初日
海斗は次の日、いつもと変わらない生活を過ごしながら、ふと昨日のドッペルの言葉を思い返していた。
「僕は優しいから、夜中と言っても時間は決めてない。でもね、21時以降は食べないでおこうくらいの基準は作っておいた方が“楽”だよ。」
妙に引っかかる言い方だった。
(結局縛るなら時間決めりゃいいのに……まあ21時前にガッツリ食って寝れば余裕だろ。楽勝楽勝)
そう軽く考え、仕事終わりにカツ丼セットを平らげ、さらにコンビニでお菓子を買って帰宅する。
玄関を開けると、テレビの光の中でドッペルがポテチを食べていた。
何もかも当たり前のように、そこにいる。
「ああ、おかえり。君も食べる?」
ポテチを差し出され、海斗はため息をつく。
「いや、それ俺が買ってきたやつだろ……言っても無駄か。」
肩を落として時計を見ると、21時を過ぎていた。
「もう食べてきたし、風呂入って寝るよ。」
風呂場へ向かう背中に、ドッペルの声が静かに落ちる。
「……まあ初日だしね。いいんじゃないかな、それで。」
ドッペルは、静かに笑っていた。
湯船に浸かりながら、海斗は天井を見上げる。
(もし約束を破ったら……何かされるのか?
……いや、考えすぎか)
それ以上考えるのをやめ、さっさと風呂を上がる。
ドッペルの方へは行かず、水だけ飲んで布団にもぐり込み、体の火照りが残ったまま意識を手放した。
翌朝。
珍しくすっと目が覚めた海斗は、枕元で寝返りを打つドッペルに得意げな笑顔を向ける。
「にひひ、ちゃんとルール守れただろ? 楽勝なんだって!」
布団の山から、片手だけがひらひらと振られる。
「……初日は簡単だよ。本当に大変なのは今からだって。さっさと行きな。眠いんだよ……君の“腹減った……”って寝言、うるさかったんだから。」
間延びした声なのに、指摘だけはやけに正確だった。
「そんな寝言言ってねぇ! 断じて言ってねぇ!
……あーもう腹立つ! 今日も守るからな! じゃあ行く!」
勢いよく玄関を飛び出す。
が、次の瞬間、ドアが開いて海斗が戻ってきた。
「……今日は休みだった……はは……」
乾いた笑いとともに靴を脱ぎ直す。
自分の足音だけが妙に大きく響き、胸の奥が少しだけチクッとした。
背後で布団がもぞりと動く気配がしたが、ドッペルは何も言わない。
眠っているのか、それとも――。
ただ、ドッペルが“起きている時”の方が、ずっと喋り方も目つきも鋭いことを思い出し、海斗は小さく息を吐いた。




