迷宮(一)
階段の一番下は、入り口からは見えなかった。
希彦の側仕えの一人である獅丸という少年が提灯を持って先に入り、一旦様子を見に行く。
希彦は階段の入り口のから視線を桔梗の方へ移すと、また少し困ったように眉を下げ笑いながら言った。
「どうする? 桔梗殿も我らと共に入るか?」
「え……?」
「獅丸に確認させてはいるが、何があるかわからない。一応、今は中断されているとはいえ、桔梗殿は東宮の妃候補だ。何より、女性をこんな得体の知れない場所について来させるのは、流石に気が引けるのだが……」
見える範囲だけでも、階段の下は闇だ。
ここからだと、きちんと整備されているどうかわからない。ひどく汚れているかもしれないし、水が溜まっているかもしれない。
普通の姫なら、着物や履物が汚れるかも知れないとあまり進んで中に入ろうとは思えないような雰囲気であった。
だが、そうはさせないのが藤豆である。
「うちの姫様なら、平気でございます!」
何が何でも、希彦の近くにいたい————おそらく、正確にはその美しい顔をできることならずっと見ていたいのだろう、桔梗はそこまでする必要はないと思っていたのだが、藤豆は止まらなかった。
「姫様は昔から、お外で村の子供達と混ざって泥んこになるまで遊んでいました! 山の中で私が遭難しかけた時も、姫様が泥だらけになって助けに来てくださって……」
「藤豆! 今それとこれとは関係が……」
「行きましょう姫様!! 姫様には武道の心得もございますし、例え熊が出ようが大蛇が出ようが、姫様なら平気です!!」
桔梗は何を言い出すんだと流石に藤豆を諌めようとしたが、その前に希彦が堰を切ったように笑い出した。
「ははは、藤豆殿は面白いことをいうなぁ」
腹を抱えて、目に涙をまで浮かべている。
今のどこが面白いんだと桔梗は思ったが、藤丸は希彦の笑顔が見られてとても幸せそうだった。
桔梗はどこがいいのかさっぱりわからず、眉根を寄せる。
希彦は確かに顔は美しいかもしれないが、なんだか人を見下しているような気がして、藤豆のように好感は持てなかった。
「ざっと見て来ましたが、人工的に掘られた隧道のようで、道がいくつも別れていました」
希彦が笑っている間に、いつの間にか戻って来た獅丸が、階段の下から顔を題して報告する。
「人工的? なぜそう思う?」
「瑠璃です」
「瑠璃?」
「壁や足元に瑠璃が埋め込まれているのです。小さな明かりでも、その瑠璃が光を反射して明るくなるように、計算されて作られているようでした」
結局桔梗は希彦たちと一緒に地下へ入ることになった。
地下の隧道は、獅丸の報告通り階段を降りて少し進むと、提灯の光を反射してキラキラと輝いていた。
いくつも枝分かれしており、とりあえず一番近いところに入ってみると上りの階段が。
上がってみると入って来た入り口と同じで天井に扉がある。
ところが、押し上げてみても上に何か重りが置かれいるようで、護衛としてついて来た小柄だが力持ちな狗丸でも、扉は少ししか動かなかった。
「主上がここから入って来た————というのは、考えにくそうだな」
希彦がすぐにあきらめて、引き返し、次の道へ。こちらも同じように階段の上に扉がある。
狗丸が扉に触れると、今度は簡単に開いた。扉を開けた狗丸が先に上がり、その次に希彦、藤豆、桔梗、獅丸が続く。
「あれ……?」
出てみれば、入って来た隠し部屋と全く同じ作りの部屋に出た。
一瞬、間違えて同じところから出てしまったのかと思ったが、流石に五人もいてそれはない。
いくら未知の場所を歩いて来たとはいえ、誰かが気づくはずだ。
「同じ作りの部屋が、宮中にいくつもある……ってことでしょうか? これでは、ちゃんと場所がわかっていないと道に迷ってしまいそうですね」
藤豆がそう言ったが、桔梗は隠し部屋の天井に文字が書かれていることに気がつく。
かつて瑠璃領で使われていた古い文字だ。
今では読める人間はほとんどいない。
桔梗が読めるのは、子供の頃に光と一緒に夢中になって読んだ物語の作者がその古い文字で別の作品を書いており、興味を持って自ら調べたからである。
「『東の姫』?」
文字を読み上げた直後だった。隠し扉となっている壁の向こう側から、声がしたのだ。
『————姫様、いま、壁の向こう側から声がしませんでしたか?』
若い女の声だ。
『ええ、何か聞こえたわよね』
壁の向こう側に、少なくとも二人いる。狗丸が警戒しつつ、そっと扉を開けると、その向こう側にいたのは、垂れ目の若い女房と明らかに質がいい装いに身を包んだ紅玉領の姫だった。
「い、狗丸? あなた、どうしてこんなところに————!?」
桔梗たちが今いるのは、紅玉領の姫たちがいる部屋がる三つの塔の一番東側の塔の内部だった。
男子禁制である区域内に突然現れた狗丸に、最初はひどく驚いている二人だった。
特に女房の方は、「ここは男子禁制です!! なんで男がいるんですか!?」と、烈火のごとく怒っていたが、紅玉領の姫は、狗丸の後ろにいた男の顔を見て、すぐに顔色を変える。
「これはこれは、撫子殿。お久しぶりですね」
「……ええ、そうですね。希彦……様」
希彦はにっこりと微笑んでいたが、撫子の顔は明らかに引きつっていた。




