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グロリアと秘密の茶会【続・旗守りのグロリア】

作者: 霧島まるは

※「旗守りのグロリア」の続編

 グロリアと公子の結婚の話は、とんとん拍子で進──まなかった。


 公子は結婚の承諾を得るためにゴメス家を訪れたが、そこには三ゴリラが待ち構えていたのだ。グロリアの父、長兄、次兄のことである。


 応接室。向かいのソファには父と長兄。ソファの脇に立つ次兄。身体が大きすぎて、ゴメス家の三人がけのソファに男は二人しかかけられない。手前には、公子とグロリアが少し間を空けて座っていた。


 そんな、グロリアを含めた四ゴリラに囲まれた公子は、そこで問題の話を聞かされる羽目となる。


 ゴメス家の長兄は言った。


「率直にお伺い致します。公子様は、かの白百合騎士団の公女さまと同一人物であらせられますでしょうか?」


 長兄は宰相補佐官、いわゆる文官だが、そこはゴメス家の男だ。身体つきこそ弟より小柄ではあるものの、決して剣の腕が劣っているわけではない。それどころか文官であるにも関わらず帯剣にて出仕する剛の者だった。


 ゴメス家の次兄が言った。


「現在王宮では、その噂がまことしやかに流れております。双子という話ではありましたが、あまりに似すぎている、と」


 騎士の次兄は、現在は王宮の警備をしている。目標が父親であるため、日夜訓練を欠かさないその身は、既に筋肉だけであれば父を越えている。


 ゴメス家の父が言った。


「ただのくだらない噂であれば良いのです。しかし、王宮では公爵夫人が真相を知ろうと躍起になっておいでです。そうそう簡単に手を引かれることはありますまい」


 重厚な声と共に刻まれる言葉は、決して狂わない柱時計のようなものだった。


 公子が言った。


「なるほど、もしも僕が過去に女の格好をしていたのであれば結婚相手としてふさわしくない。もしくは、公爵夫人が僕の粗探しをしていて、そこから悪い評判が立ち、場合によっては次期公爵の立場が危うくなる心配をされていると?」


 彼は笑顔を浮かべていた。怒りに近い壮絶な笑顔と言った方がいいか。


 公子にとって、自分の過去は他人の記憶から消し去りたいものだろう。だが、やむを得ない大人たちの事情があったとは言え、彼が公女でいた時間はあまりに長く、そして人目にさらされてきた。彼女の存在が人前から消えたとしても、その記憶まですぐ消すことは出来ない。


 振り切ったはずの公女の時代が、いまだ公子の足に鎖のようにまとわりついているのだとグロリアは思った。


 しかし、この後ゴメス家の応接室で、不思議なやりとりが発生する。


「いいえ」と答えたのは、長兄だった。そしてこう続けた。


「我々は、公子殿が本当にあの公女殿と同一人物であらせられるというのであれば……逆にこの結婚に賛同致します」


 それは、グロリアが驚くべき言葉であった。長兄は非常に真面目な男だ。こんなことを冗談で言うことはない。


「グロリアは、白百合騎士団に八年もお世話になりました。その八年間、グロリアのすぐ側におられて、グロリアを見ていらっしゃってなお妻に欲しいとおっしゃる方であれば、きっと妹を幸せにしてくださるでしょう」


 ゴメス家は武の家。長兄こそ文官になったが、それは父が文字通り命を賭けて将軍まで上り詰め栄えさせたこの家を、己の死のために翳らせてはならないと考えたからである。年の近い弟が生まれたことにより、彼は長兄としての責任の方を重視した。


「しかし」と言ったのは、次兄。そしてこう続けた。


「その場合、公爵夫人の行動は非常に公子殿の立場を危うくするものです。結果的に妹のグロリアを危うくするでしょう」


 それは、グロリアにとって予想外の言葉だった。次兄は非常に禁欲的な男だ。己を鍛錬することが、誰よりも好きな男である。


「俺も王宮に勤めておりますので、尊き方々の心無い仕打ちや噂を数多く耳にします。その中には、目や耳を覆わんばかりの出来事もございました。妹がその餌食になるのだけは、どうにも耐えられないのです」


 けれど、妹たちには優しい兄である。末の妹が社交界へ飛び出していくのも一番心配し、仕事の折り合いがつく限り送り迎えなどをすすんで買って出ていた。


「だからこそ」と言葉をかぶせたのは父だった。そしてこう続けた。


「娘が結婚する方の身辺は安穏でなければなりませぬ。必要であればこのゴメス家、全身全霊で協力いたしましょう」


 もはやグロリアは、言葉を紡ぐことも出来ないまま、自分の家族を見つめるしか出来なかった。


 鍛錬と戦いの中に身を置き、剣の腕を磨いただけでは決して打ち破れないものがあるのだと、彼女は理解しつつあった。そのど真ん中に、現在公子がさらされているということも。


 真剣な家族の視線の先にいる公子が、一体どんな顔をしているのかとグロリアは隣に座る彼を見た。


「さすがは剛のゴメス家……」


 さきほどまでの壮絶な怒りの笑みは、その言葉の中にすぅっとなりをひそめていった。しかし、瞳の奥から完全に消え去ったわけではない。小さく、しかしはっきりとゆらめくエメラルド色の炎。


「ならば、僕も真実を語らねばなるまい」


 室内の全ゴリラの注目が集まる中、彼は己の胸に手を置いた。


「この僕こそが、髪を長く伸ばし、女だけが所属するという白百合騎士団に所属し、この低い声を隠し続けたニセ公女……その人だよ」


 女の姿に身をやつしていた時のことを、公子は堂々とゴメス家の面々の前で言い放った。


 グロリアは、一人でハラハラしていた。目の前で男たちが丁々発止と言葉の剣をうち交わしているのは見えるというのに、とても自分の入る隙間を探せなかった。


 彼女とは裏腹に、父と兄たちが無言で視線を交し合う。ここまでのところは、十分に予測済みであったかのような目の動き。


 そして──無駄口もなく話は進む。


「私が考えた計画があります」と、長兄が言った。


「微力ながらお手伝いいたします」と次兄が身を乗り出した。


 このままでは、置いてきぼりになると思ったグロリアは、「私も何か」とようやく声をあげた。


 すると、部屋の全員の顔が一斉に向けられる。見慣れている家族の視線も、隣の公子の視線もどれも力強くて、彼女は思わず身体が後ろに傾ぎそうになるのをこらえる。


「お前は最初から頭数に入っている」


 そんな視線の集まる中、父親に言葉と共に苦笑されて、グロリアはすっかり恥ずかしくなってしまったのだった。



 ※



 一ヶ月後。


 王女が他国へ嫁ぐ直前、王宮で王女主催の内輪の茶会が開かれた。白百合騎士団との別れを惜しみたい──それが、王女たっての希望だった。病で療養中の公女も来ることになっていた。


 これを最高の機会だと考えたのは、公爵夫人である。


 ここで公子と公女が同一人物であることを暴けるのではないか。そう考えた公爵夫人は、自分の息のかかった男を王宮へと向かわせ、茶会の様子を盗み見るよう命じた。その日、公子も王宮へ出仕することになっていたので、二人が同時に人前に出なければ同一人物の疑いは限りなく濃くなると考えたのだ。


 そして、茶会が終わり公爵夫人の元へ配下の男が戻ってくる。夫人はやきもきしながら報告を求めた。


 男はこう言った。


「恐れながら申し上げます。公子と公女は……」


 ごくりと息を呑む己を隠すために、公爵夫人は扇で口元を隠した。


 そんな夫人に、男は信じられないことを言った。


「公子と公女は……一緒に茶会に参加しました」


 公爵夫人の脳天に、雷が炸裂した音がした。それくらい彼女は、強い衝撃を受けていた。そんなことはあるはずがないと詰め寄るも、配下の者は、「いいえ確かにお二人で茶会に」と繰り返すばかり。


「最初は、公女も王女との再会にはしゃいでいるようでした。その時、確かに公子の声も聞きました。公女はまあ、しゃべりませんがその言葉に唇を動かして答えていました。しかし、途中で気分が悪くなったらしく、王女の部屋に案内されました。その後、公子が具合の悪そうな公女を支えるように帰ってゆきました」


「もうよい!さがりなさい!」


 詳細な説明は、夫人の怒りを増やす材料にしかならなかった。もう何も聞きたくないと、彼女は男を追い出した。これであの公子を跡継ぎから引きずりおろす材料が失われてしまったと、夫人はしばらくの間、口惜しさに荒れることとなる。


 公爵夫人の部屋を慌てて飛び出した男は、報告し忘れたことを思い出して一瞬戻ろうかと思った。しかしさっきの剣幕では、とても聞く耳はもたないだろうと思いとどまった。たいした報告ではなかったからだ。


 報告しそびれたこと、それは。


「あの茶会には、何であんなにゴリラがいたんだ?」



 茶会の日を境に、公子と公女が同一人物ではないかという噂は払拭された。人々の心はうつろいやすく、すぐに次の噂へと飛んでゆく。


 今度の王宮の噂は、突然やつれた宰相補佐官である。悪い病気か恋の病かと囁かれたが、次第に元通りになったため、この噂もすぐに消えることとなった。



 ※



「公爵夫人の僕を見る目ときたら……あなた方にも見せてあげたかったよ」


 ゴメス家を訪問した公子は、心底楽しそうに笑みを浮かべてそう語った。


 神妙な顔をしたままの父。げっそりとやつれた長兄。笑顔の次兄。そしてまだドキドキの余韻がさめやらぬグロリアが、応接室で公子を見つめている。


「苦労した甲斐がありました」とすっかり痩せてしまった長兄が、はぁと深いため息をついた。


 長兄が発案した、王女をも巻き込んだこのとんでもない茶番は、綿密な準備を要した。


 準備のひとつのために、グロリアの父は金を出した。王女に結婚祝いを贈るのだと、大きくて毛深い人形を作らせた。


 それは──まごうことなきゴリラの人形だった。


 このゴリラ、ただのゴリラではない。何とおすわりが出来るというデキるゴリラだった。しかも一体ではない。十体ものおすわりする大きなゴリラが作り上げられ王女に贈られたのである。


 大変に出来栄えがすばらしかったため、一体欲しいなと思ってしまったグロリアだが、口には出さずに我慢した。


 大量のゴリラの人形を贈られた王女は、その迫力かつ滑稽な状況を存分に楽しんだ。要するに、ゴリラに囲まれて心ゆくまで笑い転げた。


 十分に堪能した後、王女はゴリラを椅子に座らせ、高さを調整するべくクッションを準備した。さらに悪ふざけを思いつき、ゴリラにヒラヒラのシャツを着せた。


 多くの綿密な打ち合わせと準備を経て、ついに茶会の当日。


 まずは、公子がグロリアと共に王宮の王女の部屋へと入る。公子はすぐに変装して王宮を抜け出し、ゴメス家で公女の姿に着替える。


 さすがにもう騎士服を着るわけにはいかずに、いやいやながらのドレス姿だった。そして再び王宮へ。


 王宮で出迎えたグロリアに、公女は笑顔を浮かべてこう唇を動かした。


”み・る・な”


 その笑顔はひきつっていた。やむを得ないこととは言え、もう一度女の姿をグロリアに見られるのは、本当に嫌なのだろう。


 グロリアは馬鹿正直におろおろして視線をどこに向けたらいいか分からない状態になるわ、王女は王女で公女のそんな様子に、ぶふっと変な息を口から漏らすわで、白百合騎士団の再会の場は、周囲の目にはどう映ったかは分からないが、本人たちはとても複雑な有様だった。


 公女の登場で、舞台は茶会へと移された。


 王女の部屋のすぐ近くにあるその部屋は、中庭に面している。今日はとても良い天気で、日差しがあたたかく窓から差し込んでいた。


 そう、中庭の窓から。


 比較的人が出入りしやすい中庭は、部屋を覗くには格好ポイントだった。


 しかし、その部屋の窓辺に、今日は異変が起きていた。覗くにはちょうどいい高さのあたりに変な置物があるのだ。それでひとつの窓の半分ほどが埋まっている。それは、将軍が贈ったというゴリラの人形だった。窓辺にちょうどよい高さでゴリラが椅子に座っているのである。しかも、全ての窓に。


 窓から中を覗こうとする度に、すぐそこにゴリラの横顔がある、という状況だった。しかしまだ窓は半分は空いている。そこから中を覗くことは当然出来るが、人形の顔が気になって覗く人間の気が散る。


 更にそれに追い討ちをかける事態があった。


 この部屋の警備担当は、ゴメス家の次男だったのだ。騎士である彼が警備を担当するのは別におかしな話ではない。


 しかし、彼が不定期に窓を行ったり来たりする。さすがに警備がいる状況で、堂々と部屋の中を見続けるわけにはいかないため、覗き魔は騎士が来る時に窓から顔を離さねばならない。


 このため、茶会の部屋を覗く場合、騎士が通りかかれば顔を引っ込め、通り過ぎれば顔を出し、その度に騎士によく似た顔のゴリラの人形に一瞬どきりとし、「邪魔だ」と人形に悪態をつきながら中を覗き、そしてまた騎士が戻ってくると舌打ちをして首を引っ込めなければならなかった。


 その部屋に公子と公女が現れた時、公爵夫人の配下の男は、ちょうど騎士の移動に阻まれて、しばし窓から顔を離さなければならなかった。


 次に見た時は、二人が席についたところだった。窓に背を向けるようにして金の公子が座り、向かい側に金の公女が座る。そして、公子席からひとつ空けて横に座ったのは──グロリアだった。


 またこの部屋に、ゴリラが増えたことになる。


 更に、茶会のテーブルに余分に用意された椅子にもまた、ゴリラの人形が座っている。公子とグロリアの間の空いた席、向かい側の王女と公女の間の席。


 この茶会が、完全にゴリラ勢力に制圧されているのは明らかだった。


 忌々しいことにゴリラたちは、シャレた服まで着せられている。どうしようもなくふざけたことに、金のカツラまでかぶっているゴリラも何体かいる。


 必ず視界のどこかにゴリラが複数いるという気が散る状況で、公爵夫人の配下の男は、目だけではなく耳も澄ませた。


 その耳に、公子の声ははっきりと聞こえていた。公女はしゃべれないため、口だけを動かして受け答えしているようだ。


 この時点で覗き見ていた男は、公爵夫人の疑いはほぼ間違いであると思い込んでいた。


 実際のところ、公子の声を出していたのは当然ドレス姿の公女である。


 公子はこの一ヶ月間、ゴメス家の長子によりみっちりと唇を動かさずに言葉をしゃべる訓練を受けていた。宰相補佐官という立場上、演説などを行う宰相に、そ知らぬ顔で次の台詞を伝えるための秘技として会得していた。グロリアは、兄にそんな特技があることをまったく知らなかった。


 その技を伝授され、公子は唇を動かさずに男の声を出し、まるでそれに受け答えするようにずらして公女の唇を動かすという、一人芝居を繰り広げていたのである。


 公子の、真剣でありながらも滑稽な様子に、王女は何度となく、ぶふっと妙な息を口から漏らしてはあらぬ方を見て手で押さえていた。


 公子は、声だけは一人二役をしながら女の姿で茶会に出席していた。では、金髪の公子の席にいたのは誰か。


 それは、金髪のゴリラ──ではなく、金髪のかつらをかぶったゴメス家の長兄だった。


 公子に身長が一番近い長兄は、この一ヶ月でやつれるほど、己の身体から肉という肉をこそぎ落としていた。公子に唇を動かさない話術を教える代わりに、彼の立ち居振る舞いを真似るために、ひたすらに彼の動きを模倣した。


 自分が立てた計画であることと妹の幸せのために、長兄は文字通り骨身を削って尽力した。


 そして彼は、金髪のすらりとしたゴリラになったのである。後ろ姿だけであれば、本当に公子と見分けがつかないほど。


 もしうっかり顔を盗み見られたとしても、この部屋はゴリラだらけ。金髪のゴリラ人形までいる。一度くらいなら見間違いだと思うだろう。


 現に公爵夫人の手の者は、ここまでゴリラを見飽きるほど見ていた。ゴリラはもう気にしてもしょうがない、無視だ無視。ゴリラなどない。あったとしてもそれは人形かゴメス家の連中であると、自分の意識から切り捨てた。それにより、ちらりと見えたものがゴリラであってもなかったことにした。


 ゴリラを隠すならゴリラの中。


 ゴメス家の人間は、自分らの顔を逆手にとってゴリラづくしで公爵夫人の目を欺ききった。



 さて、茶番は最後の仕上げへと向かう。公女の具合が悪くなった素振りで、みな一度王女の部屋へと戻った。


 ここまで、公女の顔は十分に見せた。次は公子の顔を十分に見せればいい。そこでドレスを脱ぎ捨てた公女は、ようやく公子に戻った。


 中身の詰まっていない公女ドレスに、今度入るのは──王女である。金髪のかつらをかぶり、いつもよりかかとの高い靴を履いた。そして、公子に支えられうつむいて王宮の中を歩いて見せた。


 公子、グロリア、そして支えられている具合の悪そうな金髪の女性。それを人は「ああ、病の公女か」と脳内で補完してしまった。


 あとは三人で一度ゴメス家に戻り、王女はほとぼりがさめた頃に変装して公子に送られて王宮へと戻れば今日の茶会は全て終了だった。


 この時、ゴメス家を初めて訪問した王女は、しばらく応接室で涙が浮かぶほど笑っていた。


 計画を持ちかけられてから王女は、本当によく笑っていた。計画で笑い、ゴリラの人形で笑い、公子のドレス姿で笑い、一人芝居で笑い、茶会で思う存分笑えなかったせいか、ゴメス家で心行くまで笑った。


 その後、遅れて帰ってきたこの家の長兄を見て、彼女の笑いは微笑みへと変わる。


「嗚呼……アル。お前は何て幸せ者なのかしら。この世で、何の血のつながりもない人が、お前のために身体さえも作り変えたのよ。剣を愛していることで有名だった宰相補佐官殿が、剣を置いてまでお前に尽くしたのよ。この落ちた筋肉を取り戻すまで、どれほどの時間が必要かしら」


「王女殿下、分かっています。よく分かっていますとも。僕は決して恩を軽んじることは致しません。僕は、殿下が僕に手を差し伸べてくださった幼いあの日のことを、これまで一度たりとも忘れた日はありません。僕の本当の人生は殿下から始まったのです。そして今日、殿下とゴメス家の方々によって重い鎖は断ち切られました」


 王女の側にかしずき騎士の忠誠を見せる公子の姿は、一枚の絵のように美しかった。


 しかし、


「あら、私がグロリアを一緒に隣国に連れて行きたいって言った時に、それだけはダメと言ったのは誰だったかしら」


「そ、それはこれとは話が…」


 意地悪な王女の笑いで、美しい絵は消え去ってしまった。



 ※



 公子は、日を改めてゴメス家を訪問した。


 公爵夫人の件は一件落着してすっかり大人しくなったこと、その節は大変世話になったと、わざわざ礼の品を持参していた。


 ゴメス家には人形を作るためにかなりのお金を使わせたというのに、将軍は金銭を受け取ってくれないと少し嘆いた後、公子はわざわざ取り寄せたという珍しい品を差し出した。


「南方でしか取れないという果物だよ」


 それは、グロリアが初めて見るものだった。色は黄金のように黄色くて大きな人の手のような形をしている。


「名をバナナという。手で簡単にむいて食べることが出来、濃厚で柔らかく芳醇な味わいだ」


 房から一本ぽきりともいで、公子はグロリアの父へと差し出した。微妙なカーブを描く果物を握って、父親はどう食べていいか分からないようで首を傾げた。


 更に公子は、長兄へ次兄へ、そしてグロリアへと渡す。ナイフのように握りやすい形だ。彼女は手の中にあるそれを見つめた。


 そして公子の指導の元、ゴメス家の面々はその珍しい黄金色の果物の皮をおそるおそるむいた。中から現れる白い実。


「そのままどうぞ」


 笑顔の公子にいざなわれ、ゴメス家の四人は同時にぱくりとバナナにかぶりつく。


 何と柔らかく、不思議な味わいだろうかとグロリアは目を見開いた。


 追熟したような甘みと、なめらかな舌触り。口の中でとろけていくその果物のおいしさに、思わずグロリアは家族を見た。父や兄たちもまた、驚いたような目で互いを見ている。


 最初に食べ終わったのは次兄だった。中身を失って力なくぷらんとぶら下がる皮を寂しげに見つめていた。


 全員が食べ終わった皮をぷらんとぶらさげた状態で、なんとも言えない物寂しさを味わう。房にはあと三本残っていたが、まだゴメス家には母と末の妹がいる。彼女らの分を取っておくと、残りはあと一本。全員がその計算をした直後。


 次兄は言った。


「兄上、どうぞ!」


「そうです、お兄様どうぞ」


 グロリアも弾かれたようにそう告げていた。今回、一番ゴメス家で苦労したのは長兄である。それは誰もが認めるところだった。まだ戻りきらぬそのやせた身に、きっとこのバナナは良い栄養になってくれるだろう。父をちらりと見ると、父もまたうむと頷いた。


 最後の一本のバナナをめぐるゴメス家の心温まる光景を、公子は楽しそうに、そして少し寂しそうに見ていた。


 父と兄たちとバナナが部屋を出て行き、応接室には公子とグロリアだけが残った。グロリアはまだ皿の上に残るバナナの皮を見ていた。これを植えたら、バナナの芽が出ないかしら、と。


「あーあ……もうお前にあの姿を見せたくなかったのにね」


 向かいの席を立ってグロリア側に回るや、公子は少しふてくされた顔で彼女の隣へと座った。突然こんな近い距離に座られるとは思わず、グロリアはバナナの皮のことを忘れてどぎまぎとした。


「大丈夫です。お綺麗でした!」


 慌てた彼女は、それでも背筋をシャキンッと伸ばして精一杯公子をフォローしようと言葉を尽くした。


 それは勿論──逆効果だった。


 隣の公子は、がっくりと肩を落としたのだ。


「あのねグロリア、僕はもうお前に男の僕だけを見て欲しいんだよ」


 やめたはずの女の姿でグロリアの前に出るのを、本当に公子はいやがっていた。これほど美しければどちらでもいいのではないだろうかとグロリアは思うのだが、本人はそうはいかないらしい。


 上手な言葉を探せずにもじもじしていると、公子ははぁとため息をついた。


「いいよ、もう。しかしお前の上の兄はすごい人だね。頭も切れるし強くて度胸もある。若くして宰相補佐官をやっているだけのことはある。勿論、他の家族も素晴らしい。僕はお前を大事に思っているが、今回お前の家族もとても大事に思えるようになった」


「そ、それは光栄です」


「僕は必ずお前を妻にして、そしてお前をお前の家族ともども幸せにしたいと思うよ」


「あの、公子さま」


グロリアは、彼の言葉が半分しか頭に入っていなかった。


「公子さま……お顔が、近い、です」


 一言しゃべるたびに、公子の顔が近づいてくるせいだ。


「実は、僕はまだバナナを食べていないんだよ」


 間近すぎる距離で、公子が微笑む。美しい金の公子の直撃弾をグロリアは身をそらしてかわそうとしたが遅かった。


 彼女は己の口の中にあるバナナの残り香を、公子に奪われてしまったのだった。




 その後、王宮でいくつか変わったことがあった。


 ひとつめは、王女が隣国へと嫁いで王宮からいなくなってしまったこと。


 ふたつめは、宰相補佐官の身体が元通りに戻ったこと。


 みっつめは、王女はゴリラの人形を一体だけ隣国へ連れていったこと。そのため、九体は王宮へ残された。


 ゴリラの人形は、王女の置き土産として王宮のあちこちで椅子に座って警備をすることとなった。


 日によって座っている場所が違うので、王宮を歩く者たちはゴリラに出会うとその日何体出会ったかを人と自慢しあうようになった。


 時折、出会うゴリラの数が十体以上になる場合がある。しかし、それは決して間違いではなかった。王宮には、人形のゴリラ九体の他に、それに大変よく似た三人の男たちが勤めていた。ごくごくまれに現れるもう一人を加えて、最高で十三。



 この十三の全ゴリラと一日で会えた幸運な人間は、ゴメス家の人間を除いてただ一人──金の公子だけだった。



『終』



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― 新着の感想 ―
[一言] 良いゴリラでした.なんて素敵なゴリラ.
[一言] すごくいいお話で、すごく感動できるのに、随所にゴリラの存在感が光過ぎて笑いまくりでした。 ゴリラと麗しの公子様、増産ゴリラのお茶会、まんまとゴリラに惑わされる間者、ご褒美のバナナ食べて感動す…
[良い点] ゴリ子の家族の皆様、めっさいい人達です!
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