計略(二)
布で鼻から下を覆っているせいで、下三白眼の大きく鋭い目がより際立つ。
隠れている部分以外は、親戚である桔梗によく似ている相貌であることに間違いない。
桔梗が空木を引き連れて回廊を歩いている姿を晴彦も何度か遠巻きに目撃している。
遠巻きに見るとより同じ人物が二人いるように見えた。
基本的に空木は、他の女房たちと一緒で姫の後ろに控えているときは下を向き俯いているのだが、晴彦は何度も見つめられているような気がしていた。
晴彦は御簾越しに姫たちの様子を見ている。
姫たちのいる側からは晴彦の顔はほぼ見えていないはずだが、何度も何度も、不意に空木が視線をこちらに向けているような、そんな気がしてならかった。
「そりゃぁ、女房からしたら帝の顔が拝めるなんて嬉しいことじゃないですか。しかも、主上の場合は、先帝の朝彦様とは違って、滅多に顔を見せないことで有名ですし」
「いや、それだけじゃないから、奇妙なんだ」
同じ宮中にいれば、不意に廊下や回廊ですれ違うこともある。
空木は無言で頭を下げるが、こちらをじっと見ている節がある。
何か言いたいことがあるのかと、耐えかねて晴彦から訊ねたこともあったが、首を小さく横に振っただけで、うんともすんとも言わない。
「え!? 主上がご自分から女房に話しかけたのですか!?」
「……なんだその反応は」
「いえ、だって、僕はこの三年、側仕えとしておそばにおりますが、そんなことは一度も見たことも聞いたこともありませんでしたので」
確かに、通常であれば女嫌いの晴彦が自ら話しかけるなんてことはありえなかった。
女性と話す時はいつも極度に緊張してしまい、うまく言葉が口から出ない。
酷いときは動悸や過呼吸になりかけることも。
実は、顔を見られているというのがそうなってしまう一番の原因だった。
朝彦の容姿が歴代の帝の中で一番美しかったため、その息子なのだから似ているに決まっている。
美男子に決まっているという女たちの目が、実物の晴彦を見て期待はずれだったと残念そうなものになるのと、自分がいないところで、「何故、あの美しい朝彦様と紫苑様からあんなのが生まれたのか」と話しているのを聞いてしまったからだった。
それまで、自分に笑顔で接してくれていた女房や女官の本心を知って、晴彦は深く傷ついた。
以来、晴彦は女というものが怖い。
さらに、その女嫌いを直してやろうと朝彦にお忍びで何度か妓楼に無理やり連れていかれたせいで、女嫌いはさらに悪化し、今の状態に至る。
引きこもりがちになり、あまり外に出なくなってしまった晴彦の遊び相手となったのが、希彦だった。
希彦は女のような綺麗な顔をしてはいるが、本物の女たちのように晴彦に対して過度な期待もしないし、容姿をバカにしたりすることもない。
ベタベタと体のあちこちを触って来ることもない。
烏丸が側仕えとして上がった頃には、すでに今の状態。
晴彦が男色であることは、一部の人間しか知らないことではあるが、女を避けているというのは仕えていれば、言われなくともわかることだった。
その烏丸が、少し興奮気味に、嬉しそうに目を輝かせている。
「……そんなに、珍しいか?」
「ええ、珍しいことですよ! もしや、妃選びで嫌でも姫様方とお会いする機会が増えたことで、女性に慣れてきたのではないですか?」
女嫌いを克服できるのではないかと、烏丸は期待しているようだった。
そうして克服さえできたら、世継ぎが生まれるのも早いだろうと。
「まさか、それはない」
だが、晴彦からすれば、そんな日は来るはずがないと思っている。
希彦を愛しているのに、男である希彦を愛しているのに、女なんて抱けるはずがない。
「ただ、空木が奇妙な女だから気になるだけだ」
「その気になるこそが、第一歩じゃないですか! もしかしたら、主上は姫様よりも空木様に好意を抱いているのではありませんか?」
「はぁ!? 何を言い出すんだお前は」
「だって、よく目が合うのでしょう? それは主上も空木様の方を見ていないと合うことはありませんよ」
「まさか、そんなわけない」
晴彦はただの偶然だろうと口では否定したが、その日以来、気づけば空木を目で追うようになっていった。
そして、数日後。
「本日は、桔梗様のお部屋へ」
晴彦は桔梗の部屋で一晩過ごすことになった。
だが、これは晴彦が桔梗を気に入って自ら動いたわけではない。
気に入った妃候補とどう過ごすかは、本人同士の意思に任せられている。
最終的に正室が決まる前に、深い仲になっても構わないのだ。
通常であれば、三ヶ月もあれば御渡りがあるのが普通。
しかし、晴彦は一度たりとも妃候補である姫たちと臥所を共にすることはなかった。
そこで、紫苑の提案により強制的ではあるが、残っている四名と一晩過ごすということになった。
何をしても良いし、しなくても構わない。
ただ、御簾越しではなく、膝を付き合わせることで情が湧いて来ることもあるだろうと、そういう話だった。
晴彦は嫌がっていたが、このままでは桜子を正室にとする声が大きくなるだけ。
希彦に相談すると「そんなに桜子殿が嫌なら、何か一発で脱落するような弱みでも見つけたら良いのでは?」と言われてしまった。
桜子の部屋だけを訪ねて、桜子の弱みを握るというのも不自然だということで、仕方がなく受け入れることになったのだ。
その一番最初が桔梗の部屋だった。
本当はものすごく億劫であるが、仕方がなく晴彦は桔梗がある西の棟へ。
廊下でふと立ち止まり、桔梗の部屋の向かい側、朝彦が死んだ蘭子の部屋の方を見つめる。
「どうされたのです? 主上」
「いや、ここで、あの男が死んだのかと思ってな」
琥珀の忌子としての記憶を少し取り戻した希彦から、自分の出生の秘密を聞くまでは父親だと思っていた男が最期を迎えた部屋だ。
「あの男って、主上、自分のお父上様でしょう? いくら亡くなっているからって、そんな言い方は失礼ですよ」
「そうだな」
真実を知らない烏丸は、晴彦の複雑な心情を知るわけがない。
父だと思っていた男が実は自分の腹違いの兄だった。声しか似ているところがないと言われていた。
その男が、その声を利用して息子の妃候補の女に手を出し、死んだ。
忌子の一族と帝の一族の血が混ざるのが禁忌とされていたのは、国を滅ぼすろくでなしが生まれるということを危惧してのことだったのではないかと、晴彦は思った。
どんなに顔がよかろうと、帝としては政治には全く興味がなく、女の尻ばかり追っていた最低の男だった。
桔梗の部屋へ行く前に、ついでだから朝彦が死んだ部屋でも拝んでやろうかと、そちらに足を運ぶ。
今は何事もなかったかのように締められている襖をそっと開けた。
「え……?」
「あ……」
ところが、誰も居ないと思っていたその部屋に、なぜか空木がいた。
しかも、顔を隠している布の端を頭の後ろで結び直している最中だった。
突然襖が開いたことに動揺したのか、空木の手元が狂って、はらりと布が床に落ちる。
ひどい痘痕があるはずの空木の顔はすべらかで、痘痕など一つも見当たらなかった。




