第17.5話:軋みゆく歯車(後編)
外伝後半です。
まぁとにかく救いがありません。
「嬉しいですわ、エドワード様ぁ……」
絡められた腕から伝わる、甘ったるい香水の匂い。その響きが、今のエドワードには唯一の救いだった。
「いいんだよ、クラリス。……昨日は、すまなかった。僕の配慮が足りず、変なことを聞いたせいで君を泣かせてしまった。もういい、その話はやめよう。今日は仕切り直しだ」
昨夜、胸の奥に芽生えた黒い泥のような疑惑に蓋をするように、彼は努めて明るい声を出す。
校門を出る際、隙を突いて護衛の騎士たちを撒くのは容易ではなかった。常に自分を見張る「王の目」から逃れ、身分を隠して雑踏に紛れる。その背徳的な解放感が、エドワードの焦燥を「真実の愛ゆえの情熱」という名の錯覚に塗り替えていく。
(そうだ。こうして2人きりになれば、昨日のあんな顔は、僕の見間違いだったとわかるはずなんだ……)
「このパティスリーで好きなものを何でも頼むといい。君の笑顔が見られるなら、僕はなんだってするよ」
昨夜の不信感も、胸のざわつきも、彼女の喜ぶ顔さえ見れば全ては「杞憂」として消えてなくなるはずだ――そう信じたかった。
しかし、色鮮やかなケーキが運ばれて来てから、その淡い期待を切り裂くように『事件』は起きる。
「……エドワード様の前で、よくもこれほど『無礼』なものを出せましたわね?」
クラリスの慇懃な罵倒が店内に響く。
(……何を言っているんだ!?眼の前にいる彼女は本当に……クラリスなのか……?)
エドワードは、震える店員を理詰めで追い詰める彼女を見て、恐怖心を覚えながらもまるで他人事のように眺めていた。
彼女が口にする「王族への不敬」という言葉。それはかつてマリアンヌが、その立場を笠に着ることなく、誰に対しても等しく向けていた慈愛とは正反対の、暴力的な選民意識だった。
(マリアンヌなら、こんな時……)
一瞬だけよぎったかつての婚約者の、凛とした微笑み。
だが、彼はその思考をすぐさま脳の奥底へ踏みつけた。今さら彼女の正しさを認めるわけにはいかない。
「……あぁ。そうだね、クラリス。……君の言う通りだ」
乾いた声で同調した瞬間、エドワードの心から何かが抜け落ちた。
結局、ケーキの味など一口もしなかった。
彼女への詫びとして、今、王都で大人気の小物店で贈り物を購入しようと思った。そうでもしなければ、自分自身の選択を「正解」だと信じ込むことができなかったのだ。
店へ向かう道中、1台の豪華な馬車とすれ違う。
窓越しに見えたその顔に、エドワードの心臓が不快な音を立てた。
(アルフォンス・フォン・グラサージュ……)
エドワードの足が、一瞬だけ止まった。
マリアンヌの兄であり、常に妹を慈しんでいた男。
彼は小さな箱を大切そうに抱え、迷いのない穏やかな笑みを浮かべていた。
「……あちらが、本物だというのか」
妹を愛する兄と、その兄が愛するマリアンヌ。
彼らの持つ「正しさ」の残光が、今の自分の卑屈さを鋭く刺す。
「エドワード様ぁ? どうかなさって?」
クラリスの不審げな声に、彼は弾かれたように歩き出す。
逃げるように小物店へ駆け込み、棚に並んだリボンを指差した。
絹でできたリボンのあまりの軽さに、ふと自分とクラリスの繋がりを重ねてしまった。直後、言いようのない不安を彼が襲う。だが、高価な贈り物を買ったという達成感で無理やり塗りつぶした。
「……さあ、この店で一番高価なリボンを選ぼう。君には、最高級の輝きこそが相応しい」
アルフォンスの瞳にあった光。それを持たない自分を誤魔化すように、彼はひたすら「高価な物」で空白を埋めようとした。
そうして手に入れた絹のリボンを抱えて帰城した彼を待っていたのは、すべてを見透かした父からの呼び出しだった。
国王は、一束の報告書をデスクに放り投げた。
そこには、エドワードが「撒いた」と思っていた護衛たちが綴った、今日1日のあまりに詳細で冷徹な記録が並んでいた。パティスリーでの醜態、そして彼女が起こした店員への傲慢な振る舞い。
「……父上、これは……」
「読みなさい。その上で問おう。お前は、まだその女との間に『真実の愛』があると言い張るつもりか?」
エドワードの手が、報告書を持つ端から震えだす。
事実を羅列された紙面が、自分の正当性を粉々に砕いていく。耐えきれなくなった彼は、報告書をデスクに叩きつけた。
「……うるさいッ! わかっていないのは父上の方です! 彼女は……クラリスはあの女に陥れられた被害者なんだ!…… 全ては卒業式でわかる。その時になれば、父上だって僕に謝ることになるのだから!」
怒りと悲しみ、そして信じたくない思いが入り混じった咆哮。
それを聞いた国王は、怒るでもなく、ただ深い、深い溜息を吐いた。
「……わかった。ならば、もう何も言うまい」
国王の瞳から、最後の一滴の温もりが消える。
「ただ、最後まで貫け。……お前の選んだその『真実の愛』とやらを、死ぬまで離すなよ」
「言われなくても……!」
吐き捨てて、エドワードは執務室を飛び出した。
「……父上こそ、後悔すればいいんだ……」
背後で重厚な扉が閉まる。
その音が、彼を唯一救えたはずの世界からの「断絶」の音だとも気づかず。
もはや運命の歯車の軋みは止まらない。
彼はついに、歯車の軋みに気づいたのである。
いかがでしたかー?
本当はクラリスの慇懃無礼な罵倒シーンをもっと書こうと思いましたが、良心がブレーキをかけてしまいました。
クラリスの豹変はこのあとたっぷりと書いていますのでお楽しみに(?)
明日から第4章です!
マリアンヌ様お待たせして申し訳ない。ここから事件の真相が判明します。
ではでは〜




