魔女との邂逅
八つ当たり。いや、憂さ晴らしに近かった。
闇雲に大地を駆けていたらオーグルの残党を見つけた。結局のところ、彼等も同じ魔族であるから生かしてもいいかと思ったのだけど、なんだか村を襲おうとしていたから潰すことにしてしまった。
オーグルは醜く汚い。弱者をいたぶりながら喰らう魔族の恥だ。案外それは楽しいのかな、と思ったけど、彼等がやっていた事をやってみてもつまらないだけだった。
何も感じなくなった、と思っていたけど、つまらないというのはわかるみたいだ。
私は今、満月の下再び走り回っている。高く上った月から降り注ぐ不思議な力は走りたいと言う衝動を何倍にも強くしていた。
プロペディア領の景色が風のように過ぎて行く。険しい山脈、大きく裂けた大地、広い湖、いくつかの人間の町。初夏のプロペディアはたくさんの緑に包まれていて、それでいて涼しい風が流れるから過ごしやすそうだった。きっと冬は雪がたくさん降るのだろう。雪原は走ると雪が巻き上がるから好きだ。世界中、雪に覆われてしまったらきっと素敵だ。醜いものも汚いものもみんな覆い隠してくれる。
どこか草原の真ん中で遠吠えをしたい気分。だけど、私の遠吠えは辺り一面を氷付けにする力の引き金になっているから、吠える事はおろか声すらそうそう出せない。いくら氷の大地に近い場所だからって、勝手に草原を氷まみれにしたら人間も困るだろう。
何よりばれたら魔王に怒られる。数日かまわないの計は私的に一番きつい。
欲求不満ばかりが募ってくもどかしい夜。いっそのこと、オーグルじゃなくてヴァンパイアにでも会えれば楽しめるのだけど。色々な力が使えるヴァンパイアは戦っていて楽しい相手だ。ただし弱点も多い。
なんて事を考えていたからだろうか。
広い草原を駆けていた私は面白いものに出会った。
少なくとも、当時の私は面白いもの、と思ったし、出会ったというのも間違いじゃない。
ただ、本当は『面白いもの』じゃなくて『つまらないもの』で、『出会った』ではなくて『待ち合わせした』とでも言うような完璧で、しかし詳細を考えれば『出会ってしまった』と言うべき災厄でもあった。
最初に感じたのは匂いだった。なんだろう、不思議な、この世のものではないような不思議な香り。薬品のようで自然物のような、花のようで土のような、ミルクのようで違う何かのような、何を当てはめても否定される奇妙な香り。それを感じて、私は歩調を緩めたのだ。
そして見つける。丘の上に立つ、一人の少女を。
「はじめまして『ポルタ』さん。わたしは魔女です」
魔女。そう名乗った彼女は間違えなく魔女だった。
黒いとんがり帽子に襟を立てた黒いマント。カボチャをモチーフにしたワンピースに、手に持った箒。髪は肩に届かない長さのこげ茶色で、顔立ちはかわいらしい少女のもの。
姿も匂いも気になる事だったけど、何より気になったのは私の名を知っている事。ポルタ、という私の名を知っているのは魔王と一部の魔族だけだからだ。
少なくとも、人間には知られていないはず。なのに不思議と警戒心は出てこない。声をかけられなかったら素通りしたかも。
(なに、この子)
内心そう思った私に、彼女は微笑んで言った。
「なに、この子」
心臓が、高く鳴った。まさか、という直感はすぐに確信へと変わる。途端に湧き出た警戒心で全身の毛が逆立った。
「うん。わかるよ。あなたの考えが。それにすごく警戒してる。苛立ってもいる。いろんな欲望を全部何かにぶつけたいって思ってる」
対象の考えがわかる相手、というのはこれまで生きていて二人目だ。だから驚かない。最初はドラゴン族の賢者だった。
ぐるる、と唸って見せると彼女は箒を両手で握って、小さく頷いた。
「そう。わたしは魔族じゃない。人間。これから結ばれる条約を考えればわたしを襲うのはよくない。けど、大丈夫、関係ないよ」
関係ない? 何が大丈夫なのかな。
疑問は伝わったみたいで、彼女は柔らかく微笑んだ。
「わたしはわたしの独断で『あなたを殺しにきた』の」
私を殺しに。私を? なんで?
「理由なんていいんじゃないの? あなたは――いまのあなたはどうせ、命を奪う事になんのためらいも無いんでしょう? あなたを殺そうとしてるんだから、素直に襲ってくれていいんだよ?」
なんだか知った風だけど、むやみやたらに人間を襲うって思われるのは心外。
確かに私は人間をどこか見下してるかもしれないけど、考えなしに襲うわけじゃない。多少挑発されたからって飛び掛るほど愚かでもない。ましてや殺すなんて言って来る相手に。どんな罠をしかけてるかわからないから。
「うん。頭はいいよね。でも何もしてこないなら」
魔女は何もしなかった。
「殺しちゃうよ」
いきなり地面が爆発した。
衝撃と熱風が私を空に打ち上げ、痛みが全身を駆け抜ける。何があった? という思考はすっ飛ばして、体を捻って魔女を睨み付ける。
狙いを定めて短く咆哮。周囲に生み出された氷柱が勢い良く魔女に向かって行く。だけど彼女はよろけるように後ろに下がるだけで全ての氷柱を避けてしまった。辺りの草を凍りつけながら氷柱が深々と地面に突き刺さる。
そうしている間に私の周囲が再び爆発し、体があさっての方向に飛ばされた。バランスを崩したまま地面に叩きつけられ、転がってから起き上がると、もう彼女の姿を見失っていた。見えなくなっている、というより死角に入ったようだ。遮るものはほとんどないこの場所で身を隠す場所は決まってる。岩の裏か、心を読むものが見つけるという意識の死角だ。
姿は見えない。けど、近くにいる。私は匂いを頼りにおおよその方角を定め、そちらの方角へ少し強めに吠えた。
吐き出されたはずの音の塊は全てを凍て付かせる冷気となって草原を抜けて行く。冷気の弾が通った場所は真っ白に凍り付き、岩に当たって放射状の氷塊を生み出した。直撃してもその近くにいても無事ですまない攻撃だったのに、ほんの少しずれた場所に魔女は枯れ樹のように気配を消して直立していた。
そして、次の瞬間には私の足元が爆発している。まったくのノーモーション。ぎりぎりで避ける事に成功したけど、足を着いた場所から順番に爆発していった。
熱風が体に触れ、私は草原をじぐざぐに走り始める。
(噂に聞く魔女はこんなに戦う力をもっていないはずだけど…)
そもそも人間が魔法の力に目覚めたのが魔女。だけどその存在は今まで確認されていない。魔王の見立てでは結界を張って静かに暮らしているのだとされていたけど、そうだとしてなぜ今のタイミングで出てくるんだろう?
回避に専念しながら反撃の機会をうかがっていると、突然爆発が止んで彼女が口を開いた。この隙に、開いた距離を埋めに入る。
「和平条約を邪魔しにきたんじゃないよ。さっきも言ったけど、あなたを殺しにきたの」
いや、だから何で。
「あなたを殺すのが目的だから」
意味がわからない。
そもそもなんで魔王じゃなくて私なのだろうか。普通、殺すなら魔王のほうだと思う。単純にそのために邪魔だというならわかるけど、それだったら理由が『魔王を殺すため』になるはず。
私が死ぬ事に意味がある?
「そうね」
あと一息のところで爆発が始まった。魔女から遠ざけるように、壁を作るように始まった爆発に、進路を変更無理やり変更させられる。
「ポルタ、という狼が死ぬ事に意味があるの。だから、死んでほしいな」
……やだよ。
地面が円形状にえぐられた草原を走りながら、何度か冷気弾を打ってみる。その度に彼女は数歩移動するだけで避けて見せて、私の周囲を次々と爆破していく。そのうちのいくつかは私の体に直撃し、自慢の毛並みに血が滲み始めた。連発してくるってだけで厄介なのに、その上威力もある。発生した熱は大したことないけど、衝撃は確実に体を揺さぶってきた。至近距離で爆発するとまるで巨人に殴られているかのよう。
でたらめだった。
けど、でたらめなのは私もだ。受けた傷はものの数秒でふさがってしまう。これは魔王と契約してその力の一端を与えられているからだ。契約するときに魔王がどれだけ自分の力を対象に注ぐかで性能が変わってくるのだけど、私は魔王の半分の力を注がれている。その分、私の力が半分魔王に与えられているのだ。
とはいえ、満月の今、無限に体は回復できるけど、頭を揺さぶってくる衝撃だけはそうもいかない。脳というか、精神を直接揺さぶられる感じ。少し、目が回ってきた。
(一撃で首がとられないなら、いくらでもやりようがある)
このままだとジリ貧だ。私の攻撃はまったく届いていない。走るのは私の常套手段だけど、ここはスタンスを変えないと。
下顎のすぐ近くで爆発が起こり、後ろへと吹き飛ばされた私は空中で三度爆発の衝撃に体を打ちのめされ、それでも宙返りをしながら四本の足で強く地面を叩いた。
その瞬間、私を閉じ込める形で氷塊が生まれた。氷の盾だ。すぐに爆発で外側からまるでアイスピックを付きたてたように壊されていくけど、問題ない。その間に傷を癒し、おすわりの姿勢で息を整える。
細かい技は避けられるし、近寄ることは無理。なら、大技で一気に攻め立てるしかない。
幸い、今宵は満月。普段使ったらその場で倒れてしまうような大技だって許される特別な夜だ。彼女も本当に運が悪い。
爆発に対してはある程度強い氷塊だったけど、魔女も方法を変えてきた。突然私を囲うように炎が巻き起こり、巨大な炎の竜巻になって襲ってきたのだ。
よほどの熱風なのか、せっかくの氷がみるみるうちに溶けて行く。竜巻の中に閉じ込められ、ついに氷が無くなり炎の熱と体から溢れる冷気がぶつかり始めた。まだまだ。力をためなきゃいけない。体を纏う冷気が熱気に負け、毛先が焦げ始めた。炎の輪が縮まっていく。あと少し、あと一秒。
よし。
肺が焼かれるのを覚悟で大きく息を吸う。熱風が体内に入り込み喉が焼ける。それでも必死に息を吸い、姿勢を正したまま空に向かってありったけの力を解き放った。
『アオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォ―――――…ン』
目を閉じて思いっきり出した声は間延びして消えて行く。息を搾り出すたびに波紋のように広がった私の力は、足元に巨大な氷の魔法陣を生み出した。すぐにバキバキと激しい音を撒き散らしながら辺りを氷の波が押し寄せる。
竜巻を象っていた炎ですら一瞬でかき消し、草原の端まで広がって短い時間で辺りを凍らせた。さっきまで穏やかな草原だった場所が、氷の精霊に支配される私の王国に変わり果てていた。
地面にいたものは例外なく凍り付く、私の最大の力。戦場で使えば万の兵士すら仕留めるこの技でも、あの魔女は仕留められなかった。
だって、あの魔女は箒に乗って空に浮いている。
「いっっッたぁ……!」
余裕ぶっていた彼女からそんな声が聞けた。うれしい。
箒に横座りして空に浮いている彼女だけど、右足が綺麗に凍り付いていた。芯まで凍り付いているはずだから、すぐに手当てしないと凍傷で腐れ落ちるだろう。それに、衝撃にとても脆くなってる。
「うぅ、やっぱりフェンリル相手にするのはしんどいなぁ…」
彼女が懐から杖を取り出すのを見た。戦意がまだあるみたい。なら、さらに追い込むしかない。
次の攻撃の準備はとっくに終わってる。ここからが、本番。
「ん? あ! そっかこれってアレか!」
魔女が慌てたように私の近くを爆発させた。気付かれた。でも遅い。
私は自身で作った氷の上を走る。すると、私の通った場所から不規則に太く鋭い氷の柱が空に向かって突き出ていった。鋭い枝を伸ばしながら空へ空へと伸びていく氷の樹。最初は魔女を囲うように伸ばしたそれも、私の意志を伝播して凍りついた草原全体を埋め尽くすべく広がって行く。ある程度伸びたところで柱はまるで冷気で成長する植物のように、広く枝を伸ばし始めた。
今や氷の草原は氷の森へとなっていた。
「あー…これは、やばいか――なッ!」
空中を漂っていた魔女を上から襲撃。おしい、掠っただけ。
氷の樹が乱立した森は私が自由に走り回るには最高の環境だ。濃い水色の氷塊は姿を隠すのに最適だし、枝に実る氷の雫は触れるだけで対象を凍らせる呪いが篭ってる。そして何より、氷の森は成長を続けて相手の動きをゆっくりと制限していくのだ。戦場では味方すら巻き込むから滅多に使えないし、満月じゃなきゃもう倒れてる大技。今も結構きついけど。
「まずいまずいッ!」
魔女は氷の森を飛び回り始める、そこには危険しかない。鋭い氷の枝はもちろん、降り注ぐ雫は触れた場所を凍らせる毒の雨だ。雫に混じって氷柱が落ちてくるのは、氷の精霊が悪戯してるから。今頃、魔女は雨の森を飛び回る蝿の気持ちを味わってる。
「う、わ……」
雫によって箒の柄を凍らされた魔女が青い顔をした。さらに、彼女の眼下では冷気の塊で出来た狼の群れが次々と生まれては追って来ている。あれは私の敵意に精霊が形を成したもの。彼等は倒木を表す氷樹から枝を伝い、獲物に喰らいつかんと走ってくる。
森での狩りは始まっていた。狼の狩りはとても厄介なのだ。
魔女は近寄ってくる個体を杖の一振りで炎に包み込む。一瞬で対象を火達磨にするそれは恐ろしく強力で、一匹だけじゃなく十匹単位で丸焼きにしていた。しかもその炎に触れるとすぐに燃え移る。威力も範囲もある厄介な攻撃ではある。残念なのは冷気の狼は私が相手を敵視してる限り無尽蔵に沸き続ける事だ。
そうこうしているうちに、魔女の行く先では氷の森が格子状に枝を伸ばして巨大な檻を完成させていた。魔女は杖を振るい氷の網を溶かそうとしたけど、満月の力で強化された氷はいかに強力な炎でも溶かせなかった。
氷の森の高い場所から見物をしていた私は、徐々に追い詰められていく魔女を見てにやにやしてしまう。殺す、などといっておきながらなんてだらしない。このまま冷気の狼に襲わせて氷付けにしてみようか。でもまぁ、無力化して色々聞くのが大切。
私は魔王直属のフェンリル。護衛でペットで、軍狼でもある。
冷気の狼はついに魔女を取り囲んだ。魔女は忌々しげに数匹を燃やしたけど、枝から生まれてくる狼は数を増やすばかり。おまけに帽子やマントの一部は降り注ぐ氷の雫にあたって凍り付いている。何本か氷柱も刺さってた。
見上げた彼女が本体の私を見つけた。
(降参して素直に目的を話すなら許す)
心を読んだはずの彼女はきっと強く睨みつけ、それから子供みたいにべーッと舌を出した。杖を振ると、彼女を守るように紅蓮の炎が巻き起こり綺麗な球体を作り出す。
篭城でもするのかな、と思っていたら、炎の球はすぐにはじけてしまった。後には何も残らず、魔女の骨すら残ってない。自殺ではない、逃げたのだ。
鼻を鳴らして耳を澄まして相手の存在を探るけど、何も感じない。瞬間移動くらい驚くことではないけど、人間が普通に使っていい技術ではなかった。
氷の森は私のテリトリー。ここにいる全ての気配を意識するだけで感じられるのだけど、生きているものは何もいなかった。
やるだけやって、逃げられた感じ。
(魔王なら何か知ってるかな?)
さっきの魔女は明確に私を狙っていたけど、一人であれだけの技術を持っているならかなり厄介だ。あれ、独断って言ってたっけ? でも、なんにしても和平条約の邪魔をしてきたらかなり面倒。
散歩は中断。私は氷の森を降りて急いで魔王の下へ行く事にした。
目に見えない精霊たちはなんだかここを気に入ってしまったみたい。しばらく、この草原はこのままかも。