暗黙(二)
「主上が手をつけるなら、私も桜子様だと思ってた。あんなに主上好みの顔した姫様、見たことないわよ」
女官たちの話によれば、帝——朝彦の好みは、とにかく若くて、大人の女性よりもどこかまだ少女らしい、子供らしい部分が残っているような、童顔の美女。
正室である中宮・紫苑とは系統が違う。
朝彦には側室が何人もいるが、中でも位が高い二人の女御と紫苑は東宮だった頃に妃選びで選ばれた姫だ。
ところが、この三人以外で、朝彦が好んでお手つきにした女の系統には偏りがあり、桜子がその系統そのものだという。
「主上の好みがはっきりしてるから、中宮様だってできるだけ主上の目に入りやすい女房や下女は、あの系統の顔の女は排除してきていたくらいなのに」
「そうそう。まぁ、蘭子様も許容範囲だろうけど」
「でも、二番手よね。容姿というより、あの何というか、自分が一番だと譲らない感じじゃないかしら? 初日の儀式の時から、なんというか……私が一番よって自信満々だったし」
「燕もそう思わない?」
「……え? まぁ、そうね。そういえば私、主上が話しているのを前に聞いたことがあるわ」
「なになに?」
「『自分に自信のある、何でも自分の思い通りに行くと思ってる生意気な女をめちゃくちゃに抱いて泣かせてやるのは楽しい』とか……そんな感じ」
「うわぁ……」
朝彦はそういうことを平気で言う男だった。
誰よりも美しい顔に加えて東宮、帝としての地位があるからこそ成立しているようなものだが、これがただの醜男の発言だったら女たちから反感を買っていただろう。
「そういう話なら、私も噂で聞いたことがあるわ。先の妃選びの際、ほら、他の男と通じていたって、失格になったお姫様がいたじゃない?」
「ああ、確か翡翠領の姫様だったわよね?」
「そう! その時ね、主上がものすごく怒ったようなの。それで、腹いせに姫様の女房を強引に手籠めにしたそうよ」
「えっ? 何それ? どういうこと?」
「その女房の方が顔に痘痕があるくせに、姫様よりいつも堂々としていて、生意気だったからだそうよ。『私が女房をしているんだから、うちの姫様が選ばれて当然でしょう』って、そういうとても感じが悪い女だったそうなの。その時に気の強そうな女の体を支配する楽しさってやつに目覚めたらしいわ」
「いやだぁ、なにそれ……最低ね」
「本当に、主上は顔だけなら完璧なんだけど……」
「性格がねぇ、難がありすぎよねぇ」
「本当にあの聖人君主だった先帝の血を引いてるのか、疑問に思っちゃうわよね」
この女官たちは後宮の女たちと接する機会も多いため、必然的に朝彦が女好きでどうしようもない男だということは知っているが、外部の人間に口外してはいけないというのは、暗黙の了解。
彼女たちは例えあの顔で迫られたとしても、最悪だと思うだけだが、実情を知らない他領の姫なんて何も知らずにころっと騙されやすい。
「そのせいで何人の酷い目にあってきたか……」
扉越しではあったが、女官たちのそんな私的なおしゃべりを偶然聞いてしまった桔梗は、確かに瑠璃領にいて、そんな話は耳にした事がない。
側室が多いということぐらいで、どんな女を好むかなんて知る由もない。
それより、何より気になったのは紫苑についての発言だ。
中宮である紫苑も、朝彦の好みを熟知している。
そうなると、朝彦が桜子か蘭子に手を出す事は予想出来たのではないだろうか。
————いや、まさか、いくら何でもそんな事……相手は帝だ。
いくら性格に問題があっても、帝を中宮が殺そうなんてあり得ない。
でも……
「ところで、桜子様といえば、例の部屋って、今どうなってるの?」
「例の部屋?」
「あ、知らない? ほら、桜子様が使ってる部屋の隣によくわからないけどからくり部屋? みたいなのがあるらしいって」
「あぁ! 先の妃選びで、通じてた男が出入りしてたっていうあれね!」
「そうそれ! どういう仕組みか知らないけど、ほら、中宮様の女房たちが一ヶ月くらい前に使えないようにするって、砂袋をたくさん持って行ったじゃない」
この会話で桔梗の推理が、確信に変わってしまった。
一緒に聞いていた藤豆も、そのことに気づいたようで桔梗と顔を見合わせ、その悍ましさに震えている。
「姫様、これって、初めから……計画されていたんじゃ」
「あぁ、おそらく、かなり前から」
立ち聞きしていた事を悟られないよう、二人は小声で話す。
その間も、扉の向こうでは女官たちがあれこれ噂話で盛り上がっている。
「あの砂袋を置いたのが中宮なら、桜子が一番に狙われると分かっていた……西の塔の天井の文字も、きっと書き換えたのも」
人魚の鱗を持っている蘭子の部屋に向かわせる為だ。朝彦は小部屋から廊下に出たところで、そこが西の棟だと気づき、さらに女房にも姿を見られている。
二番手の蘭子に手を出したのだ。
妃選びには一年かかる。
桜子に手を出す機会は、他にいくらでもあると。
「初めから、不幸な事故に見せかけて殺す計画を立てていたんだろう。知らないと言っていたが、おそらく人魚の鱗と琥珀水のことも、本当は————……」
そこで突然、背後から桔梗の肩に手が置かれる。
「————桔梗殿」
いつの間にか、音もなく現れた希彦が桔梗の背後に立っていた。




