痘痕の光(四)
その後、葵は自分が何を言ったか全く思い出せない。
央尋が目を覚まし、侵入者だと騒ぎ立てた瞬間に、希彦に手を引かれ、別荘から逃げ出したことはなんとなく覚えている。
————どうして砂浜になんているんだろう。
今すぐにでも消えて無くなりたいのに、周りに建物が何もない。
その日は満月で、腹が立つほど月の光が眩しかった。
「真実を知る覚悟をしていたんじゃないのか? 何をそんなに落ち込んでいる?」
「あなたには人の心ってものがないの? 実の母親に捨てられたことが確定したのよ? それも、父をまるで愛してもいなかったなんて……」
母のようにはなりたくない。
自分だって、そう思っていたくせに、ひどく傷ついている自分が嫌いだった。
桜子の体を手に入れてから、自分のことを嫌いだなんて思ったこともなかった。
ついうっとりしてしまうほどに、嬉しかったのに……
「今更だなぁ。お前は望みが叶って、桜子になったんだ。以前の、あの痘痕顔の葵の人生を捨てたのは、お前だろう。お前だって、自分を捨てたんだ。母親と同じことをした」
「それは、そうだけれど……まさか、本当に桜子が朝彦様の子供だったなんて。それじゃぁ、私、妃選びに参加している意味がないじゃない」
桜子の女房となるために育てられた葵は消えて、実の父親の子を産もうとしたあのバカと入れ替わったのに、せっかく綺麗なお姫になれたのに、全部無駄だったのだと嘆く葵の横顔を、希彦はただじっと見つめる。
「何もかも、めちゃくちゃよ。これから、どうしたらいいの?」
綺麗で、ずっと憧れていた桜子の体は、実の父親に汚されていた。
全然綺麗じゃない。美しくなんてない。桜子になれたら、私が姫さまだったらと何度も何度も心の奥底で想像していた。どんなに幸せだろうと。
だが、待っていたのは最低な現実だった。
こんなに汚い体じゃ、なってみたかった皇后になることも許されない。
そもそも、晴彦には初めからなぜか嫌われてはいたが……
「————どうせ、この世界はめちゃくちゃだ。だったら、いっそのこと、もっとぐちゃくちゃにしてしまえばいいじゃないか」
希彦は、葵の左頬を撫でる。
確かに体は桜子のものだけれど、たまに左頬に痘痕が戻ることがある。
一瞬そう見えるだけだから、普通の人には見間違えに見えているだろうが、希彦の目には違う。
「知っているか? あの月の表面にも、たくさん穴が空いているそうだ」
「月にも……?」
「今のお前は月のようだな。せっかく美しく光り輝いているのに、頬にも心にも、たくさん穴が空いている。私はね、葵。それでこそ、人間だと思うよ」
「え?」
「完璧な人間なんて、この世に存在しない。みんなどこかに昏い部分を持っている。けれど、痘痕なんてね、強い光で照らしてやれば、気にならないくらい、見えなくなるんだよ」
葵は目をぱちぱちと何度も見開く。
希彦が何を言いたいのか、全くわからないのだ。
「私がお前の痘痕の光になってやろうか? 私のそばにいれば、お前はこんな痘痕なんて気にならないほど、楽しい世界を見せてやることができるぞ」
「…………もしかして、あなた、私を口説いているの?」
「うーん、少し違うな。ただ、私がこれからもっとぐちゃぐちゃにして、壊そうとしているこの国の崩壊を、一緒に楽しまないかと言っているだけだ」
「壊す? この国を?」
「そうだよ。私はそのために、もう一度この世界にこうして生まれたんだ。前の人生と同じことはもう繰り返さない。新しいことをするんだ。きっと楽しいよ」
希彦は本当に、心から嬉しそうに、楽しそうに笑っていた。
琥珀の忌子の存在を知らない葵は、やっぱり希彦が何を言いたいのか、この時はさっぱりわからなかった。
だが、この日から半年後、忽然と姿を消した晴彦に代わり、帝になったのが希彦だと知って、理解する。
ああ、これから、本当に面白いことが始まるのだ————と。
【痘痕の光 完】
最後まで読みいただきありがとうございました。
本来なら、琥珀の忌子編で完結予定だったのですが、タイトル回収と翡翠の簪での伏線が回収できてない!と思ったので、最後に一気に回収いたしました^^;
この作品が少しでも面白い、よかったな、と思っていただけたら、評価やコメントなど、何か反応を頂けたら嬉しいです。




