熱湯
《サイド:天城総魔》
再び所長室に戻ってきた。
黒柳と西園寺の二人が先行して室内へと入っていく。
その後に続き、先程と同じ席に着いた。
「さて、さっそく検証作業に入りたいわけだが、約束の時間まであまり時間がないから手早く済ませてしまおう。すまないが、西園寺君はお茶の用意をしてくれないか?」
「分かりました。すぐに用意いたします。」
今回は西園寺が用意してくれるようだ。
その間に黒柳と向かい合うと、
黒柳は実験の資料を机の上に並べ始めた。
「ひとまずこれらが今回の実験記録になる」
俺が展開した拘束魔術の記録だ。
内容に関しては興味があるが、
まだ整理されていない書類の束だからな。
必要なものと不要なものの仕分けすらされていない状況だ。
かなりの枚数の束が幾つも積み上げられてしまっている。
…これは量が多すぎるな。
全ての書類を確認するだけでも数時間はかかるだろう。
これら全てに目を通してから話し合うとなると10分程度では不可能だ。
まともに検証作業を行うとすれば、
それこそ丸一日がかりになってしまうからな。
さすがにそこまで付き合う時間はない。
「悪いが実験記録の検証はそちらに任せる。」
「まあ、そうだろうな。俺としてもそこまでは望んでいないが、理論の裏付けにはなるだろう。あって困るものではないからな。」
実験記録は検証を行うためではなく、
俺の理論を補足するために用意したらしい。
だとしたら言うべきことは何もない。
好きなようにすればいいと考えていると、
準備を整え終えた西園寺がお茶を差し出してくれた。
「どうぞ。」
「ああ、感謝する。」
お茶を用意してもらったことで礼を言った。
ただそれだけの些細なやり取りだったのだが。
「…え?」
何故か西園寺は一瞬だけ驚いたような表情を見せてから、
今まで一度も見せなかった笑顔を見せた。
「へぇ~。ちゃんとお礼を言えるのね。普段の態度が態度だから、感謝してもらえるとは思ってなかったわ。」
…普段の態度、か。
聞き取り方によっては嫌味にしか思えないが、
微笑みを浮かべる西園寺に悪意は感じられない。
純粋に思ったことを口に出したのだろう。
…そういえば、嘘を吐けない性格だったか?
黒柳はまだ何とも言えないが、
西園寺の発言に関しては信用してもいい気がする。
良くも悪くもはっきりと自分の意見を口に出す性格のようだからな。
まだまだ味方とは思えないが、
発言そのものに悪意はないと判断して間違いないだろう。
あるいは今回の実験で少しは友好的になったと考えていいのかもしれない。
だから、というわけではないが。
俺自身の考えを伝えておくことにした。
「どう思われても構わないが、受けた恩に対して仇を返すつもりはない。」
必要であれば感謝し、
必要であれば頭を下げる。
その程度の行動はできるつもりでいる。
「ただそれだけのことだ。」
「ふ~ん。あなたはそう思うのね。でもね。ただそれだけのことをちゃんとできる人って結構少ないのよ。」
…かもしれないな。
態度の悪い人間はどこにでもいるだろう。
感謝の気持ちを理解できない人間はどこにでもいる。
だからこそ学園にも隔離施設があるわけだからな。
言いたいことは理解できるが、
俺は俺の考えで行動しているだけだ。
わざわざ褒めてもらうようなことではないのだが、
西園寺としては評価すべき行動だったらしい。
「…例えば、ここにいる誰かさんとか、ね。」
ちらりと視線を向けた先にいるのは黒柳だ。
「何回注意しても全く掃除をしない所長の代わりに、私がここの管理をしているのよ。」
周囲を見渡す西園寺の視界には乱雑に放置された書類や脱ぎ捨てられた衣服があちらこちらに映っているのだろう。
「昨日も片付けたはずなのに…。」
わざとらしくため息を吐いている。
「どうして一日でこうなるのか不思議で仕方がないわ。」
…そうだな。
室内は荒れ果てているといっても過言ではない状況だ。
疑問を感じる気持ちは理解できなくもない。
深々とため息を吐きながら蔑んだ目で黒柳を見つめる態度から本気で疑問を感じているのは明らかなのだが。
「その点に関してはちゃんと感謝しているつもりだぞ。」
黒柳としても言い分はあるらしい。
「西園寺君が片付けてくれたあとは必ず礼を言っているし、謝罪もしているつもりだ。」
礼儀を欠くようなことはしていないと自信を持って宣言している。
だが西園寺の態度は変わらなかった。
「どれだけ感謝をしたとしても、結局私が片付けることになるのならそれは感謝しているとは言えません。そもそもの前提として謝罪しなくてもいいように事前に行動するのが模範的な行動というものです。最終的にご自分でなさらない限り、反省の気持ちは認められません。」
きっぱりと黒柳の訴えを退けていた。
「仮にも私の上司なのですから、私が尊敬すべき人物になってください。」
そんな一方的な言い分を押し付けたあとに、
黒柳のお茶を用意するために再び席を離れた。
「………。」
西園寺が離れたあともまだ何か言いたげな表情をしていた黒柳だったが、
数秒ほど考えてから大きくため息を吐いている。
どうやら反論は諦めたらしい。
「…まあ良い。」
立ち去った西園寺から視線を逸らした黒柳は
今までの会話がなかったかのように話題を変えて本題に移ろうとしていた。
「さて、きみがここにいられる時間もあと僅かだからな。さっさと結果を話し合おう。」
………。
少し無理がある気がするのだが、
これまでの会話はなかったことにするつもりらしい。
強引に本題へ話を進めようとしているのだが、
それでもさきほどの西園寺の発言によって居心地の悪さを感じているのだろう。
今でもまだ表情が引きつっているのは目に見えて分かった。
…とは言え。
その辺りに関しては追求しないほうがいいだろうな。
二人の関係はよくわからないが、
現在の状況から察するにおそらく普段からこの調子なのだろう。
だとすれば、余計な詮索はしないほうがいい。
…それこそ時間の無駄だ。
まずはテーブルの上に広げられた
調査結果の書類を黒柳と共に眺めつつ。
拘束結界について議論を始める事にした。
「そもそもの前提として、魔術の証明は出来たと判断していいんだな?」
「ああ、もちろんだ。」
用意された書類を眺めながら問いかけてみると、
黒柳は満足そうな表情で頷いてくれた。
「実験は大成功と言っていいだろう。魔術の理論に矛盾はない。拘束能力の実用性も認められている。これで文句などあるはずがない。」
…そうか。
予定通りの成果は出せたらしい。
唯一、汎用性にさえこだわらなければ、
という条件はつくものの。
結界そのものは完成したからな。
満足できる結果だったようだ。
「この理論をもとにして研究を続ければ、より高性能な結界を作り上げることもできるだろう。それに汎用性に関しても時間をかければ解決できる問題だからな。根本的な理論さえ完成すればあとの改良はどうとでもなる。まずは研究の完成を喜び、きみの協力に感謝しよう。」
よほど満足のいく結果だったのだろう。
俺の手を取って力一杯握手をかわそうとする黒柳の表情は喜びで満ち溢れているように思えた。
…ずいぶんな喜びようだな。
疑問とまでは言わないが、
不思議には思えるからだ。
だから念のために聞いてみることにした。
「それほど喜ぶことなのか?」
「当然だろう。研究所を任される者として『依頼された研究が出来ませんでした』とは死んでも言えないからな。任務を達成できたことは心から喜ぶべきことだ。」
…まあ、それはそうかもしれないな。
言いたいことは理解できる。
要するに心から喜べるほど限界ギリギリまで追い込まれていたということだ。
一体誰が黒柳に依頼を出したのかは知らないが、
ここまで黒柳を追い込める人物となるとそう多くはいないはず。
学園の関係者であるとすれば、
考えられる候補は数名しかいないだろうな。
…学園を管理する者達の誰か、だ。
それが校長なのか理事関係の人物なのかは知らないが、
それ相応の権力を持つ者なのは間違いないだろう。
「喜んで貰えるのは有難いが、今回の実験は個人的に興味があったから協力しただけだ。感謝してもらうために手を貸したわけじゃない。」
「はっはっはっはっ!!!それでもいいじゃないか。結果さえ出れば俺も満足だ。きみがどういう理由で協力したかは問題ではない。少なくとも、研究を盗みに来たのでなければそれでいい。まあ、仮に実験に失敗していたとしても責めるつもりなどなかったがな。」
「わざと失敗する可能性もあっただろう?」
「ははははっ!それを見抜けないほど間抜けな男に見えるか?」
…いいや。
「そうは見えないな。」
「当然だ。そんな節穴な目で研究所の所長など務まるものか。俺をどう思っているかは知らないが、それなりに人を見る目は持っているつもりだからな。きみが何らかの意図を持って行動していたのなら、その意図を見破れる程度の判断力はある。」
自信を持って宣言する黒柳の言葉はおそらく真実なのだろう。
黒柳自身に関してはまだ何も知らないが、
瞳の奥に見え隠れする意志の強さは単なる研究員とは思えない。
…この男はどうしてここにいるのだろうか?
ただの研究者の目ではないと思う。
瞳の奥に宿る光は寒気すら感じるほど研ぎ澄まされているからだ。
広範囲から細部に至るまで、
全てを見透かすかのような力強さを感じさせる。
もしもここにいるのが心の弱い人間であれば黒柳と視線を合わせることさえできなかっただろう。
「その目は修羅場を経験してきた者の証だな。」
「ははははっ!!それをきみが言うのか?きみのほうこそ挫折を乗り越えてきた者が放つ意志の強さを感じさせるぞ。それは…そうだな。それこそ、『地獄』を経験した者の目だ。」
………。
そこまでわかるものなのだろうか?
「ははははっ。図星だったか?」
「…さあな。だが、人を見る目があるというのは本当らしい。」
「その発言自体が俺の指摘を肯定しているようなものだが、まあその辺りに関しては無理に追求しないようにしておこう。気にならないといえば嘘になるが、詮索するためにここに呼んだわけではないからな。今は実験に関する話だけでいい。」
少しだけ空気が重くなったのを感じ取ったのだろうか。
黒柳は早々に追求を諦めて本題へと話を戻そうとしたのだが、
会話の途切れ目を待っていたかのように西園寺が戻ってきた。
「所長、お茶が入りました。」
一度に済ませればいいはずの作業を何故か二回に分けていた西園寺が戻ってきたのだが、
今回は何故か分厚めの鍋つかみを右手にはめている。
そして何故か鍋つかみで掴んだ湯呑を黒柳の手元に置いてから、
邪魔な鍋つかみを外したあとで机の上に茶菓子を並べていく。
…これは何の真似だろうか?
意味がわからない。
だが、肝心の黒柳はいたって普通だ。
まるで動じていないように見える。
…これが標準なのか?
いや、まさかな。
ありえないだろう。
微かな疑問が脳裏をよぎるが、
それは考えすぎだと思うことにした。
…のだが。
どう見てもこれは異常だ。
視線の先にあるモノは明らかな異変を示している。
どう考えても普通ではないはずだ。
…これは本気なのか?
常人であれば不可能だと思うのだが、
目の前の現実は常軌を逸している。
「…それは?」
どういう目的かを問いかけようと思ったのだが、
その前に西園寺がボヤき始めた。
「やっぱりおかしいと思うでしょう?」
あきれ顔を浮かべる西園寺は冷ややかな視線を黒柳に向けている。
「どうして、これが、飲めるのかしらね?」
西園寺としても理解しがたい行動らしい。
だが、当の本人である黒柳は涼しげな顔で湯呑を掴んで、
『蒸気』の立ち上る湯呑みに躊躇する事なく口を近付けている。
そして、それが当然のことのように口の中へと流し込んでしまった。
…なっ!?
…正気か?
「ふう。やはり茶は熱いほうがいいな。」
…いや。
さすがにこれはそういう問題ではないと思うのだが。
…黒柳は熱さを感じないのか?
それとも純粋に熱い茶が好きなのだろうか?
わからない。
だが、どちらが正解だとしてもこれは無理があるだろう。
湯気が立ち上っている…と表現できる範囲を逸脱しているからだ。
どういう原理かは知らないが、
グツグツと煮えたぎっている状態のお茶が湯呑に注がれていた。
本来なら飲むどころか、
湯呑に触れることさえできないだろう。
それなのに。
黒柳は平然と湯呑を掴んで熱湯と呼ぶべきお茶を飲んでいる。
その異常な行動はさすがに理解できなかった。
…そもそも持てないはずだ。
西園寺でさえも鍋つかみを利用しなければ湯呑を運ぶことさえできなかったものだ。
それなのにどうして素手で持てるのか?
そしてどうして沸騰状態の熱湯が飲めるのか?
色々と疑問が尽きないが。
黒柳は当然のようにお茶を飲みながら用意された茶菓子にも手を伸ばしている。
「今日は団子か。西園寺君が用意してくれる茶菓子はいつも美味いな。」
純粋に堪能しているようだが、
俺の興味はそこにはない。
むしろ茶菓子への興味が薄れてしまうほどの異変に目が逸らせないというべきか。
「…いつもそれを飲んでいるのか?」
「ああ、もちろんだ。」
あまりにも平然と熱湯を口にする行動に驚いてしまったのだが、
黒柳は当然と言わんばかりに力強く頷いてしまった。
「お茶は熱いくらいが丁度良い。きみはそうは思わないか?」
…思うわけがない。
逆に問い掛けられたのだが、
はっきり言って同意できない。
どう考えても沸騰している茶など飲めないからだ。
それでも一応、西園寺が用意した黒柳の湯呑みに視線を向けてみる。
まだ湯呑の中には半分ほど残っているのだが、
今でもボコボコと沸き立っている状態だ。
おそらく保温効果を通り越して、
発熱作用のある湯呑を使用しているのだろう。
そうでなければこの状況はあり得ない。
わざわざ手で触れるまでもないが、
見るからに熱湯を注がれた痕跡のある湯呑は相当冷ましてからでなければ触ることさえできないはずだ。
それこそ鍋つかみでも使わなければ火傷するのは確実。
…さすがにこれは無理だ。
耐熱魔術で手を強化して、
冷却魔術で冷ませば何とかなるかも知れない。
だが、そこまでする必要があるだろうか?
そもそも普通に入れればそれで済む話だ。
そんなふうに思ったことで。
「…普通で良い」
正直に答えてみた。
「…ふむ。まあ、そういう考え方もあるだろうな。」
控えめに否定したことで、
不満そうな表情を見せている。
「なかなか理解してもらえないものだな。」
深々とため息を吐いているが、
本気で言っているのだろうか?
わざとらしく嘆く黒柳の側では西園寺も激しくため息を吐いている。
「所長の趣味を理解できる人なんて世界中を探してもいないと思います。」
「………。」
はっきりと言い切る西園寺の行動が気に入らなかったのだろうか。
西園寺に対して一瞬だけ睨みつけるような視線を向けた黒柳だったが、
口喧嘩では西園寺に勝てないと思ったのかすぐに気持ちを切り替えて空になった湯呑をテーブルの端に移動させていた。
「さて…。冗談はここまでにして、本題へと入ろうか。」
本題を進めるために書類に手を伸ばす黒柳の目はすでに真剣なものへと変わっていたのだが、
それでも議論を始める前にどうしても言わなければ気がすまなかったのだろう。
「どこまでが、冗談で、どこからが、そうではなかったのですか?」
黒柳の発言を遮るかのように西園寺が追求している。
「冗談でも熱湯は飲めませんよ?」
…当然だな。
西園寺の指摘に異論はない。
これは誰にも真似できないだろう。
俺としてもごく当たり前の指摘だったと思うのだが黒柳としては気に入らなかったらしい。
「…言いたいことはそれだけか?」
「…っ!?」
再び黒柳が睨みつけると、
西園寺は一滴の冷や汗を流しながらそそくさと湯呑を片付けて離れてしまった。
…はぁ。
この話の流れだけで5分は無駄にしたな。
俺の湯呑はまだ置いてあるが、
それほど中身は減ってはいない。
黒柳のような熱湯ではない普通の温度だが、
それでも十分に熱くて飲み干せないからだ。
もう少し冷めるまで待とうと考えていたのだが、
そんなこちらの考えなど気にする様子もないまま黒柳は話を進めていく。
「…まあいい。西園寺君のおかげで話が逸れてしまったが、今度こそ本題へ戻ろう。」
場を仕切り直し。
項目毎に書類を並べ替えた黒柳がようやく議論を開始した。




