24.夫婦喧嘩は獅子も喰わない 4
「……やっぱりダメかな? 異種間恋愛」
「それは、分からないけど……あ、後ろ向きな意味で言ったんじゃないよ」
タツミは眼鏡の奥の誠実な目をムツミに向けて言った。
「人間同志だっていろんな恋愛があるじゃないか。似たような人同士でもダメなときはダメになるし、全く違う男女だって幸せになる人だっている。あ、いや、実を言うと、ぼくはあんまり知らないけど」
「私だってそうなんだけど……」
この二人の恋愛経験値は似たり寄ったりである。少ない経験と知識だけで語り合っているのだ。
人通りの少ない裏手に置かれたベンチだが、日当たりは良く、内緒話をするにはちょうどいい。二人は小さなテーブルに身を乗り出して熱心に話し込んでいた。
「だけど、今の気持ちを大切にした方が後で悔やまなくっていいんじゃないのかな? タカトウさんレオ君のこと好きなんだろ?」
「うん、好き。最初思っていたよりずっと好きかも」
ムツミは真面目な顔で言った。
「そんなら尚更ね。それにレオ君だって傍目に気の毒なくらい、タカトウさんの事大事にしてるじゃない」
「うん……そう思う」
野人だからかレオだからなのか、彼の愛情表現はとても素直でいじらしい。ひたすらにムツミを慕って傍にいたがり、触りたがる。見た目立派過ぎる青年だけに、そのギャップにはいまだにムツミも戸惑ってしまうのだ。
「なら、たとえ後で辛くなったって、最初から何にもしないでいるよりずっといいよ」
「……うん。だけど、種族が違うっていうのは、どうにもならないのかなって思って……」
「異種間と言っても人と猿ほど違っている訳でもない。ほんの少しだけ塩基の配列が違うだけの亜種だ。結ばれていけない訳はないよ。後は……お互いの気持ちと勇気だね」
タツミは個人的にずいぶんと調べたようである。
「ロマネスク・シティの科学者の論文を読んだんだよ。その学者は……まぁいいや。キミも良かったら読めば? でも、そんなものに頼らないとダメになるような思いだったら、最初からダメなんじゃないの?」
「そうだ……ね」
タツミの飾り気のない話し方は却ってムツミを勇気づけていく。
「ダメだったらレオ君と別れる?」
「……別れたくない。たとえ結ばれなくったって傍にいたいよ」
「なら、やっぱりレオ君に会いに行きなよ。あれ以来会っていないんだろう?」
レオはあの直後以前から言っていた大きな仕事が入ってしまい、この二日間、連絡を取ることもままならぬ状態になっている。レオは何も言わないが、危険な仕事のようだ。彼はハンターなのだから、危険は常に隣り合わせなのかもしれないが、ムツミは非常に心配になった。
いつもならなんでもムツミを立ててくれるレオも、仕事に関しては話してくれない。守秘義務と言うのも勿論あるのだろうが、彼の仕事のダークな部分をムツミに知られたくない、そして万が一にでも彼女を危険に巻き込みたくないというのが本音だろう。
「会ってない。でも会えるようになったら、きっとすぐに連絡をくれるわ」
「そうだよね」
「アナさんが現れた時、私動転して、レオ君を振り切って逃げてきちゃったから、彼きっと傷ついてる」
「うわぁ……」
思わずタツミはレオに憐憫の情を覚えた。
それは絶対仕事に響いているんじゃ……
「それはすぐにでも会って話した方がいい」
「タツミ君……そうだよね。私も今のレオ君が好きって気持ち、ちゃんと伝えないと」
「だよね。本当は僕が何を言ってもそうするつもりだったんだろ? それに万が一酷く辛いことがあったとしても、僕が傍にいる。僕はずっと友だちだから」
「うん……うん、タツミ君」
ムツミは差し出された繊細な手を取った。
ぽろぽろと涙が伝い落ちる。ムツミは照れたように笑いながらグラスを取って涙を拭った。
なぜだろう? タツミの言った事は至極平凡な事ばかりなのに、彼の人柄ゆえか、とても勇気づけられる。自分ではとっくに結論は出ていた事なのに、こんな風に彼を頼ってしまうのは、自分の弱さと、なけなしの勇気を確認する為だ。そしてそれを認めてくれる言葉が欲しかったのだ。
「ありがとうね、タツミ君……ホントにありがと」
ムツミは両手で彼の手を包み込んだ。男性にしては繊細なその手は、レオに比べると大きさも強さも比べようもないが、それでもムツミにとって、かけがえのない大切な手だった。
「いやぁ……そんなにされると、照れちゃうよ……うわああっ!」
「ひゃああ!」
だすぅ
二人が掛けていたテーブルが見事にぺちゃんこに潰れ、その上に怒りも露わな野人が立っていた。金色の髪が逆立ってまるで本当の鬣のようだ。
「レオ君!」
ムツミの上げた声は当然のことながら喜色に満ちている。が、
レオは憤怒の仁王像である。その目が怒りに燃えてタツミを見据えている。――と、長い腕がぐん、と伸びた。タツミの喉首に向かって。
「な、何? うぐぐぐ」
太い指につかまれたタツミの体が持ち上がる。
「よくも……」
「え? え? え? なんでレオ君!? やめて!」
ムツミの必死の制止の言葉も怒りで我を忘れた野人には届かないのか、タツミを締め上げる腕が緩むことはない。
目の前で自分のつがいと手を取り合い、見つめ合った雄に向け、怒りのエネルギーが放たれている。
「やめてぇ!」
「……ぐぅっ」
タツミの顔が真っ赤に染まり、手足が虚しく空を掻いた。
その時――
「ぐあ!」
突然レオの大きな体が真横に吹っ飛んだのである。
完全に不意を突かれた野人が脇の壁に激突した。その拍子で指が解かれたタツミが、地べたに落されてげほげほと激しく咳込んでいる。
一体何が起きたのか。
タツミもムツミも、いや、当のレオでさえ何が起きたか理解できず、驚愕に目を見開いているのだ。
「この馬鹿タレがぁっ!!」
憤怒の形相も凄まじい銀色の女が、さっきまでレオが立っていたテーブルの残骸の上に仁王立ちしていた。
「このコに手を出したら殺すわよ!」
――このコ?
「ムツ……」
「シャアッ!」
ムツミを庇おうと飛び起きたレオに向かって、アナスタシアが再び激しく蹴りを入れた。硬く尖った踵をまともに頭に喰らってレオが仰け反る。それでもアナスタシアは容赦ない。胸に、鳩尾に、ほれぼれするような速さでキックを次々に繰り出している。頭からは血が噴き出して野人の髪と額を汚した。
「きゃあああ!」
我に返ったムツミが絶叫し、レオに駆け寄った。
「レオ君!」
「ぐっ……」
「ア、アナスタシアさん! 止めて! お願い、止めてください! レオ君が死んでしまう! あなたが腹を立てているのは私でしょう!? だったら私を蹴ればいいわ! さぁ!」
「や……めろ! ムツミ……本当に殺される!」
レオは頭から夥しく血を流しながらも、ムツミを背後に庇おうとする。
「くそ! アナ! ムツミに指一本でも触れて見ろ……お前の肉を生きたまま喰ってやる! 婆ぁ! 俺は本気だぞ! ……殺してやる」
低いレオの呪詛。野人の男と女の真っ向勝負だ。どちらかが死ぬまで戦うしかない、レオがそう腹を括ったとき――
「やめて……よ……罵り合うのは……」
しわがれた声はタツミであった。
ようやく半身を起こして片膝をついたが、グラスは何処かへ吹っ飛び、いつもきちんとしている服は敗れて乱れ、髪は汗で皮膚に張り付いている。顔は真っ青だった。
「こんな争いは無意味だ……皆やめ……やめるんだ……ぐ!」
不意に込み上げたのか、タツミは苦しげに顔を歪めると、胃の中のものを吐き出した。
「きゃああああ!」
耳を劈く女の悲鳴。
「え? え? え?」
誰の声? 何が起きたのかと、ムツミは目を白黒させた。もう何が何だかさっぱり状況についていけない、そう思った時、更に事態は、ムツミの思考のはるか上を突き抜けた。
銀色の物体がものすごい速さで目の前を通過してゆく。
「あああ! しっかりしてマイダーリン! やっと見つけた私のつがい!」
美女の豊満な胸の谷間に、吐瀉物にまみれたタツミが埋め込まれていた。
このコ→タツミ




