高位魔術
《サイド:琴平愛里》
「…朱鷺田さんが手招きしてますね。」
研究所から出てきた朱鷺田さんの姿を路地裏から確認しました。
「行くぞ。」
「ええ。」
「はい!」
天城さんを先頭に走り出します。
警備を行っていた兵士さん達がいない間に、
朱鷺田さんと合流した私達は研究所の内部まで一気に走り抜けました。
夜の闇に紛れていたこともあって、
巡回している兵士さん達にも気づかれなかったと思います。
上手く研究所の受付付近までは潜入出来ました。
…ですが、そこままです。
ここから先には進めません。
出来ることならこのまますぐにでも別の場所まで移動したいのですが、
どうしても避けられない問題に直面してしまったことで身動きが取れない状態になってしまったからです。
研究所内に侵入したまでは良いのですが、
受付にいるお姉さんの視線をどうやって回避するかで悩んでしまいました。
ここまできて騒ぎは起こしたくありません。
ですがさすがに4人全員が気付かれずに通行出来るとは思えません。
特に私が足を引っ張ってしまうような気がします。
運動神経は限りなく低いので、
物音を立てずに隠れながら走るなんて器用なことはできません。
…困りました。
騒ぎが起きないように。
どうにか気付かれないように。
こっそり通り抜ける必要があるんです。
「どうしますか?」
「………。」
確認のために聞いてみたのですが、
さすがに都合の良い作戦は思いつかない様子ですね。
…だとしたら。
ようやく私の出番かもしれません。
「ここは私に任せてください。」
少し困った雰囲気で悩む朱鷺田さんの前に歩み出ることにしました。
…運動は得意ではありませんし。
…医療に関すること以外は色々と苦手です。
それでも。
『医療』に関する魔術なら少しだけ自信があります。
本来ならこういう使い方はしないのですが、
現在の時間帯とこの場所の雰囲気を利用すれば他のどんな手段よりも安全確実な魔術があります。
「一応…悪用は禁止されてるんですけど。」
今は潜入作戦ですから良いですよね?
緊急時ですし。
安全優先で良いですよね?
お父さんには怒られるかもしれませんが、
たぶん薫ちゃんや徹さんならわかってくれると思います。
たぶん…ですけど…。
分かってくれます…よね?
自分に言い聞かせるように思いを込めながら魔術を詠唱しました。
ここで使う魔術は『強制睡眠』です。
「…スリープ…!」
小声で魔術を発動させると。
『睡眠』効果が受付のお姉さんの身体を包み込みました。
「う…ん…?何だか…眠くなって…」
ボソボソと呟いたお姉さんは、
お仕事の手を止めてそのまま眠りに落ちました。
…はふぅ。
「成功ですね。」
睡眠の魔術は色々と悪用されがちな魔術ですので、
本来は医療以外での使用は禁止されています。
……ですが。
こういった作戦での効果は非常に高いと思います。
…帰ったらお父さんに怒られるかもしれませんけど。
「さすがはマールグリナの生徒ですね。」
朱鷺田さんは私を褒めてくれました。
「睡眠魔術は高位の魔術医師にしか使えない特殊な魔術だったと思いますが?」
「あ…はい。」
一応、そういう扱いになっています。
ですがそれは魔術を悪用されないために習得が難しいと公表されているだけで、
実際にはそれほど難しい技術ではなかったりします。
もちろんその事実は口外できませんし。
決して悪用しないことを宣誓して色々な手続きをしなければ魔術を教えていただくことはできません。
そのせいで医療学園でもごく一部しか使えない魔術になっています。
…あくまでも共和国限定の話ですが。
世間一般的に見ても睡眠魔術は禁呪に最も近い医療魔術として認識されているはずです。
…ですので。
褒めていただいても、
ちょっぴり複雑な気分だったりします。
「えっと、その…効果は短時間ですし、それ以上の効果も有りませんので…たいしたことはないです。」
「いえいえ、それでも素晴らしい技術ですよ。」
控えめに受け答えをする私と褒め続ける朱鷺田さんでしたが、
そんな会話の間に天城さんは受付に歩み寄っていました。
書類の整理に追われていたお姉さんの周りを調べているようです。
何か気になるもの物があるのでしょうか?
個人的には後ろめたい気持ちがありますので受付のお姉さんに近づこうとは思わないのですが、
天城さんは幾つかの書類を回収しているように見えます。
「これは役に立つだろう。」
最初に手にしたのは『研究所の案内図』のようでした。
案内図を手に入れた天城さんは、
他の書類にも目を向けています。
「職員の名簿があるな。これも調べる価値があるだろう。」
研究所の『人物名簿』があることに気付いたようですね。
そのまま名簿も回収していました。
パラパラとページをめくって一通りの内容に目を通す天城さんですが、
その表情は少しだけ険しいような気がします。
「どうかされましたか?」
あまり近づかないようにしながら尋ねてみました。
「いや…まだ未整理なのか、それともこれが全てなのか分からないが、名簿には幾つかの欠番があるようだ。職員の入れ替わりが多いのかもしれないが、これでは職員の把握が追いつかないだろう。」
…えっと。
どういうことでしょうか?
職員の方が次々と入れ替わる…ということがあるのでしょうか?
よく分かりませんけれど。
そのおかげで朱鷺田さんは関係者としてごまかせたのでしょうか?
「もう少し調べたほうがいいだろうな。」
案内図と一緒に名簿も持ち出すことにしたようです。
「…今はこの程度か。」
他の書類にも目を通した天城さんは、
調査を中断して受付を離れました。
「それでは行きましょうか。栗原さんが更衣室で待っているはずです。」
先頭を歩く朱鷺田さんが更衣室まで案内してくれるみたいです。
…早く徹さんと合流したいです。
そのために私達は足早に受付を離れました。
…ですが、その直後に。
お姉さんは目を覚ましたようですね。
「ん…うん…?あ、あら…寝ちゃってたわ…。」
軽く頭を振ってから、
ほっぺを『ペチペチ』と叩いています。
「最近寝てないから疲れてるのね…きっと。」
眠らされていた事実には気づかずに仕事を再開していました。
期待していた通り、
騒ぎにならずに済みそうですね。
ですが書類の紛失には気付くかもしれませんので、
その前に急いで更衣室まで向かうことにしました。




