恋とか愛とか考えるには、僕らはまだ幼すぎるのかもしれない
恋愛感情らしいものはあまり持ってこなかった。
イケメンは目の保養であって、それ以上も以下もない。
ましてや付き合いたいとか、そんな大それたことを考えるはずもなく、遠くにある綺麗なものを眺めているだけで十分なのだ。
別に毎日連絡を取りたいなんて思わない。
毎日会いたいとは思わない。
貞操観念は強く固く、健全なお付き合いをするべきだと思う。
だって最近の若者はそこら辺があやふやだから。
手を繋いで登下校とか、好きとか言い合うのも、未来を約束するのも、特に欲するものじゃない。
強いて言うなら、一緒にいて欲しい時に隣にいてくれればいいだけ。
全てを受け入れろ、なんてことは言っていない。
ただ支えが欲しい時に、隣にいてくれるだけでいいのだ。
因みに、そんな感情は意外と他の人には認められなくて、それは恋人と言うのか、という疑問を逆にぶつけられたこともある。
そこは私も聞きたいところだ。
恋人の絶対条件とは一体何なのだろうか。
「あのさ」
突然かけられた声に、のんびりと顔を上げる。
完全に自分の世界に入っていたようで、いつの間にか日誌を書く手も止まっていた。
終わらせなきゃ、帰れないんだけどなぁ。
「……あぁ、部活、行ってもいいですよ」
同じく日直のクラスメイトは、私の目の前の席に座って、私の顔を覗き込んでいた。
彼は部活動生で、私は帰宅部なので、放課後の時間の使い方がだいぶ違う。
部活によりけりだとは思うけれど、部活が始まってるのではないだろうか。
そして遅刻をしたら怒られたり、練習メニューを増やされたりするのではないだろうか。
そんな心配をしている私を他所に、目の前の彼はそうじゃなくて、と言うように首を振る。
じゃあ何だろう。
あまりにも書くのが遅いから変われとか、そういうことだろうか。
カチカチとシャープペンの芯を出しながら、日誌の空きスペースを見つめた。
「今、彼氏とかいるの?」
「はぁ……いや、いませんけど」
予想していなかった問いかけに、時間をかけて目を見開いてから、ちゃんと答える。
そうすると目の前の彼は、あからさまにホッとしたような顔になり、そっか、と言って笑う。
人の好意には鈍感と呼ばれる私だが、流石にそんなにあからさまだと分かる気がする。
私の何かが引っかからないから、彼に悪意があるとは思えないし。
その代わり何を考えているのかは、正直分からない。
ただ、何となく恋愛感情を理解し切れない私は、気付かないふりを決め込んで、日誌の空きスペースを埋めていく。
そんな私の手元をガン見する彼に、もう一度「部活、行ってもいいですよ」と言うけれど、それを受け入れることはない。
見られていると集中出来ないのだが、彼はそれを分かっているのだろうか。
いや、分かってない。
目の前の彼は私の基準で言っても、クラスメイト達の基準で言っても、イケメンだとは思う。
少し猫っぽい目も、全体的に色素の薄い髪や瞳の色も、高校生の割にしっかりした筋肉や170センチを超える高身長も、世の中の人達がイケメンの定義に入れるであろう要素を持っている。
性格は、そんなに喋ったこととかもないので、断言は出来ないが、優しいとは思う。
少なくとも、日直の仕事で荷物を運ぶ時なんかは、率先して重いものを持ってくれたし、黒板を消す時も高い所を消してくれた。
まぁ、普通とか当たり前のことだと言われてしまえば、それまでだとは思うけれど。
「ねぇ」
「何ですか?」
「付き合わない?」
ポキッ、とか細い音を立ててシャープペンの芯が折れた。
私はそれを眺めながら、彼の言葉の真意を読み取るために繰り返してみるが、やはりと言うかなんと言うか、分からない。
答えの出ないまま顔を上げれば、やけに真剣な顔をした彼がいる。
少なくとも私達は友達でも何でもない。
ただの普通のクラスメイトで、会話の内容も業務的なものが多いはずだ。
ならば、何故。
一度口を開けては閉じてを繰り返しながら、彼に向けるべき言葉を探す。
ごめんなさい?宜しくお願いします?何で私なの?どこが好きなの?
グズグズと頭の中で跳ね回る疑問符付きの言葉達。
ちょっと待ってよ、なんて口の中だけで呟いて頭を抱えた。
「あの、私は正直人を嫌いになるのが早いです」
「……まぁ、好きになるよりは簡単だよね」
否定はせずに頷く彼。
そうだ、好きになるのは意外と難しい。
どうしたって苦手意識を持っていたり、生理的に、なんてこともあるから。
だけど嫌いになるのは一瞬だ。
「ベタベタするのも好きじゃないですし、毎日会うとか連絡取り合うとか、正直面倒じゃないですか」
「あー、それは分かるかも」
くしゃりと笑う彼は、部活に忙しい、むしろ部活中心に学生時代を過ごすタイプだろう。
だから余計に付き合うとか好きとか、程遠い場所にあるような気がする。
だが、きっとそれは私の中でだけだあって、彼だって年頃の男の子だから、そういうのはあるんだろう。
「ただ、支えが欲しい時に隣にいてくれるだけでいい人がいいんです。隣が落ち着く、居場所になる人」
カチカチカチカチ、無意識にシャープペンをノックし続けていて、するりと芯が取れて日誌の上に転がる。
彼は静かな目で私を見ていて、うんうん、と頷きながら聞いてくれた。
言い終えて、視線を落とせば彼が「最後の恋とか、良いよな」と呟く。
しかし、最後の恋どころか、最初の恋すら始めていない私には、全く分からない話だ。
眉を寄せていたのだろう、彼が手を伸ばして、私の眉間に人差し指を置く。
ぐりぐりとシワを伸ばすようにして小さく笑う声がした。
「書き終わった?」
ハッとして日誌の空きスペースを見る。
あと一つ、何か一言書く欄だけが埋まっていない。
慌てて筆箱の中にあるもう一本のシャープペンを取り出すと、それが彼の手に抜き取られる。
彼を見れば、にっこりと笑って「書くよ」と言う。
あぁ、と手を下ろして、日誌に文字を書き付ける彼を見つめる。
どうしてこうなった、なんて自問自答してみても、その答えは出ないし、きっと誰もくれない。
目の前の彼はきっと笑うだけだ。
夕日の差し込む教室は、オレンジ色に変わり、彼も私もそれ色に染められる。
二人しかいない教室には、彼が日誌を書く音とほんの少しの衣擦れの音と、時計の針が時間を刻む音が響く。
とろとろと溶けるような時間の中で、彼は書き終えたのであろう日誌を閉じ、私に笑顔を向ける。
「考えてみてよ」
カシャンッ、と音を立てて、私のシャープペンが筆箱に収まる。
少なくとも今は居心地はいい。
ただ、彼がこれからも私の隣にいて、心地がいいかはまだ、分からない。