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獅子が子猫にかわる時  作者: 文野さと


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25/30

25.夫婦喧嘩は獅子も喰わない 5

2013.2.21 修正しました。

「あああ! ようやくあなたに巡り合えた」

 アナスタシアは何処からか取り出したハンカチで、嘔吐させられたうえ、むっちりした胸肉の間で窒息寸前に追い込まれて半死半生のタツミの顔を拭いながら言った。

 その美しい顔が感極まって涙と鼻水でぐしゅぐしゅになっている。

「長いこと探してた……もう諦めてたのに……こんな突然……」

「おい、婆ぁ、今なんてった?」

 嗚咽にむせぶ空気を無視して、野人が問う。

「ダーリン! ああ……私ったらつい感極まって……でも、もう大丈夫よ」

 アナスタシアはレオの方など見向きもしないで、かいがいしくタツミの介護、いや看護をしている。因みにタツミは先ほどから目の焦点が合っていない。大丈夫ではないのは誰の目にも明らかである。

「驚かせてごめんなさいね。今このアナが助けるからね。さ、じっとして…」

 いや、この状態では動きたくても動けないだろう。迫力のあるライダースーツの美女が、まるで慈母のように小柄な青年を赤ちゃん抱っこである。

「おい!」

「うるさいね! 小僧はおだまり! 私のつがいが落ち着けないじゃないの!」

 いや、その状態こそ安らげないだろうと言う突っ込みに蓋をして、レオは戦法を変えた。

「もしかしてそいつがお前のつがいなのか?」

「勿論。私が間違えるわけがない」

 今度はタツミの痩せた頬に盛大に頬擦りしながら、アナスタシアはうっとりと言った。

「タ……タツミ君がアナスタシアさんのつがい……さん……なんですか?」

「まぁ! 私のダーリンはタツミって言うの? なんて不思議な響き……良い名……」

「ひぅ……」

 タツミの喉が鳴る。恐怖に声も出ないのだ。

「ダーリン! タツミ! 私に答えてくれたのね! 嬉しい!」

 いや絶対違うだろう!

 レオとムツミは、又しても言葉を飲み込んだ。

 

「五十年も探して、今やっと見つけたのよ……愛してるわ、私のダーリン」

 とりあえずこのままではいろいろと拙いと、タツミを運び込んだ一室で、さも愛しげに自分のつがいを抱きしめた。

 小柄なタツミは彼女の腕にすっぽり収まり、少し落ち着きを取り戻してはいたが、まだ事態を飲みこめないような顔は青ざめて不安そうだ。

「五十年!?」

 ムツミは声を上げた。こちらもレオに背中からがっしりとしがみ付かれているが、今は構うどころではない。

 人間の同性の疑問符にアナスタシアはきっと柳眉を上げた。

「何よ? 五十年よ。短いっていうの?」

「え……だってアナスタシアさんって……ごめんなさい、本当はいくつなんですか? 聞いても良ければ」

 野人の実年齢と見かけには、大きな差があることは既にもう知っているが、目の前の美女はどう見ても三十前にしか見えない。

「何言ってんのよ。私は生まれてから六十二歳と八か月。私はちゃんと誕生日を教えられているのよ。戸籍だってきっとどこかにあるわ」

「ろくじゅうにさいぃ?」

 ムツミは思わず頓狂な声を上げてしまった。タツミも一瞬うへぇと言う顔で自分を抱く女を見上げる。

「そうよ、キレイでしょう?」

 アナスタシアは自慢そうに言う。

「は……はぁ、ソですね」

 レオは別段驚いた風はない。野人は記録と言う概念が少ないため、誕生日がおろか、実年齢すらあやふやな者もいるのだ。

「だから婆ぁって言ったんだ」

「おだまり!」

「そうよ。婆ぁなんて、女性に言ってはいけないわ」

「……すまん、ムツミ」

 二人の女に同時に叱られ、レオは打って変った蕩けるような甘い顔で、ぎゅうとムツミを抱きしめた。それを冷ややかな目で見やったアナスタシアは、今度はムツミに頷いて見せる。

「そうよ。私は人間でいうなら四十過ぎって頃合いかしら?」

「どちらにしても、とても見えないですが……本当に六十二歳なんですか?」

「だから焦ってたんじゃない。いくら野人でも子供を産める年齢には限界があるのよ」

「あああの、お話し中スミマセンが、ちょっと放してもらえませんか? もう大分気分もよくなったんで……」

 相変わらず豊満な胸の谷間に頬を押し付けられていたタツミがもごもごと言った。彼にはまだ状況がよく呑み込めていないのだ。

「まぁ、ごめんなさいダーリン。何か飲む?」

「い、いえ結構です……」

 せがまれれば自分の乳すら飲ませかねないアナスタシアの様子に、タツミは怯えて尻込みした。

「だーりん? タツミ君の事?」

「もちろんそうよ。ねぇ、ダーリン、タツミって呼ばせてもらってもいい?」

「はぁ……どうぞ」

 タツミは力なく同意した。最早虚脱状態である。

「……で、アナ。間違いないのか?」

「間違いない。もうすっかり諦めていたけれど、タツミが私のつがいなの」

 レオの物憂げな問いに、アナスタシアは打って変わってキリリと答えた。

「……」

 人間の二人には何が何だかわからない。

 特にタツミは胸に顔を押し付けられる攻撃からは解放されたものの、大柄な女の腕が絡みついている。これを解きたいのは山々だが、そんな事をすればなんだか恐ろしい目に遭わされそうな気もするので、とりあえずおとなしく縮こまっていた。

「ムツミ」

「はいい!」

 アナスタシアに突然名前を呼ばれてムツミはびくりと答えた。

「悪かったわね」

「はぁ」

「こないだ私が言ったことはすべて撤回する。野人と人間の間にもつがいの絆は結ばれる。知らなかったの。でも、やっとわかった……ごめんね」

「……いえあの……」

「僕の意見も聞いてほしいんだけど……」

 漸く自体が呑み込めてきたのか、タツミはまだ白い顔をしながらもおずおずと言いだした。

「すみません……やっぱり少し水をもらえませんか?」

 ムツミが持ってきた冷たいミネラルウォーターのボトルを半分ほど空けて、ようやく自分を取りもどしたタツミは、既にアナスタシアの膝の上から下りてベンチに腰かけている。

「その……アナスタシアさん……でしたっけ? やっぱりあなたも野人なんですよね」

「イヤン、アナって呼んで?」

 アナスタシアは色っぽく身をくねらせた。これで大抵の男はくたばってしまうだろう。

「ええダーリン、野人の女はお嫌? 嫌だと言っても離せないけど……ごめんなさい、どうしようもないの」

 潤んだ目で自分を見つめる美女。その手はおずおずとタツミに触れようとし……意志の力で下げられた。

「ごめんなさい……タツミ」

「いや! あ……嫌と言うのではなく……びっくりしただけで……何しろ、レオ君に首を絞められたうえ、吹っ飛ばされたかと思うと突然抱きしめられて……今までしたことのない経験だったから……」

「すまん」

「ごめんなさい」

 二人の野人が同時に頭を垂れた。前代未聞の光景だろう。

「や……そうじゃなくて……その……僕レオ君に会ってから、野人にとても興味を持っていて……いや、実験動物的な興味とかじゃないよ! 好意的関心と言うかね……アナスタシアさん?」

「嫌、アナって呼んでって言ってるでしょ、ダーリン」

 二十代にしか見えない六十二歳の美女は、恨みがましい潤んだ目をタツミにくれた。ものすごい迫力である。

「う……じゃ、じゃあアナ」

「なぁに?」

「……君さっき言ってたけど六十二歳って本当?」

「わぁ……タツミ君……」

 思わずムツミは腰を浮かせた。

 なんて直球なの? 

 いくら野人でも女性相手にあんまりではないだろうか? 

 だが、ムツミがハラハラするのを余所にアナスタシアはキラキラと頷いた。

「ええ、私の歳はその通り。野人と人間の流れる時間は違うわ」

「やっぱり、確か長命種だってことだし、そうではないかなとは思ったんだ」

「タツミ君?」

「レオ君と知り合って、僕はもっと野人の人たちについて知りたくなった。ロマネスク・シティに住むある研究者の論文では、野人と言う種は、人間より老化がゆっくりで、実年齢よりよほど若い外見をしている。更にびっくりするのは精神の発達はもっと遅いって事なんだ」

「ええ?」

「そうなんだ」

「ってことは……?」

 ムツミはタツミの言っていることがまだよく呑み込めていない。

「多分アナス……アナの精神年齢はきっと三十歳くらいなんだよ。それならさほど年齢差はないかもしれない……わぷ!」

 真面目な顔で説明するタツミの顎をひょいととらえるとアナスタシアは、熱烈なキスを繰り出した。

「ダーリン! 私のつがい。それなら大丈夫ね? 私はあなたに釣り合うわね……もう放さないわ……覚悟してね」

「いやっ! そこでなんで急に飛躍……あ! うわぁ」

 タツミの悲鳴は真っ赤な唇に飲み込まれた。


「気の毒に……」

 引っ攫われるようにタツミを抱いて、何処へと去って行ったアナスタシアの背中を見送ってレオは呟いた。彼にはこの後行われることがありありと想像できたのだ。

「レオ君」

「ムツミ、何?」

 レオの腕が伸ばされ、ムツミを引き寄せる。

 ムツミも逆らわずにその手に身を委ねた。

「その……レオ君もずっと自分のつがいを探しているの?」

「ああ。正確には探していたと言うべきか」

「いた? 過去形?」

「ああ。もう見つけたからな」

 レオは甘く掠れた声でそう囁くと、大きな目で自分を見つめたままのムツミを抱きしめた。

「つがい……わたし……が?」

「そう。ムツミ、むっちゃん、俺のつがい」

「……」

「初めて見た時すぐに分かった……」

 ならば、出会った時からレオは自分の事を運命の相手として接してきたと言う事だったのか。その想いに気づかぬ振りをして、気づいてからは悩んで、嫉妬して……その間中もずっと。

「……レオ」

「俺と生きて」

「うん……」

 分厚い胸に抱かれながら、自分からもしがみついて、そんな中で、できる限りムツミは首肯しゅこうした。

 喜びで体中が満たされてゆく。

「うん……レオ君。大好き、愛してる」

「ああ、お前の為ならいつでも死ねる」

「嫌」

「え?」

 この期に及んでまさかの拒絶? レオの体が硬直した。

 いよいよここが死に場所なのか?

 強張こわばるレオの頬に小さい手が差し伸べられた。暖かい。

「死んでは嫌。レオ君は私のつがいなんでしょう?」

「ム……そうだ」

「つがいで良かった」

「……」

 野人はもう言葉が出ない。

「だけどもタツミ君の話では私の方が先に年を取るのかな? ……私がおばあさんになっても好きでいてくれる?」

 ムツはレオの頬を挟んだまま、まっすぐに彼を見つめた。

 少し垂れ気味の大きな黒い目。ぷるんとした唇。柔らかい頬の両側に下がる三つ編み。

 これが俺の、俺だけのつがいだ。

 体の奥の方から震えがこみ上げる。

 これがムシャブルイという奴か?

「レオ君?」

 尋ねるように首が傾げられた。

「好き! ムツミだけが好き! アイシテル」

 抱きしめる腕に力がみなぎる。

「じゃあ、私もいつかレオ君の子どもを産んであげる」

 抱きつぶされそうになりながらも健気にムツミは微笑んだ。

「ひぅ……」

 

 それは、野人が生まれて初めて噛みしめる幸せの味であった。

 

 

 

 


今更ですが野人の設定を。「ビースト・ラヴァー」の解説と、ほぼ同じです。

<野人>

獣人と呼ばれる場合もある。一万人に一人の割合で出現する人間の亜種。混血を重ねて滅んだ先住民族の遺伝子が隔世的に現れるのではと推測される。基本的に体格、身体能力ともに人間より優れているが、超人と言う訳ではない。普段は忍耐強いが、時として非常に攻撃的になる事があり、過去に凶悪な犯罪を引き起こした野人もいる。その為、人間からはあまりよい存在とは思われていない。見た目では人間と区別しにくいが、犬歯がやや尖っていることと、暗闇で瞳が光るのが最大の特徴。平均寿命は百年ぐらい。病気や怪我をしても回復力に富む(人間の約二倍ほど)。しかし、その生態は、彼らが記録と言う概念がなく、また人間に語ろうともしないため、未だ知られていない事も多く、一部の学者からは研究対象とみなされている。

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[一言] アナさん、タツミくんGET! レオくんも、ムツミちゃんに、つがいOKもらえて、ハッピー!
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