欲望の鍵
《サイド:美袋翔子》
午後9時30分。
沙織と成美ちゃんと私の3人は、
いつもより少し遅めの夕食を終えてから沙織の部屋に集まったのよ。
幸せそうな表情の成美ちゃんは今日もご機嫌そうね。
その姿を見て微笑む沙織も何だか嬉しそうに見えるわ。
そんな二人と向き合って座ってるんだけど。
いつもと同じ状況のはずなのに。
今日はいつもと雰囲気が違うと思うわ。
…その理由はまあ、アレよ。
私が真剣な表情でテーブルを見つめてるからなんだけどね。
…うぅぅぅ〜〜~ん。
どうしようかな~?って。
ここに来てからずっと悩んでるのよ。
…だって、ね?
これが最期になるかも知れないのよ?
だとしたら。
悔いは残したくないわよね?
出来ることは全部やりたいと思うのが当然の流れだと思わない?
そんなふうに思いながら。
いつもは一つしか食べないと決めてる『ミルクレープ』と本気で向き合っているところなのよ。
もしかしたらね。
もしかしたらよ?
今日が最後かも知れないのよ?
生きて帰れる保証のない戦争。
死ぬかもしれない可能性を考えたらね?
今ここでダイエットを考える必要ってあるの?
生きるか死ぬかっていう状況になるのよ?
太る太らないなんて、些細な問題じゃない?
むしろ。
しっかり糖分を補給しておくべきじゃない?
万が一食事ができない状況に陥っても、
痩せるだけで済むかも知れないのよ?
…でも、ね。
一時的にでも太っちゃうのはちょっと怖いわよね?
…って言うか。
そういう姿を総魔に見られるのはちょっと…ね。
嫌すぎるわ。
再会した時に「太った?」なんて聞かれでもしたら。
軽く1週間は断食生活に突入すると思う。
…まあ、総魔はそんなこと言わないと思うけど。
だけど太っちゃうのは普通に嫌よね!?
…でもでもっ!!
今日が最期かもれないって思うと、
最後くらいは…って、思っちゃうよね?
…だけど、太るのは嫌ぁぁぁぁ。
なんてことをひたすら考えてるわけだけど。
心の中では壮絶な戦いを繰り広げているのよ。
まあ、要するにね。
ケーキをお代わりするかどうかっていうだけの悩みなんだけどね。
とてつもなくくだらない悩みだって自分でも分かってる。
…分かってるんだけどね。
それでも真剣に悩んでいるのよ。
お代わり出来るケーキはあるの。
すでに確認済みだからこそ悩んでいるのよ。
…でもね〜?
太るのは怖いのっ!
…それはもうね。
死ぬよりも怖いのよ!!!
ケーキ一個で?とか甘い考えは危険過ぎるわ!
…その油断が。
…その甘い考えが。
体重を加速度的に増やしていくのよっ!!!
…とは言え。
恐れ、怯えるけれど。
それでも欲望には逆らえないのが人間よね?
だから死ぬ前にね。
もう一度だけしてみたいこと。
…それは。
ケーキ食べ放題っ!!!
かつて泣きたくなるほど苦しんで、
自分で制限を課した禁断の欲望。
それはたった一つのわがままだけど。
命懸けの欲望でもあるわ。
もしも明日、死ぬとしたら?
私は今日、我慢という言葉を捨ててしまおうと思うの。
たった一度だけでいいから。
何もかも忘れて。
欲望のままに生きてみたいのよ。
その想いが心の中で膨らんでいるわ。
…これはもう、あれよね?
…やっちゃっても良いのよね?
我慢は体によくないし。
頑張る自分に、ご褒美は必要よね?
悩みが悩みでなくなって、
迷いが言い訳に変わってく。
…でもね?
…でもね!?
一度考えだしたらもう止まらないのよ。
ダメだと分かっていても、
欲望の鍵が外されようとしているの。
「ね、ねえ…沙織。お代わりしても良いのかな?」
まだ一つ目でさえ手を付けていないのに。
心はもう完全にお代わり一直線に向かっているのよ。
「ダメ…かな?」
「…あらあら。」
私の言葉を聞いた沙織は苦笑いを浮かべてる。
「珍しいわね。1日1個って決めてたのに、もう止めるの?」
「…うぅぅ~。太るのは嫌なんだけど…ね。」
うめきながらも沙織の瞳を全力で見つめてみる。
そしてこれが最期かもしれないし…なんて小声で囁いてみると。
沙織は小さくため息を吐いていたわ。
「…あのね?食べるのは良いけれど、あとで太ったって言って泣くのは翔子なのよ?あとになってから後悔しても遅いのよ?」
「しない…!絶対にしないっ!だから…だからあと一個だけ、頂戴…っ。」
必死に懇願してみたわ。
別に誰かに迷惑をかけるわけでもないし。
そこまでお願いする必要はないんだけどね。
それでも後悔しないために全力でお願いしてみたの。
そしたらね。
沙織はため息を吐きながら部屋を出て行っちゃったの。
「…?」
一人首を傾げる成美ちゃんは状況が分からないまま大人しく座って待ってる。
そんな感じでおよそ2分後。
沙織はケーキを持って帰ってきたわ。
その手には私の大好物のミルクレープがあるわね。
…間違いなく一個のケーキよ。
ある意味では正しい解釈だと思うわ。
とても大正解で。
誘惑の塊だと思うの。
…でもね?
さすがにそれは危険じゃない?
…本当にね。
あと一つで良かったのよ?
別に食べ放題まで望んでたわけじゃないのよ?
なのに、そうくるの?
そこまで攻めちゃうの?
個人的には全力で大歓迎だけど。
それこそあとで大惨事じゃない?
「ね、ねえ…沙織。それって…どういう意味?」
「どう…って言うか…たぶん、二個目も三個目も同じとか言い出しそうだから、まとめて持ってきたのよ。」
あ~。
うん。
なるほどね〜。
確かに言いかねないわ。
…って言うか?
言っちゃう自信があるわね。
でもね?
でもね??
いくら私でも『1カット』じゃなくて『1ホール』持ってこられてもね。
さすがに食べきる自信なんてないわよ?
「さすがに多くない?」
「ふふっ。食べれるだけでいいのよ。残りはお父さん達が食べるって言ってたから大丈夫よ。」
「あ~、そうなんだ。じゃあ、良いのかな?」
良くないけどね。
良くないけど。
絶対にダメなんだけど。
良いっていうことにしようと思うの。
…きっとね?
感謝っていう言葉はね。
こういう時に使うためにあると思うのよ。
「ありがとう、沙織。」
「どういたしまして。」
まだカットしてないそのままのミルクレープを沙織は差し出してきたわ。
「はい、どうぞ。」
笑顔で差し出されるその大きさ。
改めて見ると1ホールはすごいわね。
さすがの私もこの量は絶対に無理よ。
食べ放題は諦められても。
せめてお代わりくらいはって考えただけなのに。
沙織は優しい笑顔で丸ごと差し出してきたのよ。
「…本当に食べていいの?」
問い掛けてみる。
「ええ、どうぞ。」
沙織は笑顔のまま頷いちゃう。
「悔いのないように心置きなく食べてね。」
…うあ〜〜〜~。
そう言われても…ね。
これはこれで悩んでしまうわ。
…うぅぅぅ〜ん?
ミルクレープ(お代わり)に視線を向けてみる。
もしも。
もしもよ?
これを全部食べたとしたら。
体重ってどれくらい増えるの?
…1キロとか?
そこまで重たくはないと思うんだけど。
こういうのって何故か食べた以上に太っちゃうから不思議よね?
…なんて。
そんな疑問を感じながらもね。
全ての理性を捨て去って、
最期のわがままに走ることにしたのよ。
…ダイエット?
なにそれ?
…体重?
測らなければいいのよ。
…現実逃避?
そういうものでしょ?
「今日だけ。これは今日だけなのよ…。」
だから大丈夫。
あとで後悔するとしても、それはそれ。
その時に考えればいいのよ。
…って、言うか。
今の状態が一番って決まってるわけでもないし?
どうせ努力するなら結果は一緒よね?
…うん。
きっとそう。
だから我慢なんてしなくて良いのよ。
そんなふうに必死に自分に言い聞かせて、
ミルクレープと向かい合う。
「いただきま~す♪♪♪」
最高の笑顔でフォークを構えてミルクレープを一口食べる。
うぅあぁ~。
美味しすぎるぅ。
「沙織、お代わりちょうだい。」
「はいはい。」
ホールを切り分けて二つ目を取り分けてくれた沙織が、
私の目の前に新たなミルクレープを差し出してくれたのよ。
だけどこれはまだ全体の1割程度よ。
12等分されたホールの一つでしかないの。
…まだまだ沢山食べられるわ。
そう思うだけで、
幸せな気持ちになっちゃう。
…食べ放題、バンザイ!!!
躊躇いなく二つ目のミルクレープを食べ終えて、
さらなるお代わりを目指す。
…これはもう、戦いよ。
欲望と後悔がせめぎ合う聖戦なのよ!!
努力が勝つか?
体重が勝つか!?
…命懸けの戦いなの!!
だから。
だから最後まで戦い抜くわ!
そして勝利を手にしてみせるのよ!!
そのために!!
明日からはダイエット!!!!!




