遺伝子検査の果て
西暦2003年、DNAに書かれたすべての塩基配列が解読された。
つまり、ヒトゲノムの全塩基配列の解読が終了したのである。
その後の研究により、その遺伝子を調べれば将来かかるであろう
病気が前もって予想できるのが一般的にも知られ、あるハリウッド
女優がガンにならない為、前もってその臓器の除去手術に踏み切っ
た事は、記憶にも新しい。
***
「おまえ、今度はどの部分を除去するんだい?」
そう訊ねたのは、人生のパートナーであり、俳優でもある夫だっ
た。
「ええ、今回は皮膚よ。だって皮膚ガンになる可能性があるんだも
の」
女は自慢の色白の肌に日焼け止めのローションを塗りながら微笑
んだ。
「え? 皮膚って、どこの?」
「どこの? アンタ馬鹿じゃない? 皮膚って言えば、全身よ。決
まってるじゃない」
涼しい顔をして女が答える。日が昇るのは東から、沈むのは西が
当たり前、とでも言うように。
「今の人工皮膚はお手入れも簡単、更に美白。まぁ、ちょっと費用
はかかってしまうけれど」
「それって全身の皮膚を人工物に入れ替えるってことか? でもな
ぁ、おまえ」
夫は少し眉をひそめながら言う。
「最近ちょっと、やり過ぎじゃないのか? 今までにだって…」
「何ですって? それじゃ、アンタは私がガンで死んでもいいって
いうの? 私の母親や親戚のおばさんみたいに…」
女は怒りに燃えた目で夫を睨みつけた。
「まさか! 君にはうんと長生きして欲しいさ。もちろん健康でね」
それを聞いて女は彼に抱きつき
「うん、ごめんなさい。あなたが愛してくれているのは分る。だか
らこそ、ね?」
「うん。そうだね。君の好きにすればいいよ」
夫は女を心から愛していたし、女の言う事ももっともだと思い直
した。そうして二人は熱い接吻を交わした。
それから一月後、手術は無事済んで、女は不安から逃れ、健康な
体と美を手にしたのである。
しかし人間というものは不思議なもので、ひとつの不安が無くな
れば新たな不安が生まれるものだ。女は検査を繰り返し、不安の残
る部分を次々と除去、そうして人工のものと交換していった。何よ
り遺伝子検査は信用出来るのだ。これに従っていればガンになるこ
ともないし、不慮の病気にかかることもない。それが女の信念でも
あった。
十年が過ぎたある日、女はいつものように夫に言った。
「ねえ、あなた、今度は…」
「うん、いいよ、君の好きにすればいいさ」
夫は慣れたもので、彼女の言葉を最後まで聞かずにそう答えた。
朝食には今日もトーストが当たり前さ、とでも言うように。
「そうね。今度が最後だもの。私も不安だったけど、決めたわ」
女は嬉しそうに微笑む。今度の手術は少しだけ変わってる。脳の
萎縮を防ぎ、将来痴呆症になるのを避けるため、脳を人工物と入れ
換えるのだ。
手術は困難を極めたが、彼女の豊富な資金と最先端の医学と工学、
が女の望みを叶えてくれた。
アンドロイドの誕生である。
決して特定の人物を想定しているわけではありません。悪しからず…