過去の経歴
《サイド:天城総魔》
ここが共和国の魔導学園か。
思っていた以上に良い環境だな。
どこを見ても非の打ち所がないというのはこういう状況をいうのだろう。
校舎も、校庭も、歩道でさえも、
古さはあるが汚さは感じさせない清潔さを保っている。
芝生はきれいに整えられていて、
花壇には色とりどりの花が植えられている。
噴水の水に濁りはなく、
並べられたベンチにも汚れ一つない。
…ここが辺境の地だとは思えないな。
そもそも学園がどうこう以前に、
ここまで管理が行き届いている施設はそうそうないだろう。
よほどの大富豪か、大貴族の屋敷。
そんなところでもなければこれほどの維持管理は不可能だと思うからだ。
少なくともこれまでの人生でここまで丁寧に管理された環境を見たことがなかった。
誰に見られても恥じることのない景色。
その誇りと歴史を感じさせる学園からは、
辺境という言葉を一切感じさせない威風堂々とした雰囲気が漂っている。
…これが共和国の力ということか?
この大陸において誰もが辺境と認める共和国。
その中でもさらに最南端に位置する港町だ。
それほどの僻地にある学園ということで、
田舎特有のボロボロの校舎や荒れ果てた校庭を想像していたのだが。
実際に来てみれば予想とは大きく異なっていた。
正直に言って、ここまで丁寧に整備された環境は予想外だ。
国全体が資金難で苦しんでいるという噂話を聞いていたからな。
ある程度の問題はあると考えていたのだが、
実際に訪れてみると噂とは真逆の雰囲気だった。
…すごいな。
建物だけではなく、
草木の一本一本まで十分すぎるほど手入れが行き届いている。
どこを見ても清潔感すら感じられるほどだ。
とても辺境の弱小国家とは思えない学園には、
むしろ荘厳な雰囲気すら感じてしまう。
こういう環境を質実剛健というのだろうか。
決して豪華絢爛とは言えないものの、
質素な中でも出来る限りのことはしているという努力が感じられる。
校門から校舎までの通りを見ただけでもこの状況なら、
学園全体も同じように整備されているのだろう。
だとすれば食堂や寮も不快な思いをせずに済むかも知れない。
…学園での生活か。
これから学園生活を迎えるにあたって、
環境という意味では十分すぎるほど期待できそうに思えた。
さすがは共和国最大の学園というべきだろう。
立ち止まって振り返るだけでも分かることがある。
校門から校舎までの区間。
その距離だけを見ても相当離れている。
直線で2キロ近くあるだろう。
規模の大きさはそのまま移動の長さにもなるわけだが、
学園内にいるのが魔術師だと考えればこれは当然の措置だとも思う。
…下手に炎を扱えば延焼しかねないからな。
もしも建物が密集していたら火事を止めるのは難しいだろう。
もちろん水系の魔術で消化を試みるだろうが、
災害に対して常に待機しているわけではないだろうからな。
距離をとっておくことが最善になる。
今は平和そのものだが、
いつ何が起こるかは分からない。
有事というのは常に想定外の状況で起こるものだからな。
とは言え。
今は火事どころか騒音すら聞こえない。
せいぜいすれ違う生徒達の話し声が聞こえる程度だ。
…ひとまず、これからどうするかだな。
初めて訪れた学園。
今は入学式を終えたばかりだが、
このあとの予定としてやらなければならないことは何もない。
今日の予定は式典しかなかったからだ。
そしてこの学園は全寮制のため、家に帰るという選択肢もない。
一応、入学式の終了後に上級生による学園の案内という話はあったのだが、
強制ではなかったため参加は断った。
…あまり団体行動は得意ではないからな。
強制ではないのなら無理に付き合う必要もないだろう。
わからないことがあったとしても、その都度確認すればいいだけだ。
今は一人でいられる時間があるほうが気楽でいい。
せっかくの自由時間だからな。
好きなように散策してみたい。
…まずは校舎を目指すか。
現在地から校舎までの距離は離れているが、
校舎そのものは正面に見えているから迷う心配はない。
それに他の新入生達も校舎に向かって移動しているようだ。
時間を持て余しているというわけではないだろが、
興味本位という意味では俺と同じかもしれない。
…平和そのものだな。
無邪気にはしゃぐ新入生達。
保護者は学園を出るために校門に向かい、
教師達はそれぞれの持ち場に向かって移動している。
これも入学式ならではの雰囲気なのだろう。
春の暖かな日差しを浴びながら、
数え切れないほど多くの人々が行き交う歩道を歩く。
今いる場所は正門と校舎を一直線に繋ぐ桜並木道になる。
見た目だけで言えば学園というよりも観光地と呼んだ方が相応しいのではないかと思えるほどだ。
学園の正面として恥ずかしくないように丁寧に手入れされた並木道。
4月にふさわしい桜の花が満開に咲き乱れ、
時折吹く風に揺られた薄桃色の花びらが地面に舞い散っている。
その光景はただただ平穏で、心休まる風景と思えた。
特に予定がなければ何時間でも見ていられるだろう。
それだけの価値を感じる風景だった。
「こういう雰囲気は悪くないな」
穏やかな天候。
春の日差しに心地よさを感じながら並木道を通り過ぎる。
そうしてたどり着いた校舎をじっくりと見上げてみた。
さすが、というべきだろうか。
一体どれほどの大きさなのだろうか。
目の前にそびえ建つ校舎は圧巻の一言に尽きる。
一国の城にも匹敵するほど巨大な建物だ。
だがこれは、どちらかと言えば要塞と呼んだほうが正しいかもしれない。
見る者全てに畏怖を与えるかのような威圧感すら感じるからだ。
「これが学園の校舎か。」
初めて目にする校舎。
その圧倒的な巨大さに驚きを隠せない。
これだけ大きければ2キロ離れた校門から見えるのも当然だろう。
「よくこれだけの規模を建てられたものだな」
その努力は素直にすごいと思ってしまう。
一体、どれほどの費用を費やして校舎を完成させたのだろうか?
そしてどれほどの年月をかけて学園を完成させたのだろうか?
目の前にそびえ立つ校舎を見ているだけで先人達の苦労が垣間見える気がする。
…とは言え。
過去の歴史に興味があるわけではないからな。
今はこれからのことを考えるべきだろう。
…これから、か。
悩むというほどではないが、
少しだけ自分のことを考えてみる。
名前は天城総魔。
年齢はおそらく19歳だと思っている。
はっきりしない理由は自分の生年月日を知らないからだ。
覚えていない、というわけではない。
単純に知る前に分からなくなっただけだ。
幼い頃に両親を亡くして孤児になってしまったからな。
そのせいで自分自身に関する情報をほとんど知ることが出来なかった。
だから血液型も分からない。
調べたこともない。
肝心な部分としてどうして孤児になったのかという過去の経緯だが、
あまり説明したくない事情があったとしか言いようがない。
そしてその出来事によって俺の過去は抹消されてしまった。
自らの意思で消したわけではないし、
意図的に隠したわけでもない。
様々な事情により結果的に消えてしまったとしか説明出来ないのだが、
そもそもこの国の生まれですらないからな。
過去を証明することが出来ないという理由もある。
すでに戸籍すら存在していない。
そして身元を証明する方法もない。
そのせいで不審人物と思われても仕方がないとは思っている。
ただ、この国では身元不明の人物というのは珍しくないらしい。
身元が分からないのは俺だけではないということだ。
その程度の事情はごく普通で、当たり前のことだと思われている。
理由は簡単だ。
この国は各国からの難民が数多く集まって形成されているからだ。
各国から逃亡し、流れ着いた難民達。
その大半が着の身着のままだろうからな。
身分を証明できるような何かを所持している方が少数になる。
そんな難民達の過去の経歴を気にしていたらキリがないからだろう。
誰がどんな過去を持っていようとも、
気にするだけ時間の無駄と思われるのは当然の流れだ。
そういう国だからこそ。
意図的に過去をごまかすことが出来てしまうのも事実だと思っている。
身元不明の人物が数えきれないほど多く存在している国だからな。
自分から情報を提供しない限り、
過去を詮索される可能性はない。
どこかに知り合いでもいない限り、
他国から移住してきた者達の過去を証明できるのは自分達だけだ。
だからこそ。
どこかの教会で聖職者であった者も、
どこかの村落で殺人の犯した者でさえも、
等しく過去を隠し通せてしまう。
それが共和国の実情になる。
…それが良いか悪いかは知らないが。
誰も俺を知らないし、誰も何も証言できない。
自分から話さない限り情報が漏れることがない。
そうなると。
誰かが何かを調べようとしても必然的に調べられないということになるのだが、
どうやら学園側は俺の入学試験の結果に対して思うところがあるらしい。
密かに俺の身辺調査を行っていた形跡があるからだ。
直接対面したわけではないのだが。
昨日まで泊まっていた宿や様子見で顔を出した魔術師ギルドにおいて、
見知らぬ人物達によって尾行されていたことには気づいていた。
だが、気付いてはいたが、あえて気付かないふりをしておいた。
尾行の理由は不明だが、
下手にかかわるのは面倒だからな。
知らないふりをしておいたほうが楽でいい。
何より調べられて困ることもないからな。
あえて放置して無視し続けていた。
その結果として、どう判断されたのかは分からない。
単純に尾行に気付かない程度の実力だと思われたかもしれない。
あるいは調べるだけ時間の無駄だと思われたかもしれない。
とはいえ、どういう結論が出たとしてもどうでもいいことだ。
ここは学園であって町中ではないからな。
昨日までの尾行はすでにいない。
現状、学園内での監視は『控えめ』になっている。
学園に入って以降、監視の目が緩んだのは間違いないだろう。
だからといって完全に監視がなくなったわけではないことにも気づいている。
控えめになったというだけで、
今も何者かの視線が感じられるからだ。
まだ断定はできないが、おそらく単独だろう。
感じ取れる気配。
視線の主は一人だけだ。
町中と違って、学園内は監視がしやすいからだろうか。
余分な人員を削減しているのかもしれない。
あるいは別の理由があるのかもしれないが、
町で隠れていた者達に比べれば実力がありそうだ。
漂う雰囲気、とでも言えば良いだろうか。
感じ取れる気配が今までとは違う気がする。
違和感を隠しきれなかった町中の尾行者とは明らかに異なるからな。
気配の隠し方に実力差が表れている。
正直に言ってかなり注意深く警戒していなければ気づけなかっただろう。
それほどの実力者だ。
…視線は感じるのに、どこにいるのかが分からない相手か。
昨日までの経験から監視者がいると断定したうえで警戒していたから気付けただけだ。
もしも最初からこの人物が尾行していたとしたら、
そもそも監視されているという事実にさえ気付くことができなかったかもしれない。
それほど分かりにくい相手だった。
…これは手に負えないな。
見られているという嫌な雰囲気はある。
それなのに気配が掴めない。
こんな経験は今まで一度もなかった。
…どこに隠れている?
見通しがいいはずの校舎前。
左右は障害物のない広々とした景色だ。
後方は校門に続く並木道しかない。
この状況で隠れられるような場所はほとんどない。
せいぜい桜の木がある程度だ。
それなのに、相手の姿が見つけられなかった。
建物の中にいるならともかく。
屋外にいるにもかかわらず。
どこに隠れているのかがわからない。
完璧とも言える尾行技術。
相手が特定できない以上、
振り切ることも追い詰めることもできそうにない。
これは素直に相手の実力を認めるべきだろう。
…とはいえ。
同時に思うこともある。
どちらにしても尾行相手に気付かれているという事実だ。
潜んでいる尾行者が優秀な人物なのは間違いないだろうが、
だからと言って恐れるべき相手かと問われれば、そうではない気がする。
相手の正体が分からないのは離れた場所に隠れているからだ。
もしも向こうから接近してきた場合。
すぐに気付くことができるだろう。
その程度の自信はあるからな。
向こうがどういうつもりで行動しているのかは知らないが、
接触するつもりがないのならこのまま無視していても問題はないと思う。
直接的な被害がないのなら無理に関わる必要はないからな。
現状で考えられる可能性としては俺の情報を得るための監視と考えるのが妥当だ。
…妥当だとは思うが。
今は互いの距離が離れすぎている。
俺が何かを喋ったとしても聞き取ることはできないだろう。
このまま放っておいても問題はないはずだ。
少なくとも過去に繋がるような情報を漏らすつもりはない。
そもそも人に言えない理由があって過去を隠している訳でもない。
幾つもの偶然が重なった事で過去の記録を失ってしまっただけだ。
だからこそ些細な断片さえ手に入れることはできないはず。
こそこそと嗅ぎまわったところで俺の過去を調べることは不可能だからな。
幼少の頃に両親を失い、
孤児になってから十数年。
その年月をたった一人で生きてきた。
誰にも必要とされず。
誰の手も借りず。
たった一人で生きてきた。
人目を避け。
身を潜めて。
孤独に生きてきた。
だから誰も俺の存在を知らない。
もちろん普通の子供だったら何もできずに餓死していただろう。
幼い子供にできることなど、たかが知れているからな。
だが。
幸か不幸か分からないが、
俺には魔術師としての才能があった。
ごく一般の普通の子供ではなかったことだけは喜ぶべきだろう。
そのおかげで生きる上で必要な問題は独力で解決できたと思う。
孤児になってしまった時期に運良く魔術師として覚醒したこと。
それだけが唯一の救いだったと言える。
…決して良い思い出ではないが。
炎を生み出して寒さを凌ぎ。
水を生み出して渇きを潤し。
時には風の力で木の実を落とし。
時には土の力で獲物を捕らえて飢えることなく生きてこられた。
ある程度成長してからは別の方法で直接的に資金を調達してきたが、
その辺りの情報が漏れないことも十分に理解しているつもりだ。
…あまり公にできないことをしてきたからな。
盗賊を襲い、窃盗や強奪など、犯罪に等しいことをしてきた。
さすがに一般人を襲ったことはないが、
盗まれたものを盗んだ以上、やっていることは同じだろう。
悔やむつもりはないが、
過ぎたことを考えるつもりはない。
今さら過去は変えられないのだから。
「ずいぶんと時間をかけたが、まずはここから始めよう」
昨日までの過去を捨てて前を向く。
そうして校舎の目前まで歩みを進めることにした。




