イッスイとたいまん
ドッペルは、ベッドの上で骸のように横たわる海斗を見下ろし、持っていた激辛ポテチを無機質な手つきでその口にねじ込んだ。
「……っ、お前……な……。こんなの、食べたら……喉が、渇くだろ……」
海斗は、舌を刺すような激痛と辛味の塊を力なく咀嚼しながら、消え入りそうな声で恨み言を漏らした。
喉が焼ける。
砂漠の砂を飲み込んだように乾ききった食道が、猛烈な熱を帯びて水を求め、悲鳴を上げた。
「……っ、の……飲み、もの……」
起き上がることすら、今の海斗にはエベレストに登るほどの重労働だ。けれど、内側から喉を焼き尽くす渇きの苦痛が、死への安らぎを上回った。
海斗は、指先に力を込め、這いずるようにして冷蔵庫へ向かった。
だがその前に、巨大な重力のような影が立ちはだかる。
「慌てないで、海斗くん。……一休み、しようよ」
イッスイが、柔らかく、それでいて骨まで溶かすような逃げ場のない抱擁で語りかけてきた。
「水なんて飲んだら、また明日も生きなきゃいけなくなるよ? ここで、のんびりしていなよ……。永遠にさ」
「……そこ、を……退けよ……」
怒りすら湧かないほど疲弊していたはずなのに、生存そのものを阻もうとする「怠慢」の厚かましさに、海斗の奥底で何かが爆ぜた。
「退けって、言ってるんだぁぁぁっ!」
気づけば、海斗は傍らに転がっていた**「台座ハンマー」**を握りしめていた。
「邪魔だ。俺は――水を、飲むんだよ!」
ドゴォォォォンッ!!!
重く鈍い衝撃音が、埃の舞う静まり返った部屋に響き渡る。台座の質量が、イッスイの放つ「重力」を物理的に叩き割った。
海斗はハンマーを力なく床に置くと、キッチンの蛇口を捻り、溢れ出す水を貪るように一気に飲み干した。
「……ふぅ……。まだ、口が、辛いな……」
ふらふらとした足取りで、海斗は再びベッドへ戻る。
「……良かったら、ポテチを食べるかい?」
ドッペルが差し出してきた袋に、海斗は少しだけ目を向けた。
「うーん……じゃあ、一枚だけ」
それだけを口に含んで、今度は「死」ではなく、生きるための泥のような深い眠りに落ちていった。
ドッペルは、海斗が置いた台座をふと見つめた。
……ヒビが、増えた気がした。
残りのポテチを無造作に平らげると、ドッペルは無言で、海斗の布団の隙間へと潜り込んだ。
あれから、一週間が経った。
食事は、前よりは摂れるようになった。
それだけだ。心に灯がともったわけでも、失恋の傷が癒えたわけでもない。
久しぶりに、スーパーへ行った。
かつてのように店員さんに会える期待に胸を躍らせることはない。ただ、コンビニよりは安いから。そう自分に言い聞かせ、機械的に足を運んだだけだ。
レジ袋を下げて歩く道すがら、ふと、あの「イッスイ」の温かい誘惑を思い出しかけた。
向こうから歩いてくる人の気配に気づき、海斗は反射的に顔を伏せ、道を譲る。他人の視線が、今はまだ痛い。
「……ただいま」
重い玄関の扉を開けると、ドッペルがすぐさま近寄ってきて、ガサガサとレジ袋を漁り始めた。
「おかえり。遅かったね」
ドッペルはお気に入りのポテチを見つけると、いつものようにバリバリと賑やかな音を立て始める。
「……なあ」
海斗は口を開きかけて、ふと、その言葉を飲み込んだ。
「いや……なんでもない」
ドッペルは特に気にした様子もなく、顎を動かし続けている。
「……久しぶりに、スーパーに行ってみたんだ」
それだけを、誰に宛てるでもなく独り言のように呟いて、海斗は電子レンジの中に半額の弁当を押し込んだ。




