「難しいことはいいじゃん! あたしらは子供を楽しもうよ! そんでさ! 人生やり直すの! あたし、今度はもっといい男捕まえるんだ!」


「そういうポジティブな面もあるけれど……でも。もしかしたら」


 もしかしたら、オレの想像以上にやばいことになるかもしれない。2016年の記憶を持った人が、1996年に存在する。正確にはこれは、2016年『までに生きていた』記憶を持っていた人と考えることもできるんじゃないか?


 そして、20年前ってことは。


「ど、どうして。あんたが生きてるの?」


「え」


 通学路の途中で、ランドセルを背負った女の子が不思議そうな顔でこちらを見ていた。


「西沢。あんた、96年に……交通事故で死んだじゃない!!」


 西沢真帆。オレと小4の時同じクラスで、5月13日に交通事故で亡くなった……2016年の記憶をもつオレたちにとって、すでに死者だった彼女。


 そうだ。96年てことは、2016年までに死ぬ予定だった人々も今は生きている。そして、彼らに未来の記憶があるとするのならば……絶対に死を回避しようとする。そうなれば、歴史は大きく狂うことになるぞ。

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