計略(五)
「やっぱり、撫子様でしたね」
「そうだな。まぁ、俺はこれで少し気が楽だ」
烏丸も同じく撫子が落ちると予想していた為、晴彦は西の棟へ向かう間、その話を烏丸としていた。
一番いなくなって欲しいのは桜子だったが、もう撫子のあの香の匂いを我慢しなくていい。
「それにしても、脱落者が発表された日に、西の棟へ御渡りになるのは少し薄情な気もしますが……」
「別にいいだろう。珍しく桔梗が四位になったんだ。慰めに行ったのだと思わせておけばいいだけの話だ」
そうすれば、何も知らない者たちからすれば晴彦が本当に桔梗を愛しているのだなと思うだろう。
瑠璃領の姫だから贔屓にしているのだろうと思っている輩もいるため、心から二人は思い合っているのだという演出のためだ。
それに単純に晴彦は光の身体を求めていた。
光が希彦のふりをして与えてくれる快楽に、晴彦はすっかり溺れていたのだ。
もうすでに正室を桔梗にするということは晴彦の中で決まっている。
こんな茶番、あと三ヶ月も続ける意味もない。
早く桔梗を正室として、清流殿に光を……と、考えていた。
正式に決まるまで、妃候補は決められた区間しか自由に出入りできない。
いちいち西の塔まで通うのが面倒になっていた。
この移動時間が無駄である。
東宮殿からなら近いのだが————
「あら、今夜もこちらにいらしたのですか?」
「ああ、早く桔梗様にお伝えしてくれ」
「かしこまりました。すぐに」
いつも烏丸が警護の女官に取り次ぎ、女官が桔梗の女房である粟乃に話が行く。
紫苑が手を回しているため、この時間は粟乃と空木以外の女房は桔梗の部屋がある廊下より先は立ち入り禁止となっていた。
決して、光と入れ替わっていることが露見することはない。
この日もすぐに話を聞いた粟乃が直接、入り口まで出迎えて、桔梗の部屋まで先導した。
「申し訳ございません。主上。今日は試験が終わるのが少し遅かったため、空木の用意ができておりません」
歩きながら、粟乃は続ける。
「まだ湯浴みをしていますので、お部屋の方で少々お待ちいただけないでしょうか?」
「湯浴みを? ということは、湯殿にいるのか?」
「ええ、左様でございます」
晴彦は少し考えて、粟乃に提案する。
「いや、俺も湯殿に行こう」
「え……? 湯殿にですか?」
「早く会いたい。別にいいだろう? 何か問題でも?」
「いいえ。主上がお望みなら……では、こちらへ」
そうして、その夜は湯殿でのぼせてしまいそうになるまで晴彦は光と過ごし、翌朝には満足気に清流殿へ戻った。
昨夜のことを思い出しつつ、今日の公務で必要になる資料を手にした晴彦。
「ん……?」
その瞬間、嫌な匂いがすることに気がつく。これは、撫子の香の匂いだ。
————なぜ、この匂いが?
眉間に深い皺を寄せて、匂いのもとを辿る。
屏風の後ろにある掛け軸の方からだとわかったが、掛け軸からなぜ撫子の匂いがするのかわからず、掛け軸を眺めながら首を傾げていると、同時に掛け軸も傾いた。
「は?」
そして、掛け軸の裏側から撫子が申し訳なさそうな顔をしながら、顔を出した。
「な、なぜ、こんなところに!? だ、だれか——……んぐっ」
すぐに部屋の外にいる護衛官を呼ぼうとした晴彦の口を、撫子は両手を伸ばして塞ぐ。
「申し訳ありません……! 内密にお話ししたい事があって、来たのです。お願いです、私の話を聞いてください! 人を呼ぶのは、話を聞いてから判断してください」
いつも何かを恐れているようにどこかビクビクしていた撫子が、真っ直ぐに晴彦の目を見据えている。
切実さを感じたのと、単純に苦しかった為、わかったと首を縦に振ると、撫子はゆっくり手を離した。
「ありがとうございます。こんな所から突然出てきて驚かれたでしょうが、とても大事なお話です。ずっと、言おうか言わないか迷っておりましたが、私は今日中に紅玉領へ帰りますので……勇気を出して、ここまで来たのです」
「それは、わかった。それで、い、いったい何の話だ?」
撫子はぐっと一度唇に力を入れた後、とんでもないことを言い出した。
「あなた様は騙されています。妃候補の中に、物の怪が混ざっているのです」




