計略(四)
晴彦は夢のことなどすっかり忘れ、西の棟へ渡る回数が増えた。
ぐっすり眠れるようになった晴彦の表情は明るくなり、以前のような文机を蹴ったり、怒ったりしない、元の晴彦に戻ったようだと、事情を知らない者たちは安堵する。
それどころか、男色だと噂されていた晴彦が桔梗の部屋に足繁く通っているという。
実は桔梗の部屋にいるのは光で、桔梗は二人が肌を重ねている間は蘭子の部屋で過ごしていることを知っているのは、烏丸と桔梗の女房たちと限られただけであった。
あれだけ希彦を愛していた晴彦であったが、光を求めるのが多くなったのは、声が漏れないようにひそひそと小声で話す光の声が、どこか希彦に似ていると感じるようになったから。
光を間違えて希彦と呼んでしまったこともあったが、光は何も言わず、晴彦の求めるままに従った。
そうして時は過ぎ、次の脱落者が発表される前日。
現在の順位は、桔梗が一位、桜子が二位と逆転。下位の二人も、三位が牡丹、四位が撫子と逆転している。
下位の二名の点差はあまりない為、明日行われる試験の結果次第というところだ。
上位の二名はこのまま行けば確実に脱落はしない。
しかも、御渡りの回数を考えれば、桔梗が正室に選ばれるであろうことは、ほぼ確定していた。
「兄上は、最近とても機嫌が良いそうですね」
希彦は久しぶりに晴彦を訪ね、すっかり顔色が良くなった晴彦を見て微笑んだ。
「お前もな。まぁ、お前はいつも機嫌がいいか」
「ふふふっ……そうですね。この世界は面白いことであふれていますから。ところで、お調べするように言われていたあの夢のことなのですが……」
「ああ、もうそれはいい。思い出させるな」
「おや、せっかく原因がわかったのに……」
「もう見なくなったし、そもそも、時間がかかりすぎだ。あんな気分の悪い光景はもう、思い出したくない。せっかく今は良い気分なのだから」
「それは残念」
まるで残念に思っていないような表情でそう言って、希彦は調査の結果を告げなかった。
それでは、と別の話題に切り替える。
「近頃、兄上は西の棟によく御渡りになられると聞きました。桔梗殿が気に入ったのですか?」
「……まぁな」
気に入ったのは桔梗ではなく、その弟の光である。だが、いくら希彦とはいえ、本当のことは話せない。
「どのあたりがお気に召したのかとても興味があるのですが、その前に一つ————もう女が平気になられたのですか?」
「いや、女が平気というより、桔梗が平気というだけだ。ほら、桔梗は瑠璃領の女らしく上背もあり少し男っぽいだろう? 他の姫たちとは違って……だからこそ、こちらも気が楽なんだ」
相変わらず桜子は作り物のようで気味が悪いし、撫子は桔梗とは真逆で女らしさが過ぎる。
それに香の匂いがどうしても妓楼でのことを思い出させるため、あまり近づきたくはない。
おそらく、普通の男が嗅げば良い匂いなのだろうが……
「そうですか。では、牡丹殿は?」
「……うーん、そうだなぁ」
妃選びが始まって、もう半年ほどになるが、やはりこれといって牡丹にはいいところも悪いところも見当たらない。
本当に、印象に残らないので、どんな話をしたとか、試験でどんなことをやったとか、そういう印象もあまりない。
ただ一つ、覚えているのは、空木が光であると知った翌日の事だ。
とりあえず姫の部屋で順に一回は夜を共にしなければならなかったので、仕方がなく牡丹の部屋で過ごしたが、もちろん指一本触れていない。
牡丹が入れた茶を飲み、牡丹が描いた絵を鑑賞した。
「絵を描くのが上手いのだなと。墨と紅玉を使った染料で草花や鳥なんかをさらさらと描いて、とても鮮やかであった」
紅玉領の人間は、手先が器用であることが多い。
皇后なんて目指さなくても、絵師として十分やっていけそうなほどだと思った。
こうして希彦に話していても、牡丹の顔より、彼女が描いた絵ばかりが脳裏に浮かぶ。
牡丹の魅力はそれくらいだろう。
あまり話すのは上手ではないようで、おとなしい。
女と話すのが苦手な晴彦にとっては、桔梗の次に気兼ねなくいれる相手かもしれない。
「なるほど、では次に脱落するのは撫子殿かもしれませんね」
「……ん? なぜそう思う?」
「おや、お忘れですか? 明日の試験は絵でしょう?」
「ああ、そうだったな」
それもお題は自分自身だ。
鏡を見ながら、自分自身を描く。
同じく紅玉領出身の撫子も手先が器用なので絵は上手いかもしれないが、牡丹の絵の腕前は突出しているように思える。
僅差だったとしても、現時点で負けている撫子が逆転できる可能性は低い。
「まぁ、何れにしても、紅玉領の姫のどちらかが落ちる。二人のとも残っているのは、紅玉領だけだしな」
* * *
試験は絵を描いている姿から、審査員に見られている。
予想通り、それまで常に鳴かず飛ばずの位置にいた牡丹が圧勝することになる。
残念ながら、桔梗は絵の才能があまりなかった。
多くの試験で最低でも三位だった桔梗が、この試験は最下位。二位が撫子、三位が桜子。
しかし、これまでの点数に加点されるため、総合した結果、一位は桜子、二位が桔梗と逆転しただけ。撫子の脱落が決定した。
撫子に仕えている女房たちは残念そうに肩を落とし、撫子の頬にも涙が一筋流れた。
本来なら、脱落が決定したその日のうちに脱落者は領地へ帰るのだが、絵の試験の順位を決める審査に時間がかかったため、結果が出た時には日が暮れていて、撫子は特例で翌日帰ることになった。




