計略(三)
「どうして帝がここに……————っ!」
そう言いかけて、空木は両手で自分の口を覆った。
それまで決して言葉を発さなかった、空木の口から出た声は、桔梗とは全く似ていない、太くて低い。
まるで、男のような声をしていた。
「空木、お前……今の声」
「お、男……?」
烏丸にも、そう聞こえたようで、晴彦は確信する。
空木は、女じゃない。
ずっと顔の痘痕を隠すためにつけられているのだと思っていた布は、実は喉仏を隠すためのものだったのだと気がついた。
声を一切出さなかったのも、このせいだ。
「お、お許しください! これには、これには、事情がありまして」
空木は頭を畳にぶつけるほどの勢いでひれ伏した。
よく見れば、手も女にしては大きく、骨ばっている。
所々男だとわかる違いがあった。
「事情だと? ふざけたことを!」
妃候補の女房が男だったなんて、前代未聞の出来事である。
烏丸はすぐに追い出すべきだと憤慨していたが、晴彦がそれを抑える。
「まぁ、待て。一度話を聞こう」
「でも、主上!」
「黙れ烏丸。俺がいいと言っているんだ! お前は部屋の外で誰も入ってこないように見張っていろ」
「は、はい……」
晴彦に睨まれて、烏丸は部屋を出て襖を閉めた。
「面をあげて説明しろ、空木。どういうことだ」
空木を見下ろしながら改めてその事情を訊ねた晴彦。
空木がゆっくり顔をあげると、下三白眼の双眸と目が合った。
やはり、改めて顔を見ても、桔梗と同じ顔をしている。
こんなに似ているということは、親戚であるということには、変わりがないようだと思った。
まるで、桔梗をそのまま男にしたような……
「僕は男子禁制のこの場で、他の姫様方や女房に何か危害を加えようだとか、そのようなことは一切ありません。このような姿で、僕がここにいるのは、すべて皇太后様の指示でございます」
「母上の?」
一体何を企んでいるのかと思ったが、空木が瑠璃領の姫の女房であることを考えると、空木の話には納得がいく。
「皇太后様は、同郷である瑠璃領の姫がこの妃選びで正室に選ばれるべきだとお考えでした。しかし、蘭子様が先帝の一件で脱落してしまい、瑠璃領の姫は早々に一人になってしまった。その上、その……」
空木は一瞬、その言葉を口にするかどうかで迷い、言い淀んだ。
だが、晴彦の目を見て、ここは素直に全てを話すべきだと、一度深く深呼吸をしてから、はっきりと口にする。
「その上、今の帝である主上は女子が苦手で、男色であることを危惧しておられたのです。どうしても女を抱けない。女相手では立つものも立たないというのなら……と」
そこまで聞いて、紫苑がしようとしていたことに晴彦は察しがついた。
つまり、表向きは瑠璃領の出身である桔梗を正室とし、夜の相手は顔が同じ空木にさせようとしていたのだ。
紫苑の名前が出た時点で、桔梗も共犯であることは明らかだった。
それも頭の良い桔梗のことだ、正室の座にさえつければ、それでいいのだろう。
噂程度でしか聞いていないが、瑠璃領では妃候補に選ばれるだけでも熾烈な争いが行われていると聞いたことがある。
皇后になるためだけに、そのためだけに生かされていると……
女が怖いというのは、変わらない。
目的のためなら、どんなことだってする。
紫苑の思い通りになるというのは癪ではあるが、確かに女嫌いの晴彦にとって、初めからそのつもりでいるのなら、桔梗はとても都合がいい。
女としての幸せを求めていないのだろう。
それこそ、晴彦が正室に求める条件だ。
「つまり、桔梗は俺に男として、夫としての役割は求めていないということか?」
「いえ、その、僕もそこまでは……」
そこは直接本人と話して聞いて欲しいと空木は言った。
確かに、桔梗も空木の正体と目的を知っているのなら、桔梗も交えて話をするべきだと思った。
「では、お前はいいのか?」
「え?」
「男を相手にする覚悟があって、ここにいるのかと聞いている」
「それは、主上がお望みならば」
「……」
晴彦の目には、空木は相当な覚悟でここに来たように見えていた。
しかし、少しして何か想像したのか顔が真っ赤になっていく。
晴彦は、それが可笑しくて吹き出しそうになったのを誤魔化すように咳払いを一つし、問いかける。
「……空木というのも、偽りの名前か?」
「はい。そうです」
「本当の名前は?」
「光と申します。姉上————瑠璃領蓮池家七の姫・桔梗の双子の弟です」
不思議なことに、この夜を境に晴彦はあの夢を見なくなった。




