第28話:決戦前夜
続きです。
お父様は何を思う……?
――風邪を引いてはいけない、とお父様の指示で、わたくしはすぐに浴室へと向かいました。
暖かなお湯に身を沈め、石鹸で何度も髪と体を洗います。
泥も煤も、お湯と共に流されていくのに……どうしても「あの匂い」だけが落ちないのです。
(……まだ、消えない……)
上品な石鹸の香りを突き抜けてくる、あの甘ったるい香水と、焼け焦げた煤の混じった嫌な匂い。
どれだけ念入りに洗っても、鼻腔の奥にこびりついた不快感は拭えませんでした。
結局、わたくしは不快感を抱えたまま、厚手のローブに身を包んで居間へと向かいました。
居間ではお父様とお母様、アルフォンスお兄様が待っていました。
セレナも湯浴みを終え、メイドが淹れてくれた紅茶を飲みながら今日の出来事を話しました。
鞄の中にしまっていた証拠をクラリス様が持ち出したこと、わたくしたちの目の前で証拠を燃やされ、殆ど燃えてしまい証拠として成り立たなくなってしまったこと……。
「クソ……。昨日の時点で僕が無理にでもマリーから指示書を預かっていればこんなことには……!」
アルフォンスお兄様は、悔しさに顔を歪めて拳を握りしめました。妹が目の前で希望を奪われる瞬間に居合わせられなかった自分を、激しく責めているのがわかります。
「……マリアンヌ。顔をあげなさい」
お父様が静かに口を開きました。
「確かに指示書は燃えてしまったかもしれない。……だが、お前が救おうとした少女の心や、お前の戦う姿勢も燃え尽きているのかい?私は違うと思うがね」
「……」
「マリアンヌ、お前は何もやっていない。やってもいない罪で裁かれる必要などないんだ。お前はただ、堂々としていればいい」
お父様はわたくしの目を真っ直ぐに見つめ、口元に微かな笑みを浮かべました。
「お前は『氷の令嬢』なのだろう? だったら、最後までその誇りを貫き通しなさい。グラサージュの娘として、凛としていればいい」
「……お父様……」
お母様も静かにわたくしの隣に座り、冷えた手をそっと握りしめてくださいました。言葉は発せずとも、手の温もりから気持ちが伝わってきます。
「ですが、お父様……。もし明日、エドワード様がわたくしの言葉を一切聞き入れず、国外追放を……いえ、最悪の場合は処刑を命じられたら……」
わたくしの震える声に、アルフォンスお兄様が息を呑むのが分かりました。ですが、お父様は動じることなく、むしろ不敵な笑みを浮かべて「ニヤリ」と口角を上げたのです。
「何、そんなことはさせないよ。マリアンヌ、お前の父を誰だと思っている?」
お父様はゆったりと背もたれに体を預け、確信に満ちた声で続けました。
「お前がこの一週間戦っている間、私だってただ仕事をしていたわけじゃない。……万が一、殿下が暴走したとしても、それを即座に差し止め、守る準備もすべて整えてある。それに……な」
お父様が更に口角を上げ、不敵に笑いました。その姿は、おとぎ話に出てくる悪役——いえ、慈悲なき魔王そのもの。
ですがわたくしは、その恐ろしくも頼もしいお父様の笑みを見て、ようやく、心にこびりついていた恐怖が消え去り、凪いだ海のように落ち着いたのでした。
「……はい、お父様」
その後、家族の愛と信頼に守られ、わたくしはセレナと共に寝室へと下がりました。
明日への覚悟を決め、ようやく微かな眠気が訪れようとした、その時です。
「……マリアンヌ様。失礼……まだ、あの匂いがいたしませんか?メイドから聞きましたが丹念に髪を洗ったのですよね?私も念入りに手を洗ったのですが……」
髪を梳かしていたセレナが、ふと手を止めて顔をしかめました。
わたくしも、鼻をくすぐる異変に気づきます。
(セレナも……気づいていたのね……)
窓を閉め切り、灯りを消した暗闇の中。
あんなに丁寧に洗ったはずなのに。あんなに温かな家族の愛に触れたはずなのに。
わたくしは一抹の不安を抱きながら明日に備え眠りについたのです。
微かに、けれど確かな主張を持って漂う「甘ったるい花の香り」。
――氷の令嬢は、その意外な正体にまだ気づいていない。
一週間の猶予:残り1日
さてさて波乱の6日目終了です!
明日からは最終章!ラストまで全力で投稿します!
また、3月8日15:00に短編を1つ投稿予定です。
こちらは現代日本の恋愛ものです(多分)。
下手っぴですが是非お読みいただけると幸いです。
18時の万物の聴手もよろしくお願いいたします!




