変化
あのしんどい状況からなんとか抜け出して、ようやく普通の日常が戻ってきた。
風呂上がり、曇った鏡をタオルで拭うと、少しだけ引き締まった自分の腹回りが映る。
以前は目を逸らしていたその鏡を見るのが、最近はちょっとした楽しみになっていた。
ベルトの穴も一つ縮んだし、階段を上っても息が切れにくい。
それが嬉しくて、帰り道に遠回りして歩いたり、部屋で軽く筋トレをするのも習慣になりつつある。
玄関を開けると、夕方の冷えた空気と一緒にテレビの笑い声が聞こえてくる。
「ただいま〜……」
仕事終わりの疲れをそのまま引きずりながら部屋に入ると、
「ああ、おかえり。ポテチは買ってきたかい?」
当たり前のようにコタツに寝転がっているドッペルが、テレビを見ながら言った。
「なんか回想してるところ悪いけどさ、ポテチある? 他のお菓子でもいいけど。まさかないのか?」
言うが早いか、ドッペルは尻尾を揺らしながら近づき、勝手にエコバッグを漁り始める。
袋の中から目的のポテチを見つけると、満足そうに鼻を鳴らしてそのまま部屋へ戻っていった。
「あるなら最初から言いなよ。ちょっと痩せたからってケチだなー」
嫌味を残しながら。
でもその言葉は、全然嫌味には聞こえなかった。
むしろ――
「ドッペル〜やっぱりそうか!俺、痩せたよな〜!」
嬉しさのあまり背中に抱きつき、腕や肩をベタベタ触りながら聞く。
「な、なんだその反応は……気持ち悪いな〜」
若干引きながらも、
「うん、まあ痩せてきたんじゃない? だけど油断したらダメだよ。こういう時が――って聞いてないのか……」
とポテチを齧る音だけが静かに部屋に響く。
テレビのバラエティの笑い声と、袋を擦る音が混ざる。
「最近さ〜、自主的に筋トレとかしてるけど、何があったんだい?」
ドッペルが口いっぱいにポテチを詰めたまま聞く。
「うん?聞きたいか? 実は職場でさ――」
⸻
数日前
「えっ! 相沢くん最近痩せてきたんじゃない?」
職場の休憩室。
コーヒーの匂いとコピー機の音が混ざる中、急に声をかけられて思わずむせそうになる。
「い、いや〜そんな事ないと思うよ? 何もしてないし」
慌てて誤魔化すが、
「ううん、絶対痩せたって。やっぱ健康診断で何か言われたんでしょ? 気にしなくていいのに、みんな引っかかったし」
と笑われる。
「まあ……健康でいたいから歩いたりはしてるかな」
そう答えると、彼女は少し考えてから言った。
「じゃあさ、今度フットサルやりに来ない? 職場の人たちで作ったサークルでさ。前の相沢くんはちょっと誘いにくかったけど、今ならいいかなって」
その言葉に一瞬固まってから、
「それって暗いやつだから? それとも太ってたから動かないだろって決めつけた……? 当たり?」
と笑って返した。
⸻
「ってドッペル、人が話してるのにちゃんと聞いてるのか?」
現実に戻ると、ドッペルは背中を向けてスマホをいじっていた。
悪びれもせず、
「ああうん、ごめんごめん。次のルール考えててね。最近ちょっと痩せたからって調子に乗ってるからさ。休日は家でのんびりする、運動しないってどうかな?」
さらっと言いながらポテチを食べる。
「何を聞いとったんじゃお前は! 可愛い女性社員に誘われてフットサルに参加するの! そんなルール守れるか!」
ドッペルはスマホ画面を見せる。
「それなら心配いらないよ。ほら、“仕事終わりに軽く運動しましょう”って書いてる。休日じゃない」
「ああ! 人のメール勝手に見るな! ……まあ休日じゃないならいいか。問題ない!」
「うん、じゃあ契約するなら握手ね」
差し出された手を、海斗は迷わず握る。
「元々休日は動かないからな!」
「うん……絶対守ってね。今回は」
わずかに声の温度が下がる。
ドッペルはテレビに視線を戻し、ポテチを齧る。
「たまに怖くなるよな〜」
そう呟きながら、海斗も弁当のフタを開けた。
温め直した唐揚げの匂いが、静かな部屋に広がった。




