暗黙(三)
「何やら楽しそうな話をしているね。誰が誰を殺す計画を立てていたと?」
肩に置かれた希彦の手に、ぐっとと力が入った。その手を払い除け、桔梗は希彦から一歩離れて向き直る。
「希彦様! 聞いてください!」
希彦は桔梗に訊ねたのだが、答えたのは藤豆だった。
中宮が初めから計画的に仕組んだことだという真相を希彦に知らせれば、希彦の手柄になると思ったのだ。
少し興奮気味になり声が大きくなってしまう。
「帝を殺したのは中ぐ……」
だが、希彦は笑顔のまま狗丸を顎で使い、藤豆を黙らせる。狗丸は小柄だが手が大きかった。
片手で鼻と口を覆われ、抵抗する間もなく拘束されてしまった藤豆を無視し、希彦は改めて桔梗に訊ねる。
「桔梗殿、私はつい先程、中宮様より主上の件は殺人ではなく、偶然が重なった不幸な事故であったと聞いているのだが……」
希彦はその不幸な事故に中宮が一部関わってしまったことを公にしないように丸く収めよと、直接はっきり言われたわけではないがそういう話をされたばかりだった。
すでに、帝の死は実は病死であったと偽りの結論を出し、捜査は打ち切りとなっている。
あとは、朝彦が蘭子の部屋にいた適当な理由を取り繕えばいいだけだった。
「偶然にしては、重なりすぎていると思いますが……希彦様はそれで納得したのですか? 本当に、これが偶然だと?」
桔梗に朝彦の女好きを最初に教えたのは希彦だ。
そんな希彦もまた、朝彦の好みを熟知していたに違いない。
それなのに、これを不幸な事故として片付けることに抵抗はないのか。
そもそも、違和感があると思わなかったのか、とても疑わしい。
「あなたは中宮様の命を受けて、捜査をしていたんですよね? それなら、はじめから私たちがあの小瓶を————人魚の鱗を中宮様が私たちに渡したことを、知っていたのではないのですか?」
桔梗は希彦の顔を睨みつけるように見上げた。
顔だけ見れば、女と見間違うような美しい顔をしたこの男は、そんな桔梗を見下ろして、ニヤリと笑った。
「さて、どうだろう? 確かに私は中宮様の命令で、捜査の指揮を取っていた。それが私の表向きの役目だからだ。正直に言えば、朝彦がどうやって死のうが、興味がない。初めから、誰の仕業かは視えていたし」
「見えていた?」
「私はね、生まれつき普通の人間の目には視えないものが視えているのだよ」
「……は?」
希彦が何を言っているのか、桔梗にはわからなかった。
「中宮は私のこの特別な目を信じていない。だからこそ、私に徹底的に捜査をするよう命じた。殺した張本人が、捜査するように命じるわけがないと、思わせるのが目的だったのだろうな。あの女のやりそうな事だ」
それでも、希彦は続ける。
「まぁ、晴彦の妃選びの余興程度にはなっただろう。桔梗殿がどのような性格が理解できた事だし」
「さっきから、何を? 余興って、帝の死……が?」
「面倒なことには首を突っ込まない方が得だと知っておきながら、実は全て何もかも詳らかにしたい、正義の人————そうだろう?」
希彦の猫のような目は、まるですべてを見透かしているかのようだった。
桔梗はその目に何か得体の知れない畏れを感じ、たじろいだ。
「中宮の真実を知りたいなら、その目で確かめるといい。ただし、他人には口外しない方がいい。口にしたら、次に殺されるのは桔梗殿。あなただ」
希彦はそう言って、桔梗を連れて中宮の部屋へと続く廊下にあった、あの掛け軸の前へ行った。
事故で片付いた為、朝彦の葬儀を早々に行うことになり、中宮が部屋にいないことを希彦は知っていたのだ。
中宮付きの女房も護衛の女官も誰一人立っていない。
誰に止められることもなく、見られることもなく、天井に『迷宮』と書かれたあの小部屋の中に入り、地下へと続く扉を開ける。
「隧道に行って、何がわかるというのです? それに、わざわざここから入らずとも、入口なら近くにいくらでも……」
秘密の通路への入り口は、いたるところにある。
地下を通るなら、桜子の部屋の隣でもよかったはずだ。
桜子に入るところを見られたくなかったのであれば、撫子の部屋の隣でも、西側の棟の小部屋でも構わないはずなのに。
「入ればわかる。ついて来い」
希彦が先導する。
地下は相変わらず、壁に埋め込まれた瑠璃が提灯の光を反射してきらきらと輝いていた。
ところが、妙なことにどれだけ進んでも、それまでに通った隧道のように幾つも道が別れていないのである。
一本道が続いているだけ。
途中で分かれ道が一つだけあっただけで、ほぼ道なりに希彦は歩いてゆく。
「どこまで歩くのですか?」
「もうすぐだ」
しばらく歩くと、急に道幅が狭まった。人工的に作られたものというより、手を加えられていない、自然にできた隙間のような、人一人が通るのがやっとの、細い道だ。
前を歩く希彦の背中しか見えず、いつまで続くのかと桔梗の息があがりかけたその時————
「ほら、着いた」
急に道が拓けて、大きな空間が現れる。
足元や壁だけじゃない。
天井も何もかも、青くきらきらと輝いている。
上下がわからなくなるほど、青い何かに覆われた、洞窟だった。
「これ……は、まさか」
「すべて、人魚の鱗と呼ばれている植物だ。煎じて薬として使えば、強力な媚薬となる。だが、使い方次第では毒になりえる。琥珀水と混ざるのが一番危険だな。他にも、いくつか合わせる物によっては色々な症状を引き起こすことができる」
桔梗は蓬から聞いた話を思い出した。そして、ここが瑠璃の洞窟なのだと気がつく。
しかし、続く道は塞がれ、人魚の鱗はもう手に入れることは難しい、希少なものになったはずだ。
それが、そこへ続く道が中宮の部屋のすぐ近くにあったのかわからない。
「あの女は、この人魚の鱗がもたらす結果を、呪術だと言っている。神の力を得たと、まるで、自分は呪術が使える気になっている。原因のわからない病や死は、呪詛や祟りのせいと結論づけられることがある。だが、知ってしまえばそれはただの人殺しだ」
そうやって、自分の信じる呪術を使って、簡単に人を落としれ、罠にはめ、殺す。
それが紫苑という女だ、と希彦は人魚の鱗を撫でながら言った。
「全てを自分の思い通りにしたい。もっと言えば、呪術を使うことを楽しんでいる。何人も人を殺めて、玩具にして、遊んでいる。殺された者たちの霊が、常に呪い殺そうと自分のまわりにいることにも気づかずにな」
希彦の目には、その死者の魂が視えている。
ところが、誰よりも呪術や霊現象などに興味のある紫苑には、まったくその才能がない。
自分が望んでも視えないものが生まれつき視えるという希彦の力を、信じていないのだ。
「……つまり、見えていたというのは————」
「死霊だ。中宮に殺されたのだと私に訴える、朝彦のな」




