無価値な称号
《サイド:常盤沙織》
午後10時30分。
いつもより随分と遅くなってしまいましたが、
翔子と私は家の前までたどり着きました。
「遅くなっちゃったね〜。」
ため息を吐く翔子が苦笑しています。
『あの子』を待たせてしまった事を後悔しているようですね。
ですが。
遅れた程度で怒るような子ではありません。
「まだ大丈夫よ。あの子ならきっと、翔子を待ってくれているわ。」
そっと翔子に微笑みかけます。
今日一日。
色々とあって疲れた表情を浮かべる翔子に少しでも元気を出してもらおうと思って、
いつもより元気を出して話しかけることにしたのです。
「遅くなった事を悔やむよりも、元気な笑顔を見せる方がきっとあの子も喜んでくれるはずよ。」
「…う~ん。そうかな~?」
私は信じて微笑んでみましたが、
翔子は複雑な表情を見せていました。
「大丈夫かな~?」
「ふふっ。大丈夫よ」
笑顔を絶やさないように気を配りつつ。
翔子の背中を後押しします。
「さぁ。入りましょう」
「う、うん。」
私の後押しを受けた翔子は大きく深呼吸をしていました。
「すぅ~、はぁ~。」
深く息を吐いてから、
いつも通りの笑顔を見せてくれたのです。
「よしっ!もう大丈夫!」
気合いを入れ直す翔子に微笑んでから玄関の扉を開きます。
『ガチャッ…』と鳴るとても小さな金属音。
扉の開く小さな音がした瞬間に奥の部屋から『ガタガタッ』と物音がしました。
「…来たっ!」
かすれるような小さな声でした。
けれど私達ははっきりとその声を聞き取っています。
『コツコツ』と小さな音を立てながら部屋の奥から顔を見せたのは妹の成美です。
年齢は私の3つ下で15歳なのですが、
来月が誕生日なのでもうすぐ16歳になります。
「ただいま、成美。」
「お帰りなさい!お姉ちゃん」
笑顔で出迎えてくれる妹の成美に微笑む私の後ろから、
翔子がこっそりと顔を覗かせました。
「やっほ~!こんばんわ、成美ちゃん」
「あっ!?翔子さん!待ってました♪」
笑顔を浮かべながら翔子に近づく成美ですが、
その足取りは決して早くはありません。
足元を探るために。
杖を突きながら前に進んでいるからです。
「………。」
『目の見えない』成美にとって、
ほんの僅かでしかない私達との距離でさえ、
思うようには進めません。
杖を頼りにして、
数センチずつ、
少しずつ進むことしか出来ないからです。
そんな成美にそっと歩み寄った翔子が、
成美の手を掴みました。
つまずいたり、ぶつかったりして、
怪我をしてしまわないようにです。
目の見えない成美を支える翔子の表情には優しさを感じてしまいます。
…慈愛、と言うのでしょうか。
成美を見つめる瞳からは、
成美を想う気持ちだけが感じられるのです。
「支えてあげるわね〜。」
手を繋いで歩き出す翔子。
数日ぶりになる二人の姿を眺めているだけで。
その光景が見られることがただただ嬉しくて、
自然と溢れる涙を流してしまいました。
居間へと向かう二人。
それが当然の事のように。
私の両親が優しく出迎えてくれて、
二人は部屋の中へと入って行きます。
その後ろ姿を見送ってから、
涙を拭って静かに玄関を上がりました。
これが、私の日常です。
翔子と出会ってから今日に至るまでの安息の日々の全てです。
成美を可愛がってくれる翔子と、
翔子を心から慕う成美。
そんな二人を見守ることが私の一番の幸せなのです。
この幸せな日々がいつまでも続けば良いと本気で願っています。
だからこそ私は翔子の親友でいようと思うのです。
私と成美の心を救ってくれた翔子のために。
もしも私にできることがあるのなら。
精一杯何かをしたいと思っています。
もちろん。
できることなら成美の目が見えるようにしてあげたいとも思っています。
未だに原因は分かっていませんが、
妹は生れつき両目が見えませんでした。
お医者様が言うには光を感知できない瞳らしいです。
目を開くことは出来ても、
光を感じることの出来ない『真っ暗闇の世界』で成美は生きているそうです。
だから成美は生まれた時からずっと暗闇の世界しか知りません。
1年前までは両親と私だけが妹の支えでした。
私達が手を貸さなければ、
成美は生きていくことさえ出来なかったからです。
真っすぐに歩くことさえ出来ず。
何かにぶつかっても対処出来ず。
一度でも方向を見失えば、
そこから動き出す勇気さえ持てない弱い子でした。
そんな永遠の暗闇の世界で、
ただただ不安だけが積み重なる日々。
触れるもの全てが未知の世界で、
どんな些細な出来事にも怯え続ける日々。
目が見えないというのは、
一体どれほどの恐怖を与えるのでしょうか?
目が見える私達には想像も出来ない世界です。
ですがその暗闇の中で、
成美はずっと生きているのです。
もうすぐ16歳になる成美ですが、
外の世界を何も知らずに家の中で閉じこもっています。
誰とも関わる事のない妹を見ていると、
両親だけではなくて私でさえ涙が溢れて止まりません。
ですが。
だからと言って無理に成美を家の外へ連れだそうなんて思えませんでした。
『目が見えないという恐怖』が付き纏うからです。
それは目を閉じて外を歩けばすぐに分かります。
何があっても分かりません。
どこに向かっているかも分からないのです。
誰かがいても避けることさえ出来ません。
壁にぶつかってから初めて行き止まりを知ることが出来るのです。
そんな恐怖を妹に強要することなんて、
私には出来ませんでした。
そうして。
歳を重ねる毎に日に日に口数が少なくなってしまい、
やがて話をする事さえ諦めてしまった成美に、
私は何も出来ませんでした。
私は…いえ、両親でさえも心が折れてしまいそうになっていたのです。
成美に何もしてあげられない日々。
目の代わりになる事も出来ず、
笑顔を浮かべさせることも出来ない。
そんな絶望だけを感じていました。
それは私が学園に通うようになってからも同じです。
私は一時も妹の存在を忘れることが出来ませんでした。
ただ私だけが自由に生きているという後悔にも似た思いが常に心の中にあったからです。
何かをしてあげたい。
だけど何も出来ない。
そんな日々が続いていたのです。
だから私は成美の為に、
毎日を勉強に費やしました。
成美の目を治すことが出来ないかと願い続けて魔術の練習を繰り返したのです。
けれど。
どんな魔術を身につけても。
成美の目に光を与えることは出来ませんでした。
学園に存在する魔術では成美を治せなかったのです。
それでも。
私は諦められませんでした。
例えどんなに可能性が低いとしても。
治療方法があると信じて。
ありとあらゆる魔術を調べて実験し。
次々と習得していきました。
ですが。
それでも成美の目を治す事は出来ませんでした。
数百、数千の魔術を身につけたとしても。
成美の目を治療する方法は見つからなかったのです。
ただただ無慈悲で。
圧倒的な絶望感だけが残り。
何を目指せばいいのかさえ分からなくなるほどでした。
そしていつしか。
絶望と引き換えに。
私は大賢者と呼ばれるようになったのです。
『ありとあらゆる魔術を使える者』
その称号を得ても。
学園で1位という成績を手にしても。
私の心は決して晴れることはありませんでした。
どんな魔術や称号を得ても。
成美の目を治すことが出来なかったからです。
私はただ、絶望だけを胸に抱えて苦しんでいました。
どれだけ勉強しても。
どれだけ魔術を身につけても。
どれだけ妹を想っても。
成美の目は治らないのです。
私の心さえももう。
折れて壊れてしまいそうでした。
どんな医療も。
どんな医術も。
成美の目を治すことは出来ません。
どんな魔術も。
どんな魔法も。
成美の目に光を与えることは出来ないのです。
『諦めるしかないという絶望感』
いつしか私は成美に話し掛ける事さえ恐れるようになっていました。
何も出来ない自分が悔しくて。
とても愚かに思えたからです。
けれど。
『あの日』を境に妹は変わりました。
成美が言葉を取り戻したのです。
もう何年も見ていなかった笑顔を見せてくれました。
思い出す事さえ出来なかった妹の笑顔を見る事が出来るようになったのです。
それは、去年の春頃でした。
私は翔子と出会ったのです。
最初はただの偶然でした。
怪我をした翔子を医務室で見かけて、
またまた手が空いていたら私が治療をした。
ただそれだけの出会いでした。
ですが。
その日から毎日のように翔子と出会い続け。
日課と思えるほど毎日治療を繰り返し。
他愛もない会話を続け。
やがて仲良くなっていったのです。
…学園1位の大賢者。
その称号によって周りから敬遠されがちだった私に、
翔子だけは笑顔を向け続けてくれたのです。
…翔子だけは変わらなかったの。
成績の差に愕然としていたら時期はありましたが、
だからと言って私を数字で見るようなことはしなかったのです。
ちゃんと一人の女の子として。
いえ、私を私として見てくれたのです。
何も出来ない自分が嫌いで。
妹から逃げ出してしまった私を。
真っ直ぐに受け入れてくれたのです。
そして。
私の悩みを、優しく受け止めてくれたのです。
その日を境に、私の世界は変わりました。
翔子が成美を知り、
成美の全てを理解してくれたのです。
目が見えないことも。
孤独に苛まれていることも。
全てを知ったうえで。
成美を愛してくれたのです。
家族でも友達でもない成美を。
大切にしてくれたのです。
…翔子は妹が欲しかっただけだと言いますが。
それだけの理由で他人を受け入れることなんて出来ないと思います。
私の妹だからとか、そんな理由でもなく。
翔子がそういう人だったからだと思うのです。
誰にでも優しくできる。
ただそれだけのことが当たり前にできる。
そういう人間性が翔子にはあるのです。
そのおかげで。
翔子が成美と出会ったあの日から。
成美は笑顔を取り戻しました。
翔子の影響を受けて。
成美は人と関わる事の意味を知ったのです。
常に明るくて、周りにいる人達に笑顔を振り撒いて元気にしてくれる。
そんな翔子の元気を分けてもらったかのように。
成美は翔子に懐いて、
笑顔を見せながら話をしてくれるようになったのです。
初めて翔子が成美と出会ったあの日から。
翔子は毎晩のように成美に会いに来てくれるようになりました。
もちろん、様々な事情でこれない日もあります。
天城君の調査のために時間を取られたこともありましたし。
そもそもの諜報の任務で学園を離れられない日もありました。
そういう例外もありましたが、
時間のある限りは来てくれるようになったのです。
そんな翔子の訪れを心待ちにするようになった成美も変わりました。
あの日を境として。
私達の生活は一変したのです。
成美は自ら望んで歩くようになりました。
もちろん杖がなければ満足に歩く事さえ出来ませんが、
それでも家の中であれば誰の手を借りずとも自由に動けるようになりました。
忘れていた笑顔を取り戻して、
こちらから話し掛けなくても、
成美から話し掛けてくれるようになったのです。
それがどれだけ幸せな事か。
私は今でもあの日の出来事を忘れる事は出来ません。
翔子と出会ったことで、
私の人生は大きく変わったのです。
そう思えるほど。
私にとって美袋翔子という存在はとても大きなものとなりました。
…だから。
だから私は何があっても翔子を裏切るようなことはしません。
たとえ世界に背いたとしても。
例え何が起きたとしても。
最後まで。
翔子だけは信じていたいと心に誓いました。
それが私の信念であり、
私の存在する意義です。
だから。
いつの日にか。
いつの日にか必ず、成美の目に光を。
そして永遠に。
いつまでも。
翔子の親友でありたいと思っています。
それが私の願いで、
それが私の努力の理由です。
そしてそれが。
私が生きるための。
たった一つの『希望』だからです。




