禁忌(一)
初めに、我が一族の話をしよう。
古くは、月和国というこの国が生まれた頃まで遡る。
もう、何百年、何千年も昔の話だ。
雨が何日も降らず、作物は育たず、多くの民が渇きにより死んだ。
夏になるとさらに自体は悪化し、川も井戸も枯れ、ジリジリと照りつける太陽が恨めしい。
雲ひとつできず、干からびて、空を恨んで、恨んで。
そんな中、ある一人の少女が現れる。
彼女は普通の人間には視えぬものを視る特別な目を持っていた。
彼女は「この地に雨が降らないのは、この国に呪詛がかけられているからだ」と言った。
最初は誰も彼女の言葉を鵜呑みにはしていなかったが、彼女が祈祷をすると、たちまち雲が空を覆い、大量の雨を降らせた。
その雨が、景月山の山頂にある泉を満たし、そこから溢れて落ちた水が川となり、この国を四つの大陸に割ったのだ。
恵の山と呼ばれた景月山を有する現在の琥珀領、その眼下に紅玉領、翡翠領、瑠璃領の三つの領地。
川が陸地を分けたせいか人々の暮らしもすっかり変えて、四つの陸地の民の間でいくつか戦が起きた後、再び統一したのが琥珀領の王であった。
王は、自らを神の末裔であると名乗り、あの雨を降らせた少女を傍らに置き、彼女の助言に耳を傾けた結果、その地位につくことができのだ。
猫のような目をした彼女は、建国の立役者として格別の地位を得た。
そして天候や天体を読み、災害や呪詛から国を守り、時に祈祷や儀式を取り仕切り、人間の仕業とは思えない不可思議な出来事に対応する。
陰陽師といわれている者たちの祖となった。
今、陰陽師を名乗っている者たちは、彼女が特別な力を持たない者たちにも、ある程度の修行を積めばそれなりに対処ができるようにと書き記した書から学んだ、学者たちだ。
本物は、彼女の血筋————つまりは、我が一族のみである。
我が一族の者は、皆、猫のような大きな目と男とも女とも取れるような、美しい容姿をしている。
しかし、残念なことに皆が皆、彼女と同じように他の人には視えぬものが視えるとは限らない。
容姿は似ていても、本物かどうかは、生まれてみるまでわからないのだ。
『琥珀の忌子』と呼ばれているその特別な目を持つ子供は、男に生まれるか、女に生まれるかわからない。
だが、確かに言えることは、忌子は何代も前の忌子の記憶を継承している。
生まれ変わりなのか、その忌子に魂が入り思考が混ざり合うのかわからないが、過去のことを記憶している。
しかしそれは、すべてではない。
国を守るために重要なことや、忌子にとって大切な思い出だけが記憶として残っている。
琥珀の忌子は、この国の始まりから現在に至るまでの歴史だ。
その膨大な記憶の中から、危機に直面した際にどうすべきかを導き出し、常に最善を提示する。
紫苑、お前は私に問うたね。
最初の少女は、王と結ばれることはなかったのかと。
残念ながら、それはない。
おとぎ話のような、作り話のような、子供騙しの結末のような、そんなことになってしまえば、忌子が生まれなくなる。
それは禁忌なのだよ。
月和国の王————帝の血筋と忌子の血が混ざり合うことは許されない。
忌子は、帝が間違った行動をとならいように導き、あらゆる脅威から守る役目を担っている。
帝の身内となってしまっては、どうしても甘えや贔屓が起きてしまう。
それに、仮に忌子と帝が恋にでも落ちたら大変だ。
前にも言っただろう?
人はね、恋をすると欲が出る。
相手のことを自分のものにしたくなる。
手に入れたくなる。
相手の身も心も、すべてを支配したくなる。
それまで手にしてきた全てを投げ出すかもしれないし、多くの人を傷つけるだろう。
自分の気持ちばかりが優先されて、脇目も振らずに欲しがるのだよ。
だが、そうして手に入れたくせに、手に入れた途端、急に冷めてしまうものなのだ。
恋とは、ある意味、毒なのだよ。
強烈に誰かを欲しいと想う、その毒のような気持ちは愛しいではなく、執着だ。
その執着こそが呪詛の元になる。
私が呪術について詳しいのは、そういうものをたくさん視て来たからだ。
お前たちが好きなおとぎ話や作り話では、どうしてか男と女が出てくると番にさせられるけれど、現実はそうはいかないものなんだよ。
仮に番になったとしてもね、そこから先が地獄だったりするものだ。
だからこそ、東宮の妃選びは重要なのだよ。
領主家の当主なんかは、自分の血筋の姫が中宮になった時に得られる恩恵を期待しているだろうが、妃選びで求められているのはどの家か、どの血筋かではない。
本人の素質さ。
紅玉領の女が恐ろしいと言われているのは、どんなに着飾ろうが、その美しい装飾で隠した腹の中に醜い嫉妬の心を抱いているから。
瑠璃領の女がずる賢いと言われているのは、笑顔を貼り付けた顔で計略を巡らせて他者を罠に落とし、目的のためには手段を選ばない強欲のせい。
翡翠領の女が傲慢だと言われてるのは、自分では一切何もせず、そのくせ他人を見下し、己の心がどれだけ醜いか気づいていない。
皆が皆、そう言われるような性格ではないかもしれないが、そういった傾向の強い姫たちの中から、一番問題を起こさなそうな姫を選ぶんだ。
何が起きても動じず、毅然とした態度で、一心に夫を支え、皇子を産む。
そういう本質的にもっともふさわしいとされた姫を選ぶのが、東宮の妃選びだ。東宮の好みはあまり関係がない。
そうして選ばれた姫はやがて国母となる。
だけどね、どんなに慎重に妃を選んでも、どういうわけか、やはり本性が出てくる。
特に産んだ後だ。
自分の子供と、自分自身を守るために、欲が出る。本当に人間とは愚かなものだ。
高い地位につき、全てを自由にできるようになると、それを自分の為だけに使おうとする。
私はそれが、とても残念で仕方がない。
何千年もこの目で様々な人間を視て来たが、結局、同じことを繰り返す生き物なんだよ。
それはとても退屈で、つまらない。
誰かが変えてくれないだろうかと、私はそう思っている。
そうだな、お前のように、少し変わっている姫が国母になれば……もしかしたら、何か変わるかもしれないね。
お前は呪術に興味があるのだろう?
教えてやってもいいが、その代わり、私の願いを一つ聞いてくれないか?
何、簡単なことだよ。
私がお前に呪術を教えてやる代わりに、東宮の妃選びで必ず、たとえ東宮が気に入らなくても、正室に選ばれるように尽力して欲しいんだ。
そして、帝の血を引く皇子を産んでおくれ。
お前が月和国の帝の母となり、すべてを正して欲しいのだ。
私は、間違えてしまった。
だから、お前に正して欲しい。
私の願いは、ただそれだけだよ。
けれど、お前の心はお前のものだ。
あいつもお前の心まで欲しいだなんて思いはしないさ。
大丈夫。
それは誰にも渡す必要はない。
ただ、お前に帝を産んでもらいたい。
それだけなんだ。
* * *
「私はね、晴彦。あのお方が願った通り、あなたを産んだのですよ。熾烈な東宮の妃選びを勝ち抜いて、あなたを身ごもった。そんな母に、今、何と?」
中宮・紫苑は、自分が腹を痛めて産んだ息子の発言に、耳を疑うしかなかった。
帝が死に、これでやっと、自分の息子が東宮から新たに帝として、この国の頂きに立つ。
中断されていた妃選びも、明日から再開する。
これで、すべてが元通りになるはずだったのに……
名君と呼ばれた祖父によく似た、筆で引いたような横に長い一重の双眸で、晴彦は真っ直ぐに紫苑の目を見つめ、告げた。
「俺が帝になるからには、東宮には希彦をと言っているのです。母上」




