馬車酔い
《サイド:米倉美由紀》
そろそろ午後7時を過ぎた頃かしら?
日が沈んでからしばらくして、
ようやく私達は学園に到着したわ。
いつもなら10時頃に着くところを3時間ほど短縮できたはずだから、
それなりに良い結果だとは思うわね。
まあ、途中の休憩さえ省略出来ていたらさらに1時間ほど短縮出来たかもしれないけれど。
さすがにそこまでは馬が持たないでしょうし、
乗り潰してしまうような扱いは可哀想よね。
だから今はこの結果で満足するしかないわ。
これでも最速記録を更新したんだから、
予定よりも早く帰って来れたことで満足するべきなのよ。
とりあえず馬車を校舎の前まで走らせる。
これで御堂君達の送迎は完了よ。
「さあ、着いたわよ!」
馬車を止めて荷台を振り返ってみたんだけど。
…まあ、こうなるでしょうね。
なかなかの惨状だったわ。
ほぼ全員がぐったりしてるからよ。
長時間の振動によって完全に馬車に酔った御堂君達は、
ふらつく足取りで馬車を降りているわね。
「…もぅ、無理ぃぃぃぃぃ。…死んじゃうぅぅ。…って言うか、死んだほうがマシかもぉぉぉぉ…。」
地面にしゃがみ込む翔子の表情は限界を訴えているわ。
舌の痛み以上に乗り物酔いに苦しんでるようね。
そして。
「………。………。………。」
もはや声さえでない様子の深海さんは、
顔を青く染めながら苦しそうな表情で馬車を降りる…と言うか、崩れ落ちる?
歩くことさえできずに、
地面にうずくまってしまっているわ。
「………。………。………。」
「みゃ~♪」
精霊の鳴き声さえも、
今の深海さんにはほとんど聞こえていない様子ね。
さらにはまだ辛うじて自分で歩ける沙織でさえも、
その表情は苦しそうに見えるわ。
「私も…さすがに、ちょっと…。」
どう見ても限界ね。
まだ歩けるだけマシだけど。
翔子と大差はないわ。
「僕も…死にそう…。」
御堂君でさえも吐き気すら感じてるようで、
ふらつきながら馬車を下りているわね。
さすがに私達も乗り物酔いを治す魔術なんて持ってないから治療なんてできないわ。
…というよりも。
そんな魔術は存在しないのよ。
傷の治療は出来ても病気は治せないの。
いかに魔術といえども、
そこまで万能ではないからよ。
例外的に『魔法』を使いこなせる天城君なら可能かもしれないけどね。
魔術での治療は難しいのよ。
一定の効果が発動するのが魔術だから、
個々の症状に合わせて効果を変えることは魔術ではできないわ。
…魔法なら出来るでしょうけどね。
魔術ではね。
答えがはっきりとしている特定の症状だけは治療することはできるけれど。
不特定とか未知の症状を治すことはできないの。
だから乗り物酔いもそう。
人それぞれに症状が異なるから、
魔術で簡単に治療なんてできないわ。
回復魔術を得意とする沙織でさえも、
病気に対しては無力なのよ。
だからこそ、
妹の瞳の治療も難航してるわけだけどね。
目視で確認できる怪我の治療とは違って、
目では見えない病気の治療はすごく難しいの。
特に風邪とかは治療不可能よ。
あらゆる症状があるから魔術では治せないわ。
よっぽど医学に精通してる人でもない限り、
病気の治療は難しいの。
栗原薫さんや琴平理事長のような魔術医師でさえもね。
病気の治療は出来ないはずよ。
こうすれば治るっていう明確な答えがない病気の治療はね。
医師の技術を持っていても手に負えないの。
それこそ刻一刻と症状が変化してしまうものだから。
病気だけは魔術師でも対処できない分野なのよ。
自然と症状が治まるのを待つか、
医師に薬を貰うしかないの。
そんな絶望的な雰囲気の中で。
地面に座り込む御堂君達の姿を見ている北条君は、
一人だけ平気な表情で苦笑していたわ。
「ったく、どいつもこいつも情けねえな。」
馬車の振動をものともせずに。
堂々と馬車を下りる北条君だけは乗り物酔いとは無縁みたい。
体を鍛えているから、というわけじゃないでしょうけど。
速度に対する耐性があるから御堂君達ほど馬車の揺れに影響を受けてないのかもしれないわね。
その才能は羨ましいと思うわ。
実際問題として。
馬車を走らせていた私でさえ体調不良を感じてるくらいだから、
平然としていられる北条君が素直に羨ましいと思うのよ。
「北条君は平気なのね?」
「当然だろ?と言うか、むしろこいつらの方が問題だろ?大会で優勝したとは思えない情けなさだからな。」
一人だけ元気に笑う北条君。
その様子に気付いた翔子は青ざめた表情で視線を向けていたわ。
「…うるさいわね。なんで真哉はそんなに元気なのよ?」
「だから鍛え方が違うって言ってるだろ?」
堂々と答える北条君を見ていた翔子は激しくため息を吐いてる。
「あんたのそういうところだけは素直に羨ましいと思うわ…。」
体力『だけ』が取り柄と思っているのかしら。
翔子は何度もため息を吐いていたわ。
「…無理。本気で…吐く…。」
吐き気に苦しむ翔子は舌の痛みを魔術で治す余裕さえない様子ね。
気力だけで意識を保っている感じに見えるわ。
せめて人前で吐くことだけは絶対に避けたいというところかしら?
そんなささやかな抵抗を続ける翔子は、
苦しみと戦いながらも何とか立ち上がったのよ。
「医務室に…行ってくるわ…。」
「気をつけてね。それと明日の朝『6時』までにここに来るのよ。いいわね?」
弱々しくこくりと頷いてから、
翔子は校舎の中へと足を進めていったわ。
その後ろ姿を見送ってから、
沙織と深海さんにも声を掛けてみる。
「二人とも大丈夫?」
心配する私に、
深海さんは泣きながら答えてくれたわ。
「…ダメです…。」
…でしょうね。
そんな悲しそうな目をされるとね。
ちょっとどころじゃない罪悪感を感じるわ。
明らかに原因は私だから反論できないのよ。
そのせいか。
沙織もうっすらと涙目になりながら、
苦笑いを浮かべつつ頷いていたわ。
「私も…ちょっと…しばらく、休みたいです…。」
もうすでに立ち上がる元気さえない様子ね。
さすがにこの二人を見ていると申し訳ない気持ちになってしまうわ。
「ごめんなさいね。」
私はまだこのあとも仕事があるからのんびりとはしていられないけど。
二人はゆっくりと体を休めてもらったほうが良さようね。
「ここにいるよりも『医務室』で休んだ方が良いわよ。あと少しだけ頑張って!」
二人に手を差し延べて、
ゆっくりと立ち上がらせる。
そして二人の背中を後押ししたの。
「あと5分ほど我慢したら医務室でゆっくり出来るから、そこまで頑張って!!」
精一杯の笑顔で送り出す。
そんなささやかな私の応援を受けながら、
二人も医務室に向かって歩きだしたわ。
「みゃ~♪」
もちろん深海さんを追い掛ける精霊も一緒よ。
小さな小猫の愛らしい仕種に微笑みながら二人の無事を心から祈ったわ。
「気をつけるのよ!」
歩き去る二人を見送ると。
残ったのは御堂君と北条君だけになったわね。
「それで…御堂君はどう?」
「僕はまあ…医務室に向かうくらいなら頑張れそうです。」
「あら、そう。良かったわ。」
ひとまず何とかなりそうな御堂君には微笑んでおく。
「出発は明日の朝になるわけだけど、もちろん明日も全速力でマールグリナに向かうことになるから、前もって酔い止めの薬でも用意しておくことね。」
「あ、はい…。」
私の忠告に、御堂君はしっかりと頷いてくれたわ。
「必ず用意しておきます。」
うんうん。
御堂君は素直な子で助かるわね。
「それじゃあ、気をつけてね。」
「はい、ありがとうございます。」
丁寧に挨拶をしてから、
御堂君も立ち上がって医務室に向かって歩きだす。
その結果として。
最後に残ったのは北条君ただ一人。
だけど。
北条君は医務室に向かうつもりがないようね。
…でもね?
それは必要がないとかそういうことじゃなくて。
多分、別の理由でしょうね。
そう思えたから北条君に話し掛けることにしたのよ。
「こうなったのは私のせいだから、あまり偉そうなことは言えないけれど…。無理はしないほうがいいわよ?」
「ん…?ははっ。気付いてたのか?」
苦笑する北条君に一度だけ頷いてみせる。
「まあ、一応ね。」
強がってはいるけれど。
実は北条君も馬車に酔ってることに気付いていたのよ。
口では平気そうな素振りを見せているけどね。
その割には一歩も動こうとしない態度から、
無理をしているのはなんとなく感じ取れたのよ。
ただ、御堂君達はみんな重症だから北条君の異変には気付けなかったようね。
「まあ…だからこそ、あなたを信頼出来るのよ。」
決して弱音を吐かないからこそ誰よりも信頼できるの。
ホントにそう思ってるのよ?
決して弱みを見せずに、
常に明るく振る舞う北条君の存在は大きいわ。
冷静に状況を見極めて、
とるべき行動を判断出来る北条君を私は大きく評価してるの。
『頼りになる』という意味で言えば翔子や沙織以上なのよ。
強がる態度は、決して屈しないという心の現れでもあるから。
その心の強さを誰よりも評価しているつもりなのよ。
「一応、薬は手配しておくわ 。あとで部屋に届けさせるから『不要じゃないなら』受けとっておいて。」
あえて逆説的に告げておく。
素直じゃないこの子にはこういう言い方が丁度良いのよ。
そう思う私の言葉の意味を察してくれたようで、
北条君は変わらない態度で微笑んでいたわ。
「そうだな。あっても邪魔になる物じゃねえから受け取ってやるよ。」
話を終えたことで、
北条君は校舎に背中を向けて歩きだす。
「集合は朝6時で良いんだな?」
歩きながら問い掛ける北条君に、
私は苦笑しながら頷いたわ。
「ええ。間違いないわ。」
「それまでは自由行動でいいんだな?」
「そうね。そのつもりよ。」
「なら、自由にさせてもらう。」
「ふふっ。また明日ね。」
「ああ。」
挨拶を終えたあとで北条君は一人でどこかへ立ち去ったわ。
方角的には寮かしら?
寮に帰るのかどうか知らないけれど。
北条君だけは医務室に向かわなかったのよ。
でも、まあ、これはこれでいいのかしら?
「強がるっていうのも大変ね。」
素直じゃないとも言えるけれど。
辛くても苦しくても自分を貫くっていうのは大変なのよ。
まあ、北条君の場合は下手に弱みを見せれば
翔子にからかわれるっていう面倒くささがあるのかもしれないけどね。
だけどそれでも。
自分の意思を貫き通す信念は尊敬するわ。
「さぁ。時間は限られているし、急がないと間に合わなくなるわね。」
北条君のことはまだ少し心配だけど。
私は私でまだまだやるべきことが山のようにあるのよ。
ひとまず馬車を移動する為に、
再び馬車に乗り込んで手綱を握る。
残り時間はあとわずか。
今から半日後にはもうジェノスを離れなければいけないのよ。
だからその前に。
今日中にやらなければならないことを考えながら馬車を走らせることにしたの。




