これから生きる世界
ぽっかぱっかとロバが進む。揺れる背中で揺れる少女は、ずいぶん長い事呆けてた。ぽかんと口を開けて目を丸くしたまま、バカみたいな表情で。
うん、私のことだ。
山の様子は広葉樹から針葉樹の森へと変わっていた。下草も少なく、どこか冬の森を思わせる閑散とした景色。目立つのは大きな岩くらいで、高い樹に日が遮られて薄暗く湿った空気に満ちている。山間みたいでろくに日が差さないみたいだ。
「なぁ、ポルタ。大丈夫か? 魂の抜けた顔してっけど」
アーデインが手綱を引きながら心配そうに見上げてくる。私は「うーん」と間延びして唸った。
「昔の事おれっちがどうこう言ったってしょうがないけどさー……今をどうするか考えた方がいいんじゃねーの?」
彼の言う通り、ではあるのだけど、少なからず、私はショックを受けてる。
だって、千年。千年もあれから時間が経ってる。口で言うとずいぶん軽く聞こえるし、五百年生きてた奴が今更? とも思うわけだけど、だからこそ千年という月日の重さが実感できるもの。
千年は地形が変わるには十分な年月だ。情勢は言うまでもないし、魔族でも何事も無く生きていられるのは、聖域で眠りこけて傍観しかしないドラゴン族くらいだ。私が知っている世界は、地形や国、知り合いの一人もいない別のものになってしまったと言ってもいい。
それはひどく寂しい事だった。慣れ親しんだ、我が物顔で大地を蹴っていた世界がなくなってしまった。そう思うと胸が苦しくなる。そんなに感情的な奴じゃなかったのに、人間になったからか、肉体が一度死んだからか、理由なんてどうでもいいけど感傷に浸らずにはいられなかった。
アーデインにはまだ、私が元魔物で、しかもフェンリルだったなんていうのは話してない。この話をすると、魔王について聞かなきゃいけないからだ。
千年。魔王や魔族がどうしてたなんて、自分から聞く覚悟はない。
けど、聞かないといけない。たぶん、私が最初に知らなきゃいけない世界の事だ。
「……ねぇアーデイン」
「ん、あ、ちょっとまってくれ。おーい!」
せっかく勇気を出して聞こうと思ったのに、このゴブリンときたら誰かに手を降り始めた。所詮ゴブリンか……。
前を行く彼の視線の先を見れば、そこにはただでさえ細い道をいっぱいに使って坂道を降りてくる馬車がある。引いてる荷台は幌付きの物で結構立派なものだった。
数名の護衛を連れている一台の馬車は、アーデインの呼びかけに気付いたみたいだ。私達は道の脇に避けていたけど、彼等は少し通り過ぎたところで馬車を止めてくれた。
一行の顔を見て、私は少し――いや、かなり驚いた。
(人間…だ)
馬に乗った護衛含めて、四人の人影は全部人間だった。男三人、女一人。唯一の女性と思われる護衛の一人が、馬を反転させて近寄ってきた
彼女は背の低いロバに跨った私と人懐っこい笑みを浮かべるアーデインを交互に見下ろし、静かで冷徹な声でたずねた。
「ゴブリン風情が人間を連れてどこにいく?」
とでも言ってくれたらしっくり来たけど、予想を遥かに超えた言葉を彼女は優しい声で紡ぐ。
「こんにちは旅の友よ。何か困りごとですか?」
静かだけど微笑みながらそう言うものだから、私は目を丸くして固まってしまった。けど、帯剣した鎧姿の彼女にアーデインはまったくひるまずに言う。
「へへへ、悪いね呼び止めちまって。聞きたいんだけど、あんた達商人か何かかな?」
「私達は冒険者ですが、荷の持ち主はそうですよ。何かご入用ですか?」
そこでようやく彼女は馬を降りた。近くなった彼女の視線はアーデインに向いていたけど、そこに侮蔑やそれに類する念は一切ないみたいだった。まるで、同族に語るような目。
それは身長差から彼女を見上げるアーデインも同じだった。
「まぁね。あのさ、あったらでいいんだけども、売りものの中に女物の服とかいろいろない? よかったら少し売ってほしいんだけどもさ」
「服ですか……どうでしょう。荷物は決まった数納品すると聞いてます」
「そっか…いや、無茶言ってるのはわかってるけど、そこを何とかしてくれないか? 金は二倍でも払うからさ」
アーデインが私の方に振り返る。視線を追って、彼女も私のほうを見た。それから髪の毛の先まで観察されて、居住まいを正してしまう。
そして、納得したみたいだ。あれ……何を?
「彼女、もしかして…」
同情するような声に、アーデインまで声を低くする。
「あぁ。可哀想なやつなんだ。なんとか頼めないかな…」
……うん? うん。何が可哀想なのかな。どうしてかわいそうなのかな? 護衛の人も絶対勘違いしてるよね? アーデイン?
「わかりました。とりあえず持ち主に聞いてみましょう。なくても、私がなんとかしますよ。お待ちください」
「ありがとう。恩に着るよ」
馬の手綱を引いて仲間の元へ戻ってく彼女。他の護衛や馬車を駆っていた人に彼女が何やら話し始め、それぞれから同情する視線が飛んでくる。
「……あーでいん」
「うん? あ、そういやさっきなにか言いかけてたっけ。なん……だ?」
あまり首を動かさないで目だけで見下ろす。アルビノゴブリンの顔が凍りついた。今だけ魔狼の目と雰囲気に戻ってる。確信がある。魔狼だったら足元が完全に凍結してる。
「……今朝やった事おぼえてないの? あんまり『されてない事』を誰かに言うのはやなんだけど」
「――い、いや。おれっちは事実を言ってるだけでさ……あっちが勝手に勘違いしてるだけだって」
「うん、そうだけど、恩人だからって、調子乗ると、おいしそうな鼻とか噛み千切るよ?」
八重歯を剥いてみせると、アーデインの頬に汗が一筋流れて、視線をそらした。追い討ちをするように私は言う。声も低く、冷たくする。
「わかった?」
「…………ひゃい…」
うむ、それでよし。喉もいい感じに使い方がわかってきた。
アーデインは恩人だし、私にとって今唯一頼りにできる相手なわけだけど、だからといって怒っちゃいけないルールは無い。むしろ、怒るときは怒らないと調子に乗りそうだ。ゴブリンってそういう種族。
それはそれとして。
話し合いはまだ続きそうで、その間に私は一番の疑問を彼に聞く事にした。
「ね、アーデイン」
「なんでございましょうポルタさま」
…あぁ、私の知ってるゴブリンがそこに。なんだか落ち着く。いや、じゃなくて。
「そのことはもういい。それより、あの人達は人間、だよね?」
「は? あぁ、まぁそうだわな。ミームやゴブリンにゃ見えないわ」
ミーム? なんだろうそれは。ワームの変種? うん、だからそうじゃなくて。
「だから。あの、あなたはゴブリンで、彼女達は人間だけど、その、なんともないの?」
眉間にしわを寄せて何を言ってるんだこいつはみたいな顔をしてたけど、アーデインはしばらく考えた後、手槌を打って、また首を傾げた。
「……ねぇ」
「あ、いや、わりぃ。ポルタの言いたい事はわかったよ。でも、ポルタだって人間じゃん」
そういえばそうだった。アーデインは当たり前に言う。
「別に大したことないじゃん。今更何言ってるんだ?」
それは本当に、私の質問の意味を理解できてないみたいな言い方だった。その事に、今度は私が首をかしげる番だった。
二人で疑問符を一杯頭に浮かべてると、さっきの女性が戻ってくる。
「お待たせしました。幸い、商品の中に女性用の衣類がいくつかあるようです。本当は納品するものですが、事情が事情ですので特例で売ってくれるそうですよ」
「ほんとかい? いやぁ助かるよ!」
喜ぶアーデインに頷き、彼女は私に優しく微笑んだ。その柔らかい笑みに、思わず頭を軽く下げてしまう。
「それではこちらにどうぞ。いま、用意しますので」
馬車の方では護衛の手によって荷物の一部が降ろされ、木箱が開けられようとしてた。そこでようやく私は、アーデインが私に服を買ってくれようとしてるのを思い出した。
「そっか服…いいの?」
「いいよこれくらい。腕のいい冒険者ってのは稼ぎもいいんだ。それに落ち込んでる女には贈り物って言うの常識さ。あ、そうだ。その代りに服を選ぶのは任せてくれよ。おれっち、結構他人の服選ぶのは得意なんだぜ?」
ようやく服の入ってる木箱が出たのか、恰幅のいい男が手招きしてる。アーデインは得意そうな顔のまま走り出し、主人を追いかけるようにのろのろとロバが歩き出した。
護衛の女性とすれ違う時、彼女はまだ同情するような目で私を見てた。誤解、なんだけどなぁ。




