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罪科の闇  作者: 朱羽
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2.生き延びるため

森を抜け、ザインが導いた廃村には、かろうじて雨露を凌げる家屋が有った。

けしてそこから動かないようにウィスリーに言い含めると、ザインは甲冑を脱ぎ、闇に紛れるような黒衣に剣を帯びた姿となって黒馬と共に出かけていった。

森を抜けるまで遠くで聞こえていた戦いの音はもう聞こえない。

ただ闇の中、静かに降り出した雨音だけがやけに耳についた。

ウィスリーは、古い家屋の窓や壁の破れ目に板や襤褸布で覆いをして、長く使われていなかったであろう暖炉に火をくべた。

小さく揺れる炎を見つめ、城を出る時のことを思い出した。


「ウィスリー、そなたはまだ若い。されどシェルクール王家の王子であるからには、セレンティスは見逃してはくれぬであろう。」

玉座で厳かにそう告げた父王の表情は疲労の色が濃く、このひと月で十年も老いたようであった。

「父上・・・」

「けれど気の優しいそなたのこと。我らと共に最後まで敵兵と斬り結べと命ずるは哀れじゃ・・・。」

「ウィスリー、父上も私も雑兵ごときにそなたの首をくれてやるのは惜しい。」

歩み寄り、ウィスリーの艶やかな黒髪を愛おしむように撫でる一の兄シェルファードの声が悲痛な響きでウィスリーの胸を刺した。

「兄上・・・?」

二人が何を言いたいのか解らず、見上げた兄は悲しげに微笑み、視線を移した先の父は目を伏せ気づかれぬよう我が子から視線を逸らした。

「シェルファード、やはり・・・」

両目の辺りを片手で覆ったまま、父王が呻くように兄に呼びかけた。

「いいえ。」

それに対し兄は静かにしかし決然と告げる。

「いいえ、私が。せめて・・・」

兄の視線を受け父王はしばらくの後無言で首肯した。

それを受けて再びシェルファードが末の弟に向き直る。優しい、いつもの兄の笑顔だった。

「ウィスリー、着替えて来なさい。」

「え?」

「そなたの・・・初陣の時がきたのだよ・・・。」


それが、最期の別れとなった。

ウィスリーは私室で、父と兄の常ならぬ態度を訝しく思いながらも、初陣用にと姉から贈られていた衣装を身に纏った。

兄達に比べれば早すぎる初陣だが、それを不安に思うことは無かった。

それは、戦いというものを知らぬが故の余裕ではあったのだが。

身支度も終り、やけに居室の外が騒々しいと気づいたのと同時。

扉を蹴破る勢いで漆黒の騎士が飛び込んできた。

敵の侵入かと身構えたウィスリーは、見知ったその顔にたちまち緊張を解く。

「ザイン?何事だ?」

ザインは元々、すぐ上の兄の乳兄弟であった。

病弱だった兄が年若くしてその生を終えてからは、ウィスリーにとっては兄のような存在となった。

彼が最年少にして黒騎士の称号を得てからは、父王の命によりウィスリーの側近として一層近しい存在となった。

王命により、王家の者が住まうこの城内の守備にあたっているはずの騎士が何故ここに居るのか、ウィスリーが問いかけるより前に騎士の手がウィスリーを掴まえた。

「ご無事でしたか、王子」

「何かあったのか?」

「何も訊かず、私について来て下さい」

そう告げるなり彼らしく無く強引に連れ出そうとする騎士の手を振り払い、ウィスリーは相手に困惑と問いかけの視線を向ける。

「どういうことだ?わたしは父上と兄上の元に行かなければ」

「行けば殺されます」

一瞬、彼が何を言ったのか理解できなかった。

「な・・にを・・・」

「時間がありません。すでにアイリーン様は陛下の手によって時の輪に戻された」

「なん、だって・・・?」

「次は貴方です」

「そんな、嘘だ・・・!」

「嘘ではありません」

「だって、アイリーンはまだ産まれたばかりで・・・」

そうだ。

産まれたばかりのウィスリーの異母妹だ。

父も兄もそれは彼女の誕生を喜んでいた。

長い戦いの中、久しぶりの祝福だと。彼女が勝利へ導いてくれるだろうと。

「それに兄上は、初陣の用意をするようにと・・・」

「・・・名誉ある死をお与えになろうとしたのでしょう」

形式だけでも、と続く言葉はウィスリーには到底認めがたくザインの横をすり抜けるように扉へ向かった。

「いけません!」

ザインはその腕を捉え、王子の身を引き戻す。

「放せ!父上と兄上に直接訊く!」

「訊いてどうするのです?殺されるおつもりですか!!」

普段は穏やかで優しい騎士が放つ一際切迫した声が、嫌でも彼の言葉が真実であることを悟らせる。

ザインと向かい合ったまま、ゆっくりとウィスリーの膝が頽れ床についた。

騎士もまたウィスリーに視線を合わせるようにその場に膝をつく。

未だ幼さを残す王子に残酷なことを告げている自覚はあった。

けれど、今は一刻も早く王子をこの城から引き離さなければ。

そのためには手段を選んでなどいられない。

「陛下もシェルファード様も絶望に取り憑かれておいでになる」

黒騎士が茫然としているウィスリーの肩を掴み真っ直ぐにその瞳を覗き込んできた。

「この国は滅びます」

深い闇色の瞳。

この瞳こそ絶望の淵のようだと思う。

「お二人はせめてご自分達の手で全てを終わらせようとされている」

脳裏に兄の悲しげな微笑みが過ぎった。

「けれど、貴方が生きている限り終わらない。貴方は、この国の最後の希望となるのです王子」

その後は、よく覚えていない。

気づいたら黒騎士と共に城の裏手に出ており、用意されていた愛馬に跨った。

振り返った城から火の手が上がるのが見え、

−−−−−見えたのに。

そのまま、逃げた。

死にたく無かった。

本当は国など、王家の血など考えてはいなかった。

ただ−−−−−。



「死にたく、なかったんだ・・・。」

膝を抱え、その腕の中に顔を埋めたウィスリーの呟きと同時に、外から馬の嘶きが聞こえた。

慌てて火を消し、息を殺して気配を探る。

雨に濡れた足音が、一人−−−二人?

自然、剣を握る手に力が入る。

斬れるか?斬れるだろうか。一度も人を斬ったことのない自分に。

けれど、斬らなければ。

死ぬのは−−−嫌だ。

「・・・王子?」

聞き慣れた騎士の声に、剣を抜きかけた腕の力が抜ける。

「ザイン・・・」

「遅くなりました。食料や水、それに衣服と・・・」

手早く暖炉に火を灯し、買い込んできた物を並べるザインの背後から、おずおずと小さな人影が現れた。

「・・・・・・誰だ?」

ザインと同じく雨に濡れたのであろう。

くすんだ金髪から水滴を滴らせた痩せた少年は、ウィスリーより一つか二つ年下に見えた。

濃い緑色の瞳で無言のままウィスリーを見つめている。

「・・・この子の名はネオです。年は十四、親兄弟も知人も無いそうです」

「ネオ・・・」

年下に見えたのはその発育の悪さのせいか。

不安げな表情のせいか。

ウィスリーは少年の名を口にしてみたが、ネオからは相変わらずこれといった反応は見られなかった。

怪訝な顔をするウィスリーにザインが言った。

「口が利けないそうです。人買いの話では、おそらく耳も聞こえていないのではないかと。」

「人買い?」

「あまり褒められた商売ではありませんが、今回は役に立ちました。この子には、あなたの身代わりになってもらいます。」

ザインの計画はこうだった。

国境を越える手前でウィスリーの衣服を彼に着せ殺害してしまえば、セレンティス軍はウィスリーが死んだものとして追討を止めるだろう。

しかるべき後に姉姫の救出だろうと王家の復興だろうと成せばよいと。

「・・・・・・殺すために、連れてきたのか・・・?」

まっすぐに見つめてくる濃い緑の瞳を見ていられずに、ウィスリーはネオから視線を逸らした。

「生き延びるためです。」

ザインの言葉が重くのしかかる。

もとより選択肢は無い。

拒否すれば、死。

−−−−−死にたくは、無い。

「わかった」

自らの答えの重さに俯いていたウィスリーは気づかなかった。

彼の返答を聞いたザインがひどく安心した表情をしたことにも、それをネオが静かに見つめていたことにも。


その夜、ウィスリーは眠れなかった。

何度も寝返りを打っては様々な事柄が頭を過ぎって彼を苛んだ。

ふと見ると、ネオが床の上、襤褸布にくるまって寒さに震えながら眠りにつこうとしている。

「・・・ネオ」

唯一の寝台から抜け出しその肩を揺する。

案の定眠りが浅かったのだろう。濃い緑の瞳が眠たげに開かれた。

「おいで。こっちの方が寝心地は良いだろう」

手を引くと素直について来て、寝台を示すウィスリーを躊躇うように見つめる。

「窮屈かもしれないが、床よりましだ。」

笑ってみせると、安心したように布団に潜り込んだ。

その隣にウィスリーも潜り込む。

すぐに寝息を立て始めたネオの体温が、触れあった所からじんわりと染みこんでくるようだった。

ふいに、ウィスリーの瞳から熱いものがこみ上げてきた。

それは止まることを知らず次々と溢れ出てくる。

ザインは、床に横になり寝台に背を向けたまま、微かな嗚咽が寝息に変わるまでそれを聞き、そして眠りについた。



完読ありがとうございます。

またのお越しを心よりお待ち申し上げております。

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