1.シェルクール滅亡
注意キーワード:戦い、流血、殺人
亡国の夜。
シェルクールの王子ウィスリーは焼け落ちる城の北。黒い森で馬を疾走らせていた。
王子という身分に在りながら、彼の身を護る共はただ一騎。
夜陰に溶けるような黒騎士のみであった。
速く!
速く!
速く!
王子が乗る白馬も、主の想いに応えるかのように風を切る。
彼らはただひたすらに国境を目指して馬を駆っていた。
八年にも及ぶ戦いを経て、大国シェルクールはこの夜滅びた。
数多いた兄達は戦いの内にその命を落とし、ウィスリーが城を出るまでにその生存が確認できていたのは父王カルザドと一の兄シェルファード。
昨夜の内に親交深い隣国へと逃れた姉シェンドラだけであった。
その姉も隣国の裏切りにより囚われたと聞く。
まだ初陣すら済ませていない若輩の身ではあったが、ウィスリーは知っていた。
父と兄はもう−−−。
だからこそ、生き延びなければならない。
シェルクール王家を継ぐ者として、姉を助け出し、憎きセレンティス国王へ一矢報いなければ。
城を出る際に黒騎士が口にしたその言葉を自分に言い聞かせながらウィスリーは森を駆け抜ける。
月も姿を隠した闇夜。
彼らが後にした城の方角では、兵たちの鬨の声と馬の嘶き、武具がぶつかり合う音が遠く聞こえる。
生まれ育った城が燃える臭いが風に乗って自国の王子に取り縋り追ってくるようであった。
前を走っていた黒毛の馬がウィスリーの隣に並ぶ。
「王子!敵兵です!」
馬と同じく黒ずくめの甲冑に身を包んだ長身の騎士が、鋭く警告を発すると同時に再び馬脚を速め、隊の先頭で誰何の声を上げた敵兵二名を一刃の元に切り伏せた。
「・・・シェルクールの残党かっ!?」
一瞬の出来事に一呼吸ほどの間をおいて、後続の敵の歩兵達が色めき立つ。
ウィスリーの傍らに戻り、背に庇うように敵と対峙した黒騎士が宙を斬るように剣についた血を振り払った。
ふいに、細く白い月光が森の木々の間を縫って差し込んだ。
敵味方双方の姿が鮮やかに白い光に浮かび上がる。
敵の数は十名余り。
おそらく残党狩りに繰り出された追討隊であろう。騎馬隊でなかったのがせめてもの幸いか。
槍や剣を構える敵兵の姿に、ウィスリーも息を整え剣を抜いた。
「黒騎士と・・・子ども・・・?」
「まさか、シェルクールの末の王子か!」
叫びは黒騎士の剣により断ち切られた。
「黒髪、紫闇の瞳・・・黒金の王冠、間違いない!ウィスリー王子だ!首を穫れ!」
隊長らしい男の号令に兵達が襲いかかる。
「させぬ!」
黒騎士の怒号と共に敵兵の首が揃って宙を舞った。
「王子!お逃げください!」
「させるかぁッ!!」
黒騎士の声に反応するより早く、回り込んでいた大男がウィスリーに斬りかかる。
危うく剣で払った切っ先は払いきれず、ウィスリーを乗せた馬の横腹に突き立てられた。
鋭い嘶きと共に体勢が崩れる。必死でしがみついたウィスリーを乗せたまま、白馬はもの凄い速度で走り出した。
「王子!!」
緊迫した黒騎士の叫びも振り切って白馬は黒い森の奥へと暴走する。
「シェラザード・・・ッ、落ち着け、シェラザード・・・!」
もはや制止を求める言葉は届かず、ウィスリーはただ振り落とされないようにその背にしがみつくだけで精一杯だった。
速度を緩めぬまま、ふいに馬体が大きく傾いだ。
何が起こったのか把握する前にウィスリーは全身に強い衝撃を受け、そのまま意識を失った。
襲いかかる敵兵を切り捨ててウィスリーを追ったザインは、白馬の血痕によりすぐに彼を発見した。
草地に投げ出されてぐったりと意識を失った彼を見て、一瞬で血の気が引く。
そんな。
そんなことはあってはならない。
悪い想像を打ち消しながら馬を降り横たわるウィスリーの傍らに膝を付く。
「・・・王子・・・しっかりして下さい、王子・・・、・・・ウィスリー!」
揺さぶり、軽く頬を叩くと王子は青ざめた顔のまま小さく呻いた。
それを聞きザインは心底安心した。
細い肩。幼さを残す顔。
まだ早すぎる。この方はまだ、十三にも満たないのだ。
「・・・ザイン・・・シェラザードは・・・?」
目を開けた王子の問いに、ザインはただ静かに、己が背で隠していた光景をウィスリーに見せた。
横倒しになり口元に血と泡を吹いた白馬は、それでも荒い息を繋いでいた。
「シェラ・・・」
歩み寄り呼びかける王子の声に耳を動かし反応する。
けれど、その瞳が光を失いつつあるのは誰の目にも明らかだった。
「・・・楽にしてやりましょう」
ザインの言葉にウィスリーは無言で小さく頷き、彼の剣が愛馬の苦痛を止めるのを最後まで目を逸らさずに見ていた。