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ホメオスタシスは、今日も眠ってる  作者: 紅月ヨルカ


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12/13

食べ尽くし

「俺のカツ丼はぁぁぁっ!?」

絶叫する海斗を、ドッペルは冷めた目で見下ろした。

「うるさいな。深夜にカツ丼なんて食べたらもっと太るぞ。君の健康のために、代わりに食べてあげたんだよ」

「……いや、そもそもなんで深夜にカツ丼の出前が届くんだ? おかしくないか?」

「細かいなぁ。俺が夜にカツ丼を食べたいと思えば、誰かが届ける。それがこの世界の『常識』だろ?」

タロウと呼ばれたおじさん猫が、げっぷをしながら図々しく言い放つ。

「ほら、タロウさんもああ言ってるし」

「そんな常識あるか! 一体お前ら何者なんだよ!」

「タロウさんだ」

「そういう意味じゃねぇ!」

ぐうぅ、と情けない音を立てる自分の腹を抱え、海斗は残ったポテトチップスの粉を指で舐める。脂っこいカツ丼の匂いだけが部屋に充満し、余計に腹が減る。

やがて、タロウが満足そうにパンパンに膨れた腹をさすった。

「カツ丼も食ったし、〆はうどんでいいか?」

「おお〜、いいねぇ。出汁の効いたやつ」

ドッペルが即座に乗り、海斗は半眼で二人を睨みつける。

「……今度は、俺の分も本当にあるんだろうな?」

「ああ、もちろんだ。お前も食えるように五つ頼むからよ」

タロウがそう言った直後、玄関のチャイムが鳴った。

(……早すぎる。注文して数秒だぞ?)

不気味に思いながらドアを開けると、そこには焦点の合っていない目をした配達員が立っていた。

差し出された五つのうどん。海斗が受け取ると、配達員は一言も発さず、まるで行き先のない亡霊のように、すっと闇に溶けるように去っていった。

(……なんか気味が悪いな)

だが、鼻腔をくすぐる鰹出汁の芳醇な香りが、その違和感を強引にかき消した。

部屋に戻り、自分の前にも二つのうどんを置く。熱々の湯気の向こう側に、ようやくありつける食事への期待が膨らむ。

「もうお茶ないよ。淹れてきて」

ドッペルが空のコップを差し出し、タロウも釣られたように手を挙げた。

「じゃあ俺も。濃いめな」

「……自分で淹れろよ」

毒づきながらも、海斗は自分の喉がカラカラに乾いていることに気づき、渋々キッチンへ立った。

急いでお茶を準備している間も、うどんの香りが追いかけてくる。

(伸びる前に、あのツルツルした麺を喉越し良く流し込むんだ……)

期待に胸を躍らせてリビングへ戻った瞬間、海斗は凍りついた。

――数が、合わない。

ドッペルの前には空の器が二つ。タロウの前には三つ。

海斗の席には、一滴の汁すら残っていなかった。

「……俺の、うどんは?」

静かな問いの後に、煮え滾るような怒りが追いつく。

「お前らな……! 俺の分まで食ったのか!? そのためにお茶を取りに行かせたのかよ!」

タロウは悪びれる様子もなく、歯に挟まったネギを前足で掃除しながら言った。

「いや、伸びたらうどんが可哀想だろ? だから食ってやったんだ。悪いな、青年」

「君も戻るの遅かったしさ。『食べたら?』って言われたら断れなくて、ついね」

二匹とも、陽だまりで昼寝でもしているかのような、無垢で邪悪な顔をしていた。

「やっぱり最後はデザートだよな」

タロウの言葉に、ドッペルが「いいね〜」と尻尾を振る。

その瞬間、海斗の中で何かが「ぷつり」と音を立てて千切れた。

「……もういい。付き合いきれるか。俺は寝る」

これ以上こいつらの顔を見ていたら、理性が蒸発してしまう。海斗は背を向け、空腹で痙攣する胃を抱えたまま、冷たいベッドに倒れ込んだ。

「付き合いが悪い奴だな」

「もともとそういう奴だよ」

背後で続く楽しげな談笑を聞き流しながら、海斗は呪うように目を閉じた。

翌朝。カーテンの隙間から差し込む光が、海斗の重い瞼をこじ開けた。

(……今日は日曜だ。もう少し寝て、空腹を忘れよう……)

だが、昨夜の屈辱が胃の奥をキリキリと焼く。

(……いや、さすがに朝食は残ってるはずだ。昨日買っておいたヨーグルトがある)

フラフラと立ち上がり、冷蔵庫を開ける。

だが、海斗の指が掴んだのは、冷たい空気だけだった。

「なんだこれ……空っぽじゃないか! 昼も夜も買いためておいたのに!」

視線をずらすと、そこには地獄のような光景が広がっていた。

タロウの周りに、今日食べるはずだった食パンの袋、空になったヨーグルトのカップ、さらにはコーヒーの粉までが散乱している。

(……嘘だろ。こいつがいたら、俺は何も食べられない。財布も、体も、人生も終わる……)

海斗の視線が、部屋の隅にある「邪魔な置物」に止まった。

重厚な台座に深く突き刺さった、あの伝説の(笑)剣。

無言で歩み寄り、冷たい鉄の柄を両手で握り締める。

「やめとけやめとけ」

タロウがパンの屑を撒き散らしながらヤジを飛ばす。

「お前みたいな一般人に抜けるわけねぇだろ。大人しく俺たちを養ってりゃいいんだよ。ほら、パン買ってこい。腹が減ったんだよ!」

海斗は低く、地を這うような声で呟いた。

「……抜けないなら、このままでいい」

「ぬ、ぐうぅぅぅっ!!」

海斗は顔を真っ赤に染め、血管を浮き上がらせて、剣を**「台座ごと」**持ち上げた。

日常の怠惰、不摂生、そして奪われた食事の怨念――そのすべてが詰まった台座は、鉛のように重い。

「力でどうこうしても無駄だって――」

タロウが言い終わるより早く、海斗は全身のバネを使い、その「巨大な鉄槌」を振り下ろした。

ドォォォォォンッ!!!

床が抜けるかと思うほどの衝撃。

台座が直撃した場所には、タロウの影も形も残っていなかった。ただ、使い古した毛玉のような残骸が、虚しく宙に舞うだけだ。

海斗は台座を床に置き、荒い息を吐きながらドッペルを見た。

「……重かった、これ……」

「タロウさんが……いなくなった……」

ドッペルは本気で悲しそうに、台座の表面に走った小さなヒビを覗き込む。

「まあ、海斗を怒らせたし、仕方ないか。その程度だったってことだね」

ドッペルは自分の席に戻りかけ、ふと振り返った。

その瞳には、今まで見たことのないような鋭い光が宿っている。

「でもさ。君が『ルール』を守って、ちゃんと節制してたら、タロウは出てこなかったんだよ?」

一瞬の沈黙。

だが、ドッペルはすぐにいつもの無邪気な笑顔に戻った。

「ま、終わったことだ。気にすんな」

海斗は、その笑顔の裏側に潜む「正論」の冷たさに、背筋がゾワリと凍りつくのを感じていた。

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