布石
《サイド:常盤沙織》
………。
彼の後ろ姿を見送る私の表情は緊張によって引きつっていたかもしれません。
これほど緊張するのは何年ぶりでしょうか。
虚勢…と言うのでしょうか。
必死に強がると頬が引つるということを初めて経験しました。
それくらい、怖かったのかもしれません。
…きっと。
きっと翔子もこんな気持ちだったのではないでしょうか?
真剣な表情で彼を見送ったあとで、
何度も何度も深呼吸を繰り返しました。
気持ちを落ち着けるためです。
そうしてしばらく深呼吸を繰り返していると、
少しではありますが肩の力が抜けたような気がしました。
まだまだ恐怖は消えませんが、
ひとまず緊張から抜け出すことは出来たように思います。
なので、これからの事を考えることにしました。
彼との試合に向けて色々と思うことはあるのですが、
まずはこれからどうするべきでしょうか?
次々と疑問が沸き起こりますが、
出来ることは限られています。
焦っても仕方がありません。
冷静になるように自分で自分に言い聞かせながら大きく息を吐いてみます。
ただそれだけで、
少し余裕が持てたような気がしました。
…とりあえず試合は午後6時から。
およそ1時間後です。
すでに彼との戦いは避けられません。
今日を断ったとしても明日になるだけです。
仮に彼と戦わないと決めても、
北条君や『あの人』が戦う事になるのは間違いありません。
彼が上を目指す限り、
誰かが戦わなければいけないのです。
だとしたら、私も戦おうと思います。
翔子も頑張ったのですから。
私だけが逃げるわけにはいきません。
…例え勝てないとしても。
戦うと決めた以上は精一杯の努力をしたいと思います。
それが私の役目だと思うのです。
…今の私に出来る事。
それは何でしょうか?
考えられることはいくつもありますが、
まずは彼の限界を調べることでしょうか。
翔子との試合によって彼の魔力が低下しているのは間違いありません。
それでも試合を強行すれば更なる魔力の低下が見込めます。
場合によっては彼の底を確認することができるのではないでしょうか?
…彼は弱っていますが、私は違います。
今日だけではなく、
しばらく試合をしていませんので全力で戦えます。
先ほど翔子の治療ために魔術を使用していましたが、
1時間もあれば十分回復できる範囲です。
万全な状態の私と疲労している彼。
その差は決定的です。
魔力の総量を考えれば勝ち目は十分にあると言えるのではないでしょうか?
もちろんそれだけで勝てるわけではありません。
ほぼ圧勝だったと言える翔子との試合を考慮すれば、
有利な点があったとしても決して楽な試合にはならないと思うからです。
…まだまだ私が負ける可能性が十分にあるわね。
今の彼が手負いであることは事実です。
いくら傷を完治させても疲労は残るでしょうし。
消費した魔力は戻りません。
少なくとも1時間程度で解決出来る事ではないはず。
だから、疲労している彼の隙をつくのが私の役目ではないでしょうか。
たとえ勝てないとしても、
追い詰めることが出来れば良いんです。
そうすることで私の実力を示すことは出来ます。
…彼との試合において私に出来る事。
それは勝つ事ではなく調査です。
勝てなくてもいいとは言いませんが、
彼の実力を引き出す事が私の役目だと思うのです。
…大事なのは彼の限界を調べる事。
次に戦うはずの北条君やあの人の為に。
たった一つでもいいから彼の弱点を見つける事が出来れば、
私が試合を行うことにもきっと意味があるはずです。
「後ろ向きだけど、それが最善かしら」
もちろん試合を諦めるつもりはありません。
やるからには勝つつもりで挑みます。
ただ、負けたとしても悔いのないように。
翔子のように精一杯誇れるような試合をしたいと思うのです。
「大丈夫。諦めるのはまだ早いわ」
すでに彼の力は翔子との試合によって確認しています。
『霧の結界』
『天使の翼』
『ソウルイーター』
そのどれもが驚愕に価する力ですが、
知ってさえいれば事前に対策は考えられます。
ただ、それら以上に翔子が恐れていた力がまだ残っているのも事実です。
翔子との試合では見せなかったもう一つの力である魔法。
いまだに未知数の能力ですが、
その切り札を引き出す事が出来れば…。
あるいはその切り札を上回る事が出来れば、
彼の限界を知り、
彼に勝つ事が出来るかもしれません。
共和国においても使用者が限定される『魔法』
それは不安定な力です。
私や翔子でさえ完璧には扱えません。
ルーン発動時という特定の条件化であればある程度の魔法を使うことができますが、
それはつまりルーンという媒体がなければ使えないということです。
魔術と魔法の違い。
それを一言で表すのなら基礎と応用と言えるでしょうか。
魔術は魔力さえあれば誰でも使えます。
魔力という素質を持って生まれれば誰でも魔術師になれるのです。
ですが、魔法は違います。
魔術を理解して使いこなせるようになった上で、
魔術そのものを自在に操れるようになることが重要なのです。
真に『魔力の法則』を行使出来る事。
それが魔法使いの条件と言われています。
誰でも扱えるように効果が統一された魔術とは根本的に違うのです。
魔術そのものを自在に操れるのが魔法です。
それはまさしく基礎と応用の差と言えるでしょう。
そのせいで術者次第によって魔法の効果は大きく変わってしまいます。
圧倒的な破壊力を生み出す事も出来れば、
ゴミ一つ燃やせないという事もあるのです。
その力を理解して操れるようになるかどうかは術者次第です。
だからこそ。
彼がどの程度の実力を持っているのか?
そこを調べることが最優先事項といえるでしょう。
…それが私に出来るかどうか、という部分で疑問に思うのも事実ですが。
それでもやらなければいけないと思います。
もしも調査が出来なかったとしたら、
私の実力では翔子の二の舞となって敗北を晒すだけです。
純粋な魔術の技量だけを競うのであれば誰にも負ける気はしませんが、
彼の扱う魔剣を回避しながら反撃するという運動能力が私にはないからです。
速さも、力も、私にはありません。
だから、彼に勝つのは難しいと感じています。
…それでも調査くらいなら出来るはずよ。
ですが、もしも。
もしもその程度のことさえできないとしたら、
その後の試合の行方は予測さえ出来ません。
ですが、彼の実力を引き出せれば、
北条君達の戦いを有利な展開に持っていくことができます。
…後に繋ぐための結果を出すこと。
それさえ出来れば彼との試合は十分にやってみる価値があるように思えました。
…私は布石になればいいのよ。
勝てなくても実力を引き出せればいいのです。
そう思い込んで試合に望む事にしました。
「一度、戻った方が良いかしら?」
試合前に理事長に報告するべきだと思います。
ですので、
私も理事長室に向かうことにしました。
…まだ、間に合うはず。
翔子と北条君と別れてからすでに30分以上経過していますが、
きっとまだそこにいると思います。
理由というよりは直感というべきかもしれませんが、
翔子達がまだいると信じて、
私も理事長室へと向かうことにしました。
そうして、数分後。
たどり着いた理事長室には、
予想通り翔子と北条君の二人がいました。




