突然の呼びかけ
「ひとまず見覚えのある大通りに出られましたね。」
ここから廃屋まではそれほど遠くはありませんし、
何とかここまで離れれば逃げ切れるでしょう。
隠れ家として使用している廃屋まではあと少しです。
研究所からもかなり離れることができましたので、
ここまでくればもう追っ手も来ないと思います。
体力的にも限界に来ているので走る速度を緩めて呼吸を整えようとしたのですが。
その瞬間に予想外の事態が起きてしまいました。
『ビュンッ!』と、風を切る音が聞こえたのです。
そして。
次の瞬間に一本の矢が左足に突き刺さりました。
「う…わあっ!?」
「徹さんっ!?」
突然の出来事に慌てる僕の体を愛里ちゃんが支えてくれたのですが、
背後を振り返ってみると僕達の後方からアストリア軍が接近しつつありました。
「狙撃成功!!」
「魔術師を見つけたぞーー!!」
「こっちだ!!」
「逃がすなぁぁっ!!!!」
迫って来るのは数名のアストリア軍です。
彼らの手には弓と矢が握られているのが見えました。
「…くっ!」
見た目だけでは僕達が魔術師だとわかるはずがありません。
だから近隣を巡回していた警備兵というわけではないでしょう。
おそらく研究所から追撃してきた部隊です。
…振り切ったと思ったのですが。
いくら天城さんが足止めを行っているとは言っても数千の軍隊を一人残らずくい止められるわけではありません。
少なからず追撃部隊はあるはずです。
そのことは最初からわかっていましたので即座に反撃出来ました。
残り僅かな魔力で出来る簡単な魔術ですが、
それでも十分でしょう。
「ファイアー・ボール!!!」
敵は数名。
今ならまだ迎撃できます。
炎の球を放ち。
追撃部隊の足元へと着弾させます。
立ち上る火柱。
拡散する炎。
兵士達は一人残らず炎に飲み込まれたようですね。
「ぐあああああああっ!!!!」
燃え上がる火柱に巻き込まれて追撃部隊の兵士達が倒れました。
全滅…と言って良いのでしょうか?
動かなくなった兵士達の様子を見て一息吐きます。
「ふう。危なかったですね。何とか振り切ったと思ったのですが…やはりそう上手くは行きませんね。」
隠れ家にたどり着くまで、
まだまだ油断は出来ないようです。
「もう少し警戒を続けましょう。」
目的地にたどり着くまで安心できません。
まずは移動を優先して逃亡を続けたいのですが、
その前にやらなければいけないことがあります。
左足を負傷したままでは歩くことさえ出来ませんからね。
一秒でも早くこの場から立ち去るために、
左足の治療を済ませてしまいたいと思います。
「とにかく矢の摘出が優先ですね…。」
ひとまず無事に戦闘を終えられたことで左足に突き刺さる矢を引き抜こうとしたのですが…。
「く…ぅぁぁぁ…っ!!」
この手の行為はやはり精神的にきついですね。
単に怪我をしただけであれば治療するのは簡単なのですが、
矢が突き刺さった状態ではどんな治療も意味がありません。
矢を引き抜くという魔術は現時点では存在しませんので、
まずは矢を除去することから始めなければいけないのです。
本来なら痛み止めの魔術を使用するところですが、
今は余分な魔力がありませんので、
自らの体を抉るかのような痛みを堪えながらも必死に矢を引き抜こうと努力するしかありませんでした。
「あと、少し…っ。」
少し時間がかかってしまいましたが、
無事に矢を引き抜くことには成功しました。
「…ふう。」
大きく息を吐いて左足に刺さる矢を完全に引き抜いた瞬間に。
「ヒーリング!」
愛里ちゃんが治療の為の魔術を発動してくれました。
回復魔術としては中級の魔術ですね。
傷口を塞いで患部を殺菌する効果もあるので応急手当以上の効果が望める魔術なのですが、
体内の組織まで治療できるわけではありませんので痛みと言える違和感までは完全に消し去ることが出来ません。
本来であれば上級の魔術で怪我を完治させたほうが違和感なく治療できるのですが、
やはり愛里ちゃんにも上級魔術を発動出来るだけの魔力に余裕がないのでしょう。
治療というよりも応急手当が精一杯のようでした。
…とは言っても。
走れる程度には治りましたので、
これなら移動は難しくありません。
「ありがとうございます。」
「…い、いえ…。」
微笑む僕を見た愛里ちゃんは照れ臭そうに顔を赤くしながら俯いています。
恥ずかしさを感じて俯く愛里ちゃんはいつ見ても可愛らしいですね。
もう少し見ていたい気がしますが、
いつまでもここにいるわけにはいきませんからね。
さらなる追っ手が迫る前に、
この場から離れるべきでしょう。
頬を赤く染めたままの愛里ちゃんの手を掴んで、
急いでこの場所から逃げようと思います。
「今の騒ぎで次の追っ手が来るかも知れません。急いでこの場を離れましょう。」
隠れ家へと急ぐために急いで歩きだそうとしました。
…ですが。
「…あれ…っ?」
僕が歩き出した瞬間に。
愛里ちゃんは何かに気づいた様子でした。
どうしたのでしょうか?
僕自身は何も気づきませんでした。
本当に微かな物音だったみたいです。
…それなのに。
愛里ちゃんはその音に敏感に反応していたようです。
何も気付かずに歩きだそうとする僕の背後へと視線を向けた愛里ちゃんは、
後方で何かを確認して動きを止めていました。
「愛里ちゃん…?」
動き出さない愛里ちゃんを不思議に思って振り返ろうとしたその瞬間に。
「…とっ、徹さん!!!」
愛里ちゃんは体をひるがえして僕の真後ろへと移動しました。
僕に背を向けて。
僕の目の前で。
両手を広げたのです。
まるで僕を庇うかのように。
まるで何かを遮るかのように。
「…な、何…を…?」
愛里ちゃんばかり気にしていたせいで、
僕はその先を見ていませんでした。
僕の視線は愛里ちゃんの動きだけを眺めていたからです。
…ですが。
愛里ちゃんは別の場所を見ています。
その行動の意味に僕が気づくその前に、
愛里ちゃんはすでに覚悟を決めていました。
「徹さん…。」
「え…っ?」
突然の呼び掛け。
訳が分からないまま彷徨わせた視線が、
最も恐れていた光景を映し出しまったのです。




