罪悪感
《サイド:栗原徹》
…これは、いけませんね。
どこかで朽ち果てた兵士が死の間際に残した言葉。
その言葉をきっかけとして、
深海さんの瞳から光が消えてしまったのです。
「私…私…が、私が…殺した…。私が…っ。」
…くっ!?
…まずいっ!
「いけません!!深海さん!気をしっかり持ってください!!」
呟く深海さんの言葉を聞いた瞬間に、
致命的な危機感を感じてしまいました。
「一旦、冷静に…っ!」
心が病んでしまう前にと考えて何度も必死に呼び掛けてみたのですが、
もはや手遅れだったようです。
深海さんの心は…自らの犯した罪によってすでに壊れようとしていたのです。
「…私が…私が…っ。」
二つの瞳から光が消えて、
ただ呆然と虚空を見つめています。
「私が…殺した…。」
視点の定まらない視線。
自らの犯した罪を感じてしまった深海さんの心は、
殺人という罪によって壊れかけていました。
「…私が殺した…。私が…殺した…。私が…」
何度も同じ言葉を繰り返しています。
その声は悲痛な叫びにしか聞こえません。
罪の意識に耐え切れなかった深海さんの…心の叫びなのです。
「深海さん…っ!」
「私が…。」
何度呼びかけてみても反応はありません。
現実を受け入れられずに、
現実から目を背けた深海さんの心の悲鳴だけが、
ただただ虚しく繰り返されているのです。
「くっ…!」
何度も繰り返される深海さんの呟き声を聞いてしまったことで自らの過ちに気付いてしまいました。
「委ねるべきでは…なかったのですね…っ。」
深海さんを戦わせるべきではなかったのです。
僕が前に出て深海さんに援護を頼むべきだったのです。
そうしていれば深海さんが罪を犯すことはなかったはずです。
…それなのにっ。
攻撃が不得意なことを理由に、
深海さんに攻撃を委ねてしまいました。
その結果として。
深海さんは…人を殺すことになってしまったのです。
ここは戦場であり、
命をかけた戦いです。
だからこそ殺し合いは仕方がない行為です。
…とはいえ。
その『罪の意識』に。
殺人という罪の重さに。
心が耐えられない可能性を考慮していませんでした。
「いつの間にか…殺し合うことが当たり前だと思ってしまっていたようですね…。」
医師であるはずの僕が、
すでに殺人を当たり前の行為だと思っていたのです。
…なんと愚かな!
何も考えていなかった自分自身を責め立てていました。
「僕は…っ!僕は一体、何をしているんだっ!!」
込み上げてくるのは自身への怒りです。
激しい後悔が心の中を支配していました。
「僕がいながら!僕がいながらっ!どうして守れないんだっ!」
自分自身への嫌悪すら感じてしまいます。
深海さんはまだ死んだわけではありません。
ですがその心が壊れて、
人格が崩壊してしまったのです。
…これは。
この状況は愛里ちゃんの時にも考えるべきことでした。
心優しき少女達が罪の重さに耐え切れない可能性を考えるべきだったのです!
「愛里ちゃん…っ。深海さん…っ。」
愛里ちゃんは人を殺すことなく短い人生を終えました。
だから気付かなかったのです。
…ですが。
もしも愛里ちゃんが人を殺していたら?
もしも誰かの命を奪っていたら?
きっと愛里ちゃんも…心が壊れていたかもしれません。
その可能性を考えるべきだったのです。
「考えるべきだったのです!もっと深く考えるべきだったのです!!」
唇を噛み締めて。
ぐっと手を強く握り。
唇や手から一筋の血が流れようとも、
今はその痛みを受け入れました。
「愛里ちゃんの痛みは…深海さんの苦しみは…こんなものじゃないんです!!」
愛里ちゃんに救われた命。
深海さんに救われた命。
二人の少女の犠牲によって、
僕は今を生きているのです。
その事実が許せませんでした。
「苦しむべきなのは…僕なのにっ!!」
悔み、叫んだ直後に。
「ならば死ね!!」
「えっ!?」
背後から声が聞こえてきました。
…ですが。
声に気付いた時にはすでに遅かったようです。
『ドスッ…!!』と、
背中からナイフを突き刺されたのです。
「う、うああああああぁぁぁぁぁっ!!!!!!」
背中に激痛が走りました。
痛みでその場に崩れ落ちてしまいます。
そのあまりの痛みによって大声で叫んだ僕の背後には、
深海さんの攻撃の影響を受けていなかったと思われる複数の陰陽師達が立っていました。
「まだ…生きて…いたのですか…っ!?」
「当然だ。」
陰陽師達は余裕の笑みを浮かべながら答えました。
「炎への結界程度ならば即座に展開出来るからな。」
…ああ、なるほど。
そうでしたね。
これまでの陰陽師の能力を考えればごく当然の回答でした。
炎の影響を逃れた様子の陰陽師の傍には4人の陰陽師がいます。
深海さんの起こした惨劇の影に隠れて、
5人の陰陽師だけは生き残っていたのです。
その事実に気付いたことで、
再び唇を噛み締めてしまいました。
…くっ!
「僕はまた同じ過ちを…っ!」
同じ失敗を繰り返してしまったのです。
かつて王都で愛里ちゃんを失った時と同様に、
敵の生存を確認する事を忘れて油断してしまっていたのです。
その事実に気付いて自らのうかつさを呪いました。
「僕は…馬鹿だ…っ。」
僕はなんて馬鹿なんだ…!!
自分自身を責めながらも、
この状況を打開するために背中の治療を急ぎました。
回復魔術は専門分野ですので。
どう対処してどう治療すればいいかを考えるよりも、
体が反応するほうが早かったようです。
無意識に発動していた魔術によって光り輝く背中。
攻撃は不得意でも回復は得意ですので、
即座に治療を終えた僕は深海さんの前に立ちはだかりました。
「彼女に手出しはさせませんっ!」
気合を込めて力強く宣言してみましたが。
5人の陰陽師に取り囲まれた状況で生き抜く術などありません。
既に囲まれてしまっているのですから。
こうなってしまった以上は、
自らの『運命』を受け入れるしかないでしょう。
…もはや生き残ることは不可能です。
残る敵はたったの5人ですが、
その敵は陰陽師なのです。
軍の兵士達と違って格闘戦を得意としているわけではありませんが、
それでも魔術師と比較すれば陰陽師が近接戦を得意としていることは間違いないでしょう。
攻撃の為に魔術を詠唱する魔術師とは違って、
陰陽師は護符に念を込めるだけでいいのです。
行動から発動までの時間差。
それは圧倒的に魔術師が不利です。
それなのに陰陽師に接近を許してしまった現状では、
ただでさえ攻撃魔術を不得意としている僕に陰陽師を倒す力は存在しません。
「…どうやら僕の人生もここまでのようですね。」
もはや現実を受け入れるしかありません。
…ですが!!
諦めることは許されないのです!
護符を構える陰陽師達に視線を向けたまま、
僕は深海さんの生存を願い続けました。
「…僕が死ぬのは構いません。」
ですがそれは僕だけです。
彼女だけは死んでも守り抜くつもりでいます。
「結界をっ!」
決死の覚悟を胸に秘めて、
必死に魔術の詠唱を始めました。
「…無駄な抵抗だ。」
陰陽師の一人が呟いて護符を放ちます。
「急々如律令!!」
陰陽師の手から護符が離れて接近する直前に。
「にゃーっ!! 」
全力で駆けつけてくれた精霊が護符に食いついて、
僕の前を通り過ぎていきました。
『バチバチバチバチッ!!!!』と精霊の口元で発動する陰陽術。
それは何度か目にしたことのある悪鬼退散の術のようです。
強力な電撃が護符から発生して精霊の体を襲っていました。
…ですが。
精霊に力が通じないことはすでに実証済みです。
だからでしょうか。
精霊は何事もなかったかのように、
陰陽師達に振り返っていました。
「にゃーーーっ!!!!」
…ん?
いつもとは違った様子に思えますね。
現在の鳴き声は可愛らしいというよりも、
まるで本当に『怒っている』かのように感じられるからです。
「にゃーーーーっ!!!!」
再び鳴き声を上げるミルク。
その力が発動したことで、
陰陽師達の体が一斉に吹き飛ばされました。




